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網上戯論
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despera系 投稿者:如月 投稿日:2006/01/22(Sun) 13:10 No.3098  
今日のNHK「新日曜美術館」〜『夢幻の美”鏡花本”の世界』、飲み友達(註:ただし彼は下戸なので酒を飲まない。この「飲み友達」という言葉は、要するに、彼と会うときはいつも私が一方的に飲んでいるということを指す)の柿沼裕朋くんがつくったものだったのですが、寝坊して見逃してしまいました。
午後8時から再放送がありますので、私も絶対に見るつもりです。みなさんもぜひどうぞ♪
須永朝彦さん、渡辺一考さんらも協力している、いわばdespera系の番組です(笑)。


鏡花に魅せられた3人の画家  - 2006/01/22(Sun) 22:09 No.3099  

番組は泉鏡花と3人の画家の紹介でしたが、鰭崎英邦、小村雪岱、清方達の鏡花との関わりが、時代を駆け抜けて現代に甦ったようでした。
清方の『築地明石町』は、説明通り、素晴らしい女性画でしたね。
(英邦違いでしたので、訂正させて頂きました。)


Re: despera系  - 2006/01/23(Mon) 00:00 No.3101   <Home>

(註:ただし彼は下戸なので酒を飲まない。この「飲み友達」という言葉は、要するに、彼と会うときはいつも私が一方的に飲んでいるということを指す)如月さん投稿より

それで、割り勘だと、如月さんには好い飲み友達がいることになりますね(笑)


テクストと渾然一体となったおもしろさ 如月 - 2006/01/23(Mon) 09:39 No.3102  

「新日曜美術館」〜『夢幻の美”鏡花本”の世界』、関係者で固めてあるということは別にしても、とてもおもしろくみました(海さん、みてくださってありがとうございます)。
番組で紹介されたのは、鰭崎英朋(ひれざきえいほう)、小村雪岱(こむらせったい)、鏑木清方(かぶらぎきよかた)という三人の挿絵画家の作品、生き方、鏡花とのかかわり方で、国書刊行会から刊行された鏡花の選集「鏡花コレクション」の編纂者・須永朝彦さんが全体の解説役でした。須永さんが鏡花に関する番組づくりの相談をうけているという話は、本人からも伺っていたのですが、全編出ずっぱりのような形で、番組の骨格を構成していたのにはびっくりしました。鏡花のテクストと挿絵の双方に見識をもっている須永さんは、考えてみるとこの番組の解説者に最適だったと思います。
さて番組で紹介された作品(鏡花本の挿絵)のなかでは、須永さんも強調していた英朋作品のなまめかしさにあらためて驚きました。
(その作品は、松本品子著『挿絵画家英朋−鰭崎英朋伝』<スカイドア>の表紙でもとりあげられており、次のページでみることができます↓。http://www.skydoor.co.jp/cgi-bin/books_buy.cgi?0029)
雪岱作品紹介のコーナーでは、作品もさることながら、実は背景に流れていた音楽に心をひかれました。この曲、去年公開された映画『春の雪』でも流れ、なんという曲だろうと気になっていたのです。
清方作品紹介のコーナーでは、その代表作の一つ『築地明石町』も紹介されましたが、築地明石町という町には、番組の関係者のみ知る謎かけがあって、これまた楽しくみることができました(笑)。それはそれとして、紫陽花が、清方と鏡花を強く結びつけていたということは、番組をみてはじめて知りました。この清方もそうですが、鏡花本の挿絵画家たちは、鏡花のテクストにほんとうに強く共鳴し、それを完全に自己の主題として消化して、テクストと渾然一体となった挿絵を書いていたのですね。
また柿沼さんらしさは、たとえば雪岱のコーナー「鏡の巻」で、最初に「鏡」という文字を文字通り鏡文字で出して、それを回転させるちょっとした遊びなどにもいかされていたと思います。
身びいきかもしれませんが、全体として、よくできた番組だったのではないでしょうか。

(佐々木さん、柿沼さんが入る呑み会では、いつもそれぞれ別々に会計しておりますからご安心を。)


雪岱の絵と共に流れる曲  - 2006/01/24(Tue) 10:53 No.3103  

哀愁を帯びた曲名に付きましては、今週中にNHKが調べておいてくれますので、お待ちくださいませ。
視聴者コールセンターはこんな時には、便利です。


NHKはお役所仕事  - 2006/01/27(Fri) 08:26 No.3104   <Home>

昨日、NHKの返事を期待して、電話しましたが、まだわからず状態で、後、1〜2週間かかるそうです。
しらけませんね〜!たった一曲のタイトルを調べるのに、更に時間がかかるという事は、担当者が海外旅行中なんでしょうか?


雪の中のヴァーグナー 投稿者:後鳥羽院 投稿日:2006/01/22(Sun) 10:36 No.3095  
きのうは、ゲルギエフの「ジークフリート」(マリンスキー・オペラ)を聴きにいってきました。
幕間に、グラス・ワインをのみながら、数年ぶりの大雪をながめていますと、ヴァーグナーには Schnee がよく似合う、とおもわれました。大管弦楽と大雪と・・・あの音楽の異様な官能をさますには雪がいい、と。
名剣ノートウングでファーフナー(大蛇)の心臓を刺し、火のように熱い血をなめる英雄ジークフリート・・・東京文化会館のテラスの、ヒイラギナンテンの葉の上の雪をひとつまみ、赤ワインにいれると、それは目もさめるほどのメタモルフォーゼで、私はグッとその変容する美を飲みほした。・・・・・・
きょうは、いよいよ「神々の黄昏」ですが、風邪で体調が悪いものの、聴きにいってきます。どんな黄昏になるのだろう?
きのうは、わずかでしたが、アルベルヒを歌ったエデム・ウメーロフという人が、とてもよかった。経歴をみると、サマルカンドの出身ということです。


『ルートヴィッヒ』が目に浮かぶ 如月 - 2006/01/22(Sun) 13:07 No.3097  

雪の中のヴァーグナーというと、すぐにヴィスコンティ『ルートヴィッヒ』のなかのいくつかの情景が目に浮かびます。
指輪の連続公演、いいですねえ。
私はなぜか、『ジークフリート』には縁がなくて、一度も実演を聴いていないんです。

おからだに気をつけて、『神々の黄昏』に臨んでくださいませ。


残雪のヴァーグナー 後鳥羽院 - 2006/01/22(Sun) 23:42 No.3100  

あの『ルートヴィッヒ』は、私も大好きな映画のひとつです。

今夜のジークフリート葬送の場面は、オペラ史上に残るのではないか、と思われるほどの名演出でした。ゲルギエフの、あの手をふるわせる指揮がたいへん美しく、ああ、英雄が死んでしまった、と実感できました。リングの中で、いちばんいいところですものね。ジークフリート役の人は、かなり太めで、はじめのうちは、孫悟空の猪八戒に似てるな、などと思いつつみてたのですが。
神々がやっと滅亡してくれたので、今夜は安心して寝られます(笑)。神々の死後も残る悪人ハーゲンですが、今夜のハーゲン役は、邪悪な冷たさが出ていて、たいへん見事でした。
・・・それにしても、ヴァーグナーは疲れます。なにをおいても体力が勝負ですね。東京文化会館が満席になるのですから、ニーベルング族(小人族)の日本人もタフですね。私など、もうついていけないかもしれません。そのときは、日本人をやめて、滅びやすい神々の仲間にいれてもらおう、と思いました(笑)。


ヴィスコンティ『ルートヴィッヒ』  - 2006/01/27(Fri) 21:18 No.3105   <Home>

むかし、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでいて、なにか熱病にでも罹り、うなされて朦朧としているような感覚に襲われたことがありますが、ヴィスコンティの『ルートヴィッヒ』を、映画館で観ていた時にも、朦朧とまでは往きませんが、熱っぽくなった記憶が残っています。


ヴァーグナーの呪い 後鳥羽院 - 2006/01/28(Sat) 11:57 No.3106  

主役を演じたヘルムート・バーガーという俳優は、ヴィスコンティと深い関係にあったと聞いていますが、あのときの演技は、ルートヴィッヒの霊が憑依したのではないか、というくらいの迫真の演技でしたね。
ヴィスコンティが亡くなり、ヘルムートの生活は荒れて映画界から消えたようですが、彼にとって、ヴィスコンティはヴァーグナーのような魔的な存在だったのかもしれませんね。

