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網上戯論
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三島由紀夫の初期短編を読む:その2 投稿者:如月 投稿日:2005/12/04(Sun) 13:44 No.1483  
三島の短編、また少し読み進みまして、短編集「岬にての物語」(新潮文庫)におさめられている『苧菟と瑪耶』(昭和17年)と『岬にての物語』(昭和20年)を読みました。
この両短編を読みながら、私の頭に反射的に浮かんできたのは藤原定家の存在。第二次世界大戦のさなか、三島はまさに「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」と『明月記』の巻頭に記した定家のことを思い浮かべながら、これらの自己完結しているかのようにみえる世界を書いていたのではないかという気がします。戦争中ほど、三島が定家を意識した時代はなかったのではないでしょうか。

さて、三島のこうした短編をどのように評価するかは、評者の三島論にかかわる重要な問題だと思いますけど、私にはこれらの作品は単なる習作とは思えないんですね。三島の場合、十代に書いた作品がすでに完成されていると思う。ただ三島の場合、こうした十代の完成が二十代以降の作品につながらず、作品群がそこで明確に断ち切られているわけです。今の私はこの断絶のなかに三島由紀夫のほんとうの姿、三島の作品全体を読むうえでの最大の問題点があるような気がしています。
ところで、三島作品におけるこうした断絶には、終戦という決定的な外因が存在しているわけですけれど、結局、三島という人は、終戦という事実をうけとめそこねたんではないでしょうか。まあ、それは三島の(定家的)資質と関係してくるとは思いますが…。つまり、戦争中は戦争をのろい、それが終わることをのぞんではいるんですが、実際に戦争が終わると、そこで緊張がとぎれてしまうんですね。戦後派の作家の多くは、そうした緊張からの解放や一種の浮遊観を言語化して世に出て行ったわけですけれど、三島の場合は、解放そのものを言語化することはなかった。これには、空洞そのものがあまりにも大き過ぎたと同時に、三島がめざしていた文学的世界が私小説のなかにはなかったために、戦争中に培った文学観の延長として「戦後小説」を書くことは最初から不可能だったという個人的な事情が関係していると思います。
三島の場合、そうした閉塞的なぎりぎりの状況のなかで『仮面の告白』(昭和24年)という作品が生み出されてくるわけですが、それまで私小説に背を向けていた作家が「告白記」を書くわけですから、それは奇妙なものにならざるを得ない。まあ、三島的に考えれば、この作品もまたそれなりに普遍を志向してはいるのでしょうけど(プルースト的な普遍性?三島は戦争中に『コンブレエ』を愛読しています)、社会はそれを私小説として受けとめ、その告白の大胆さに衝撃をうけた。
したがって、『仮面の告白』は何を基準として論じるかによって評価が大きく異なる非常に評価の難しい作品だと思いますが、結局、この作品は、三島がそれ以前に書いていた作品との関係のなかで読み解かれるべきものだと私は思います。戦後のある時期に登場した時代の証言としては、非常に興味深いと思うのですが、戦争中の三島が達成していたような高さ・完璧さは、もはやかけらもない。一方、これが完全な私小説かというと、そうも簡単に言い切れない。やはり「文学的告白」ではあるわけです。
つまり私からすると、『仮面の告白』という作品は、三島にとって非本質的な作品に思われるのですが、それ以降の三島の社会的存在を考えると、『仮面の告白』こそ三島にとって本質的な作品であり、それ以前の作品はあくまでも習作・実験作でしかなかったということになってしまう。三島という人は、こうした矛盾を自分から招き寄せてしまったのですね。まあ、それが三島の選んだ人生であり、戦後の三島が選びなおした小説家の道というべきなのでしょうけれど。

ところで、最初に書いた三島と定家という問題にもどれば、戦争中の三島の心境に一番しっくりする定家の歌は、「こぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ」ではないでしょうか。ひたすら身をこがしつつ未だこぬなにものかを待つ。しかし実際には、世界はその待機のなかで完結しており、とあるものが訪れたとき、それはもはや待っていた者を充たすことはない。
「こぬ人を」の歌は定家の晩年の作ですけれど、鎌倉幕府成立後の定家は、後鳥羽院と幕府の対立をはじめとするさまざまな政治的事件に巻きこまれざるを得なかった。そうした緊張感のなかで、定家の歌は、実生活と切り離されたところで、完成度を高めていった。
一方三島は、定家同様自己完結した美の世界を描くことから出発しながら、戦後は、自らもとめて社会のなかに飛び込み、社会風俗を描くことに活路を求めていった。自己を描くことを最初から放棄している以上、三島には外的世界・社会風俗を描くしか道はない。そのことによって三島は、いちおう成功者になったわけですが、それは定家的な世界、定家的な生き方からの離脱をも意味した。三島には、「未だこぬなにものか」をひたすら待つことはできなかった。三島にとって、定家はしだいに批判の対象になっていく。

   *    *    *

『苧菟と瑪耶』は文字どおり幻想的な作品で、そこで生じている具体的なできごと(瑪耶の死)は茫洋としています。しかしその茫洋さのなかを、17歳の三島が放つ言葉が燦めいている感じがします。とても好きな作品ですね。
「そこはあまりあかるくて、あたかも夜なかのようだった。蜜蜂たちはそのまっ昼間のよるのなかをとんでいた。」(新潮文庫版、11頁)
「蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。蓋のなかみをとりだすことよりもなかみを蔵っておくことの方が本来だと人はおもっているのだが、蓋にしてみればあけられた時の方がありのままの姿でなくてはならない。蓋の希みがそれをあれたとき迸しるだろう。そうした一見かよわそうな無生物の意志は、ふしぎに釣合のとれた調和した緊張であらゆる場所にたち罩めているのだ。ただ人はそれに気づかないだけだ。そしてほんの一寸その均衡がやぶれると、筥だとか柱だとか扉だとかが、ふだんのむしろ不自然な謐けさから、なんだかひどく生々した、それだけ人目には叛逆のような気味わるさをもよおさせる、かれらのかけがえのない瞬時の意志をとり戻すのだ。」(上掲書、18頁)
また、トリスタン物語を思わせる次のような描写は、院好みかもしれませんね。
「ふと苧菟は、瑪耶の死が彼のうちの死からたいへんすばやく遠ざかってゆくのを感じた。(ほんとうの生とは、もしやふたつの死のもっとも鞏い結び合いだけからうまれ出るものかもしれない。)」(上掲書、17頁)

しかし『岬にての物語』は、作品のなかの特定の描写が優れているというより、作品全体の緊張感が『苧菟と瑪耶』よりもさらに高まっているように思います。技術的な完成度という単純な観点からいっても、十代の三島にとって三年という歳月のもつ重みは大きいといえるのはないでしょうか。
『岬にての物語』は、11歳の少年がとある避暑地で過ごした晩夏の一日の思い出の話で、そこではじめて、少年は両親を含めた他人には語れないできごとを体験するのですが、結局、肝心の最も重要なできごと(男女の死?)は明確にされないままわってしまいます。しかしその茫洋さが、この作品では、象徴の域に達しているような感すらうけるのです。物語全体は不透明なんだけれども、その不透明さのなかに不思議な透明感がある。
三島はこの作品を執筆中に終戦を迎え、それだけに「作者にとって忘れがたい作品」と記していますが、重苦しいなにか(作品のなかでは主人公の幼年時代)が決定的に終わり、それに代わって新たななにかがやってきたという印象のする不思議な作品だと思います。
まあこれは、技術だけの問題とも思われないので、『岬にての物語』は、三島にとっても二度と書けない作品といえるでしょうね。

さて最後に、『三島由紀夫 十代書簡集』(新潮文庫)から、『苧菟と瑪耶』や『岬にての物語』を執筆した当時の三島の心境を示すにふさわしいと思える手紙を抜き出しておきましょう。『赤絵』という文芸誌の同人・東文彦に宛てた昭和18年9月14日付の書簡の一部です。
「世人の『赤絵』に対する非時局だという批評を、屈服させる本当の道は、ほら赤え同人だって戦時生活がかけるぞ、というようなやり方でなく、相手をしてなにか厳かな美しさの前に沈黙させ、どんな論議も泡のようなものだとおもわせるだけの源をさがしあてることであろうとおもいます。貴下の御作品のよさはいわば堀辰雄氏のよさに似かよっているとおもいます。堀氏は現在の青年作家のうちで、時局を語らない唯一の人ともいえましょうか、なんといったってお先走りの文報連中、大東亜大会などで獅子吼を買って出る白痴連中より、数千倍の詩人、したがって数千倍の日本人と思います。」(上掲書、206頁)
この書簡をとおしてみると、『苧菟と瑪耶』も『岬にての物語』も、時代とまったく無縁のところにで存在している作品というのではなく、時代がさかしまな緊張を強いるがゆえに、茫洋としていることが、それ自体において時代に屹立することなのだったということがよくわかるのではないかと思います。


Re: 三島由紀夫の初期短編を読む:その2  - 2005/12/05(Mon) 03:44 No.1502  

『報道の魂』 英霊漂ふ  三島由紀夫自決 35年目の夢枕
                              深夜1:20〜1:50

当時、楯の会ナンバー2だった本多清は、生き残った。早朝、時々刀を振る。三島から直接真剣を渡されていた。いつでも死ぬつもりであった。周りから三島の「片腕」と言われ、いい気分だった。

しかし、三島由紀夫の「決起」計画では、外された。隊員の内、彼にだけ遺書があった。三島文学よりわかりにくい言葉が連なっていた。言い訳としか感じられなかった。なぜなのか・・・今でも引っかかっている。ずっと考えている。楯の会が解散しても、第二楯の会を結成したこともある。

本多は、実業の道を歩んだ。しかし、苦労は多かった。楯の会の仲間に頼まれ保証人となる。6000万円の負債をしょった。年月が経ち、あれこれ考えている時に思い当たったこともある。2・26事件を巡る見解の相違。

三島由紀夫は先生である。ほとんど考えは一致しているのだが、こと2.26事件となると、くい違った。

三島由紀夫にとっては、青年将校は少年期よりの英雄である。しかし本多は、人を殺した決起を認めていなかった。祖国を防衛するために楯の会に入ったのだ・・・。
そんな言い分を直接ぶつけたことがあった。

2・26事件に入れ込んだ三島は、逆に、英霊たちに、魅入られた!少なくとも、美輪明宏はそう見ていた。事件の年の正月、南馬込の三島邸で、美輪明宏は、三島の背後に青年将校の霊を見た!「磯部浅一」の霊。死刑となった青年将校の中で、天皇陛下万歳を叫ばず、呪いの裡に果てた磯部。磯部が憑いている。美輪が言い当てるのを本多は見ていた。

磯部の霊に突き動かされたからなのか。三島由紀夫自身も納得した。青年将校の呪詛を描いた「英霊の声」では、三島の手は勝手に動いたと三島は語っている。

話を戻すと、2・26事件での見解の相違こそが本多が決起から外された理由だったのか。それを問題にしたのは、三島なのか、あるいは、憑依していた磯部だったのか。三島に問いたい思いが募る。

33回忌も過ぎ、弔い上げも終えた。三島の魂も落ち着いているものと思われる。なぜ、私は外されたのか。
ある日、本多は「英霊の声」の趣向そのままに、霊媒のもとへ旅立った・・・・・・。




= 出 演 =
元楯の会ナンバー2 : 本多清
最後のインタビュアー : 前田宏一
18年来の友人 : 美輪明宏
文壇の最大の理解者 : 佐伯彰一東大名誉教授
三島由紀夫写真集のカメラマン : 細江英公
三島由紀夫映画「みやび」監督 : 田中千世子

その他

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



三島由紀夫という人は、頭が良くて、プライドも高く、すでに、やりたい事があるとは思えなかったので、死ぬ事を考えていたと、私は思っていた。

番組の中では、若く、美しい夭折に憧れていたと言う。
                    (細江氏)
全てに置いて、計算しつくされていたのに、計算されていたはずのノーベル文学賞も、芥川賞も貰い損ねたという、思いも在ったのではないだろうか?

後半の人生は、純粋故の狂おしさが支配していたのだろう。

自分に自信の或る人の、陥りやすい点でも在ると思う。

そう、挫折を知らない人間は、一度の挫折にも弱いものだ。

楯の会のメンバーは、事件後は、大体がサラリーマンとなったようだ。

三島由紀夫の作品は、死に方・結末を考え抜いてから書き始めるのが常だったと言う。(現東大教授・佐伯彰一氏)

楯の会では、三島と共に亡くなった森田と、2人で会を束ねていた倉持氏は、どうして、自分は自決の日に、外されたのかを考える。
それは、2・26事件を起こした磯部浅一という青年将校の存在にとりつかれていた三島に、倉持氏は、

「2・26事件の決起では、無駄になる」と言った事があったので、その事が大きかったのだろうと語っている。


現在の本多氏(倉持氏)が自然環境に関する事業をされている事が時代の流れを感じた。

そして、当時の三島の年齢よりも13歳永く、生きているという事は、やはり、色んな考え方を理解出来るようになったのだと思う。

そう思うと、三島の生き方は、華々しく芸術的かもしれないが、やりたい事だけをやれた数少ない人間なのだと、思えて成らないし、そういう運命にあったのだろう。

三島の死が投げかけた輪は、35年経った今、甦っている。

日本と言う国を思った人間の一人が、三島由紀夫だったと記憶したい。


しかし、考えてみると、凡人の方が遥かに人生の哀楽を知り、

普通に暮らす事が出来るので、人間としては、幸せだと思う。


番組は、30分と言う枠にあって、よく企画されていたと思った。


神の笑い 如月 - 2005/12/08(Thu) 13:32 No.1615  

海さん、貴重なテレビ番組のご紹介ありがとうございます。
三島の死というのも、追っていけば大きな問題だと思いますが、私にはちょっと手が回りそうにありません。このあたりは、後鳥羽院さんのお考えや、澁澤龍彦さんの「三島さんのそういう謎を解明するっていう意欲はもうないね(笑)。ただ、三島さんのむしろ文学を、いまやもう…それを味わうってのがいいなあ」(『文藝別冊』227頁)という発言に私はひかれます。

そうした視点から『岬にての物語』を読んでみると、次のような描写があり、私には、たとえばこのなかの「神の笑い」という表現がとても気になるのですね(この短編が書かれたタイミングとからみ)。

「私は思わず目を下へやった。すると体全体がぐらぐらし、足がとめどもなく慄えた。その深淵へその奈落の美しい海へ、いきなり磁力に似た力が私を引き寄せるようであった。私は努めて後ずさりすると身を伏せ胸のときめきを抑えながら深淵の底をのぞき込んだ。再び覗いたそこに私は何を見たか。何も見なかったと云った方がよい。私はたださっきと同じものを見たのだから。そこには明るい松のながめと巖と小さな入江があり、白い躍動して止まぬ濤とがあった。それは同じ無音の光景であった。私の目にはただ、不思議なほど冷静な渚がみえたのだ。私はふと神の笑いに似たものの意味を考えた。」(新潮文庫版、58頁)


三島由紀夫の初期短編を読む 投稿者:如月 投稿日:2005/11/28(Mon) 11:54 No.1331  
三島由紀夫作品もだいぶ読み進んで、今は短編集をいくつか読んでいる(『真夏の死』<新潮文庫>、『ラディゲの死』<新潮文庫>、『花ざかりの森・憂国』<新潮文庫>、『中世・剣』<講談社学芸文庫>)。この辺で、三島の短編をいくつか読んだ中間報告をしておこう。

三島の短編の特徴は、まず、それが彼の十代〜二十代に集中して書かれていることではないだろうか(もちろん三十代に書かれた『憂国』のような例外はある)。したがって、三島の短編を読むことは、私にとって、十代の三島とはじめて接するということでもあった。すでに読了した作品のなかから、彼が十代に書いた作品をあげてみる。
『花山院』『花ざかりの森』『みのもの月』『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』『中世』。ここで興味深いのは、『花ざかりの森』(昭和16年)をのぞきすべての作品が平安時代〜室町時代に題材をとった歴史小説であることで、『花ざかりの森』も、平安末を想定した小さな物語を挿話としてもつ。したがって、この時期の三島がどのような題材に関心をもっていたか、この五つの短編はある程度物語っているといえる。またついでにいえば、この五つの短編の世界は、平安時代(『花山院』『花ざかりの森』『みのもの月』)と室町時代(『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』『中世』)に偏しており、古代と近世が欠けているというだけでなく、鎌倉時代を題材とするものもない。このことは、三島が単に古い時代に関心を寄せていたというだけでなく、その関心が特定の時代に限られていたことを示しているように思われる。

さて、以上の五つの短編のなかでまずおもしろいと思ったのは『みのもの月』(昭和17年、短編集「ラディゲの死」所収)で、この作品が、私にとっては三島読解の大きな手がかりになってくれた。
『みのもの月』は平安末とおぼしき時代のある女性と貴族の手紙のやりとりという形式の小説である。そのなかに、「君は艶にうつくしく荘厳されたみ寺がほのおにつつまれてもえおちようとするとき、もえ頽れるがままにまかせておくことこそほんとうの法師の心ばえとはおもわぬであろうか」(新潮文庫版、21頁)というフレーズが出てくるのだが、このフレーズを読んだとき、私は反射的に『金閣寺』(昭和31年)を思い浮かべた。つまり、のちに小説『金閣寺』となって結晶する思想は、この『みのもの月』のなかにすでに含まれており、昭和25年に実際におこった金閣寺放火事件は、三島のなかに小さな芽として存在していた思想が、作品として結晶するきっかけをあたえたに過ぎないものではないかと思えてきたのだ。してみると、『金閣寺』を執筆した折の三島の関心は、現実の金閣寺放火事件の背景を再現することにあったのではなく、美しい寺が燃えていくのをみたいとい屈折した願望を、三島にかわって実現した男の内面にあったのではないかと思えてくる。金閣寺放火事件も『金閣寺』という作品も、通常、「戦後」という時代の特殊性のなかで理解されるのであるが、三島にとってそれは「戦後」という問題と無縁であるということを、『みのもの月』は示しているのではないだろうか。
おそらく、十代の三島にとって、平安末と室町時代は、美しいものや文化が次々と解体していく滅びの時代ととらえられ、そのことが、目の前で進行している第二次大戦のさなかの社会と二重写しになって、魅力を放っていたのではないだろうか(「力」を義とする新しい社会が建設されていく鎌倉時代は、三島の関心を呼ばない)。そうした滅びの目撃者であることの自覚と戦争のもたらすある種の緊張感が、この頃の三島文学のあり方を決定していたように私には思える。

ところで、上にあげた五つの短編は、十代の三島がどのような作家をめざしていたかをも明らかにしてくれる。そしてその理想の作家像は、戦後まもなく書かれた『禁色』(昭和26-7年)の狂言回しである老作家・檜俊輔に明確に示されているように思われる。すなわち、三島自身が描く俊輔の作品(文体)の特徴とは次のようなものである。
「不感のうちに鋭敏な感覚のおののきが、不倫のうちに危殆に瀕した倫理観が、不感のうちに雄々しい動揺が立ち現れる。この逆説的ななりゆきを辿るために、何と巧みに編み出された文体であろう!いわば新古今風な、ロココ風なこの文体、言葉の真の意味における『人工的』な文体、そこにはいわゆる裸の文体と対蹠的なもの、パルテノンの破風に見られる運命の女神像や、パイオニオス作のニケ像に纏綿するあの美しい衣類の襞に似たものがあるのである。流れる襞、飛翔する襞、それは啻(ただ)に肉体の動きに照応しこれに従属した流線の集合ではなく、それ自体流動し、それ自体天翔ける襞なのである。」(新潮文庫版、9頁)
しかしこの理想像は、二十代の三島によって決定的に放棄される。
二十歳になった三島が目撃せざるを得なかった第二次大戦後に実際におとずれた一種の弛緩状態とそれに続く滅びや破壊は、三島を含めたほとんどの日本人にとって予期せぬものであった。戦争中に訪れた滅びが物質的世界の滅びであったとすれば、戦後に訪れたものはそれより遙かに深刻な精神的世界の滅びであった。三島由紀夫が実質的に世に出ていったのは、そうした荒廃のなか、しかも皮肉にも、最も檜俊輔的ではない作品『仮面の告白』(昭和24年)によるものであった。戦後の荒廃した社会のなかで世に受け入れられようとすれば、檜俊輔的作品、すなわち三島が十代に書いたような典雅な作品は、三島自身によって否定されるしかなかったのだ。『仮面の告白』に続けて書かれた『青の時代』(昭和25年)も『愛の渇き』(昭和25年)も、『仮面の告白』の延長線上にある社会小説・風俗小説であったし、なにより『禁色』自体が、同性愛の世界を描いたセンセーショナルな風俗小説として読まれる運命にあった。
してみると、三島の不幸は、自己が理想とする作品と社会に受け入れられるために必要な作品とのこうした乖離にあったのではないかと思えてくるのだが、するとそれは、三島自身の資質や才能の問題というだけではなく、やはり「戦後」という時代の問題ということにもなる。戦争がなく、戦後もなかったならば、われわれが知っているような三島由紀夫という作家は存在しなかったのではないだろうか。
戦後の文壇のなかで寵児ともてはやされながら、そうした自己の作品をどこかしら不満げにつきはなして眺めざるをえなかった作家、さりとて時代から超然とすることもできずに時代を意識した作品しか書くことができなかった作家。そうした不幸な作家のありようを、三島由紀夫が十代に書いた小説は裏側から示しているように私には思われる。
つまり、これは三島を読む重要なポイントではないかと思われるのだが、三島の場合、作家として自己形成した十代後半という重要な時期と第二次世界大戦がちょうど重なってしまったために、作家としても人間としても自己形成が途中で放棄されたたま、まったく想定外の世界に作家として出て行かざるをえなかったのではないだろうか。私には、このことが三島の生涯と作品に、自死という結末を呼び込んだように思える。
三島の作品を読むとき、私はいつも三島自身の所在がわからないという中途半端な感じをうけてきたのだが、今の私には、それは、三島由紀夫が経たこうした個人史と時代の重なり方および戦後がもたらしたそれらのねじれによるものではないかと思えてきた。つまり、三島作品をあいかわらず中途半端なものと思いつつも、ここへきて、その中途半端さのよってきたるところがみえてきた、あるいは従来より一歩踏み込んで三島作品と接することができるようになってきたといえる。

私にとって、それが三島が十代に書いた短編の功であり、これらの短編は、それ自体すぐれているというだけでなく、三島という現象を解く重要な鍵であるように、私には思えるのである。

   *    *    *

この記事のなかで取りあげた五つの短編のなかで、私は『中世』を最も好むと同時に、三島を代表する傑作の一つではないかと思う。ここには、ヨーロッパであればユイスマンスやユルスナールを思わせるデカダンスが色濃くあらわれている。ちなみに、三島の『中世』もユイスマンスの『さかしま』も亀を偏愛する男の話である。
また『花山院』(「ラディゲの死」所収)の実質的主人公が陰陽師・安倍晴明であるのも、三島の先見性を示しているといえるのではないだろうか。


Re: 三島由紀夫の初期短編を読む 後鳥羽院 - 2005/11/28(Mon) 20:27 No.1336  

『秩父宮と昭和天皇』(保阪正康著:文藝春秋)を読んでいましたら、おおむね、こんなことが書いてありました。
「大正2年(1913年)7月10日、52歳で薨去。 威仁親王の薨去により有栖川宮家は断絶したが、祭祀は高松宮家に継承された」
あ、と思って、『春の雪』を見てみると、新潮文庫276頁に、こうあります。

「有栖川の宮様の国葬には、貴様のファーザーも出るんだろ」
「ああ、そうらしい」
「うまい時にお薨れになって下さった。きのうきいたところでは、おかげでどうやら、洞院宮家の納采の儀はのびのびになりそうなんだ」

有栖川宮威仁親王は、三島にとって、因縁のある宮家なんですね。祖母の夏子が奉公していたところで、幼年の三島に、おまえはね、尊い宮様の血を引いているのだよ、と吹き込んだとかいう話が、まことしやかに伝わっています(公威と威仁という、忌名における威の字の奇妙な一致・・・)。

『春の雪』の二人の会話には、三島自身の、貴種流離めいたルサンチマンが、ひいては祖母へのルサンチマンが込められているのかもしれません。三島十代の作品には、貴種流離の匂いが強くするでしょう? 
大東亜戦争が始まり、のんびり中世の貴種の小説なんか書いてるときじゃないんですが、紅旗征戎吾事に非ず、とばかりに中世に浸っている、この反時代的精神、反政治的精神・・・。

『中世』はよく覚えていませんが、如月さんが『中世』を絶賛されるお気持ち、ちょっとわかるような気がします。
私は、高校生の頃、『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』を偏愛しておりました(笑)。

三島は、死に方が尋常じゃないので、誤解されやすいのですが、小説と割腹自殺は何の関係もない、と私なんかは思います。


豊穣vs.空虚 如月 - 2005/11/29(Tue) 13:56 No.1350  

「三島は、死に方が尋常じゃないので、誤解されやすい」という院のご指摘、私も賛成です。
で、世間的にいえば、彼は成功した小説家ということになるんでしょうけど、彼の作品を集中的に読んでみて、上にひいたような初期短編を除くと、真に感心できる作品がほとんどないですね。というか、三島は非常に聡明な人だから、つねに、社会に対して自分をどう演出するか、どのような作品をかけば社会に受け入れられるかという対社会的な効果を怜悧に計算しながら行動し、ものを書いている気がしますね。私なんかにすると、だから三島の作品はつまらないのです。
ただ、三島はおそらく、そうした自分の作品の空虚さということもわかってはいたのでしょうね。『豊穣の海』四部作は、そうした三島が対社会ということをかなぐり捨てて自分が書きたいように書いた最後の賭けという感じはします。
そうした三島に対して『空虚のヴィジョン』と切り返したユルスナールは、やはりすごいヴォワイヤンだと思いますね。

ところで三島の中世小説、足利将軍をローマ皇帝にみたてているようで、ユルスナール作品に似た印象をうけるのですね。他の時代の権力者だとこういう風にはいかないような気がします。


三島由紀夫プロフィール〜戦時下の青春 如月 - 2005/11/29(Tue) 14:20 No.1352  

三島の初期短編が執筆された経緯をしるうえで、次のページの三島のプロフィールも参考になりますね。
http://www.vill.yamanakako.yamanashi.jp/bungaku/mishima/nenpu/19411945/41-45.html


亀と菊 後鳥羽院 - 2005/11/29(Tue) 21:30 No.1360  

『中世』、久しぶりに読みました。
うーん、凄い作品ですね。
「決定版 三島由紀夫 全集16」(新潮社)の解題に、三島の自跋のようなものが掲載されてあります。長いので、端折って抜粋しますと。

「わくらばに問ふ人あらばこの文企てし心ばえいかに答ふべき。聊か諷する処なきにしもあらねど、片ほなる仇し言をあげつらひて、是は何を諷せる也、是はかくかくの意を蔵せりなど云はれむこと片腹いたく、あるはみそかに述べおきたる心緒をも読みすぐして、是は大人のお伽噺なり、などと早合点さるるも本意なかるべし。ただ読む人のしをりにと述べおかむに、東山殿足利の義政公よりはじめて、禅師霊海、老医鄭阿、能若衆菊阿弥、巫子綾織、さては奥殿の池に棲みならへる大亀、皆一の象徴而已。巫子綾織は詩人(うたびと)の歎きによそへ、大亀は中つ世ぶりにたぐへたり。不死の薬の主題は近つ世の明けゆく様をうたひてさいつころしたため置きし「寿」の文意に通ひ、憑霊の主題は古き世の頽唐をかなしみて楚辞招魂篇の陸離を慕へり。義政公、霊海、菊阿弥、鄭阿に至りては遽かに説き難ければ、よむ人の心任せにしたまへかし」

と解説されても、私には、この作品、とても難しく思われます。二十歳前の青年が書いたものが難しいというのは情けない話ですが(笑)。

「帰思方に悠なる哉。目指すところは福州の故地である」
という末尾の言葉は、よく覚えていました。
楚辞の招魂を引用してたのですね。忘れてました。
・・・死に方も尋常ではないですが、才能も尋常ではないですね。


訂正 如月 - 2005/12/01(Thu) 01:22 No.1381  

『中世』の評価につき、院と意見が一致し、大変うれしいことと思っております。
ところで、図書館で「決定版 三島由紀夫全集」(新潮社)を調べているうちに、このスレッド冒頭の私の書き込みのなかに誤りがあることを発見致しましたので、訂正させていただきます。
実は、三島は『花山院』という短編を二度書いており、新潮文庫「ラディゲの死」におさめられている作品(私が読んだもの)は昭和25年に書かれた二度目の作品です。最初の作品は昭和16年に書かれていますが(『大鏡』のなかの挿話の書き換え)、こちらには安倍晴明は登場しません。


Re: 三島由紀夫の初期短編を読む  - 2005/12/01(Thu) 03:23 No.1383  

昨日、書店で立ち読みした12月1日の週間新潮に、三島由紀夫の最後の姿が特集されていた。写真は白黒で、何枚かに及んでいた。

バルコニーに立つ三島由紀夫の姿は元より、盾の会のメンバーの物や、死んだ部屋の最後の様子等など。

余り観ると、そのシーンが焼きついて、生々しく重くなった。
ここまで、今更,公開する意味があるのだろうか?


三島はなぜか偏愛の達人の様に思われて成らない。

そういえば、どこかに小さい時には、女の子として女の子の服をおばあさんに着せられていたと書いてあったが、これは、当時の皇族がそうしたように、女の子の方が男の子よりも、楽に育つと言われていて、難を防ぐ為にそうされていたのだと思う。

現在の天皇陛下の幼少期の写真を見ると、なんともクラシックな白いワンピース姿なので、昔、私は驚いたが、現在では、幼児の死亡率も低いが、三島由紀夫の幼少期には、腸チフスなどもあって、ワクチンなど無いし、死亡率も高かったと思う。

だから、女装させられたと言うよりも、当時のハイソな家庭に於けるおばあさんの知恵による物だったと思う。

三島の家庭環境から考えると、納得出来る事だろう。
自決の際、盾の会の森田必勝(まさかつ)は、三島と共に亡くなり、残りの3人は自首しているが、その後の人生はどんな風に過ごしたのだろうかと疑問に思うのは、私だけなのだろうか?
とりあえず平和な時代にあって、早すぎた三島由紀夫の死は、
芸術的だと思う。芸術とは、後に残り、人の心に食らい付く。
そして、『なぜなんだ!』と言う疑問符を付けて、人々に問いかけてしまう。
話しは変わるが、先日、私は年上の友人に、『TAKESHIS’』の感想を語っていて、アッと気づいた事があった。
タケシは自分をさらけ出さない人間なのではないか?と思ったのだ。
ふざけていても、自分の核となる部分に近づこうとする人間には、バリケードを壊そうとはしないように思う。
それが、自己防衛としての手段なのか、自己へのプライドなのかは解らない。プライドだとしたら、誰も寄せ付けない事で、昇華しているような物だと思う。
そう思うと、三島由紀夫もそう思える。
三島自身を守る為に、自ら死を選んだのでは無いだろうか?
そして、それを芸術の域に達するように考えたのではないだろうか。
 時代が彼を追い詰め、現在では、その時代が彼を追いかけている。
35年も経った今、こうして語り継がれている三島由紀夫は、
死という壁を乗り越えて、向こうから退廃的とも言える現在を生きなくて済んだと思い、後悔無き死を納得しているように思える。
13歳で処女作を発表。20歳の時に敗戦。
昭和45年に、45歳で衝撃的な死を迎え、昭和と言う時代を走った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和43年、三島が43歳の時、澁澤龍彦が編集した『血と薔薇』のグラビアには、篠山紀信撮影のヌードモデル三島がいて、エッセイには、

「All Japanese are Perverse」
直訳すると「日本人って、みんな変人」

三島は、「変なのは自分だけではない。日本人は、全員が昔から変だった。
いや、こういう自覚を持っている自分だけは、冷めているかも知れない」と、うそぶいている。
晩年の三島由紀夫の奇妙なふるまいの数々。
そして、彼を「奇人変人」扱いし、昭和45年以降は、「犯罪者」として、NHKですら名前を呼び捨てにした日本社会。
どっちが、本当に変だったのだろうか。

             <抜粋>図書館で読んだ雑誌より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在、女性週刊誌にも、池田理代子が「春の雪」を連載している。
三島は、まさか自分の作品が、コミックで雑誌に連載されているとは知る由も無いが、死後35年目に特集が組まれている事を知ったら、喜ぶとは思えない。
むしろ、日本人に、幻滅するのではないだろうか?
映画「春の雪」の、主演の二人を誰が演じても、おそらくは賛否両論と成っただろう。
しかし、岸田今日子、若尾文子、大楠道代のベテラン女優がしっかりと脇を固めていて、この映画を守っていたと思うと、
三島由紀夫も安心出来たのではないだろうか。

しかし、三島由紀夫の姿は、いつまでたっても、45歳なのだから美しいと言える。(この点だけは、羨ましい)
    



Re: 三島由紀夫の初期短編を読む  - 2005/12/03(Sat) 02:35 No.1427  

三島由紀夫を深く知る為の20冊を、ここに書いておきたいと思います。
ご参考になれば、幸いと存じます。


『三島由紀夫と壇一雄』 小島千加子  構想社  1980年
『新潮日本文学アルバム20 三島由紀夫』 新潮社 1983年
『年表作家絵本2 三島由紀夫』 松本 徹編著  河出書房新社1990年
『群像日本の作家18 三島由紀夫』 秋山駿ほか  小学館  1990年
『三島由紀夫の生涯』 安藤武  夏目書房  1998年
『三島由紀夫 生と死』 H・S=ストークス 徳岡孝夫訳 清流出版 1998年
『三島由紀夫『以後』ー日本が「日本でなくなる日」』宮崎正弘 
                                     並木書房1999年
『三島由紀夫ーある評伝』 ジョン・ネイスン 野口武彦訳 新潮社 2000年
『三島由紀夫の家〔普及版〕』 篠山紀信撮影 篠田達美文 
                                   美術出版社 2000年
『三島由紀夫事典』 松本徹・佐藤秀明・井上隆史編 勉誠出版 2000年
『猪瀬直樹著作集2 ペルソナー三島由紀夫伝』 猪瀬直樹 小学館 2001年
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』 橋本治  新潮社 2002年
『三島由紀夫・昭和の迷宮』 出口裕弘 新潮社 2002年

     *    *

『三島由紀夫おぼえがき』 澁澤龍彦 中公文庫 1986年
『三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン』 M・ユルスナール 澁澤龍彦訳
                              河出文庫 1995年
『倅・三島由紀夫』 平岡梓  文春文庫 1996年 
『五衰の人ー三島由紀夫私記』 徳岡孝夫 文春文庫 1999年
『三島由紀夫と楯の会事件』 保阪正康 角川文庫 2001年
   

オーディオ・ビジュアル

『学生との対話』 講演者・三島由紀夫 新潮CD 2002年
『三島由紀夫 最後の言葉』 対談・三島由紀夫、古林尚 新潮CD 2002年



長すぎた晩年と夏炉冬扇 後鳥羽院 - 2005/12/03(Sat) 16:52 No.1454  

フランスのヴァンセンヌの森にあるアクアリウム劇場で、三島の「班女」を上演してるようです。
翻訳はユルスナール女史のもの。「黒の変容」の女史は、eventail(扇)の変容に、惹かれたのであろうか?
この劇場は、ノルマリアンの秀才たちが立ち上げた劇場のようです。地下鉄1号線の終点を出ると、ヴァンセンヌの城跡がありますが、この劇場は知りませんでした。
http://www.theatredelaquarium.com/Hanjo/index.html

このページに、三島の言葉が紹介されています。
La vie est courte mais moi,
je voudrais vivre éternellement.
人生は短い、が、この俺は、永遠に生きたい、といったくらいの意味でしょうが、私には、永遠に生きる、という言葉の意味が、じつはよくわからないのです(笑)。なに血迷ったことを言ってるのだ、と。
人類が滅びるまで、私(の作品)は残る、という意味なのか? もしそうならば、それだけのことにすぎまい、と。永遠という言葉はある(ようにみえる)が、それが意味するものなど何もあるまい、と考える私には、永遠に生きたいという発想がわからない。
三島は最後には言葉を信じていなかったろうと思うので、なぜこんな寝惚けたことを言うのか、よくわからない。こんな表現で、どんな「空虚」を表現したかったのであろうか?