それにしても、あの時代、ドイツに留学して、ルートヴィッヒの死に異様な感心を示した森鴎外という青年は、やはり異様な人ですね。


本年の観世九皐会 投稿者:如月 投稿日:2006/01/19(Thu) 11:57 No.3093  
小サイトでもおなじみの能の観世九皐会から本年の「のうのう講座」等のご案内を頂いたので紹介しておきたい。

九皐会にとってことし最大の話題は、なんといっても観世喜正さんがNHK大河ドラマ『功名が辻』の能に関する総監修をつとめていることだろう。
第一回放送分では、信長役の舘ひろしさんが舞う『敦盛』の節付け・型付け(作曲と作舞)のほか、舘さんへの指導も、喜正さんが担当した。また第七回、第八回では足利将軍饗応のシーンなどで、実際の能のシーンが上演される予定だが、こちらは喜正さんがシテ(主役)を演じる。

その喜正さんが、初心者に能のおもしろさをわかりやすく伝えてくれることで好評なのが九皐会の「のうのう講座」↓。
http://www.kanze.com/kanze1.html
この講座は毎月の定例会の前に、新宿区矢来の矢来能楽堂で、その月の定例会で取りあげる作品の見方、入り方などをいろいろ紹介してくれるもので、昨年からは、作品の見どころ紹介に加えて、能楽師以外の研究者をも講師に招いて、能からは少し離れた視点で能の題材となった物語を検証したり、その故事来歴を紹介したり、出典の古典を読み下したりしている。今年は2月3日に第一回講座がはじまるが、各月の講師には、米川千嘉子さん、多田一臣さん、馬場あきこさんなどが予定されている(のうのう講座の参加費は一回¥2,000)。
このほか、分かりやすい能をみたいという人に向けては、「のうのう能」という企画もある。
くわしくは、観世九皐会サイト↓にアクセスを。もちろん、定例会情報もくわしく読むことができる。
http://www.kanze.com/


青の時代 投稿者:如月 投稿日:2006/01/18(Wed) 12:54 No.3087  
現在進行中のライブドア問題、事件の詳細やそれに対する評価はともかく、マスコミをとおして事件の概要をきいているうちに、三島由紀夫の『青の時代』(昭和25年刊)を思い浮かべてしまいました。

三島の『青の時代』は、戦後「光クラブ」という闇金融会社を開設し、一般市民から大量の資金を集めたうえで金策につきて自殺した東大生社長・山崎晃嗣をモデルにした中編小説ですが、三島は、この事件を批判的に描くのではなく主人公の川崎誠を共感的に描いて、一種の快感のある軽い風俗小説に仕立てているのですね。
『青の時代』が作品として高く評価されていないのは、三島自身が認めるように(「取材も構成もおろそかにしていきなり光クラブ社長の小説化に飛びつき、およそ文体の乱れた『青の時代』」〜『私の遍歴時代』)、誠の幼年時代を描いた第六章の前半までと戦後を描いた第六章の後半に断絶があって、作品全体がすっきりつながっていないためで、この欠陥を認めつつ、三島のなかでは、私はわりと好きな小説です。
ライブドア、堀江氏の問題を軽々しく文学作品の問題と比較するのはつつしまなくてはならないかもしれませんが、『青の時代』という作品はちょっと評価の難しい作品なので、この機会に取りあげておきます。
ちなみに『青の時代』の序に、三島は次のように記しています。
「僕の書きたいのは贋物の行動の小説なんだ。まじめな贋物の英雄譚なんだ。人は行動するごとく認識すべきであっても、認識するごとく行動すべきではないとすれば、わが主人公は認識の私生児だね」


夜中の訪問者 後鳥羽院 - 2006/01/18(Wed) 19:27 No.3088  

私も、『青の時代』は好きでした。こういう主人公では、闇金融の帝王にはなれないだろう、とは思いましたが。むかしのことなので、よく覚えていないのですが、犯罪がひどく牧歌的なんですね、『青の時代』は。
序文は、行動好きで認識嫌いの認識的な三島らしいですね。
「僕は贋物の行動がしたいんだ。おおまじめな贋物の英雄譚を自作自演することなんだ」
と書けば、最後の割腹自殺になるのでしょうね。

東京地検特捜部が、あれだけ大掛かりに動いたということは、現代の「光クラブ」の社長は、かなり危ないでしょうね。
それにしても、地検特捜部はなぜいつも夜中に行動するんだろうか、長谷川平蔵の機動軍団のように。あれは謎です。夜くらい、静に寝かせてやればいいのに、お互い仕事で疲れているのだから。


東京地検特捜部  - 2006/01/18(Wed) 20:22 No.3089   <Home>

詳しいことは知りませんが、一般の取引の無い時間帯を選んで、極力、市場に影響の無いようにしたとか…。


東京証券取引所 後鳥羽院 - 2006/01/18(Wed) 21:43 No.3090  

なにかあると、すぐパンクしてしまう東京証券取引所が世界から相手にされなくなるのではないか、と心配ですね。


事件小説の方法論 如月 - 2006/01/19(Thu) 02:13 No.3091  

平成版「光クラブ」事件摘発にはそのような裏があったのですか…。

それはさておき、三島の『青の時代』は、三島にしてはめずらしく「裏」がないから、構成に難があっても好感をもって読めるのですね。前半の誠の幼年時代〜青年時代には、直前に書かれた『仮面の告白』とは少しずらしながら、三島自身の思い出を書き込んでいるように思います。で、この幼年時代〜青年時代には、『仮面の告白』にみられたような嫌味がないんですね。完全に他人の事というたてまえで書いているから、三島は、かえってストレートに自己を投影できたんじゃないでしょうか。
ですから、その回想が第六章の途中で突然断ち切られるのは、この回想を続けていくと光クラブ事件には行き着かないと三島が自覚したからではないかという気がします。
この辺の事情は、たとえば『金閣寺』にも通じると思うのですが、この小説、主人公・溝口の内面を描くことが、結局、実際に起こった金閣寺放火事件と有機的に結びついていないのではないでしょうか。
ですからこれは、実際に起こったできごとを小説世界のなかに取りこむとき、どのような方法で臨むべきかという問題とかかわってくるのだと思います。


三島由紀夫の「社会ダネ小説」のルーツ 如月 - 2006/01/20(Fri) 13:28 No.3094  

 三島由紀夫の『青の時代』に関連し、評論家・奥野健男は、『三島由紀夫伝説』(新潮社、1993年)のなかで、これは「社会ダネ小説」であるという主旨のことを書いているのだが、この点に関して私なりにちょっと思うことがあるので、記しておきたい。

 奥野健男の文章の引用、まずは三島の「社会ダネ小説」に対する評価。
「芸術至上主義者、古典派、唯美的とのみ思われがちの三島由紀夫は、現実に対し、社会に対し、時代に対し、意外なほど旺盛な好奇心を持っていた。そして足で歩き、徹底的に取材しよく調べて書く小説家であった。観念的に唯美的な宇宙を想像力によってつくりあげる作家ではなかった。彼の空想、想像力は官能的なものに限られていて、観念のイメージの殿堂を想出する詩人的能力はなかった。フィクションは必ず現実の事実によって築きあげられていた。夢想に耽り、幻想に遊べる詩人ではなく三島由紀夫は醒めた目で現実を見つめ、分析せずにはいられない散文作家であった。しかし社会ダネと言っても、三島由紀夫が興味を抱く事件は、戦争、敗戦を自分と共に通って来て、心に深い虚無を、いやされがたい空洞を抱く同年代の青年のかかわる事件に限られていた。昭和24年と言えば下山事件、三鷹事件、松川事件など国鉄労組をめぐる奇怪な事件が続発した年だが、三島はそういう政治的事件には目もくれず、女子大生殺し、光クラブなどの非政治的な青年の犯罪に注目する。『青の時代』を書きはじめた昭和25年7月、金閣寺が青年僧の放火により炎上する。三島は恐らく、ここにもまた同時代の同類の青年を発見し、この時から胸中にあたためていたに違いない。」(前掲書、251頁)
 奥野は、三島作品のすべてを評価しているわけではないのだが、三島が社会や時代に対して好奇心をもち、それを題材として小説を書いたことそのものは高く評価しいてることが、以上の文章からよくわかる。この評価の背景には、三島以前の日本の近代小説(純文学)が、社会とのこうした関わり合いを意図的に避けてきたということがあげられるが、奥野の文章から次にその問題を指摘した部分を引用する。
「『金閣寺』が戦後文学の傑作という評価を得るまでは、三島の”社会ダネ小説”は日本の文壇、純文学世界からの抵抗は甚だ強かった。それは日本の文壇の社会とは隔絶した私小説伝統のためだが、おなしなことには私小説とは違うプロレタリア小説も風俗小説も、社会ダネ、新聞を賑わせたような事件を題材にして、小説をつくることは稀であった。歴史小説はさかんだが、現代の事件を小説化することは、通俗的なこととして避ける風潮があった。明治初年、新聞の発刊にともない『鳥追阿松海上新話』とか『高橋阿伝夜叉譚』など毒婦や犯罪事件を合巻本の手法で興味本位に描いた実話小説の流行、また紅葉の『金色夜叉』、蘆花の『不如帰』などのモデル小説の大当りなどが頭にあり、自然主義文学以後の作家は、こういう社会ダネ的な事件を小説として扱わないことで、前代の合巻本的戯作文学、通俗小説とは違うことを示そうとした。そのような風潮が、大正、昭和、そして戦後と日本の純文学に続いていたのだ。
 スタンダールの『赤と黒』、フローベルの『ボヴァリー夫人』、ドストエフスキーの『悪霊』などの西洋の名作が、いずれもアップ・トゥ・デートな新聞の社会ダネをヒントにして、作者がそこに自己の思想や心情を仮託して書いた小説であり、しかもそのような方法が西洋の近代小説の常道であるのに対し、日本の近代小説は社会ダネを題材にすることを卑しみ避けて通る。そのことが日本の小説を、特殊な芸術至上主義と身辺日常的な私小説世界に小さく閉じ込め、活力を失わせる結果になっていた。」(250-1頁)
 上掲の文章を読むと、三島の「社会ダネ小説」を評価しながら、奥野健男は、その発想の原点を結局西洋小説に求めているように思われるのだが、たしかに西洋近代小説の影響は無視できないものの、私はそこにもう一つのルーツを付け加えたい。といってもそんなに特別なものではなく、三島のなかで「社会ダネ小説」は、明治初期の小説を飛び越えて、江戸の近松門左衛門の戯曲(人形浄瑠璃、歌舞伎)の世界をつぐものとして構想されたのではないかということだ。
 三島が近松半二の戯曲を高く評価しているということは、この掲示板でもかなり重点的にみてきたが、意外なことに大近松といわれる近松門左衛門の作品への言及はほとんどない。これは人形浄瑠璃や歌舞伎に親しんでいるものであれば誰でも知っているし高く評価しているので、門左衛門のことを特別にとりあげるまでもないということかもしれないが、半二を主題とする文章まで書いていることからすれば、いいさか奇異な沈黙という感じもする。ただ、半二に対する三島の傾倒が意識的・戦略的なものだったとすれば、門左衛門の影響はなかば無意識的なものだったのではないだろうか。
 私は、三島が半二に学んだものは作品全体の構成法ではないかと思うのだが、これに比較すると、門左衛門からは主題の選び方を学んだのではないかという気がする。スタンダールやフローベールをまつまでもなく、門左衛門は「新聞の社会ダネ」になりそうな実話を選んでは、作品のなかに取りこんでいった。彼の作品は、そうしたアクチュアリティーと生々しさをもっている。そしてそうした主題を選ぶときに、社会的な話題といっても政治事件は避けられ、市井の人間の生き方に直結するものに限られていたという点でも三島の作品と共通している。
 三島の「社会ダネ小説」が現実社会との関わり合いのなかから生まれてきたのは事実だろうが、これらの作品を現代性という視点からのみとらえるのではなく、その一見非常に現代的とみえるものが実は古典の血を受け継いでいるのだということも、少し考えてみる必要があるのではないだろうか。

 ちなみに、半二は儒学者・穂積以貫の次男で、作者部屋に入り「近松」姓を名乗ったもの。門左衛門と血縁関係はない。半二のプロフィールに関しては、次のページ参照のこと。

http://www.bungaku.pref.hyogo.jp/cgi-bin/jousetsu/sakka.cgi?id=1031
(近松半二〜「兵庫文学館」サイト内)


良経と千五百番歌合 投稿者:如月 投稿日:2006/01/16(Mon) 13:13 No.3076  
千五百番歌合での良経の詠歌(「院第三度百首」)が気になったので、良経の歌集『秋篠月清集』で読み返してみると、全体的にこれが良経の作かとおどろくほど低調ですね。
ためしに、この「院第三度百首」と直前の「院初度御百首」(正治二年=1200年)の冒頭の数首(春歌)、ならべて抜き出してみます。

「院初度御百首」
久方の雲居に春の立ちぬれば空にぞ霞む天のかぐ山
吉野山ことしも雪のふる里に松の葉白き春のあけぼの
春はなほ浅間の嶽に空さえて曇る煙は雪けなりけり
春日野の草のはつかに雪消えてまだうら若きうぐひすの声
都人野原に出でて白妙の袖もみどりに若菜をぞ摘む
梅の花うすくれなゐに咲きしより霞いろづく春の山風
氷ゐし池のをし鳥うち羽ぶき玉藻の床に小波ぞ立つ
霜枯のこやの八重葺ふきかへて蘆の若葉に春風ぞ吹く
唐衣すそ野の雉子うらむなり妻もこもらぬ荻の焼原
常磐なる山の岩根にむす苔の染めぬ緑に春雨ぞ降る

「院第三度百首」
おしなべて今朝は霞の敷島や大和諸人春を知るらし
落ちたぎつ岩間打ち出づる泊瀬川初春風や氷とくらむ
吉野山雪ちる里もしかすがに槇の葉白き春風ぞ吹く
時しもあれ春の七日の初子の日若菜摘む野に松をひくかな
鴬のはね白妙に降るゆきを打ち払ふにも梅の香ぞする
妻恋ふる雉子なく野の下蕨したに燃えても春を知るかな
野も山も同じ緑に染めてけり霞より降るこのめ春雨
わたの原雲にかりがね波に舟かすみてかへる春の曙
津の国の難波の春の朝ぼらけ霞も波も果てを知らばや
更科やをばすて山の薄霞かすめる月に秋ぞのこれる

「院初度御百首」と「院第三度百首」以外の良経の百首歌は、すべて良経がみずから企画して定家ら他の歌人に唱和させたものであるのに対し、この両百首が後鳥羽によって召されたものであることに、良経は強い屈辱を感じたのではないでしょうか。初度はともかく第三度ともなると、その屈辱感が強くなり、おざなりな歌だけ提出したとしか思えませんね。
千五百番歌合の企画が進行中の建仁二年(=1202年)に政敵・源通親が急死して良経は摂政に任じられますが、良経自身も、建永元年(=1206年)春に三十八歳の若さで急死していますから「院第三度百首」以降、百首歌は詠んでいません。ですからこの「院第三度百首」は、結果的に良経最後の百首歌になっています。彼が長生きしていたらその後どうなったかはわかりませんが、歌壇の主人公が自分から後鳥羽に移ったことで、千五百番歌合以降、良経は歌をつくる意欲をなくしてしまったのではないでしょうか。
ちなみに、これは以前も指摘したことがありますが、良経の伯父・慈円の「院第三度百首」もちょっとおかしい。本歌取といえば聞こえはいいのですが、要するに百首歌すべてを『古今集』の古歌のパロディでとおしていて、まともな歌は一首もない。これは後鳥羽の命に形式的にはしたがったものの、その要請に応じて本気で歌を詠む意志がないことを示したものではないかと思います。

さて、良経の「院第三度百首」に戻りましょう。
凡庸な作が多いなかで、前に引いた「わが涙」の歌のほか、

身にそへる其の俤も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに (恋)
浮き沈み来む世はさてもいかにぞと心に問ひて答へかねぬる (雑)