『中世』は、私の感覚では、泉鏡花の『春昼』と澁澤の『高岳親王航海記』に、とてもよく似ているように思われました。

海さま。
三島は二十歳前に死にたかったのに、不覚にも生き延びてしまい、二十五年という長すぎた晩年は、ひたすら、人間への侮蔑、世界への復讐・・・として生きた、ように見えます。


三島或いは oeuvre eternel ? 後鳥羽院 - 2005/12/03(Sat) 17:04 No.1456  

eternellement の最初の e(eにアクサン・テギュ)は奇妙な文字化けをするのですね。これは「永遠」の錬金術的な oeuvre なのであろうか?


Re: 三島由紀夫の初期短編を読む・  後鳥羽院様  - 2005/12/05(Mon) 16:35 No.1518  

三島由紀夫の、後半の人生は苦しかったでしょう。
2・26事件の磯部青年将校にとりつかれて生きるしか、生きる術が見出せないでいたようです。磯部将校は、全てを恨んでいて、うらみつらみの塊だったと、「報道の魂」では言っていました。
凝り固まってしまった人間は、広く物事を見ることは出来ないし、狭い世界を生きるしか出来なくなるのだから、勿論、三島はナルシストでもあり、2・26事件をモデルにした天皇を中心とした伝統や歴史、文化が守られるように、楯の会の憲法草案作りをしたそうです。
その草案が、三島の死後35年を経て、楯の会のNO2だった現・本多氏が戸棚から出して、見せてくれていました。

体を鍛える方がこれよりも簡単だ<笑い>なんて、書いてあり、
三島の直筆なので、35年前と言う時代が戻ったようでした。

時代を駆け抜けて、散った三島は、死ぬのが本望の人生だったと思いました。


ところで… 投稿者: 投稿日:2005/11/25(Fri) 09:16 No.1273   <Home>
如月さんの掲示板には、ちょくちょく「URL」のみを記した投稿がありますね。嫌がらせなんでしょうか。


Re: ところで… 如月 - 2005/11/26(Sat) 01:27 No.1285  

私の不徳のいたすところと、反省しております。


Re: ところで…  - 2005/11/27(Sun) 20:48 No.1317   <Home>

ただ、如月さんとの、こういう遣り取りのあと、「URL」のみを記した投稿があると、思わず笑ってしまいます。
如月さんにしてみれば、削除するのが大変で、笑い事ではないのかも知れませんが…。


何故今? 投稿者: 投稿日:2005/11/23(Wed) 12:42 No.1245   <Home>
如月さん、みなさん、お久しぶりです。
三島の作品、文庫フェアーとかあちこちでやっていますね。
何故?という感じですが?
映画も出るそうですね。
三島の作品というと、金閣寺、葉隠入門、など短いモノしか読んでません。
長編はすべて途中で投げ出しました。
春の雪が映画化されますが、最近、こういった華族モノの話がはやっていますね。
「明治・大正・昭和 華族事件録」(千田稔 著・新潮文庫)も出ましたね。
人間が生きていると、こういうことは当たり前、と考えると、何でもないのですが?


Re: 何故今? 如月 - 2005/11/23(Wed) 22:16 No.1251  

酒井さんがおっしゃる「何故?」、私にもよくわかりませんが、ともかく今年は三島の没後35年、生誕80年で節目の年ということのようです。


没後35年  - 2005/11/27(Sun) 23:25 No.1321   <Home>

ということと、生誕80年。
どうやら正解のようです。
別冊文藝かな?特集も組んで出てますね。


三島由紀夫『沈める滝』を読む 投稿者:如月 投稿日:2005/11/17(Thu) 01:45 No.1138  
『沈める滝』:昭30年刊の三島由紀夫の中編小説。三島は、前年、昭和29年に『潮騒』を発表、また昭和31年に『金閣寺』を発表。『沈める滝』は、ちょうど油がのった時期の作品といえる。
ストーリーは、某電力会社に勤める何不自由のないエリート青年・城所昇が、とある女性をしったことを機に、その女性から自分を引き離すことを目的に、一冬、外界と交通が謝絶された山奥のダム建設現場ですごし、初夏の訪れとともにその女性と再会するというもの。三島の小説としては珍しく、自然の描写、巨大なダムの建設にかける青年の思いが客観的な筆致で描かれており、それが他の三島作品にはないこの小説独特の魅力といえる。

「実際、瀬山の濫用する「人間的」という不潔な言葉は別として、人間主義の下に包まれていた時代の技術には、自分たちの作るものが神の摂理にも叶い、人々の幸福にも資するという安楽な予定調和があり、使命感があったろうと昇には思われた。われわれの時代がそれを失ったのは事実だが、しかしまた、何人かの人間が夢中になることなしには、何人かの精神の集中と情熱と精力なしには、決して出来上がらない仕事が今日もなお存在することも事実なのだ。仕事というものは本来そうしたものだし、中世の職人的良心や、ブゥルジョアジーの十九世紀的勤勉さは、仕事というものをそれ以外のものだとは決して考えなかった筈である。
 技術がもし完全に機械化される時代が来れば、人間の情熱は根絶やしにされ、精力は無用のものになるだろうか。科学技術の進歩にそそがれる情熱や精力は、かかる自己否定的な側面をも持っている。しかし幸いにして、事態はまだそこまでは来ていない。
 ダム建設はこのような意味で、一種の象徴的な事業だと思われた。われわれが山や川の、自然のなお未開拓な効用をうけとる。今日ではまだ幸いに、われわれ自身の人間的能力である情熱や精力の発揮の代償としてうけとるのだ。そして自然の効用が発掘しつくされ、地球が滓まで利用されて荒廃の極に達するまでは、人間の情熱や精力は根絶やしにはされまいという確信が昇にはあった。
 ダム建設の技術は、自然と人間との戦いであると共に対話でもあり、自然の未知の効用を掘り出すためにおのれの未知の人間的能力を自覚する一種の自己発見でなければならなかった。
 あの幸福な予定調和を失い、人間主義の下における使命感と分業の意識を失った技術は、孤独になりながらも、今日ではエヴェレスト征服にも似たこうした人間的な意味をもつようになった。つまり瀬山のいうように、一定の機構の下におしこめられた技術に、ひよわな技術者的良心が追随してゆくのではなく、それとは逆に、人間的能力の発見の要請が先にあって、技術がそれに追随してゆくべきなのだ。」(新潮文庫版、99〜101頁)

しかし、作品の冒頭と結末の人妻・顕子とのエピソードはやはり三島のもの。逆にいうと、この人間くさい枠構造が、自然と対峙する小説という『沈める滝』の全体構想を無化しているようにも読める(自然とは、あくまでも人間に「征服」されるべきものにすぎない)。
昇も顕子も、偶然にであうまで、恋のアバンチュールは多いが相手に夢中になることはなく、一夜限りの関係を繰り返すさめた人間として描かれる。しかしそうしたさめた人間同士である昇と顕子の情事は二人の内面を変化させ、互いに、はじめて次の機会をもちたいという気持ちを抱く。その気持ちにとまどった昇は、先述のダム建設現場での越冬を志願するのである。
しかし情事による変化は顕子の方が大きい。男に対する顕子のさめた態度は、実は不感症という肉体性からくるものであり(不感症の女性の問題は『音楽』<昭和40年>に引き継がれる)、昇によってそれが癒されたと感じてから、顕子の思いは急速に昇に傾いていく。しかしそうして普通の女に変貌した顕子を、昇はもはや愛することができない。昇にとっての顕子の魅力は、あくまでも、情事の最中になにも感じないというところにあった。このすれ違いが悲劇となって、『沈める滝』は閉じられる。

結局、『沈める滝』における昇の人物造形は、『禁色』の悠一の内面をそのまま引き継いだものといえよう。女(同性愛者である悠一の場合は男)と情事を重ねながらそのどれにも入り込むことのない青年というほとんど人工的な設定、『禁色』の場合は完全な都会人(大学生)であったものが、『沈める滝』の場合は、石や鉄といった無機物のみを愛して成長し、社会のなかでは大自然にも人間から遮断された生活にも動じない男として造形される。こうした設定は、一面では『潮騒』の新治にも似ているが、野性人である新治は、自己の内面を吐露して小説を牽引することができない。『沈める滝』の昇にいたって、快楽を極めてその快楽を超克し、いわばエピクロス哲学のアタラクシアの境地にたつ人間像は完成されたといっていいだろう。
一方、そうした昇に、そして昇のみに共感した顕子は不幸な存在というしかないが、三島は顕子のなかには深く入り込まず、人里離れた山奥に秘かに存在しダムが完成すれば水没してしまう「沈める滝」のようなものとして冷たく突き放して描く。
三島らしい男性中心のエゴイスムも顕在である。

   *    *    *

ところで、私の場合、三島といえば反射的に澁澤を思い浮かべるのですが、快楽を極めて快楽を超克するというアタラクシア願望という点は、この二人に共通するのではないでしょうか。澁澤のサド翻訳も、出発点はこの辺にあるのではないかと思いますし、だいいち、澁澤には『快楽主義の哲学』という著作がありますね。
一方、ストア的な克己、アパテイアーを求めるのではなく、快楽をとおした快楽の超克を探究するという考え方は非常に18世紀的なものともいえ、かの厳格なマブリですら、人間のモラルや法を考えるとき、快感法則を無視することはできないといっていますね。
戦後の思想界や文壇のなかで、19世紀から連なる思想をどのように乗り越えるかが問題となったとき、19世紀に対するアンチテーゼとして、快感原則をベースとする18世紀的発想が注目されるにいたったということはいえるのではないでしょうか。


空集合 後鳥羽院 - 2005/11/17(Thu) 22:35 No.1147  

『サド侯爵夫人』などは、徹底的に「快感原則」の戯曲ですね。
シミアーヌ男爵夫人は、革命勃発時、街娼姿の遺体で発見され、民衆から聖女に祭り上げられ、サンフォン伯爵夫人は、sans fond(底なし) の皮肉ではないかと思われ、ルネ侯爵夫人は、貞淑というもっとも不道徳な快感にどっぷり浸り・・・これら舞台上の「快感原則」は、三島の修辞に酔える観客には「快感」となり、酔えない観客には禁欲の牢獄となる(笑)。

元内親王の結婚を報ずるフランスの新聞に、皇室は phallocratie だ、と論じてました。ギリシャ語起源のきわどい言葉ですが、三島は頑固な phallocrate ですね。

同じ新聞に、天皇は apesanteur sociale : symbole du peuple et citoyen de nulle part である、と書いてあり、象徴天皇制を端的に表現しえているので、おどろきました。
nulle part は、私なりに解釈すると、これは空集合ですね。空集合は普通 φ(ファイ)であらわすので、天皇は市民(国民)としては空集合φである、となります。空集合は集合の重要な要素なんですが。天皇が無重力状態かどうかはともかく、じつにうまい表現です。象徴天皇制がはじめて理解できたような気がしました(笑)。

同じ記事に、幕府を gouvernement sous la tente と訳していますが、そのままじゃん、と思いました(笑)。この訳語を見たとき、フランス人は何を連想するのでしょうね。メロヴィング朝やカロリング朝のことは知りませんが、昔の王権はあちこち転々としていたのでしょうか。


『金閣寺』のことなど… 如月 - 2005/11/18(Fri) 13:11 No.1159  

幕府に関しては、「テントのもとの政府(統治) gouvernement sous la tente」と呼ぼうと「将軍政権 shogounat」とよぼうと矛盾がでてきますね。要するにこれは、ヨーロッパにはない概念なわけですから。だいいち、将軍という概念が非常に翻訳しづらい。

   *    *    *

ところで、『金閣寺』読みました。途中までは「これはすごい」、もしかすると三島最高の傑作ではないかと思ってたんですけど(笑)、読みすすむうちに、その感動?もだんだん尻すぼみになってしまいました。
この作品、三島の直接の分身も登場しなければ、三島の理想の化身も登場しないし、三島最初の小説らしい小説だとは思います。私がすごいと思ったのは実はその辺なのですが、読みすすむうちに作品のもつ本質的な矛盾もいろいろ気になり、この作品を全体としてどうとらえるべきか、まあ、いろいろ考えているところです。
ただし『金閣寺』に関しては、従来「傑作」という評価で終始していて、管見のかぎり、私が考えるような『金閣寺』という作品が内包する構造的矛盾についてはあまり言及されていないように思いますから、それはそれで意味のあることかと思い、メモ的に記しておくことにしました。
私が感じる『金閣寺』が内包する矛盾(問題点)とは次のようなものです。

@金閣寺は美か?
A金閣寺放火は犯罪か?
B『金閣寺』という作品は、放火心理の説明たりえているか?

@については、すでに少し書きましたが、金閣がある種の美であることを認めるにしても、それが日本を代表するものかということになると、私には疑問があります。もしこれが銀閣とか平等院鳳凰堂というのであれば、その美は、純粋に美学的問題、精神的問題として論ずることができるでしょうけれど、金閣というのは、やはり建物全体に金を貼っているということがその美のあり方とかかわる重要なポイントを占めているわけで、美というよりは、権力とか富の象徴という側面が強いのではないでしょうか。つまり、金閣というのは、中尊寺金色堂や秀吉の黄金の茶室につながるものだと思うんです。それを果たして「美」と言い切っていいものか、三島は金閣を「美」と考えていたのか、それがまず、この作品の最大の疑問ですね。
そうした点から勘ぐれば、金閣をめぐる義満と世阿弥のエピソードなどの方が、三島的にいえば金閣という空間を他の空間とは異なる特別な空間たらしめるにたると思いますが、作品のなかに金閣が歴史的にどのような空間であったのかということへの言及はなく、ひたすら建築物としての金閣の讃美に満ちていますね。
Aも直接的にはあまり指摘されていないと思いますが、金閣放火というのは、少なくとも自然法上の犯罪とはいえないと思います。つまり、たとえば殺人が犯罪であるということと、金閣放火が犯罪であるということは同列に論じることはできない。また、一般的にいって放火が他者の財産の侵害という意味で自然法に触れるとすれば、特定の人の財産とはいえない金閣への放火は、この意味からも自然法上の犯罪とはいえない。
そこで、評論家は「美への犯罪」といった文学的概念をもちだしてくるのだと思いますが、これが法学上意味をなしえないのは明白ですね。
要するになにをいいたいかというと、金閣放火というのは、社会的なprescriptionの侵犯だから犯罪とされるわけですけど、自然法的モラルのようなものを持ちだしてきて考えると、単純に犯罪とはいえない側面をもっているのだと思います。
この辺、東大法学部出身の三島は、理念としては充分承知しているはずだと思いますが、とすれば、『金閣寺』という作品の主題はなんなのか?少なくとも単純に犯罪心理の解明であるということはできないと思いますが、その辺がやはり曖昧なのではないでしょうか?
B、これはAの問題点ともからんできますが、作品の中心を構成する叙述と具体的な金閣放火という行為がうまく結びついていないのではないでしょうか。つまり、『金閣寺』の主人公と同じような心理状態にあったとしても、実際に犯罪は犯さないというケースは数多く考えられると思いますが、そこで主人公を放火という具体的な行為に踏み切らせたものは何なのか。この最も肝心な点が、三島の筆力によっても描き出されていないように、私には感じられるのです(というのは、もしかすると、作品『金閣寺』における放火は、あくまでも観念上の行為だから?)。
言い方をかえると、これは、放火にいたる主人公の人生や心理は、はたして放火の原因なのかどうかという問題なのですが、私には、それは放火の直接的原因とは思われないのです。つまり、主人公のそうした人生や心理が、主人公をして放火という具体的行為を行わせるためには、なにか決定的な飛躍が必要なのではないかと思うのですが、そうした意識の飛躍のようなもの、『金閣寺』の描写にはないのですね。これは、三島が無意識を認めないということにもかかわってくる問題だと思います。
ここで、AとBの問題点を簡単にまとめると、『金閣寺』という小説は、心理小説としてはおもしろいのですが、それが最終的に犯罪心理、犯罪の動機と結びつけられるという点が、私にはどうもすっきりしないのです。

以上の点に比較するとささいな疑問ですが、主人公・溝口の悪友として登場する内翻足の柏木という男、その名前から私は『源氏物語』の柏木を思い浮かべてしまうのですが、三島には、『源氏物語』の柏木への連想はなかったのでしょうか?

   *    *    *

ところで、『金閣寺』を読み終えたところで、三島についてあるまとまったイメージを構築したいと思っていたところ、書店でたまたま『三島由紀夫ーー没後35年・生誕80年』(河出書房新社/文藝別冊)をみつけましたので、さっそく購入しました。
そのなかでまず最初に読んだのは、「三島由紀夫ーー世紀末デカダンスの文学」という澁澤龍彦と出口裕弘の対談(初出は『ユリイカ』86年5月号)。三島が無意識を認めないと主張しているということは、この対談で知りました(230頁)。
また、このムック本のなかでは、「三島由紀夫を知る18のキーワード」(佐藤秀明)の「古今集と新古今集」もおもしろく読みました。三島の文体やレトリック、私からすれば非常に古今的であって、新古今的では少しもないのですが、それはやはり「無意識」の問題とからんでくると思います。


落語のオチ 後鳥羽院 - 2005/11/19(Sat) 16:43 No.1180  

鹿苑院金閣は、歴代の院主は誰か、というような、まあどうでもいいようなことはやけにはっきりしてますが、義満の理念を具現化した大工はそもそも誰なのか、といういちばん重要なことはさっぱりわからない、というのが、金閣寺の最大の謎です。同時代のイタリア・ルネサンスの名建築に比肩する出来映えだと思いますが、大工の棟梁が誰なのか、わからない。禅坊主の愚にもつかぬ公案は、腐るほど残っているというのに、誠に残念です。同時代の絶海中津などは、この建築をどう見ていたのか、凄く興味がありますが、何か言及してませんかね。この建築を指揮した棟梁の美意識は大変なものだと思うのですよ。
三島は、古今的なもにせよ、新古今的なもにせよ、能衣裳のようなあらゆる修辞を、金箔の上にべたべた塗り込めるわけですが、そんなことをすればするほど、禅坊主の益体もない公案と同じレベルになってしまうわけですね。俺の美の理論は禅坊主などとは違う、という自負はあったかもしれませんが。
金閣寺の直系の継承者は安土城だと私は思っていますが、安土城は復元のしようがないという点が信長の凄いところで、義満を超えていますね。信長は金閣寺を見てる筈で、なんだこれしきのものか、是非に及ばず、とかなんとか呟いたのではないか(笑)。

ラスコーリニコフの婆さん殺しと比べれば、金閣寺は犯罪心理にはなっていないでしょうね。私は、カミュの「異邦人」が好きですが、ムルソーには犯罪心理すらないですね(笑)。

三島はとうぜん「源氏物語」を意識してると思いますが、「源氏」の柏木という青年は、内翻足の柏木ほどひねくれていないんですけれどね。なぜ柏木という名にしたのか、いまひとつぴんとこないです。

「金閣寺」の最後の一行は、もう書く前から決まっていたような感じで、落語のオチのような案配ですね。


市川崑『炎上』をみて 如月 - 2005/11/22(Tue) 14:47 No.1229  

市川崑監督の『炎上』(1958年)をビデオでみましたが、金閣寺が聚閣寺という寺になっているというだけでなく、全体の構造が三島の『金閣寺』とは全然違いますね。こちらは明確に「事件物」の作品とわりきって、聚閣寺放火の背景を探るみたいなかたちで話をすすめている。燃え上がる聚閣寺をみて、住職が「仏罰だ」というのも、それはそれで納得できます。
まあ、三島との一番大きな違いは、三島作品では金閣寺放火後、主人公は「生きる」決心をしたのに対し、映画では自殺してしまうということでしょうか。だから、三島とは全然違う印象の作品になってますね。
主人公の「どもり」の問題も、三島は、どもるということは意識と実際の言葉のあいだにズレがあることだとちょっとデリダみたいなことを書いているのですが(笑)、映画でみると、主人公は現象としてただどもっているばかりで、そうしたズレのようなものは感じられない。これは、エクリチュールと映像という手段の違いからくるもので、映像でそうした意識の内面を表現するのは難しいから、映画はその辺のところを表現することを断念しているようにとれますね。
それと『炎上』の脚本でちょっと気になるのは、原作の柏木が戸刈という名前にかえられているということ。これは誰に遠慮する必要もないから柏木そのままでよさそうなものですが(もう一人の友人は鶴川という名で、これは原作のまま)、なにか事情があったのでしょうか…。

   *    *    *

ところで、『金閣寺』に限らず、三島の小説の大半は結末を思いついてから書かれてるのではないかと思います。ですから、ラストはすごくかっこいいのだけれど、それにいたる描写に必然性がなくてつまらない。『春の雪』なんて、その最たるものじゃないですか。
その点からいうと、『金閣寺』も結末ははっきりしているわけで、ただこれが他の三島の作品と違うのは、導入部分がうまくいったために、結末(放火事件)とつりあいがとれなくなっているのではないかという気がします(つまり、放火という行為に必然性があるかということ)。
それと、三島の金閣寺讃美というのは、彼の鏡花趣味と通ずるような気はしますね。鏡花的に考えれば、枯れた禅寺よりも金閣寺の方が格段に美しいというのは、納得できます。


炎上のメイキング   如月さま。  - 2005/11/23(Wed) 03:07 No.1234  

炎の激しさ、白黒映像で追求  58年度作品<大覚寺境内>

「炎上」(1958年)は、私の映画人生の中で、一つのけじめともいえる
大切な作品である。映画作りとはこういうものか、ということが、この作品
でようやく少し掴めたような気がしたからだ。

原作はもちろん、三島由紀夫さんの「金閣寺」。当初、私は映画化に反対
だった。文学としては第一級の名作だが、絶対美の追求というテーマが
映画にするには観念的過ぎるし、三島さん独特の絢爛たる美文に引きず
られて、単調な視覚化になってしまうと思ったのである。
然し、三島さんが小説を書くために取材をされた制作ノートを読ませてもら
って、映画化の糸口を得た。

大学ノート4冊に鉛筆で、国宝を燃やした実在の若い僧侶の生い立ちや、
その家族のことや、それらを取り囲む暗い風土のことなどが、ビッシリと
書き込まれてあった。

これをベースにシナリオを書く事にした。
ある若者の青春の苦悩、コンプレックス,願望など、金閣寺を燃やすに至る
心情を客観的に描くことに作品のテーマを絞った。

シナリオが完成し、主演の若い僧侶に市川雷蔵君が決まり、着々と撮影準備
にかかっていたところ、思わぬところから「待った」がかかった。

金閣寺の老師が映画化をやめてほしいというのである。
会社を通じて、何度も交渉したがOKが出ないので、私は直接、老師に合う
ことにした。

晴れた日だったと思う。
池のほとりに金ぴかの金閣が陽光に輝いていた。
私が通されたのは、広い庫裡で、そこに老師と副司が待っていた。

「三島さんが書かれたのはあくまで小説であって、事実と相反していることが
多い。寺が燃えたのはわたしの罪だと思っているから、全国行脚をしたりも
した。そういう自分なりの事実を曲げられたくない。」と老師。

「では、本が出版された時、なぜ抗議しなかったのですか」と私が聞くと、
「小説として書かれるぶんには浸透力が弱いからいいが、映画は全国公開で
世間への影響も大きい。」と一歩も譲らない。

双方、粘りに粘った押し問答の末に、私が「題名を変えましょう」と咄嗟に
妥協案を出すと、老師は「それなら結構です」とアッサリ承諾した。

題名と共に、寺の名称も”驟閣寺(しゅうかくじ)”と変更した。
京都・大覚寺の大沢の池のほとりに驟閣の建物をロケ・セットで建てたが、
映像上の理由から、これを2層とした(本物の金閣は3層)。

内部は大映京都撮影所のセットである。
クライマックスで炎上する驟閣は、大覚寺に建てたものの3分の2くらいの
サイズで嵐山の河原に建て、燃やした。

小さなミニチュアで撮影すると、火力が弱くてリアリティーが出ないからである。
私は炎の色があかあかと出るとかえってつまらないと思い、会社の反対を押し
切ってモノクロで撮った。
白黒の美しさを追求したかった。

                        市川 崑     映画監督50人より
        






『みのもの月』における炎上 如月 - 2005/11/23(Wed) 11:27 No.1243  

海さん、市川崑監督のノオトのご紹介、ありがとうございます。
『炎上』に比較すると、映画『春の雪』(行定勲監督)は三島の原作に忠実な作品にみえてしまうから不思議です(笑)。
また、市川崑監督が『炎上』をモノクロで撮った理由も納得できます。

ところで、今朝ほど三島の短編『みのもの月』(新潮文庫『ラディゲの死』所収)を読んでいたところ、次のような文に遭遇し、『金閣寺』という小説を書くようになる芽は、『みのもの月』を書いていた昭和17年の時点ですでに三島の頭のなかにあり、あとは実際の金閣寺放火事件に接して、その芽をふくらませていったのではないかと思いました。そうした三島の資質からすれば、『金閣寺』という作品は、具体的な出来事について書いたものというより、やはり観念小説というべきでしょうね。上に引用した出口裕弘さんとの対談のなかで、澁澤さんが「時事的なものでも彼に扱わせると全部<寓話>になっちゃう」(前掲書、216頁)と発言しているのもわかるような気がします。

「君は艶にうつくしく荘厳されたみ寺がほのおにつつまれてもえおちようとするとき、もえ頽れるがままにまかせておくこそほんとうの法師の心ばえだとはおもわぬであろうか。」(新潮文庫版21頁)

社会的な関心というより、これはもう『徒然草』の世界の言葉のようですね。     


金泥寺 後鳥羽院 - 2005/11/26(Sat) 19:23 No.1299  

小太郎さんのホームページに、西園寺と金閣寺の詳しい来歴がありますが、当初は、現在のように金箔ではなく、金泥だったのですね。琳派の作品から想像しますと、金泥の金閣も枯れかじけて、かなりの風情があったのでしょうね。焼かれる前の金閣寺、見てみたかたですね。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/shigemori-kanto-rokuonji.htm


イマージュのなかの黄金信仰 如月 - 2005/11/28(Mon) 14:24 No.1332  

ご紹介いただいたページ、小太郎さんらしい丁寧で力のはいった要約ですね。
まあ、放火される前の金閣寺は、現在のように金ぴかとはいかなかったでしょうが(映画『炎上』の驟閣寺もそうとう痛んだ感じがする)、それでも黄金信仰みたいなものを喚起するに足りたのではないかという気はします。


サルトル『存在と無』 投稿者: 投稿日:2005/11/13(Sun) 18:06 No.1094   <Home>
唐突ですが、如月さんを始め、ここの方達は、サルトルの『存在と無』を読んだことがありますか? 私は、いま少しずつ読み始めたのですが、読まれた皆さんが、どのように評価したのか、少し興味があります。良かったら、感想など、お聞かせ下さい。


Re: サルトル『存在と無』 如月 - 2005/11/14(Mon) 00:30 No.1104  

自分の不勉強を暴露することになりますが、私は、サルトルは『存在と無』も『弁証法的理性批判』も読んだことがありません。
一番一所懸命に読んだのは『聖ジュネ』で、こちらは一度ならず読んだように思います。『嘔吐』も読んでいるはずなのですが、記憶が薄いですね。
あとはどなたか、バトンタッチお願いします。


Re: サルトル『存在と無』  - 2005/11/14(Mon) 01:43 No.1105  

私は、大昔に、サルトルと、ボーヴォワールについては、契約結婚だったという事を中心にまとめた事がありますが、それだけの記憶しか残っていません。(IQも低いので)

佐々木さん。哲学ブログの項目で、哲学ブログを見回すと、お話し相手に成れる方が、いらっしゃると思いますよ。
ブログランキングをググって、哲学を出すと、物凄い数のブログが出てきます。サルトルについては、詳しい方がいらっしゃると思いますが・・・・・



  


Re: サルトル『存在と無』  - 2005/11/14(Mon) 22:03 No.1115   <Home>

如月さん、海さん、おこたえ、ありがとうございます。

哲学ブログ、機会を見て、行ってみたいと思います。


Re: サルトル『存在と無』  - 2005/11/18(Fri) 21:44 No.1166   <Home>

> 『嘔吐』も読んでいるはずなのですが、記憶が薄いですね。

如月さんと同様ですね。『嘔吐』は私も読んでいますが、まったく内容が記憶に残っていません。


実は…  - 2005/11/20(Sun) 14:57 No.1199   <Home>

若い頃、三島由紀夫の『金閣寺』も読んでいるのですが、ほとんど記憶に残っていません。

単に、惚けが始まったのかも知れませんが…(笑)。


三島由紀夫『愛の渇き』を読む 投稿者:如月 投稿日:2005/11/13(Sun) 17:02 No.1093  
映画『春の雪』公開をきっかけに、このところ三島由紀夫の小説ばかり読んでいる(『仮面の告白』『禁色』『潮騒』『音楽』『春の雪』)。これらをとおした私なりの三島論は、いずれじっくり記してみたいと思っているが、今朝は『愛の渇き』を読み終えたので、とりあえず、この作品を中心に三島文学について感じていることの中間報告を試みてみよう。

『愛の渇き』は、『仮面の告白』を出版した翌年の昭和25年に発表された中編小説で、その翌年に大作『禁色』が執筆されている。
ストーリーは、大阪近郊の富豪の家におこる恋愛事件。家の主・弥吉には、謙輔、良輔、祐輔の三人の息子がいるが、長男の謙輔夫婦は弥吉の家に寄食、良輔は病死、祐輔は戦後シベリアに抑留されて戻ってきていない。悦子は次男・良輔の妻で、良輔没後、弥吉の家に身を寄せている。
さて、良輔の生前、悦子は夫に対する愛を感じないまま、夫の浮気に苦しめられる。弥吉の家では、舅・弥吉に求められるまま体を許すが、弥吉を愛しているわけではない。悦子の関心は、おのずから若くたくましい下男・三郎に向かうが、三郎に愛を告白するわけでもなく、三郎の行動を監視してはまた嫉妬に苦しめられるだけである。

さてこの三郎だが、三島は、無教育で野性的な自分好みの若者としてこれを造形している(『潮騒』の新治に近い設定)。そして三郎の魅力の一つは、そうした自分の魅力に気づいていないところにあるのだが、悦子の行動によって最終的に自分の魅力に気づかされる。しかしそれに気づいた三郎は、同時に、自分は誰も愛していない、誰をも愛さないということにも気づく。その部分の三島の描写は次のようなものである。
「この一見便利そうな合言葉(如月註:愛)は、彼には依然として、彼が行きあたりばったりに送って来た気楽な生活に余計な意味をつけ、また彼が今後送べき生活に余計な枠をはめこむ、何かしら剰余の概念としか思えなかった。この言葉が日用必需品として存在し、時と場合によってはこの言葉に生死も賭けられる、そういう生活の営まれる一室を彼は持たない。持たないばかりか、想像することさえ容易でない。ましてやそんな一室の持主の、その部屋を亡ぼすために家全体に火を放つような愚行のたぐいは、彼には笑止のいたりだったのである。
 若者が少女のそばにいた。その当然の成行として、三郎は美代に接吻した。交接した。そして美代の腹には子供が芽生えたのである。また何かしらんの成行によって、三郎は美代に飽きた。一そう子供らしい戯れはさかんになったが、少なくともそんな戯れは、相手が美代でなくても誰でもよかった。いや、飽きたといっては妥当を欠くかもしれない。美代が三郎にとって必ずしも美代であることを要しなくなったまでである。
 三郎は人間がいつでも誰かを愛さないなら必ず他の誰かを愛しており、誰かを愛しているなら必ず他の誰かを愛していないという論理に則って行動したことがたえてなかった。」(新潮文庫版、220〜1頁)

もとより、悦子とて特定の男を真剣に愛したことはない。誰をも愛さないまま身勝手な嫉妬にさいなまれていただけなのである。三郎への一方的な思いも、それが秘めたる思いであるから意味をもつのであって、その思いが明らかになった瞬間、三郎が悦子を愛するという保証はどこにもない。自己意識といったものをほとんどもたない三郎と、名門意識、インテリ意識で武装した悦子(おそらくは三島の分身)の精神世界のへだたりはあまりにも大きい。三郎に愛されたいという悦子の気持ちは、結局は自己愛を変形させたものにすぎないのである。

したがって『愛の渇き』は、恋愛小説に似てはいるものの、通常の意味での恋愛は少しも描かれていない。そしてこうした構造は、三島の小説のなかで最後までかわることがなかったのではないかと私は思っている。
たとえば、一見同性愛の恋愛小説にみせかけた『禁色』において、主人公の悠一はさまざまな男と肉体関係をもつが、それらの男に恋愛感情をもつことはない。『春の雪』の清顕も、自己意識ばかりが強く聡子を愛することができない男として造形されている。清顕の心理や行動は、幼さや環境によるというより、結局、三島的世界の人間という枠のなかで理解しなくてはならないのではないかと思う。

ところで、三島がサド侯爵の作品にひかれ、サドの翻訳者である澁澤龍彦と親交を結んでいたのは有名だが、三島がサド侯爵にひかれたのは、必ずしも三島にサディズム的傾向があったからということではなく、サド侯爵の作品がけして恋愛を描かなかったからではないかと、今、私は思っている。


11月25日 後鳥羽院 - 2005/11/13(Sun) 23:10 No.1100  

『大正天皇』(原武史:朝日選書)を読み、おどろきました。

「此日、正親町実正侍従長は御前に罷出て、摂政殿下に捧ぐべきを以て、御用の印籠(可、聞、覧の御印ある函)御下げを願ひたるに、流石に聖上には快く御渡しなく、一度は之れを拒ませられたりと漏れ承はる。洵に恐懼の至りなり。其の後間もなく、侍従武官御前に出でたるに、先程侍従長は此処に在り印を持ち去れり、と仰せありし由なり。何とも申し上ぐるに言葉を知らず」(250頁〜)

これは、大正天皇の「大権」が簒奪され、新執権(regent)が誕生する場面ですが、文字通り、権を執る、という感じです。
日記の記主は、大正天皇の侍従武官四竈(しかま)孝輔という人で、海軍省から宮内省に出向中の大佐です。どこかで聞いたことのある人だ、と思って調べたら、あの山本五十六の仲人をした人だったのですね。宮城県の加美郡色麻(しかま)町に四竈という字があり、どうも此処の出身のようです。

上記のような方法で、昭和天皇が regent(摂政)に就任した日は、1921(大正10)年の11月25日なんですね。長年疑問だったのですが、三島が腹を切ったは、この日に合わせたんじゃないか、と思いました。践祚や即位の日ではなく、なぜ摂政就任の日を選んだのか、あらたな疑問が残りますが。

以上のようなことを思いつつ、この本の第1刷発行の日をみると、2000年11月25日、とあって、なんとも意味深長です。

もうひとつ、おどろいたことがあります。
明宮(幼名)は、祖父の中山忠能のところに里子に出されますが、貞明皇后(実母ではない)は、病弱の明宮の健康を祈り、出雲大社からオオクニヌシの分霊とお守りを取り寄せ、中山邸内の神殿に安置させた、という記述です(31頁〜)。
皇祖神のアマテラスではなく、いわば敗者の出雲の服属神なんですね。これにはびっくりしました。著者はいろいろ理由を書いていますが、こんなことが本当に有り得たのだろうか、という感じがします。