などの歌が光っており、この両首は『新古今集』にも採られています。ただ、この両首、

わが涙もとめて袖にやどれ月さりとて人のかげは見ねども

同様、玲瓏とした美といったありきたりのものをとおりこして不気味な感じのする歌ですね。しかし、「院第三度百首」の百首のなかの真骨頂は、冬歌中の

嵐吹く空に乱るゝ雪の夜に氷ぞむすぶ夢はむすばず

ではないでしょうか。同時代にも以降にも、これはちょっと類歌のないおそろしい傑作だと思います。
しかしこのすさまじい歌は『新古今集』には採られなかった。あまりにも冴え過ぎて、勅撰集に入れようがないと判断されたためでしょうか。しかし良経にとって、それはもうどうでもいいことだったような気がします。


良経のこと 如月 - 2006/01/19(Thu) 02:18 No.3092  

良経のことをコンパクトに知りたいという方には、「千人万首」サイト内の次のページが便利です↓。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositune.html


『新古今集』恋歌ベスト10 投稿者:如月 投稿日:2006/01/15(Sun) 13:00 No.3072  
ことし最初の読書に『新古今和歌集』を選びましたが、たわむれに新古今の恋歌ベスト10を撰んでみました(順番は新古今のなかの配列順、すなわち忍恋〜面影恋)。みなさんのベストはいかに。

わが恋は知る人もなし堰く床の涙もらすなつげのを枕  (式子内親王)
思ひあまりそなたの空をながむれば霞をわけて春雨ぞふる  (藤原俊成)
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に  (俊成卿女)
とこの霜まくらの氷きえわびぬむすびもおかぬ人の契に  (藤原定家)
たゞたのめたとえば人のいつはりを重ねてこそは又も恨みめ  (慈円)
くまもなきおりしも人を思出でて心と月をやつしつるかな  (西行)
わが涙もとめて袖にやどれ月さりとて人のかげは見ねども  (藤原良経)
思ひ出でよたがかねごとの末ならんきのふの雲のあとの山風  (藤原家隆)
袖の露もあらぬ色にぞ消えかへるうつれば変るなげきせしまに  (後鳥羽院)
かきやりしその黒髪のすぢごとにうちふすほどに面影ぞたつ  (藤原定家)

業平、和泉式部の歌にも捨てがたいものがありましたが、作品はいわゆる新古今時代の歌人のものに限定しました。
定家の歌はさすがに良い作が多く(「あぢきなく」「忘れずは」「消えわびぬ」「しろたへの」等)、こうして撰んでみて新古今を代表する歌人との認識をあらたにしました。彼の歌は他の歌人とのバランスで数をおさえてあります。
院のお歌は、こと恋に関するかぎりあまりさえない感じがしますね。「袖の露も」のお歌も院にしてはあまりできがよくないように思いますが、他にとれるお作がないのでこのお歌を撰ばせていただきました。要するに、「初恋」「忍恋」「失恋」とほとんどの歌題が、ゴージャスな院のお心にそぐわぬのではと忖度致しております(笑)。
慈円も恋部にはあまりいい歌がないので、あえて思いっ切り慈円らしい作を撰んではみましたが、これでは院の慈円嫌いが増すばかりでは…。
同じく西行もいい歌が見出せません(というか、正直言って、私は恋歌にかぎらず西行の歌が嫌いです)。そのなかで、これまた西行らしい歌を撰んでみました。


Re: 『新古今集』恋歌ベスト10 後鳥羽院 - 2006/01/15(Sun) 18:21 No.3074  

私もあとで撰んでみます。
たしかに、後鳥羽院の恋歌はつまらないですね。もうすこしなんとかならんのか、と他人事ながら、歯がゆい思いがします。
恋を歌わせたら、やはり定家が佳いようですが、逆に、あまりもてなかったんではないか、という気もしますね(笑)。
如月さんが撰ばれたなかでは、俊成の歌が佳いですね。うまいなあ。とくに、「霞をわけて春雨ぞふる」というところ。中国の朝雲暮雨の故事などを踏まえながらも、この霞はおそらく朝霞で、そうすると、故事を綺麗に反転させているようにも読める。江戸期の狂歌師なら、もっとどぎつい場面を連想するかもしれませんが。


良経と定家の千五百番歌 如月 - 2006/01/16(Mon) 00:31 No.3075  

定家以外では、私は良経ですね。このひえびえとした感じは他の追随を許さない。恋にことよせて自己の心情をそのまま詠み込んだような感じがやはりすごい。詞書をみるとこの歌は後鳥羽主宰の千五百番歌合(建仁元年=1201年)の折の詠歌ですから、九条家が政界に復帰したといっても後鳥羽に主導権をにぎられてもうどうしようもなくなっている自棄の心情がにじみでてしまったのかもしれない。
定家の「かきやりし」の歌も千五百番歌合の折の詠歌ですが、良経が諦念をにじませながら歌合にのぞんでいるのと違い、こちらは後鳥羽に認められたくて必死ですから、ストレートに評価できるいい歌が多いですね。

ところで、定家の「かきやりし」の歌、言葉の続き具合がおかしいと思ったら、第四句目は「うちふすほどは」の打ち間違いでした。訂正致します。


重ねて訂正 如月 - 2006/01/16(Mon) 14:01 No.3077  

定家「かきやりし」の歌を『拾遺愚草』でチェックしましたが、千五百番歌合の折の詠歌ではありませんでした。重ねて訂正します。

千五百番歌合で定家は、

消え侘びぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露

などの歌を詠んでいます。


名歌ってほんとにすくない 後鳥羽院 - 2006/01/17(Tue) 20:45 No.3080  

わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり   慈円
思ひつつ経にける年のかひやなきただあらましの夕暮の空  後鳥羽
わが恋は知る人もなし堰く床の涙漏らすな黄楊の小枕    式子
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る  俊成
なびかじな海人の藻塩火焚き初めて煙は空にくゆりわぶとも 定家
あぢきなくつらき嵐の声もなしなど夕暮に待ちならひけん  定家
わが涙もとめて袖に宿れ月さりとて人の影は見えねど    良経
あひ見しは昔語りのうつつにてそのかねごとを夢になせとや 通親
知られじな同じ袖には通ふともたが夕暮と頼む秋風     家隆
白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く     定家

定家の歌は全部入れたいところですが、泣く泣く3首に絞りました。新古今の恋の部は、定家に尽きていますね。西行と俊成女には見るべきものがない。後鳥羽はこの一首くらいか。良経と式子も、これ以外にはないようです。慈円の歌は、パリで口ずさんだ経験から、これを採りました。慈円、結構いいじゃないか(笑)。通親はやむをえず撰びましたが、家隆のこの歌、いいでしょう?


私のナンバー1は Ulala - 2006/01/17(Tue) 21:07 No.3082  

かきやりし、、、です。
あまり数をしらない私でも、耳になじみのある一首です。


名歌ですね 後鳥羽院 - 2006/01/17(Tue) 21:21 No.3083  

かきやりし・・・は、私も大好きなんですが、わざとはずしました(笑)。


三首、重なりましたね。 如月 - 2006/01/18(Wed) 01:06 No.3085  

『新古今』の恋歌ベスト10に関しては、おおせのとおり、定家の歌からどれを撰び、どれだけ絞り込むかがミソですね。院がお撰びになった三首、私も好きな歌ですから、私が撰んだ二首をこれらと入れ替えても異存はありません。

俊成、良経、式子内親王の歌が院とダブりましたけど、この三人はどう考えてもこれしかないですね。

家隆はわりと撰びやすいから、院が撰んだ作でも私が撰んだ作でも、全体のバランスで決まるということじゃないですか。

俊成卿女はともかく、西行とそれから意外なことに後鳥羽にもこと恋部に関しては見るべきものがないということにも賛成。

院が岳父・通親公のお作を撰ばれたのは意外ですが、私はというと、通具の「いま来んと契しことは夢ながら見し夜ににたる有あけの月」の口調にちょっとひかれながらも撰外といたしました。

Ulalaさんも、他の方も、おもしろいですから、ぜひご自身で撰ばれてみては(*^_^*)。


去年のベスト映画 投稿者:如月 投稿日:2006/01/14(Sat) 14:07 No.3067  
キネマ旬報の2005年度ベスト10が発表されましたね。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060111k0000m040047000c.html