2月26日 後鳥羽院 - 2005/11/13(Sun) 23:33 No.1101  

余勢を駆って、『対論 昭和天皇』(原武史、保阪正康:文春文庫)を読み、またおどろきました。

二・二六事件をめぐる秩父宮ミステリー(201頁〜)のところです。
当時、秩父宮は弘前の連隊にいた。二・二六の直後、東京に向かうのであるが、青森に出て東北本線で上野に行くのが一番早いのにもかかわらず、羽越・信越・上越線という迂回路を使う。そして、水上で、上野からやって来た平泉澄と合流し、約一時間半、密談をした。・・・
いろんな解釈が可能ですが、なんとも、きなくさい話ですね。


押込め 後鳥羽院 - 2005/11/13(Sun) 23:52 No.1103  

さらに余勢を駆って、『主君「押込」の構造』(笠谷和比古:平凡社選書)を読んでみましたが、草臥れたので、もう寝ます。
なんだか、悪夢にうなされるような気がしてきました(笑)。

「・・・後鳥羽は約一ヶ月間、四辻殿と鳥羽離宮に押込められていた・・では、何故後鳥羽は押込めの処分にとどまらず、配流にまで至ったのか」(今谷明『象徴天皇の発見』文春新書)
今谷さんの論理は、笠谷さんの押込理論を、平安末から中世まで度外れに外挿したもので、眠いから細かい理屈は省きますが、それはいくらなんでも無茶だよ、と思いました。


王権論 西東 如月 - 2005/11/14(Mon) 12:41 No.1109  

なかなか精力的ですね(笑)。
私の方は、『中世ヨーロッパの身分制議会』(A・R・マイヤーズ、刀水書房)を、院をはじめとするみなさんにお薦めしたいと思っておりましたが、このところ、私の思いが少しもそちらの方に向いてくれません(この本は、さほど大部のものではないのですが、ヨーロッパ<カトリック世界>において、議会とはどのような役割を果たす制度であったのかを概観して、すぐれたヨーロッパ王権論になっていると思います)。

今朝は、三島ツィクルス、『沈める滝』を読み終えました。途中までは三島らしからぬおもしろい小説と思っておりましたが、読み終えてみると、結局は、これもまた変な小説ですね。


西園寺公流 後鳥羽院 - 2005/11/14(Mon) 19:42 No.1112  

面白そうな本ですね。捜してみます。

私は、三島の中編では、『獣の戯れ』が好きだったですね。いちばん変な小説で、言語への憎悪があって、いいです(笑)。短編では、『真夏の死』が好きでしたね。戯曲では、『サド侯爵夫人』や『近代能楽集』をのぞけば、『癩王のテラス』が好きでしたね。
いちばん嫌いなのは、『金閣寺』でした(笑)。
完成度が高い作品は、『午後の曳航』でしょうか。

筆綾丸の友人に、西園寺公流というのがいて、ときどきお話をするのですが、彼の言うことには、小説(物語)という形式はもう滅んだ、とのことです。なお、公流は近流のもじりのようです。


金閣寺って… 如月 - 2005/11/15(Tue) 12:04 No.1123  

おやおや、こちらも読まなくてはいけない三島作品、また増えてしまいました(笑)。今、『金閣寺』を読んでいるのですが、そこでまず思うのは、金閣寺って果たして日本文化を代表するものなのかってことなのですね。公経にしても、義満にしてもかなり成金趣味で、金閣寺ってけっこう俗悪という気もするんです(笑)。だから、作品の前提についていきずらい…。

ところで、自分の趣味や嗜好を絶対だというつもりはありませんが、三島作品を通読してみて、なぜこれが戦後を代表する名作なのかは非常に疑問ですね。筆綾丸さんの友人と異なり、私は小説という形式は未だ有効ではないかと思いますが、三島だけ読んで、三島という現象について考えていると、小説の未来に悲観的にならざるをえません。
映画や思想についての私の考えと違って非常にコンサバだといわれるかもしれませんが、私が好きな20世紀の小説家は、トーマス・マンであり、ユルスナールであり、加賀乙彦なのです。


カリギュラのように 後鳥羽院 - 2005/11/16(Wed) 23:09 No.1136  

私は漱石とカミュが好きですね。筆綾丸は、あまり本は読まないのですが、定家と鏡花が好きのようです。西園寺公流は、何が好きなのか、よくわかりません。

ユルスナールですか。意外でした。

三島の「金閣寺」は嫌いですが、本物の金閣寺、私は好きなんですよ(笑)。しみったれた日本風土の中で、よくあれだけのものが生まれたな、と。


好き嫌いの話 如月 - 2005/11/17(Thu) 01:25 No.1137  

こちらこそ、院がカミュがお好きとは意外でした。『異邦人』だけでなく『ペスト』も昔読んだはずですが、記憶が薄れています。
ユルスナールは、『ハドリアヌス帝の回想』もいいですけど、私は『黒の過程』を偏愛しているのです。

明治以降の日本の近代小説は、どうも苦手です。私は、私小説というのが好きじゃないんです。このあたり、日本の近代小説は、西欧小説の悪しき点だけ学んでしまったのではないかという気がしています。漱石、鏡花あたりは、少しすくいがあるのですが…。
私の感じとしては、三島も、なんだかんだといって日本の近代小説の系譜につらなっているようで、結局、そのあたりが私はダメなんですね。


『パープル・バタフライ』ーーいぶし銀のような大人のドラマ 投稿者:如月 投稿日:2005/11/13(Sun) 11:59 No.1091  
このところ立て続けに自閉的な映画(『春の雪』『TAKESHIS'』)ばかり観たので、気分をかえて骨太な歴史ドラマを観ようと、また映画館に足を運んだ。そうして観たロウ・イエ監督の中仏合作映画『パープル・バタフライ』は、外に向かってなにかを伝えようという明確な意志をもった作品であるということ、そしてそれがおさえた描写で静かに表現されているということが心地よかった。
(12日、新宿武蔵野館で鑑賞。初日なので、上映前にこの映画に主演している仲村トオルのトークショーを聴くことができた。)

舞台は1920年代から30年代にかけての中国(満州、上海)。時代に引き裂かれる日本人・伊丹(仲村トオル)と中国人女性・ディン・ホエ(チャン・ツィイー)の使命観と愛の交錯がテーマのスケール大きな作品。
実際に作品を観るまで、ストーリー性の強い、大河ドラマ的な映画を予想していたのだが、日中の諜報合戦・暗殺合戦を描いて人物関係が複雑であるにもかかわらず、この映画、セリフが極めて少ない。自身で監督と脚本家を兼ねているロウ・イエの意図は、複雑な人間関係を細かく説明することではなくて、とある状況のなかに投げ込まれた男と女の行動を静かに描いていくところにあったようだ。この作品では、男と女の愛も憎しみも、そうした状況のなかから自然に立ち上がってくるように描かれていた。
この脚本の方針と関連して特筆すべきなのが、この映画の撮影だ。私がそれを強く意識させられたのは上海駅頭での銃撃シーンだが、カメラ(おそらくはハンド・カメラ)は、一つのホームから向かい側のホームに降り立った人間を延々と移し続け、その画面の揺れとカメラの焦点がなかなかさだまらないこと、そしてショットそのものの長さが、観る側の不安感と緊張感を高める(プログラムの解説によれば、この映画のなかで、撮影監督のワン・ユーは深度の浅いレンズを多用しているという)。
またカメラ・ワークとならんですばらしいのは、この映画の大半が雨のシーンであるということで、その濡れた感じが、この映画に、輪郭の曖昧な独特の雰囲気をプラスする。
戦争(抵抗運動)を描くという点からいっても、恋愛を描くという点からいっても、この映画、人間関係や心理を説明しだせばいくらでもそうした描写をつけ加えることができたと思うが、あえてそれを排したがゆえに、ストーリー上の細かな破綻を避けることができたと同時に、作品全体に普遍性が出た。
人間描写という点では、日本人諜報員・伊丹の心理や行動に「悪い日本人」のステレオタイプなイメージを押しつけず、冷静に描ききった点も評価できる。最期の瞬間に静かにタバコに火をつけようとする伊丹のダンディズムは、日本人以外がみても納得できる男の理想像ではないかと思う(作品全体をとおして、伊丹役の仲村トオルはおさえた演技がひかる)。
それでも、この作品の難点をあえて一つあげるとすると、主要登場人物がすべて死んだあとに回想として挿入されるディン・ホエと抵抗運動のリーダー・シエ・ミン(フェン・ヤンチェン)のラブ・シーンではないか。この映画のすべての人物関係は、ここにいたるまでに充分描き尽くされており、このシーンは明らかに余計だ。

ところで、日中の1920年代から30年代を描いた映画としては意外なことに、この映画は時代背景の説明にもあまり踏み込まない。もちろん、日本による中国侵略と中国側の抵抗運動は、それがこの映画の人間関係と直接からむだけに、最初から最後まで執拗に描かれるが、それを特定の歴史的事件と結び付けることを、この映画はしない。
それだけに、物語が終わり、伊丹とディン・ホエがともに死んだ後に、日本軍の南京侵略のドキュメント・フィルムが流される意味は大きい。われわれは、それを真摯に受けとめるべきであろう。

『パープル・バタフライ』公式サイト:http://www.purple-b.jp/


フランス各地で暴動 投稿者: 投稿日:2005/11/06(Sun) 17:30 No.1048   <Home>
大変なことになっているようですね。


Re: フランス各地で暴動 如月 - 2005/11/07(Mon) 13:25 No.1052  

新聞も読まない、テレビも原則みないという私は、昨日、大河ドラマ『義経』の前にたまたまみていたNHKニュースで事態の概要を知り驚きました。
ただ、フランスは日本からは考えられないほど移民を受け入れていますから、そのプロセスのなかで今回のような事態が生じることは、ある程度やむをえないことかとも思います(これを打ち込んでいる現在、その後の事態の展開を知らない)。
事態がよい方向で収拾されることを願っています。


Re: フランス各地で暴動  - 2005/11/07(Mon) 18:28 No.1059   <Home>

 突然おじゃまいたします。(Kobantoと申します。二度目ですけど・・。) 

 ご無沙汰しています。
 内藤明美さんのリサイタルの記事を拝見して、私のブログからリンクをさせていただきました。

 二月頃からブログを始めて、今はブログばっかりになっています。しょっちゅう描いていましたので、絵も少し「うまくなった」と言われるようになりました♪(それなりに)
 最近似顔に興味があって、次は「イライラしてるドビルバンさん」を描いてみようかと思っていますが、なんだか気の毒なような気もします。ドイツで模倣犯の犯行らしき事件があったとか・・・。本当に、早く穏やかに収集されるといいですね。


内藤明美さんのリサイタル 投稿者:如月 投稿日:2005/11/06(Sun) 13:18 No.1045  
私の大好きなメゾソプラノ内藤明美さんが、11月11日(金)、東京オペラシティ・リサイタルホールでひさびさにコンサートを開く。
曲目は、ブラームス(1833-97)「セレナード」「ひばりの歌」「昔の恋」歌曲集「ジプシーの歌」他、ベルク(1885-1935)「四つの歌曲」、エベン(1929- )「六つの中世の歌」という非常に凝ったもの。なかでも、チェコの作曲家ペトル・エベンの歌曲は、内藤さんでなければ、まず歌われることがないといっていいだろう。
内藤さんは長崎県出身。国内ではお茶の水女子大、東京芸大で音楽を学び、1984年に渡独して、シュトゥットガルト音楽大学でリートとオペラを学んでいる。1985年ブラームス国際コンクール声楽部門、1986年セルトゲンボッシュ国際声楽コンクール入賞の経験をもつ。
歌手としての内藤さんの魅力は、なんといってもその天性のふくよかな声なのだが、声のいい歌手がおうおにして自分の声におぼれて美しく歌うということを超えることがほとんどないのに対し、けして声におぼれないということが、内藤さんのさらなる魅力をつくっている。
また内藤さんは、メゾソプラノのありきたりのレパートリーに満足せず、歌唱困難な現代歌曲にも次々と挑戦しているのだが、普通であれば単なる知的アプローチに終わってしまう現代歌曲の歌唱が、内藤さんの声で歌われると、肉感をそなえた説得力のある曲にきこえてくるからふしぎだ。
声と知性の二つを兼ね備えた内藤さんは、日本における希有のメゾソプラノといっていいだろう。
ピアノは平島誠也さん。チケット料金は\4,000(全席自由)。開演は19:00。|
内藤さんのリサイタルについての詳しい問い合わせ、チケットの申し込みは、日本声楽家協会(TEL=03-3821-5166)まで。

参考サイト:Petr Eben
http://www.musica.cz/eben/


サド侯爵夫人 後鳥羽院 - 2005/11/06(Sun) 16:20 No.1047  

昨日、筆綾丸君と、根津美術館で「光琳展」を見て、青山墓地を散歩して、表参道から銀座線で上野に行き、東博で「北斎展」を見ました。
両天才の画業に圧倒され、お茶をしていると、東博本館で、三島の「サド侯爵夫人」をやるというので、見てきました。
澁澤の「サド侯爵伝」から、あれほど華麗な戯曲を書いてしまう才能は、おどろくばかりです。
モントルイユ侯爵夫人を演じたのは、宝塚出身の剣幸という女性でしたが、あまりに見事な演技なので、しびれました。ルネ役の新妻聖子という人もよかったのですが。
綾倉聡子がフランス革命前夜に生まれていれば、ルネになるな、と思いました。ルネの最後のトドメの言葉は、尼門跡聡子のトドメの言葉と、いわば一卵性双生児ですね。
衣裳を担当したコシノジュンコさんが来ていました。


Re: 内藤明美さんのリサイタル  - 2005/11/06(Sun) 21:05 No.1049  

お知らせありがとうございます。
声楽家になれなかった友人と、行く予定です。


芸術の晩秋 如月 - 2005/11/07(Mon) 13:28 No.1053  

『サド侯爵夫人』は、昔一度舞台でみただけですので、今度本の方を読み返してみたいと思っています。

海さん、内藤さんの演奏、楽しんで頂ければ私もうれしいです。


Re: 内藤明美さんのリサイタル  - 2005/11/12(Sat) 03:06 No.1078  

声楽家の誰もがそうであるように、内藤さんの声は、一つ一つの言葉という単位を、大切に表現されていてそれが、歌という大きな物に組まれているのだと思いました。
<きれいな歌声>と言う表現ではなくて、<魂を伝える歌い手>と表現したいです。


筆綾丸様に、  - 2005/11/12(Sat) 03:30 No.1080  

昨日、根津美術館に行きましたが、休みでがっかりしました。
筆綾丸様は、絵画がご専門と聞きましたので、伺いたいのですが、なぜルーブル美術館などでは、摸写が許可されているのに、
日本ではどこでも、ダメなのでしょうか?
とても、不思議に思います。
また、ヨーロッパの寺のように、例えば、根津美術館に於いても、ラフな服装というのは、相応しくないのでしょうか?
物事は、形から入った方が良い場合もありますので、考えてしまいます。ちなみに昨日は、ラフな格好ではありませんでしたが・・・


内覧という宮廷用語 筆綾丸 - 2005/11/13(Sun) 20:05 No.1098  

海様。
展覧会には内覧という制度があって、昔の摂関政治の用語を借用したもので、この場合は「正装」が望ましいようですが、それ以外であれば、普段着で充分です。
内覧というと偉そうですが、フランスでは vernissage といいまして、これは vernis(ニス)に由来する言葉で、一般公開の直前に画家がニスを塗って作品を完成させることを言います。ただそれだけのことなんですが、日本では勿体ぶって内覧とかいうのです。内覧に皇族が招待されることもあり、たとえば、天皇皇后が内覧によばれるのは、「天皇制」からすると、明らかに語義矛盾になりますが、主催者はボーっとしていて、この矛盾には気づいていないようです(笑)。私はたまに主の後鳥羽院と「内覧」に行くことがありますが、これはもう矛盾を超越して、ひとつの戯画ですね。
内覧ですら vernissage に過ぎませんから、美術館など、ラフな服装でよいのです。
模写の問題は、私もよくわかりませんが、明治政府が西洋コンプレックスから、政府主導の「美術」とか「絵画」とか、妙なことを言い出したものですから、美術家や画家や美術史家たちが何か勘違いしてる、という可能性がありますね。


筆綾丸様に、  - 2005/11/13(Sun) 21:27 No.1099  

>これはもう矛盾を超越して、ひとつの戯画ですね。

この表現、気に入りました。
ご説明、ありがとうございました。
それでは、私は気軽に観に行きたいと思います。
<絵画>の世界は内向的な世界を感じてしまい、奥が深いので、
難しいです。


筆綾丸様に、  - 2005/11/17(Thu) 22:05 No.1146  

筆綾丸様、国宝の展示期間の短い事には、驚くのですが、
多くの人に見せるべき国宝を、如何して日本では、短期間の展示で終わらせてしまうのでしょうか。作品の老化を考えての事だとは思いますが、矛盾するとも思うのです。
教えて頂けないでしょうか?


新実証主義 投稿者:筆綾丸 投稿日:2005/11/04(Fri) 22:39 No.1040  
じつに久しぶりに、「春の雪」を読み直していますが、笑い転げています。この徹底的に喜劇的な文体は何なのだろう?