日本映画の第一位は『パッチギ!』、外国映画の第一位は『ミリオンダラー・ベイビー』とのこと。
去年は、主に後半、けっこう映画を観ましたのでことしのベスト10には注目していたのですが、私の推奨作品『メゾン・ド・ヒミコ』は邦画部門第四位でした。誰にでもうけいれやすいリアリズム映画ではないので、第四位というのは大健闘というところかもしれません。
それより意外なのは、邦画部門の主演男優賞が『メゾン・ド・ヒミコ』他で活躍したオダギリ・ジョーだということ。さすがにこれはいかがなものでしょうか…。
邦画部門第一位の『パッチギ!』はまだ観ていませんから、そのうちに観たいと思っています。
『ミリオンダラー・ベイビー』は、この掲示板でも推奨しましたが、中世史ファンが観ても感動する作品だと思います(というか、中世史研究者にこそ、ぜひ観ていただきたい)。この映画、終末医療や尊厳死という非常に現代的なテーマと取り組んでいるようで、その実、能の世界を思わせるような非常に古典的なドラキ・ツルギーをもっているのですね。生と死のギリギリの瞬間の人間心理を描いているということで、痩せた研究書よりよほどおもしろい。


文化としての映画  - 2006/01/14(Sat) 16:36 No.3070   <Home>

『ミリオンダラー・ベイビー』は、ボクシング映画ではなくて、ボクシングに救いを求めた3人(クリント.イーストウッド/モーガン.フリーマン/ヒラリー.スワンク)が、静かに火花を散らすような演技力を持って作られた映画でした。如月様のおっしゃる通り、現代的なテーマと取り組みながらも古典的でもあります。
凝縮された内容を、短期間で低予算で抑えた監督/製作/俳優/音楽のクリント.イーストウッドの才能を見出したのが、最初、アメリカではなくてヨーロッパだったと言う皮肉さが、アメリカの映画界を語っていると思えます。
ラストのトラックに乗って出演した実の娘、モーガン・イーストウッドの姿に、『未来』を象徴していたのかもしれません。
映画『エリザベスタウン』にも、共通する作品で、モンテーニュではないですが、『借り物によってではなくて、自分自身によって富みたい』とする姿を見出せる作品だったと思います。

『メゾン・ド・ヒミコ』は、邦画と言う次元に、新鮮なデビューを飾ってくれたと思います。




紅天女 後鳥羽院 - 2006/01/15(Sun) 17:58 No.3073  

私が見たのでは、『亀も空を飛ぶ』と『ヒットラー』しか入っていません。時の流れに遅れているなあ。ビデオを借りていくつか見なくちゃならん。
昨日の日経に、『ガラスの仮面』の記事がありました。来月、国立能楽堂で、新作能「紅天女」を、梅若六郎さんが舞うそうですが、見てみたいものですね。
過日、『Primer』という映画を見ましたが、ほとんど理解できませんでした。要するにタイムマシン(ワーム・ホール)の話なんですが。以前、ダーレン・アロノフスキーの『π』には感動して5回くらい見ましたが、『Primer』はどこが面白いのか、よくわかりません。エネルギー保存則を破る実験の話とか、題材には惹かれましたが・・・。
能のほうが、ずっとワーム・ホール的な感じがするけどなあ、などと思いながら見てました。


まちがえました 投稿者:Ulala 投稿日:2006/01/14(Sat) 13:56 No.3066  
江本創さんの個展は、2月6日から18日です。


もっと遅れて来た、おばば 投稿者:Ulala 投稿日:2006/01/13(Fri) 19:51 No.3059  
新掲示板開設、おめでとうございます!!

昨日、ちょっと青木画廊に立ち寄りましたら、
江本創さんが個展の打ち合わせをしていらして、初めておめもじ叶いました。
2月16日から18日だそうで、ぜひ拝見に伺いたいとぞんじます。


Santo cielo ! 後鳥羽院 - 2006/01/14(Sat) 10:40 No.3062  

シャンゼリゼで除夜の鐘を聞いてから、ホテルでテレビをつけたら、TF1で、ヴェネチアのフェニーチェ劇場の放送をしていました。指揮はクルト・マズアでした。モーツアルト、プッチーニ、ヴェルディ・・・の名アリア特集で、最後は、リゴレットの「女心の歌」で終わりましたが、ドニゼッティ「愛の妙薬」をやりました。ドニゼッティは何も聴いたことがないのですが、あまりに美しい旋律にしびれ、帰国後、ロランド・ヴィラゾンという人のアリア集を買って調べたら、第一幕のネモリーノのロマンツア「人知れぬ涙」だとわかりました。最近は、この曲ばかり、聴いています。屈指の名曲ですね。

I miei sospir confondere
per poco a'suoi sospir!

わたしのためいきが、あのひとのためいきと、あえかに溶けあう、というくらいの意味でしょうか。言葉だけなら、おセンチすぎて、やれやれと思いますが、あの美しい曲にのって歌われると、こういう奇蹟がありうるのではないか、と思われてきます。音楽の功徳・・・イタリア・オペラは、やはり、至宝の存在ですね。
フェニーチェ劇場も、とても綺麗で、ヴェネチアはなお健在です。しかし、世界の海水面が上昇し、水没の危険にさらされているようですが、そうなったら、沈める鐘のように、夜な夜な、ドニゼッティのアリアが水底から聞こえてくるのでしょうね。


幻獣注意! 如月 - 2006/01/14(Sat) 10:41 No.3063  

おお、江本さんの作品が青木画廊に戻ってくるのですね。それはすばらしい。江本さんが創る幻獣たちの標本、まだの方はぜひご覧あれ!
特異な世界の一端は、江本さん自身のサイト『幻想標本博物館』↓でもかいま見ることができます。
http://sow.ggnet.co.jp/


不死鳥 如月 - 2006/01/14(Sat) 10:48 No.3064  

院の書き込みとシンクロしてしまいましたが、ラ・フェニーチェも幻鳥ですから、ズレているような合っているような…。

そういえば、マズア(旧東独で活躍した指揮者)って今何してるのかと考えていたところでしたが、ヴェネツィアでイタリア・オペラを振っているのですね。


キモカワ Ulala - 2006/01/14(Sat) 13:50 No.3065  

江本さんの作品は、若い女性たちにも大変に人気があるそうで、「キモカワ〜〜!!」と評価されるのだそうです。
「きもち悪い」は分かるとして「可愛い」はどこから出て来るのかと、江本さん、ご本人が仰ってましたが、私も「可愛い」と言いたくなる気持ちはわかります、実際にそう叫んでしまいます、失礼だったかな・・・
でも、写真を拝見するだけでも、なぜなぜしたくなるような愛嬌が漂っているのも事実で・・・

不死鳥劇場は不死鳥でしたね。
火災は蘇りへの儀式だったのかもしれません。
音楽もふくめて、およそイタリア物の代表的な作品たちは、あの臆面もなさが、異国の芸術家たちをして羨望と嫉妬とのはざまにおとしめるのですね。
傍から見れば「臆面のなさ」に見える物も、本人たちにしてみれば単なるポーズではなくて、正直な美学であるからこその説得力でしょう。
「ああは、なれない」という嘆息にも、イタリア人たちは「ほめられている!!」と、良い方にしか解釈しませんし。

美しさを極めたアリアが水底から聞こえてくる・・・これぞまさにVeneziaの理想の姿かと思われます。


Venise... et des amours mortes, 如月 - 2006/01/14(Sat) 14:37 No.3069  

Veneziaといえば、私はシャルル・アズナヴールのシャンソン『悲しみのヴェニス』が好きなんですが、イヴァ・ザニッキのアルバムのなかで、彼女がこの曲をイタリア語で歌っていて、こちらのいわば逆輸入ヴァージョンもいいですね。

Que c'est triste Venise,
au temps des amours mortes.
Que c'est triste Venise,
quand on ne s'aiment pus.

という甘い歌詞が、

Come triste Venezia,
soltanto un amore dopo.
Come trite Venezia,
se non si ama piu.