治憲王と聡子の結婚の内意について、大正2年、宮内省に伺いを立てますが、このときの宮内大臣は誰だろう、と調べてみました。内務省出身の子爵で、渡辺千秋(1910〜1914在職)という人でした。この大臣は、翌大正3年、美作国真庭郡新庄村に、流罪の時の通り道だったので、後鳥羽院の歌碑を建立したそうです。うーん、けなげな奴だ。

「綾倉聡子の家は羽林家廿八家の一で、藤家蹴鞠の祖といわれる難波頼輔に源を発し、頼経の家から分れて二十七代目に、侍従となって東京へ移り・・・」(新潮文庫29頁)
藤原頼輔(1112〜1186)を調べてみると、豊後国の知行国司で鼻が大きかったので、鼻豊後と綽名され、悪左府頼長の男色相手と刃傷沙汰に及び、保元の乱のときは崇徳院側に加担して冷飯を食い・・・と、なかなかにぎやかな経歴の持ち主で、
恋ひ死なん命はなほもをしきかな
             同じ世にあるかひはなけれど(新古今)
恋ひ死なば世のはかなきに言ひおきて
             なきあとまでも人に知られず(千載)
などという歌を詠んでいるのですね。
綾倉聡子の700年前の遠祖は、こんな奴だったのか、とがっかりしました(笑)。
頼輔の息が頼経で、頼経の息の一人が飛鳥井雅経で、これは後鳥羽院の蹴鞠の師匠ですが、もう一人の息が難波宗長で、これが綾倉家の祖先のようですね。
宗長は、実朝が暗殺されたときの行列に刑部卿三位宗長として、吾妻鏡(1219)に出てきます。つまり、聡子の先祖は、春の雪の下の惨殺の現場に居合わせていることになりますね。これには、かなり驚きました。
とともに、この難波家の家紋が牡丹とのことで、さらに驚きました。映画で、聡子が着ていた和服の絵柄は牡丹に蝶でしたね。

法相宗月修寺のモデルになった奈良の円照寺は、こちら。
http://urano.org/kankou/kitayama/kitaya6.html

綾倉聡子の晩年の姿は、こちら。
http://www.asahi.co.jp/rekishi/04-08-05/01.htm

松枝侯爵に一番近いあの時代の薩摩出身の侯爵は、西郷どんの実弟、西郷従道でしょうか。

大正2年の春、東京に雪は降ったのかな?
気象庁に問い合わせればわかると思いますが、雪が降っていないと面白いですね。そのほうが、いかにも三島らしい気がします。


Re: 新実証主義 筆綾丸 - 2005/11/04(Fri) 23:04 No.1042  

「藤原忠通の法性寺流に流れを発する古い和様の書を、能書の伯爵は熱心に教えてくれたが、あるとき習字に飽きた二人を興がらせようとして、巻物に小倉百人一首を一首ずつ交互に書かせてくれたのが残っている。源重之の「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物をおもふころかな」という一首を清顕が書くと、そのかたわらに、大中臣能宣の「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつ物をこそ思へ」という一首を、聡子が書いている」(204頁)

二人が習った法性寺流は、こちら。
http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=5&ID=w030&SubID=s000


Re: 新実証主義 筆綾丸 - 2005/11/04(Fri) 23:31 No.1043  

「月修寺は、尼寺にはめずらしい法相宗の寺で」(41頁)
「それは十八世紀のはじめごろに建てられた比較的新しい寺で、第百十三代東山天皇の女御子が、若くして崩御したもうた父帝のみあとを偲び、・・・唯識論に興味を持たれて、次第に法相の教義に深く帰依し、・・・月修寺の開山になられたのであった」(43頁)

法相宗の鎌倉時代のアジテーターは、こちら。
http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/joukei.html


法相宗的な蝶 筆綾丸 - 2005/11/06(Sun) 16:04 No.1046  

法相宗月修寺の根本法典は、唯識の開祖世親菩薩の「唯識三十頌」であるが、唯識教義は、縁起について頼耶縁起説をとり、その根本をなすものが阿頼耶識である。・・・阿頼耶識の変転常ならぬ姿から、無着の「摂大乗論」は、時間に関する独特の縁起説を展開した。阿頼耶識と染汚法の同時更互因果と呼ばれるものがそれである。唯識説は現在の一刹那だけ諸法(それは実は識に他ならない)は存在して、一刹那をすぎれば滅して無となると考えている。因果同時とは、阿頼耶識と染汚法が現在の一刹那に同時に存在して、それが互いに因となり果となるということであり、この一刹那をすぎれば双方共に無になるが、次の刹那にはまた阿頼耶識と染汚法とが新たに生じ、それが更互に因となり果となる。存在者(阿頼耶識と染汚法)が刹那毎に滅することによって、時間がここに成立している。刹那々々に断絶し滅することによって、時間という連続的なものが成立っているさまは、点と線との関係にたとえられるであろう・・・(新潮文庫版「春の雪」462頁〜)。

映画のラストシーンで、二匹の蝶が連れ舞う姿は、阿頼耶識と染汚法の同時更互因果の象徴だな、と考えると、行定監督の哲学的な映像処理は、お見事ということになりますね。この監督、たいへん理知的な人ですね。
現代の量子力学には、素粒子の対発生と対消滅の同時性という概念がありますが、概念としてみれば、なんだ、無着の思惟と同じか、ということになりますね。このへんが、言葉の限界なのだろう、存在者の限界ではなく、おそらく、言語の限界なのだ、と感じました。


華厳的法相 如月 - 2005/11/07(Mon) 15:28 No.1057  

筆綾丸さん、いろいろ調査していただきありがとうございます。特に、月修寺のモデルとなった寺のことは、院の書き込みを読んでから気になっておりましたから。

ただ、『春の雪』のなかで、三島は法相だの阿頼耶識だのさかんに強調してますけど、たとえば冒頭で月修寺門跡が語る法話(元暁のエピソード、新潮文庫版41頁)は、華厳のものなんですね。華厳のなかには唯識教学が流れ込んでいますから、このエピソードは華厳のなかの唯識的なものなんだと言ってしまえばそれですむんでしょうけど。


 筆綾丸 - 2005/11/08(Tue) 21:23 No.1063  

「昭和天皇の妹君」(河原敏明著:文春文庫)を読んでみました。
三笠宮の双子(?)といわれた円照寺門跡の山本静山さんのことですが、三島も登場します。宮中の闇の領域・・・三島が、円照寺をモデルにしたのは、やはり深い意味があるような気がしてなりません。


傍例の亡霊 投稿者:後鳥羽院 投稿日:2005/10/29(Sat) 16:30 No.998  
さきほど、喫茶店で暇潰しに、「自民党新憲法草案」を眺めてみました。

第九条の二「・・・内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」
言葉で明記すると、なかなか強烈です。これは、内閣総理大臣が最前線で戦う、という意味ではないのでしょうね(笑)。

第七十六条3項「軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」
どういう特別法を作るのか知りませんが、これも強烈です。この軍事法廷は非公開になるんでしょうか。

・・・ざっと読んで、代わり映えのしない草案ですが、前文には呆れました。現憲法の前文は、まあ、気持ちの悪くなるような名文(?)で、対句と修辞に凝った文ですが、草案には、そんなものは何もないですね。前文なんて、もとより法的な拘束力なんてないのだから、美辞麗句を連ねた枕詞にすればいいんですよ、たとえば平家物語の祇園精舎のように。
「・・・国民主権・・・の基本原則は、不変の価値として継承する。日本国民は、帰属する国や社会・・・」
とありますが、国民に主権があるのなら国民は国に帰属しない、と私などは思いますが、この論理(の如きもの)がわかりません。これを英訳したら、英語圏の人は?と思うんじゃないかな。
「・・・帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し・・・」
こんなこと、いまどき、小学生でも恥ずかしくっていえないような気がします。
「日本国民は、・・・自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす」
これが末文ですが、こういうことはウルトラマンのお仕事であって、日本国民がしゃしゃり出る問題ではないんではないか、と感じます。地球は、物理的にみればもっとクールであって、人間のことなど別に考えちゃいないですよ。人間は、たまたま地球上に住まわせてもらっているだけなんですけれどね。
いずれにせよ、おそろしく格調の低い前文で、こんな程度のものなら、ないほうがいいような気がしました。


水無瀬離宮 筆綾丸 - 2005/10/29(Sat) 22:20 No.1001  

こんなところに書くのはなんですが。
先週の日曜日、水無瀬神宮で後鳥羽院と待ち合わせをして、京都競馬場に菊花賞を見に行ってきました。
見渡せば山もとかすむ水無瀬川・・・あ、これは春の歌でしたね、などと言いながら。
13万を超える観衆に混じって、双眼鏡で見ました、ディープインパクトが駆け抜ける姿を。上がり3ハロンの美しさは、この世のものとは思えませんでしたね。
ふと傍らを見ると、おどろいたことに、後鳥羽院の目から涙が流れてました。
「院はいいですね、京都競馬場が近くて。俺なんか、これから、生きていても、この馬以上の馬には出会えないような気がします」
と言いましたら、
「なに、おまえも死ねば、水無瀬神宮に入れてやる。そうすれば、毎年、菊花賞を見に来られるさ」
・・・それにしても、あの馬はもう伝説ですね。

草案ですが、上皇の規定は、相変わらず、ないんですね(笑)。
「退位した天皇は、ときどき、国事行為を行うことができる」
というような。そうなれば、日本の歴史上、院に関するはじめての明文規定になるのになあ。


規定された「院政」 如月 - 2005/11/01(Tue) 11:41 No.1017  

「自民党新憲法草案」なるものを読んでいないためRESがすっかり遅れてしまいましたが、院の国事行為を明文規定してしまったら、「院政」にならないのでは(笑)。


摂政? 後鳥羽院 - 2005/11/01(Tue) 15:12 No.1018  

筆綾丸君の専門は絵画で、歴史や法をよく知らないものですから、私に免じて許してやってください(笑)。院政が不気味なほど優れているのは無根拠だからであって、無根拠だから万能にもなれれば、島流しにもされるし、極論ですが、殺されても文句は言えなくなるのですね。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

皇統が大覚寺党と持明院党に分裂し、義満が一応合体させましたが、崇徳院の歌は、後世を予見していたのかもしれませんね。持明院党が大覚寺党を吸収合併して御同慶の至りだ、と。定家がこの歌を撰んだのは、皇位継承争いを皮肉ったのかもしれません。

いままで見落としていたのですが、現憲法第一章の「摂政」の規定、あれ、変ですね。参考までに英訳を見ますと、regency(regent)となっています。天皇には国政に関する権能がなく、内閣の助言と承認による限られた国事行為しかできないわけですから、「摂政」なんて、論理的に有り得なくなりますね。自民党の草案も、「摂政」という用語を使ってますが、これは「代理」で充分です。GHQの優秀な連中が、なぜ、regency(regent)などという用語を使ったのだろう、法理上、語義矛盾は明白なのに。


執権としてのregent 如月 - 2005/11/02(Wed) 09:49 No.1024  

はい、院の近臣の言動とあれば、とりあえず、なんでもお許ししましょう(笑)。
ところで、regentですが、英語・フランス語の定訳では、摂政だけでなく、鎌倉幕府の執権もregentなんですね。おそらく、憲法執筆者は執権のことまでは考えていなかったと思いますが、日本には、歴史的に「摂政」とは別の「執権」としてのregentという存在もあったという視点からすると、憲法規定はまったく違った風に読めてきますね。


上位法 筆綾丸 - 2005/11/02(Wed) 20:40 No.1029  

筆綾丸です。
ちょっと悔しいので(笑)、大日本帝国憲法を読んでみました。
第一条「大日本帝国ハ・・・天皇之ヲ統治ス」
第四条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ・・・」
第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」
と色々あり、摂政として、
第十七条「・・・摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ」
とあるので、これなら、論理的に「摂政」となり、整合性があります。regentと英訳してもおかしくありません。しかし、現行憲法は明治憲法のような構造になっていないので、「摂政」はありえないですね。
現行の皇室典範をみると、第三章に摂政の規定があり、これに拘束されて憲法の摂政の規定ができたのだな、と思われます。GHQの原案は代理くらいになっていたのでしょうが、猛烈な反発に合い、矛盾は承知で譲歩したのかもしれません。摂政の用語だけみると、皇室典範が憲法の上位法だったような感じですね。


不良と執権 鈴木小太郎 - 2005/11/04(Fri) 20:28 No.1039  

不良の髪型の「リーゼント」も regent なんですね。
少し考察してみました。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs


男の流行は倫敦から? 如月 - 2005/11/07(Mon) 13:31 No.1054  

小太郎さん、調査ありがとうございます。
ロンドンの通りというのは、背広の語源になっているだけでなく髪型の語源にもなっているのですね。
ただそれがどちらも男子用といところが、パリじゃなくてロンドンらしいというところでしょうか(笑)。


小説『春の雪』ーー意識の単純化に違和感  投稿者:如月 投稿日:2005/10/29(Sat) 12:21 No.995  
映画『春の雪』公開にあわせて、その原作である三島由紀夫の小説『春の雪』を読んだ。はじめに書いておくと、私は三島の小説が好きではない。今まで、何冊か読んではいるが、好き・嫌いでいえば、むしろ嫌いな作品が多い。たとえば『仮面の告白』は、そうした嫌いな小説の代表のようなものだ。人間図式が、「わかる・わからない」ということであまりにも単純化されすぎているような気がするのだ。『春の雪』がその第一部をなす『豊穣の海』も、数年前に一度全体をとおして読んでいるのだが、けして好きにはなれなかった。

さて『春の雪』。三島は主人公・松枝清顕の行動を描写するときに、その行動の背景にある心理を事細かに書き込んでいるのだが、今回この作品を読んで、何よりもまずその三島的な心理描写に、私は強い抵抗を感じた。つまり、三島のように登場人物の心理を細かく規定してしまうと、ほんらい潜在的であるはずの意識が、清顕自身に、あるいは友人の本多や聡子、蓼科に自明の意識であるように映じているのではないかと思えてくるのだ。
おそらく、『春の雪』を書いていた三島にとっては、意識・無意識とは、単に気づく・気づかないという相違でしかなかったのではないか。それと気づいてしまえば、無意識は顕在的な意識となる。そうした明確な「意識」が、登場人物の行動を決定していく。たとえば映画『メゾン・ド・ヒミコ』の分析で指摘したような意識の多面性への配慮、一つの行動の背景に無限の意識が同時に反映されているというような捉え方、三島からは感じられない。

作品の途中まで清顕と聡子の「意識」の産物であるかのように語られていた恋物語が、実はすべて蓼科の思惑通りに進んでいたのであり、清顕の「意識」も、聡子の「意識」も、蓼科に操られていたとするようなストーリー展開も、謎解きとしてはおもしろいのだが、これまた、人間の意識や行動を、あまりにも単純化しているような印象を受ける。
作品全体の構造を私のように理解すると、この作品のなかで、清顕と聡子の「意識」が周囲から解放された独自のものとして展開するのは、読者に蓼科の思惑が明らかにされた以降ということになるが、それにしては前段の疑似恋物語が長すぎる(蓼科の思惑がなければ、『春の雪』の前半部は「不可能な恋」への賭けの物語、あるいは「郵便的恋愛」の物語として読むことができる)。

原作が好きではないので、実際のところ、私は行定勲の映画『春の雪』にほとんど何も期待していない。ただ、何も期待していないので、その分、映画としてはおもしろくみれるのではないかという変な期待はある。三島が描写している登場人物の心理をすべて説明するとなると、この映画はナレーションだらけになってしまうと思うが、そういうわけにもいきますまい。
さていかなることにあいなりますやら…。


Re: 小説『春の雪』ーー意識の単純化に違和感  後鳥羽院 - 2005/10/29(Sat) 15:53 No.997  

今日の夕方、見に行こうと思っているんですよ(笑)。

三島という人は、特に晩年、俺には無意識なんてない、と豪語して、フロイト流の精神分析を否定してましたから、すべて「意識」で解明できる、という自負が強かったかもしれませんね。
また、三島は学生の頃に影響を受けたものとして、団藤重光の刑事訴訟法をあげていますが、要するに形式が好きなんですね。
「無意識」のように、定義からして不定形なものは苦手だったのでしょう。それと、よく思うのですが、三島は、「意識」や「心理」はア・プリオリにあるものではなく、もしあるとすれば、それは「言葉」でしかない、ならば、この俺が言葉で心理を作って見せよう、心理が人間にとってア・プリオリであるかのように人々を錯覚させるために、と思っていたような気がします。
「豊饒の海」の一番面白い所は、最期の「天人五衰」で、老尼の聡子が、奈良の門跡寺院の月照寺を尋ね昔語りをする老本多に、何も知らない、とトドメを刺す場面じゃないか、という気がします。あれは、「言葉」が敗北する象徴的なシーンで、あそこまでゆくと、もう生きていてもしょうがねえや、となって自殺するしかねえだろうな、作家としてちゃんとケリをつけてるような気がするんですね。
いくつになっても、同じようなものばかり書いてる作家や学者がいるじゃないですか、もう書かなくともいい、言いたいことはわかってるよ、というような人が(笑)。
人間は、まあ、どう死ぬわけだから、自殺しようが天寿を全うしようが、個人の自由であって、どっちでもいいんですけれどもね。
私は竹内結子のファンなので、彼女がどんな聡子を演ずるのだろう、という点に興味があるのです。後鳥羽の後宮にこういう人はいたかな、と(笑)。

全数学の公理化というヒルベルトのプログラムが、ゲーデルの不完全性定理で粉砕されたのは1931年でしたが、聡子の最後の言葉は、不完全性定理のようで、私なんかにはとても面白いのです。三島が不完全性定理を知っていたとは思えませんが。


映画『春の雪』 第一報 如月 - 2005/10/29(Sat) 16:49 No.999  

映画『春の雪』、「郵便的」シーンでマーラー第五交響曲のアダージョが流れたのにはびっくり。あれ、ヴィスコンティへのオマージュでしょうか…?
三島ファンはおこるかもしれないけれど、この映画の自由な脚色、私は大賛成です。問題の蓼科の思惑の扱いも、映画ではああ処理するしかないと思う。
詳しい感想は追って。