という固い響きの言葉に置き換えられてるんですが、ザニッキの歌い方自体、アズナヴールより固いから、あまり抵抗なくイタリアの歌(カンツォーネ)としてきける。

ちなみに、この記事を書きながらdes amours mortesというフランス語(amourという男性名詞にmorteという女性形容詞がついている)が不思議に思われたので辞書をひいたところ、amourという名詞は単数では男性だが、複数では特に詩の場合女性扱いとなるとのこと。う〜む、amourとはなんと奥深いのでしょう…。
(amours mortesという表現は日本語にしずらいのですが、文字どおりはdead loves、すなわち「死せる恋」です。)


Ieri si (Hier encore) Ulala - 2006/01/17(Tue) 01:36 No.3078  

如月さんがお持ちのイヴァ・ザニッキのアルバムは、アズナヴールのカバーだけの盤ですか?
それでしたらIeri si (Hier encore) や
・・・E io tra di noi (Et moi dans mon coin) も入っているでしょうか?

私が持っているのはLP盤で、彼女の大ヒット曲のTestarda io のアルバムですが、Come triste Veneziaも入っています。
イタリア語は母音と開口音が多いですから、くっきりとしたVeneziaにならざるを得ないですし、朦朧態を思わせるアズナヴールの含みはないにせよ、ザニッキの艶は「イタリア女の面目躍如」というところでしょうか。

CDを買おうと思いつつ、そのままになっていましたが、これをチャンスに、Ornella Vanoniのものも一緒に検索してみることにいたします♪

ちなみにオルネッラ・ヴァノーニがVinicius de MoraesとToquinhoと組んで、イタリア語で歌っているボサノバの盤がみつかれば、お薦めです。


心遙かに 如月 - 2006/01/17(Tue) 14:09 No.3079  

私がザニッキという歌い手を知ったのはUlalaさんも書いておられる「Testarda io(心遙かに)」の歌い手として、それも彼女の歌う「Testarda io」が、ヴィスコンティの映画『家族の肖像』でかすかに流れていたという邪な理由からでして、彼女のベスト盤CDしかもっていません。そのベスト盤も、一度買い換えたら曲目が変わっていてあたらしい盤に「Come triste Venezia」が入っていたのです。
このベスト盤、アズナヴールのカヴァー曲が多く、「Ieri si(帰り来ぬ青春」)や「E io tra di voi(街角の瞳)」だけでなく、「Morire d'amore(炎の恋=愛のために死す」)も入っています。彼女のアズナヴール・アルバムから採ったのでしょうね。
ということで、ザニッキのアズナヴール・アルバム欲しいのですが、これはイタリアやフランスに行かないと無理なのではないでしょうか。

ちなみに「Testarda io」は、私がそらで歌える数少ないイタリア歌謡曲の一つです♪


Ti mandrei... Ulala - 2006/01/17(Tue) 21:01 No.3081  

Ti mandrei ad inferno, questo si` たまりませんね。

そうでした、「家族の肖像」で流れていました。


ベニスといえば、  - 2006/01/18(Wed) 02:54 No.3086  

映画「ベニスの商人」を昨年観ましたが、日本で一番上演回数の多いシェークスピア劇なのですね〜


落語版は江戸の人情噺です。

ベニスを江戸に舞台を移し、六代、三遊亭圓窓が脚色し演じたのが創作落語「胸の肉」(1999年初演)。
登場するのは、金貸し清六、医者の安藤似蔵、町奉行の大岡越前守、大家の志兵衛のみ。安藤は、清六から借りたお金の返済が遅れる詫びにと、行った先で、無理矢理誘われ将棋を指している内に、期限切れとなり、大岡越前守のお白州で裁きを受ける事に。実は清六には病の妻がいたが、安藤に助けを求めたのに不在。再度訪れたところで、出会い頭にぶつかった男、安藤に笑われ、その上、妻は苦しさに耐え切れず、自らの胸を刺してこと切れたという恨みがあった。
何も知らなかった安藤だが、大岡裁きで救われ、更に清六にも沙汰なし、ということで人情噺になっている。


越前守「人が人を裁くと、どうしても恨みが残る。そこでこ の越前、人を裁くのは好まん。」
清六「と、申しますと」
越前守「ほれ、今、そのほうと将棋を指したであろう。
     詰み(罪)を裁いたのじゃ」

                 映画のパンフレットより

ベニスと日本は繋がっていると言う事でした・・・・・


新掲示板開設のご挨拶 投稿者:如月 投稿日:2006/01/13(Fri) 15:19 No.3053  
みなさんにいろいろご心配いただきましたが、アラシ対策を済ませ、小掲示板が旧タイトル「網上戯論」で再デビューいたしました。過去ログもそのまま残っています。前掲示板同様、いろいろなご意見、日々の雑感などを書き込んで、愛用していただければ幸いです。
なお、アラシ対策のため書き込み機能に多少の制限をつけましたが、このためのふつごうがありましたら、お知らせください。
新掲示板を楽しい情報交換の場所にしていきたいと思っています。


タイトルの文字数 如月 - 2006/01/13(Fri) 15:27 No.3054  

過去ログをみてみたら、タイトルに使える文字数が少なくなり、一部のタイトルが不表示になってしまいました。悪しからず。


一番乗り 鈴木小太郎 - 2006/01/13(Fri) 15:27 No.3055  

再開おめでとうございます。


タイトルの文字数 黒子・矢崎 - 2006/01/13(Fri) 15:41 No.3056  

文字数制限を大きくしました。100文字まで入ります。
また何か不都合がありましたら(出来る範囲ですが)対応させていただきます。


祝・新掲示板開設  - 2006/01/13(Fri) 18:38 No.3057   <Home>

おめでとうございます。


遅れてきた中年 後鳥羽院 - 2006/01/13(Fri) 19:04 No.3058  

御同慶の至りです。
閉鎖になれば、一蓮托生で後鳥羽には隠岐に還御してもらってそっと死んでいただこう、となれば、筆綾丸めもさぞや寂しくならんずらん、と危惧しておりましたが、杞憂に終わり、後鳥羽の命もしぶとく延びました(笑)。
亀菊のみならず、西園寺公流さんも亀尾吉右衛門くんも、いたく喜んでおるようです。
持つべきものは黒子さんですね。
これからも頑張ってください。


Re: 新掲示板開設のご挨拶  - 2006/01/14(Sat) 01:47 No.3060  

    
    Fe'licitations!

冬来たりなば春遠からじ

    


『マルキ・ド・サドの演出によりシャラントン精神病院の患者によって演じられたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺』 如月 - 2006/01/14(Sat) 10:30 No.3061  

みなさん、暖かいお言葉、ありがとうございます。
とりあえず一晩、変な書き込みがなかったので安心しております。

ちなみに、↑は、私が知っているなかで最も長いタイトルの映画です。ほんとうに長いタイトルが大丈夫か、ちょっと試してみました。




Re: 新掲示板開設のご挨拶 岩錆 - 2006/01/15(Sun) 00:23 No.3071  

よかったです!!

中世のお勉強は 侭ならず道遠しです

今は岩波文庫で復刊した『日本中世の村落』を眺めています


たしか、警視庁に… 投稿者: 投稿日:2006/01/09(Mon) 12:33 No.2507   <Home>
インターネット上での違法行為などを取り締まる、サイバーポリスというのが有ったように記憶しています。迷惑防止条例とかで、掲示板上のリンクのアラシを取り締まって貰えるのではないでしょうか?