春雨だ、濡れて行こう・・・ 後鳥羽院 - 2005/10/29(Sat) 21:11 No.1000  

いま、見てきました。
マーラーのアダージョは、「ヴェニスに死す」で流れてましたから、ヴィスコンティとトーマス・マンが好きだった三島への挨拶なんでしょうね。聞きながら、大正元年に、マーラーのあの曲を、ああいう形で聴くことは可能だったろうか、とつまらぬ「考証」をしてました。
月修寺(月照寺ではなく)のモデルになった奈良の門跡寺院は、むかし、尋ねたことがありますが、参道とはいえ、よく許可してくれましたね。大正時代、「出家」にあれほど重い意味があったでしょうかね。いろんな出家僧をみてると、嘘なんじゃないか、と思えるのですが。
率直な感想を言いますと、僭越ですが、まあこんなものかな、と思いました。「蝉しぐれ」のほうがずっと良かったな。三島の作品は、ケレン味たっぷりですから、もっとケレン味をだしたほうがよかったように思います。この映画には泉鏡花風の味付けがしてあるように感じましたが、これも鏡花が好きだった三島へのオマージュでしょうか。
「春の雪」は、要するに、天皇制の賛美になるのでしょうね。二人の恋の禁制として勅許があるわけですが、この勅許が絶対なものであればあるほど、二人の恋は悲劇的になるわけですね。フランスのブルボン王朝のように革命で簡単に滅ぶものなら、悲劇はすぐ喜劇に反転しますから。なんだかなあ、と思って見てました。もっとはっきり言ってしまえば、美的な系図ごっこ、にすぎないわけですね。
最後の字幕を見ていて、企画の一人として、三島威一郎という名がありましたが、三島の息子さんですね、たぶん。
百人一首の崇徳院の歌が重要な役で使われていましたが、あれはやめて欲しかったな。あれじゃ、「春の雪」が恨みがましい春雨になってしまいます。やれやれ、と崇徳院も苦笑しているでしょうね。


Re: 小説『春の雪』ーー意識の単純化に違和感  sea - 2005/10/30(Sun) 03:22 No.1004  

はっきり言って、映画としては「蝉しぐれ」の方が良いです。
ただ、導入されている映画や、風景は良かったと思う。
重く考えると、ドンドン複雑な映画になるので、この程度で十分だったと思います。


三島に負けた?映画『春の雪』 如月 - 2005/10/30(Sun) 15:58 No.1005  

映画『春の雪』、院の仰せのように鏡花的な視覚効果を狙ったということはあるかもしれませんね。
う〜む、院とseaさんご推薦の『蝉しぐれ』はやはり必見かな…。藤沢周平さんは、私の母校の大先輩だし、だいいち、あの映画、藤沢周平と私の故郷である庄内地方でロケしてますからね。
以下、つたない感想記しておきます。

   *    *    *

10月29日、六本木のVIRGIN TOHOで行定勲監督の映画『春の雪』を初日に観た。
いわずと知れた三島由紀夫の小説『春の雪』の映画化だが、自由な脚色が、前半は成功し、後半は乱れたという印象をうけた。

三島の小説、松枝清顕と朝倉聡子の恋物語だが、その恋は、小説を読み進んでいくにしたがって、@幼い頃からの憧憬が深化したもの(清顕からする聡子へのあこがれと反発)、A聡子と洞院宮治典王との婚約が内定するという状況変化からくる禁じられたものへの挑戦、B聡子の父である朝倉伯爵の松枝侯爵に対する秘められた反感からくる倒錯的な復讐劇(朝倉伯爵の意をくんだ聡子付の女官・蓼科の思惑)と様相を変化させていくように描かれている。
私は、この構造、なかでもBの復讐劇の部分が@Aの説明や描写を無化しているようで、三島の小説のストーリー展開に納得できないのだが、映画ではこの種明かし的な部分を冒頭におき、複雑な謎解きゲームとしての『春の雪』に肩すかしをくわせた。この意表をついた、しかしながらこれ以外には考えようのない見事な脚色にあっけにとられた私は、いっぺんで映画に引きつけられてしまった。映画は続いて、小説にはない幼い清顕と聡子が百人一首をして遊ぶ回想シーンに変わるが、このシーンを創造して清顕と聡子の関係を象徴させたのもみごとだと思った。
ところで、小説『春の雪』は、清顕の心理をくどいほど細かく書き込んでいるのだが、時間的にも表現の特性からいっても、そうした構造をそのまま取り入れることが不可能な映画というジャンルでは、原作を思い切って削ると同時に、削ったものを補うセリフやシーンを挿入しなくてはならない。それが、転生を象徴する蝶の飛遊、聡子の棺、清顕の夢などとして描かれ、多少しつこくはあるが、三島独特の説明過多から逃れていると思った。清顕の友達・本多に小説にはないさまざまなセリフを割り振って、彼を説明役に使った部分もうまい。
ただ、原作のBを作品の背景に退けてしまった(見方によっては、プロローグにおかれたために、作品全体におけるBの比重は大きくなっているともいえる)分だけ、清顕の恋の理由付け(@とA)の矛盾は拡大してしまう。これは映画の罪ではないのだが、要するに、『春の雪』という小説は、一見ラブストーリーのようでありながら、清顕がなぜ聡子を愛するかという肝心な点が少しも描かれていない(この矛盾を解決するため、三島はBを挿入して、この話を無理やりラブストーリーではなくしてしまった?)。『メゾン・ド・ヒミコ』を論ずるに際して、芸術作品のもつ多面性を擁護した私の言説からすると、この批判は首尾一環していないと受けとめる方もあるかと思うが、『春の雪』に関して言えば、@ABは互いに退けあう面をもっており、複合的、多面的であってはならないのだ(単純化していえば、『メゾン・ド・ヒミコ』のなかで沙織の行動や心理が複雑なのは、父への思い、母への思い、春彦への思いが同時に重なるからだが、『春の雪』の@ABは、すべて清顕の聡子への思いの説明である)。
したがって、あえて言えば、三島の原作の観念小説としてのおもしろさは、蓼科の思惑(朝倉伯爵の復讐の意志)が読者に明らかになってからの、清顕と聡子の思いのゆくえにあるともいえるのだが、映画は、これをもラブストーリーの流れのなかで処理しようとするため、後半、矛盾だらけの陳腐な物語に堕してしまった。
こうした点から、映画のなかで私が違和感を感じたのは、まず、朝倉家と松枝家の秘密会議への聡子の登場、そして、新橋駅での別れのもつ意味の違い(映画は完全なメロドラマ)、清顕が月修寺に行くための資金調達方法(映画は遺族年金の窃盗、原作では本多から金を借りる)、そして何より、月修寺に行く前から清顕は風邪気味であり、たまたまその風邪をこじらせたために死んだともとれるようなラストにいたる描写である。
なかでも清顕の死は、宿命との絶望的な戦いに賭け、その戦いが敗色濃くなるなかで病を得るという小説の設定の方が壮絶である。またそれでこそ、清顕の行動に対応するものとしての聡子の出家が重みを増す(したがって、聡子は朝倉家と松枝家の会議には出席せず、その決定だけを受け入れたとする原作の方が、動かし難いものの存在を感じさせる)。

私は、なにも三島作品を神聖視するものではないし、小説を映画化する際にその脚色は自由であっていいと思うが、映画『春の雪』は、その自由が奔放に流れて、いわば等身大のラブストーリーへと通俗化してしまったのが残念だ。


六本木で『春の雪』を観ること 如月 - 2005/10/30(Sun) 16:05 No.1006  

ちなみに、今回、私は時間がなくて寓居から一番近い六本木ヒルズ内の映画館で『春の雪』を観たのですが、六本木〜麻布は、『春の雪』の舞台そのものですから、後から考えると六本木ヒルズで『春の雪』を観るということは、「宿命」とまではいえないまでも、なにがしかの縁があったかなとも考えています。
最初に小説『春の雪』を読んだとき、清顕と聡子は、寓居の目と鼻の先で逢瀬を重ねていたのだなと思っていたものですが、映画のセットは、そんな私の夢想をみごとにうちやぶってくれました(笑)。


もっと残酷に 後鳥羽院 - 2005/10/30(Sun) 18:49 No.1008  

「春の雪」を読んだのは、二十年以上前なので、もうよく覚えていませんが、如月さんの解説を読ませていただき、だんだん蘇ってきました。
「禁色」の檜垣老人の役割が蓼科と同じような位相になっているのでしたね。三島のような飛びきりの優等生は、ああいう「悪」に惹かれるようですが、年のせいか、悪魔的な怖さが感じられないんですね。

しかし、あの蓼科像は、三島の幼年時代を決定づけた祖母への復讐のような気がします。両親から三島を奪って、暗いじめじめした部屋で、老醜とともに、秋成や鏡花の世界に引きずり込んだ狂人めいた祖母への限りない憎悪・・・。三島のなかで、ここか非常に深い「無意識」の領域だと思っています。こんなこというと何ですが、三島は可哀相な人ですよ。普通なら、祖母を殺害してるところです。三島は、フロイトやラカンの言ってることなど、ぜんぶ理解してたと思いますね。そんなわかりきったこと、なに言ってやがるんだ、と(笑)。
蓼科を演じた大楠道代さん、私のイメージとは違いますが、とても良かったと思います。おそろしく難しい役ですが、あれだけ演じられれば見事ですね。清さまと聡子には、じつはあまり興味がなく、蓼科ばかり注意して見てました。平安の宮廷にも、ああいう感じの典侍、いかにもいそうでよかったですよ(笑)。

監督の行定さんは、興行主の意向もあるのでしょうが、メロドラマ性を払拭してもう少し残酷になれれば、うんと良い監督になるような気がしました。


『春の雪』とマーラー 如月 - 2005/10/30(Sun) 20:11 No.1009  

大楠さん、とてもいいですね。実は私は、日本の女優のなかでは岸田今日子さんが一番好きで、岸田さんの蓼科もみたいような気がしてるんですが(笑)、岸田さんは独特の華があるから、この映画に関しては、大楠さんの蓼科、岸田さんの松枝家祖母というキャスティング、ひっくりかえしようがありませんね。院が蓼科ばかり観ておられたというのは、よく分かる気がします。

え〜、それから、『春の雪』とマーラーに関しては、以下のように時代考証してみました。行定監督がマーラーを使ったのは、もしかしたら冗談だったのでしょうか…?

   *    *    *

映画『春の雪』を観ていたら、綾倉聡子の婚約者・治典王がSPレコードをかけるシーンおよびそれに続く聡子からの手紙が主人公の松枝清顕に届けられ清顕が読まずに燃やすという重要なシーンでマーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」が使われており、非常に驚いた。
このアダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティが『ヴェニスに死す』(1971年日本公開)のタイトル音楽に使い世界的に有名になった曲だが、行定監督がマーラーのアダージェットを使用したのは、ヴィスコンティへのオマージュではないかとも思え、興味深かった。
(1970年に死んだ三島は、もちろん『ヴェニスに死す』を観てはいないが、1970年に日本公開された前作『地獄に堕ちた勇者ども』は絶賛している。)
以下、マーラー第5交響曲の演奏史について調べてみたことを簡単にメモしておく。

マーラー第5交響曲の初演は1904年(明治37年)。その7年後の1911年(明治44年)にマーラーは亡くなっている。
大正のはじめと時代設定されている『春の雪』のなかでマーラーの第5交響曲が使用されているのは、この事実だけとってみれば不可能なことではない。
ただ問題は、その演奏をSPレコードで聴くという設定にあり、調べた限りでは、マーラーのアダージェットの録音は、ウィレム・メンゲルベルク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のものが最初で1920年(大正9年)。次は、トーマス・マンと親交があったブルーノ・ワルター指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のもので1938年(昭和15年)録音。マーラーの音楽は、マーラーの生前から賛否両論で当時の音楽界に受け入れられていたとはいえず、この時代、メンゲルベルクとブルーノ・ワルター以外の人がこの曲を演奏したり、ましてや録音しているということはまず考えられない。また、マーラーの交響曲は長大なため全曲録音が困難で、メンゲルベルク、ブルーノ・ワルターとも、戦前はアダージェットのみの部分録音しか残していない。
参考までに、ブルーノ・ワルターとともにマーラーに師事したオットー・クレンペラーは、この曲をまったく演奏しておらず、次のように酷評している。
「現在わたしは『なき子を偲ぶ歌』や『さすらう若人の歌』と、いくつかの交響曲が好きですが、交響曲すべてが好きなのではありません。つまり、わたしはのぼせあがった馬鹿ではないということです。わたしはマーラーの書いたものならなんでも好きだというわけではないのです。第一交響曲はこれまでに一度しか指揮したことがなく、わたしはこの曲の終楽章が大きらいです。第五交響曲では第一楽章の葬送行進曲は大好きですが、スケルツォは長すぎます。それからアダージェットーーハープと弦楽のための小曲ーーはとてもよい曲だが、まるでサロン・ミュージックです。終楽章もやはり長すぎる。だからわたしはこの交響曲を指揮したことがないのです。」(P・ヘイワース編『クレンペラーとの対話』、佐藤章訳、白水社、1976年、50頁)
こうした点から判断すると、映画『春の雪』のなかに出てきたマーラー・アダージェットのSP盤というのは、現実には存在しえない幻のレコードというしかなさそうだ。ただし、現実には存在しえないといっても、作品行為としてそれを存在させるということはあってもいいと私は思う。その場合、当時の音楽界に受け入れられていたとは思えないマーラーのSP盤を購入し、それを婚約者に聴かせるという行為は、治典王の性格づけの問題とからんでくる。もっとも、映画を観ている限り、行定監督がそこまで深く考えていたようには思えないのだが…。

ところで、日本では、マーラーの音楽は意外なほど早く紹介されている。
これは、マーラーの影響を受けたユダヤ人の指揮者クラウス・プリングスハイムが、日本への楽旅のなかで、マーラーを意図的に取りあげているためで、マーラーの第5交響曲は、プリングスハイムの指揮の指揮により1932年(昭和9年)日比谷公会堂で日本初演されている(オーケストラは東京音楽学校管弦楽部)。ちなみに、クラウス・プリングスハイムは、トーマス・マン夫人、カーチャの双子の兄妹。
映画とマーラーという点では、ヴィスコンティの前に、たとえば大島渚が『新宿泥棒日記』(1969年公開)のラストでマーラーの第8交響曲を使用しているのだが、この映画でマーラーの交響曲が使用されていることについての分析、私はまだほとんど読んだことがない。ちなみに、マーラーの第8交響曲はゲーテ『ファウスト』のテクストが使用されており、救済をテーマとするそのテクストは、『新宿泥棒日記』の内容と深く結びついている。

   *    *    *

ところで、『ファウスト』といえば、三島の小説『春の雪』では、清顕が聡子をさそった帝劇の演目は歌舞伎なのですが、映画ではそれがグノーのオペラ『ファウスト』にかわっていますね。映画を観ながらこの変更の理由をいろいろ考えていたのですが、私はいまだ明確な結論に達することができず、とまどっています。


蝶と竜胆 後鳥羽院 - 2005/10/31(Mon) 20:50 No.1012  

如月さんの考証、いつもながら見事ですね。
あの時期、すでにマーラーを聴いていたとは、治憲王、ただ者ではありません(笑)。マーラー好きの私としては、親近感を覚えます。あの時代の皇族の習慣として、オックスフォードあたりに留学して、帰路、ベルリンに立ち寄り、あの舞姫の舞台となったウンター・デン・リンデンの、とある肆で購入したのかもしれませんね。
三島がこの場面をみたら何と言うでしょうね。「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」のところを使え、俺がヴァグネリアンだったことを忘れたのか、くらいのことは言ったかな。
と書きながら、また同じような話になりますが、「春の雪」は、詰まるところ、「と」の問題に帰着する、と思いました。侯爵家と伯爵家の「と」、二人の間に介在する蓼科という「と」、そしてトドメは勅許という「と」・・・これらの「と」が重層化して、二人を引き裂くのだ、と。トリスタンとイゾルデは死によって「と」を融合させ、二人は出家と死で「と」を超越しようとする。とするならば、降りしきる春の雪のひとひらひとひらが、これら「と」の残酷なまでに美しい物象化であって、それが儚く消えゆくとは、二人の間の「と」が解消したということではあるまいか・・・なんてね。

「ファウスト」にしたのは、やはり、あの、永遠に女性的なるもの、我らをして高みに引きあぐ、を響かせているような気がします。聡子は清顕のグレートヒエンなのだ、と。ラストシーンで、夢日記から蝶の死骸が飛び立つのは、永遠に女性的なるものの象徴である、と。蝶が二匹になって、蝶と蝶の間にまた「と」ができるのは、一見矛盾のようですが、それは輪廻転生後の世界の暗示、つまり、「暁の寺」「奔馬」「天人五衰」へと続くのだ、と。二匹の蝶は、連れ舞いながら、タイの寺へゆき、昭和の神風連になり、そうして、尼門跡になる・・・。

清顕が日露戦役で戦死した叔(伯)父の遺族扶助料で奈良行の旅費を工面するシーン、如月さんはあまり評価されておられないようですが、私は、とても改変だと思いました。お国のために死んだ叔父さんのお金で恋のために死ね、と。遺族扶助料の、これほど純粋な使い方はないような気がします(笑)。俗物侯爵の父へのアンチテーゼとしても効いています。

導入部で、ボートを漕ぎながら橋の上の聡子を見上げるところ、あれはまさに、ファウストの最後の言葉の象徴になっていますね。ラストシーンと響きあいながら円環をなしているんですね。聡子の着物の絵柄が蝶だったでしょう? この監督の理知的な処理に感心しました。
ただ、このすぐあとで犬の死骸がみつかり、聡子が手向けの花を摘むのですが、花は竜胆でした。竜胆は秋の花で、絵柄の蝶は、あれは夏の蝶で、秋には羽化しません。伯爵家の令嬢が、竜胆の咲く秋に、あの蝶の着物を着ることは、まずありえない。それが日本の美的伝統でしょう。あれは不注意だったのか? いや・・・。
春の雪は、そもそも微妙なズレのある現象だから、蝶と竜胆で、時の流れをずらしたのか? 監督がそこまで意識していたとすると、それは大したものです。本人に直接聞いてみたいところですね。