Re: たしか、警視庁に…  - 2006/01/09(Mon) 13:01 No.2511   <Home>

失礼しました。警視庁ではなく、警察庁でした。
下記が、サイバーポリスのURLです。
http://www.cyberpolice.go.jp/


今後の方針など 如月 - 2006/01/12(Thu) 08:44 No.2952  

佐々木さん、いろいろご心配いただきありがとうございます。
今朝は50件の落書きを削除致しました。個人で一回一回書き込んでいるというより、落書きのロボット書き込みみたいなものに登録されてしまったのですね。落書きが出来ないよう、書き込みのサーバー制限などもやってもらってはいるのですが、落書きをするサーバーが増え、追いつきません。この掲示板は、さまざまな議論が出来るよう一度に書き込める文字数を多目に設定しているので、書き込む方もおもしろがってやっているのでしょう。また、海外のサーバーからの落書きも多く、自主防衛や公的機関に依頼しての排除もかなり困難かと思われます。
こんなことに負けるのはいやなのですが、この掲示板もそろそろ寿命なのかもしれません。
落書きを排除する方向ではなく、最終的には新掲示板を設置するなどの方法で対処したいと思っています。


アラシに負けないで下さい。  - 2006/01/12(Thu) 21:52 No.3035   <Home>

新掲示板は、アラシを簡単に、規制できるものがあれば好いのですが…。

下記のURLは、無料掲示板レンタル比較というサイトです。
http://www.kooss.com/bbs/


ブルーノ・ワルター、NYフィルのブラームス 投稿者:如月 投稿日:2006/01/08(Sun) 10:01 No.2337  
昨日は渋谷の音楽店・HMVのバーゲンで、ブルーノ・ワルターが1950年代にニューヨーク・フィルを指揮したブラームスの交響曲全集を見つけ、購入しました。モノラル録音ながら、これが、CD二枚組で\1,590と極めて安い。この全集は、大学生の頃、私がはじめてブラームスの交響曲を聴いたときに選んだもので、自分にとり、特別の意味をもつ録音なのですね。
私が本格的にクラシック音楽を聴きだしたのは大学に入ってからなのですが、周囲には熱烈なフルトヴェングラー・ファンがおり、クラシック音楽の演奏とはフルトヴェングラーとトスカニーニの間で、主観でいくか客観でいくしかないのだなどと熱っぽく語っていました。
でも、そんな言い方に反発した私は、三大指揮者の一人といわれ、フルトヴェングラーとトスカニーニの間の第三の人といわれたブルーノ・ワルターを切り口にしてクラシック音楽を聴き始めたのでした。
ブルーノ・ワルターには、一曲に大体三種類の演奏があり、戦前、戦中のヨーロッパで活躍していた時期から渡米直後のSP盤への録音(オーケストラはウィーン・フィルが中心)、LP盤が開発されてからの戦後の録音(オーケストラはNYフィルが中心)、ステレオ録音技術が開発されてからの録音(オーケストラは当時引退していたブルーノ・ワルター用に特別編成されたコロンビア交響楽団)と、明確に区分され、それぞれ演奏スタイルも若干異なります。極めて単純化していえば、戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡ということになるでしょうか。
で私は、せっかくブルーノ・ワルターを聴くのならなるべく順番にと思い、モノラル録音のレコードから集め出したので、NYフィルとの演奏が最初のブラームスとなったのです(それに、モノラル録音の方が安かった)。
でもそうしてブルーノ・ワルターの演奏を聴いているうちに、レパートリーの似かよったクレンペラーの演奏が気になり、しだいにクレンペラー一辺倒になってしまうのですね。ですから、ブルーノ・ワルターの録音のなかでも、晩年のステレオ録音はほとんど聴いていません。
ちなみに、ブルーノ・ワルターとクレンペラーのレパートリーが近いというのは、この二人ではフルトヴェングラーとトスカニーニにはないモーツァルトとマーラーの演奏が大きな柱の一つになっているということがあります(モーツァルトはさておき、ともにユダヤ人であるブルーノ・ワルターとクレンペラーは、マーラーの直弟子にあたる)。

ただ不思議なことに、ブルーノ・ワルターと私との縁は大学に入ってからはじまったものではなく高校時代に遡ります。
雪深い田舎の町(年末に特急が脱線した町の近くです)で高校時代を過ごした私は、クラシック音楽のLPレコードを三種類しか持っていなかったのですが、その一つがブルーノ・ワルターが指揮するマーラーの交響曲『大地の歌』(ステレオ盤)でした。私が高校二年の時にヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』が公開され、そのなかで名前すら知らない作曲家マーラーの交響曲が使われ重要な役割を果たしているというので、なけなしのお小遣いをはたいてマーラーのレコードを購入することにしたのですね。ヴィスコンティが『ヴェニスに死す』で使っているのは、実はマーラーの第五交響曲と第三交響曲なのですが、田舎のレコード店には五番も三番もなく(だいいち、当時はマーラーを録音する指揮者自体極めて少なかった。五番にはブルーノ・ワルターのモノラル録音もあるが、三番を録音していたのはおそらくバーンスタインぐらい)、レコード店のおじさんと相談したらこれがいいというので、代わりに『大地の歌』を購入したのです。
『大地の歌』はいっぺんで気に入り、それからは、自分で『大地の歌』に使われている原詩(漢詩)を調べたり、そうとう入れ込んで毎日のように『大地の歌』を聴いていたのですが(今から考えると極めて異常<笑>)、そのころなにを考えながら『大地の歌』を聴いていたかは少しも思い出せません。それと、高校生時代は、この曲を演奏していたブルーノ・ワルターには特別の思い入れはありませんでした(演奏評ということで当時の私がレフェランスにしていたのがオペラについての本で、オペラの正式録音がないブルーノ・ワルターは、この本には登場しなかった)。
でもまあそんなことがあったので、大学生になってもフルトヴェングラーにもトスカニーニにも、ベームにもカラヤンにも惹かれなかったのかもしれませんね(この四人のなかで『大地の歌』を録音しているのは晩年のカラヤンのみ)。それと当時の私は、グラモフォン・レーベルの録音(フルトヴェングラー、カラヤン、ベーム)というのはいかにも「本格派」「正統派」という感じで、それだけで好きでなかった(笑)。
ちなみに、私が高校時代にもっていたLPレコードは『大地の歌』の他、フルトヴェングラーのベートーヴェン第九とカラヤンのヴェルディ『オテロ』です。まあ、極めて異様な取り合わせですが、考えてみると、どの曲も歌が入っているのですね。第九や『オテロ』はさることながら、『大地の歌』も、その一部は今でもそらで歌えます。
さあ今日は、ブルーノ・ワルターのブラームスをじっくり聴くことにしましょう。

NB:先日ふと気づいたのですが、ブルーノ・ワルターの「ワルター」というのは彼の名字(名前)ではないのですね。ブルーノ・ワルターにはシュレシンガーという姓があるのですが、演奏者としてはあえてそれをはずし、二重の洗礼名だけを名乗っている。ジャン・ジャックとかアン・マーグレットとかいう感じですね。ですから、彼の名前を書くときにワルターと略すのはよくないのでは思えてきました。このスレッドでもあえてしつこくブルーノ・ワルターと連呼する次第。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC


悪草考 投稿者:後鳥羽院 投稿日:2006/01/07(Sat) 18:29 No.2289  
パリの南東約70qに、provins(プロヴァン)という町があって、郊外線に乗って行ってみました。この町の中世の地下道は、記憶がおぼろですが、ウンベルト・エーコ「フーコーの振り子」の舞台になっていました。中世、この町は、シャンパーニュ地方の大きな定期市が開かれたところで、12世紀頃には、すでに人口が1万人を超える大都市で、現在も人口は1万人くらいで、中世の面影を色濃く残す死んだような町でした。市庁舎(町役場)の玄関に、2001年、シラク大統領の御陰で世界遺産に認定された、という銘が刻んでありました。町の中には、中世建築がたくさん残っていますが、私が見たかったのは、la grange aux Dimes(十分の一税の倉庫)でした。12世紀初頭、日本の院政期のもので、フランスでも珍しい建築のようです。石造の建築は、中世ということを考えれば、やはり大きな建物というべきなのでしょう。
dime を調べてみると、dime grosse、dime infeodee、dime menue、dime mixte、dime novale、dime personnelle、dime solite、dime reelle ou orediale、dime verte・・・とあきれるほどあって、中世の権門(教会・領主)の苛斂誅求ぶりを髣髴とさせます。といって、どういう税目なのか、見当もつかないものばかりですが。

パリに戻って、シテ島からマレー地区に歩いて行きますと、パリ市歴史図書館(Bibliotheque Historique de la Ville de Paris)があって、門前の石に刻まれた説明書きに、こうありました。

EN CET HOTEL RESIDA GUILLAUME LAMOIGNON PREMIER PRESIDENT AU PARLEMENT DE PARIS 1617-1677・ET NAQUIT SON ARRIERE PETIT FILS MALESHERBES 1721-1794.

マルゼルブの生家跡なんですね。Chretien Guillaume de Lamoignon de Malesherbes の。堂々たる貴族ですね。中に入ってみると、なかなか豪壮な建築でした。パリには、マルゼルブ通りもあるし、メトロ3号線にはマルゼルブ駅もあるし、彼は想像以上に著名な人なのですね。通りや駅に名を残すには、フランスでは国家への重要な貢献がないと不可能ですから。ギロチンで処刑されていることも与っているのでしょうが。
Malesherbes を mal(es)+herbe(s)の合成語と考えれば、悪の草、くらいの意味になり、これは母方の先祖が薬(毒薬)の調合でもしていたことの名残りでしょうか。クレチアン・ギョームの代に、言葉を調合して国家権力と衝突し、断頭台の露と消えたということ、と寒い冬空の下で考えました。


悪草考補遺 如月 - 2006/01/08(Sun) 01:23 No.2297  

ぶらぶら歩いて行き当たったのがマルゼルブの生家とはうらやましいですね。機会があれば、私も訪問してみたいです。
院がご覧になったマルゼルブの生家、木崎喜代治さんの『マルゼルブーーフランス18世紀の一貴族の肖像』(岩波書店、1986年)には次のように記してあります。
「パリのバスティーユ広場の西側一帯はマレー地区と呼ばれているが、ローマ時代からすでに開けていたこの地区には、17世紀から18世紀の初頭にかけて、上級司法行政官職を持つ多くの貴族がその堂々たる館を競うようになった。オテル(館)の名で呼ばれるこれらの古い由緒ある数十の建築物は、現在もなお残っており、そのうちのいくつかは、種々の形式で一般市民にも開放されている。スービーズ館はフランス史博物館および国立古文書館として使用されており、かつてセヴィニェ夫人の邸宅であったカルナヴァレ館もまた歴史博物館として多くの参観者を集めている。
 このカルナヴァレ館の南側、フラン−ブルジョア通りをへだてて、ラモワニョン館が端正な姿を見せており、現在は、パリ歴史図書館として研究者を迎え入れている。かつて、ここには、アンリ二世の娘であるディアーヌ・ド・フランスのために、1585年ごろ、一つの館が建てられ、それはアングレーム館と呼ばれていた。パリのパルルマンの院長ラモワニョンがここに住むようになったのは、1658年のことであり、それ以降、館には幾度かの改修が加えられた。すでにふれたように、文芸を愛するラモワニョンは、ここに、隣人のセヴィニェ夫人をはじめ、ラシーヌやボワローなどを招いていたが、このサロンはやがてラモワニョン・アカデミーとさえ称されるようになった。
 この時代から約半世紀後の1721年12月6日、このラモワニョン家では五人目の子供が生まれた。この子供は始めての男の子であり、先祖になじみ深い名をとって、クレチアン−ギヨームと名づけられた。この息子は、その頃父が購入した土地の名をとって、やがてマルゼルブと呼ばれるようになる。」(同書、8〜9頁)  
パリ市の歴史図書館とは、内部はどんな感じになっているのでしょう。
ちなみに、コンシェルジュリーにマルゼルブの胸像が残っているはずなんですが…。


悪草像考補遺 如月 - 2006/01/08(Sun) 14:12 No.2365  

マルゼルブの像があるのは、コンシエルジュリー(パリ裁判所付属監獄)のなかではなく、正式には同監獄のある最高裁判所の二階の一角「蹌踉の広間(Salle des Pas-Perdus)」ということのようですね。訂正しておきます。
前掲の木崎喜代治さんの『マルゼルブーーフランス18世紀の一貴族の肖像』には、「この薄暗い広間の壁の一つに、壮大なマルゼルブの石像が立っている。その台座には、タンプルにいるルイ16世とその三人の弁護士らの浮彫が刻まれている。この広間にたむろする数人の守衛たちも、広間を急ぎ足に横ぎる司法官や書記たちも、マルゼルブ像を見ようともしない」とあります。


マルゼルブ  - 2006/01/08(Sun) 15:08 No.2373   <Home>

不勉強で知りませんでしたが、少し調べたところ、マルゼルブは個人的に、啓蒙思想家や百科全書派を保護し、言論の自由に賛意を表明したとか。『出版業と出版の自由についての覚書』という著書もあるようですね。


Re: 悪草考 後鳥羽院 - 2006/01/08(Sun) 15:34 No.2375  

私には、歴史的遺品を探し当てる独特の嗅覚があるようです(笑)。

前回行ったときに、最高裁の中は、ずいぶん時間をかけてウロウロしたので、たぶん見てるはずなんですが、マルゼルブの像は記憶にありません。フランスの最高裁は、日本の最高裁とちがい、誰でも気楽に入って楽しめます。といって、あまり面白い所ではないのですが。
「この広間にたむろする数人の守衛たちも、広間を急ぎ足に横ぎる司法官や書記たちも、マルゼルブ像を見ようともしない」と、木崎さんは憤慨しておられるようですが、これは、もう頭に焼き付くほど充分見ているので、あえて見る必要はない、と理解すべきじゃないか、と思います。フランス司法界のエリートたちなら、ちょっと尋ねれば、マルゼルブについて、延々としゃべるような気がするのですが。

引用した仏文は、デジカメにおさめてきたので、全文を書き写しておきますね。

HOTEL CONSTRUIT POUR DIANE DE FRANCE DUCHESSE D'ANGOULEME 1538-1619・AGRANDI ET REMANIE A PLUSIERS REPRISES A PARTIR DU XV11・EME SIECLE.

EN CET HOTEL RESIDA GUILLAUME LAMOIGNON PREMIER PRESIDENT AU PARLEMENT DE PARIS 1617-1677・ET NAQUIT SON ARRIERE PETIT FILS MALESHERBES 1721-1794.

LA PREMIERE BIBLIOTHEQUE PUBLIQUE DE LA VILLE DE PARIS/ FONDEE PAR ANTOINE MORIAU PROCUREUR DU ROI ET DE LA VILLE/ Y FUT OUVERTE EN 1763.

ALPHONSE DAUDET Y VECUT DE 1867 A 1876.

こういう説明書きを、市内の随所に、さりげなく掲示しておくフランスという国は、やはり心憎い国です。歴史や時間に対する感覚が、日本とは根本的に違うような気がしますね。

シテ島の対岸に、サンス館があって、ここは Sens 司教のパリ滞在時の館だったものですが、いまは図書館になっていて、ちょっと入ってみました。多くの若者が真剣に勉強していたので、私も真似をして書棚から適当な本を引っ張り出して読書しましたが、頭が痛くなってきて、30分くらいでやめました。マルゼルブの生家跡も、サンス館と同じようなもので、だれでも気楽に入れます。ちょっと古風な図書館といった感じで、落ち着いて勉強できる空間です。こんどフランス人に生まれ変わったら、ここに通いつめてうんと勉強して偉くなろう、と考えました(笑)。

スービーズ館とカルナヴァレ館は門限を過ぎていて寄れなかったのですが、巨大なスービーズ館は、どのくらいの古文書があるのか、ぜひ見てみたい、と思いました。こんど行ったら、訪ねてみるつもりです。


悪枝考 後鳥羽院 - 2006/01/08(Sun) 20:20 No.2406  

パンテオンからリュクサンブール公園に、パンテオンを設計した建築家の名にちなむスフロー通りがありますが、これと平行する短い通りに、マルブランシュの名がついているのを発見しました。Nicolas de Malebranche 1638-1715 Philosophe としか書いてありませんでしたが。
なぜ枝に善悪があるのか、よくわかりませんね。調べてみますと、vielle branche という用法があって、これは、古い友人に、やあ君、と呼びかけるものとありました。Malebranche も、おいおまえ、くらいの意味だったのでしょうか。それとも、聖王ルイがよく聖なる樫の木の下で裁判をしたように、木の枝には、法的な正邪を識別する能力があったのでしょうか。いぜにせよ、ケルト的な古い伝承があるような感じがしますね。


新春 投稿者:CASPER鈴木 投稿日:2006/01/02(Mon) 21:50 No.2175  
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


謹賀新年 如月 - 2006/01/03(Tue) 14:14 No.2192  

こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願い致します。


新年のご挨拶 投稿者: 投稿日:2006/01/02(Mon) 00:18 No.2151   <Home>
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ご無沙汰いたしておりますが、写真・読書は続けています。


謹賀新年 如月 - 2006/01/03(Tue) 14:19 No.2193  

明けましておめでとうございます。
本年も互いにサイトのコンテンツ充実に向けてがんばりましょう。

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