如月さんとはなかなか意見が一致しませんが(笑)、岸田今日子さん、ほんとに素晴らしい女優ですね。私も秘かなファンです。


Re: 小説『春の雪』ーー意識の単純化に違和感  海(sea - 2005/10/31(Mon) 22:59 No.1013  

後鳥羽院様。
>竜胆の咲く秋に、あの蝶の着物を着ることは、まずありえない。それが日本の美的伝統でしょう。あれは不注意だったのか? いや・・・。
衣装デザイン伊藤佐智子さんは現在54歳で、パンフレットに依りますと、<冒頭のエメラルドの着物は、何の不安もない娘らしさを強調したかったので、幻想シーンにも象徴的に現れる,自由に飛んで行く蝶と、牡丹をあしらってデザインしました。>とありますし、時代考証がなされないはずはありませんから、原作では唯の水色の着物ですが、あえて鮮やかに実際には秋でも、春をイメージしたのではないでしょうか?
きっと、時の流れをずらしたのでしょうね。




フロイト的な原風景 後鳥羽院 - 2005/11/01(Tue) 15:43 No.1019  

海(sea 様
デリダ的にずらしてあるのですね。
「春の雪」は、微妙なズレが悲劇を産む、という構造になっていますものね。清顕と聡子がデリダ的にずれていても、崇徳院の歌の功徳によって最後は融即するかもしれない、ということなのかもしれません。

幼少のとき、私はこの歌が好き、清さま、意味がおわかりになって、と聡子は言い、わからない、と清顕が答えます。わからない、と言ってるのに、聡子はカルタの片方を強引におしつける。あのシーン、私は嫌いではないのですが、女の子(女性性)のずるさがよくでている、と思いました(笑)。清さまはどの歌がお好き、とは決して訊かない。崇徳院の歌が、まるで無意識のように清顕を支配し、この無意識を顕在化させるのが勅許だったように思われるのです。清顕がいくらコドモでも訊いてあげないといけない。フロイト的に言えば、ああいう行為は少年の性欲を抑圧してしまうのです。聡子がいくら早熟でも、フロイト理論は知らないから、あとで逆襲されるとは夢にも思わない。あのとき、聡子が清顕に尋ね、ぼくはこれが好き、とか言って、たとえば、定家の歌を示していたら、後年のふたりの悲劇は成り立たなかったような気がします。あのシーンを見ながら、じつは私、行定勲さんの無意識を垣間見たような気がしたんですよ。行定さんの幼年期をさぐれば、あのシーンの原風景のようなものがあるはずです、きっと(笑)。


人知れずこそ… 如月 - 2005/11/02(Wed) 10:06 No.1025  

ちょうどつごう良く、院が「定家」というキーワードを出されましたが、三島は定家好きじゃなさそうですね。
『春の雪』の冒頭で、「やくや藻塩の」なんて出してきたら、全部ぶちこわしだ(笑)。

『メゾン・ド・ヒミコ』『春の雪』、どちらもレトリックが多いと思うんですが、『メゾン・ド・ヒミコ』のレトリックを、新古今・定家的な重層的レトリックとすると、対する三島が用いるのは、貫之・業平的な直線的レトリックという気がしますね。だから私には、三島の世界、感覚的にとてもわかりづらいのです。

それと百人一首でいうと、映画『春の雪』では、崇徳院の「瀬をはやみ」の歌の前に壬生忠見の「恋すてふわが名はまだきたちにけり」の上の句だけを出して言いさしたところ、とてもうまいと思いました。この歌は、作品のテーマとして、崇徳院の歌以上にきいてますよね。
だって、映画では読まれなかった下の句は、「人知れずこそ思ひそめしか」ですから。
歌に託した聡子の気持ちを語るなら、こちらの歌の引用、そして聡子がなぜそれを全部読まなかったということがとても大事なんじゃないですか?


Re: 小説『春の雪』ーー意識の単純化に違和感   - 2005/11/02(Wed) 15:34 No.1026  

「春の雪」 後鳥羽院さま 投稿者:海(sea改め) 投稿日:2005/11/01(Tue) 16:58 No.1020
女性性のずるさ?
確かにそう言えますね。ずるさと言うよりも自我の強さ、自己中心的な誤算といて考えたい物です。
先入観的に、決め付けられる事は潜在意識にもなりますし、大きな意味を含みます。行定監督の無意識を垣間見たような気もしますが、私は決め付けに対する反発が、この映画を作っていると思いました。以下は私の感想ですが、お馬を見るのも(?)映画を観るのも鋭い院に、竜胆ならぬ菊の花を贈りたいところです。(11月3日も近いですから)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず、清顕はどうして、気になる聡子の縁談に反対しなかったのだろうか?
それは、彼の自虐性ゆえの プライドから来る物ではないだろうか。

最初から聡子を好きな事を言っていれば、問題はなかったはず。
そうならば、この話しもなくなってしまうけれど<笑>

清顕は、知らぬ、存ぜぬ!と決めてて係り、手紙を燃やした。
なぜ、この時にマーラーが流れるのか?
ここで、私はサスペンスの洋画に流れたマーラーの5番が、
思い出されてならない。タイトルが思い出せないのだ。
それで、もしかしたら清顕の心に住む冷徹な物とこの曲の重みが一致するのではなかったのだろうか?

清顕は、父親に対する嫌悪感を表現せずにいるが、婚約した聡子を愛する事で、父親に対する反発を表しているし、自分のプライドをかろうじて保っている。

そう思うと、聡子だけが純粋な気持で、清顕を好きでいるのだと思う。
純粋な恋愛から、妊娠、中絶の道を歩み、おそらくは産めなかった子供への罪悪感から出家する決意をした。
大体、中絶後の精神状態では、ホルモンのバランスも異常だし、正しい判断は出来ないと思う。

男の作家が描いた女は、現実的な女の強さが描かれない物で、
あくまでも、男の持つ女のイメージの夢心地のままだ。
女の作家の描いた女は、夢だけに留まらない逞しさを持っているし、
<霞を食べては生きられない。>現実感の集合体だ。


この話しの中では、蓼科の存在も、聡子の存在も、男から見たら
実に都合がよく出来ている。

聡子は、全編を通して、きれいな人形のような存在で、あくまでもこの映画の主役は清顕なのではないかと思ったし、
「大地震が来ればいいのに!」の発言からも、何て幼稚なんだろうと思われて、がっかりさせてくれる。これでは、小学生のガキの如く、可愛いだけ。

要するに、軽い恋愛映画に、重いマーラーの5番を流して、重厚さをかろうじて見せようとしたけれど、か細い骨組みだから音楽が上手く載らなかった感じで、手先のテクニックだけ使っても、物語の本質までは届かなかったのだと思う。


ストーリーや音楽、それぞれの心情・などが、奥深い綾にならずに、平面的に置かれていて、上手くブレンドされずに、そこから香りがでないコーヒーのようだった。
(アラッ!失礼。今、美味しくないコーヒー飲んでいるもので・・・・・・・・)

大正時代という重さ、三島由紀夫原作という重さがうまく現代と融合できずにいるもどかしさを感じてしまった。
だから、私は、「世界の中心で愛を叫ぶ」の大正時代版くらいに捉えているし、「セカチュー」を観て感動した年代には、丁度いいラブロマンスなのだろう。

私には、物足りない過去のラブロマンスと映った。





「春の雪」 後鳥羽院さま 
女性性のずるさ?
確かにそう言えますね。ずるさと言うよりも自我の強さ、自己中心的な誤算といて考えたい物です。
先入観的に、決め付けられる事は潜在意識にもなりますし、大きな意味を含みます。行定監督の無意識を垣間見たような気もしますが、私は決め付けに対する反発が、この映画を作っていると思いました。以下は私の感想ですが、お馬を見るのも(?)映画を観るのも鋭い院に、竜胆ならぬ菊の花を贈りたいところです。(11月3日も近いですから)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず、清顕はどうして、気になる聡子の縁談に反対しなかったのだろうか?
それは、彼の自虐性ゆえの プライドから来る物ではないだろうか。

最初から聡子を好きな事を言っていれば、問題はなかったはず。
そうならば、この話しもなくなってしまうけれど<笑>

清顕は、知らぬ、存ぜぬ!と決めてて係り、手紙を燃やした。
なぜ、この時にマーラーが流れるのか?
ここで、私はサスペンスの洋画に流れたマーラーの5番が、
思い出されてならない。タイトルが思い出せないのだ。
それで、もしかしたら清顕の心に住む冷徹な物とこの曲の重みが一致するのではなかったのだろうか?

清顕は、父親に対する嫌悪感を表現せずにいるが、婚約した聡子を愛する事で、父親に対する反発を表しているし、自分のプライドをかろうじて保っている。

そう思うと、聡子だけが純粋な気持で、清顕を好きでいるのだと思う。
純粋な恋愛から、妊娠、中絶の道を歩み、おそらくは産めなかった子供への罪悪感から出家する決意をした。
大体、中絶後の精神状態では、ホルモンのバランスも異常だし、正しい判断は出来ないと思う。

男の作家が描いた女は、現実的な女の強さが描かれない物で、
あくまでも、男の持つ女のイメージの夢心地のままだ。
女の作家の描いた女は、夢だけに留まらない逞しさを持っているし、
<霞を食べては生きられない。>現実感の集合体だ。


この話しの中では、蓼科の存在も、聡子の存在も、男から見たら
実に都合がよく出来ている。

聡子は、全編を通して、きれいな人形のような存在で、あくまでもこの映画の主役は清顕なのではないかと思ったし、
「大地震が来ればいいのに!」の発言からも、何て幼稚なんだろうと思われて、がっかりさせてくれる。これでは、小学生のガキの如く、可愛いだけ。

要するに、軽い恋愛映画に、重いマーラーの5番を流して、重厚さをかろうじて見せようとしたけれど、か細い骨組みだから音楽が上手く載らなかった感じで、手先のテクニックだけ使っても、物語の本質までは届かなかったのだと思う。


ストーリーや音楽、それぞれの心情・などが、奥深い綾にならずに、平面的に置かれていて、上手くブレンドされずに、そこから香りがでないコーヒーのようだった。
(アラッ!失礼。今、美味しくないコーヒー飲んでいるもので・・・・・・・・)

大正時代という重さ、三島由紀夫原作という重さがうまく現代と融合できずにいるもどかしさを感じてしまった。
だから、私は、「世界の中心で愛を叫ぶ」の大正時代版くらいに捉えているし、「セカチュー」を観て感動した年代には、丁度いいラブロマンスなのだろう。

私には、物足りない過去のラブロマンスと映った。











蓮の花 後鳥羽院 - 2005/11/02(Wed) 20:21 No.1028  

「豊饒の」海さま
明治・大正の華冑界にも、陳腐な情事がゴロゴロ転がっていたはずですが、そんななかで、有り得たかもしれない事件を、あれほど華麗に書けるのは三島くらいでしょうね。三島の関心は、人間にもし心理があるなら、どれだけエレガントに言語化できるか、ということだけだったような気がします。
たとえば、金閣寺が炎上すれば、あれだけの観念世界を構築することができる。現実問題としてみれば、頭のおかしい坊主が火をつけただけのことで、あんなもの、よくあるつまらぬ放火事件のひとつにすぎない。金閣寺は貴重な歴史的文化遺産だという連中には大事件でしょうけれども。
「春の雪」は、見かけ上は恋が主題ですが、本当は、天皇制を侵犯するとして、どのような情況が可能か、その場合、どのような心理劇が可能か、ということを観念的に実験してみたのではないか、と私は思っています。コキュの対象が洞院宮第三王子という設定が絶妙で、歴史的には不可能でしょうが、あれを東宮にしたら、「春の雪」は成立しなかったでしょうね。東宮が許嫁となれば、宮内省や内務省が秘密裡に動き、聡子は厳重に監視されて、曖昧宿で昼下がりの情事に耽ることは不可能になる。相手が皇位継承のきわめて低い庶流の王だから、ああいう情事が可能になる。私には、こういう情況設定がすこぶる面白いのです。東宮をコキュにするには、侯爵家くらいでは駄目で、光源氏クラスの大物でなければいけません。しかし、清さまは、自分を拘束する制度の下で、よく戦っているのであって、よ、成田屋、と声をかけてやりたくなりますね(笑)。

「蝉しぐれ」は、「春の雪」とはまるで似ていませんが、主題は同じなのかもしれません。おふくは殿様の側室になるわけですから。いわば勅許のようなものですね。牧文四郎は、清さまとちがって、ただただ耐えるしかない。あのストイシズムが共感を呼ぶのでしょうね。
「私の子があなたの子であり、あなたの子が私の子である、そのような人生はありえなかったのでしょうか」
とおふくが言い、
「そうできなかったことを、生涯の悔いと思っています」
と文四郎は言う。
人間、この世に悔いを残して死んでゆくのは上品でいいですよ。どちらか選べ、と言われたら、私は文四郎の道を選びますね(笑)。
聡子が清さまに、輪廻転生しても必ず見つけだします、といいますが、私なら逃げますね、そして、きっと逃げおおせてみせる、蓮の葉っぱの上でそっと雨蛙か何かに化けて聡子が通り過ぎるのを待ちますね(笑)。

如月さんのご指摘、まったく忘れておりました。うーん、意味が深いですね。
三島は、「豊饒の海」のあとには定家卿について書きたい、と言っていたのですよ。どんな作品になっていたでしょうね。読んでみたかったな。


Re: 人知れずこそ  - 2005/11/03(Thu) 01:19 No.1032  

如月様。壬生忠見の下の句『人知れず、密かに思い始めたのに』と聡子が言わなかったのは、解る気もしますが、如月様の分析を是非、お願いしたいと思います。
 文化の日には、ふさわしいです。


Re: 蓮の花 後鳥羽院  - 2005/11/03(Thu) 02:15 No.1033  

熱い想いから逃げおおせになられる後鳥羽院さま〜〜!

三島由紀夫の文をきれいだと表現する人がいますが、きれいと言うよりも独特の世界感からの物なのだと思います。言葉に思い入れがあり、何だか、自己陶酔しているような雰囲気を感じます。
 そうでなければ、切腹なんて出来なかったと思うんです。
遠い昔に、三島切腹のニュースをTVで見て、あっけに取られました。今時、切腹をするという行為が異質な物を感じさせて、頭が良すぎて、時代を先取りしすぎたのではないか?と思えたものです。
 清様は、安易な恋愛ではないから、燃えたのであって、輪廻転生した時には、院のように、お逃げになるのではないでしょうか?追われれば逃げるしかないですからね!院も心得ていらっしゃるのだと、可笑しくなりました。私なら、蓮の葉っぱの上でそっとしている雨蛙はそっとしておきますね!蓮の方が居心が良いという事なのですから。<笑>院はそういう事なのですね。

 『蝉しぐれ』では、原作を読んでいませんが、おふくの最後の言葉は、この時代ならば、ありえないものではないでしょうか?
なぜなら、『節婦は二夫に見(まみ)えず』と言う言葉が常識とされていたからです。すでに、文四郎もおふくにも、それぞれの人生しかなかったし、自由は無かったのですから。

藤原の定家ですか!
それでは、季節が早いですがもうじき冬ですので、

駒とめて袖うちはらふかけもなし
佐野のわたりの雪の夕ぐれ。

雪の夕暮れは幻想的でもあるのでしょうか?
        
               放生の海


郵便的? 如月 - 2005/11/03(Thu) 02:37 No.1034  

小説『春の雪』の主題というのは、考えれば考えるほど、わからないようにできてて、結局、院の分析のように、「天皇制を侵犯するとして、どのような情況が可能か、その場合、どのような心理劇が可能か」ということが、三島のなかでは一番の比重を占めていたということになりそうですね。ですから、私の分析の@というのは、それを導くためにあとから付加したもので、@を重視すると、全体の作品構造がまったくみえなくなる。ただ、それにしては、三島は@を非常に事細かく書き込んでるというのも事実なんですね。この辺、『春の雪』はとてもバランスの悪い作品だと思いますが、ずっと考えているうちに、実はそのバランスの悪さが、『春の雪』の郵便的なおもしろさかなと思えてきました(笑)。

話かわって和歌の方ですが、忠見の歌はそんな複雑な歌じゃないし、それに「人知れずこそ」ですから、私などがへたに分析すると奥ゆかしくないということになりそうで…。
それより、『禁色』を再読していたら、小説家・檜俊輔の文体の分析が書いてあり、このあたりが三島の定家観かと思いました。
曰く、「不感のうちに鋭敏な感覚のおののきが、不倫のうちに危殆に瀕した倫理観が、不感のうちに雄々しい動揺が立ち現れる。この逆接的ななりゆきを辿るために、何と巧みに編み出された文体であろう!いわば新古今風な、ロココ風なこの文体、言葉の真の意味における『人工的』な文体、思想の衣裳でも主題の仮面でもないところの、ただ衣裳のための衣裳の文体、そこにはいわゆる裸の文体と対蹠的なもの、パルテノンの破風に見られる運命の女神の像や、パイオニオス作のニケ像に纏綿するあの美しい衣類の襞に似たものがあるのである。」(新潮文庫版、9頁)
これ、新古今を誉めてるんだか、けなしてるんだか(笑)。
私の考えでは、まあ、定家も新古今も、ロココというよりバロックなんですけどね。


 後鳥羽院 - 2005/11/04(Fri) 22:51 No.1041  

海さま。
雪のゆうぐれの歌は、宇治十帖で、匂宮が口ずさむものですね。
定家卿は、あのシーンが大好きだったようですね。

如月さん。
まさに、定家評ですね。
「春の雪」(新潮文庫版302頁)に、聡子が鎌倉から東京に帰った描写に、
「暁の横雲が、町の屋根に棚引いていた」
とありますが、ここ、定家の歌を響かせていますね。


三島作品のバランス 如月 - 2005/11/07(Mon) 15:16 No.1056  

う〜む、そんなところに定家が隠してありましたか…。

さて、私の方は『禁色』を読み返してみましたが、読み返してみると、これはやはりすごい小説なんですね。特にその結末が。『春の雪』もそうですけど、『禁色』も、最初に結末の部分を思いついて、それからその結末に至る状況をひねり出したとしか思えない。だから、導入部と結末がうまくつながらないんだと思います。まあ、そういう意味では、『禁色』も『春の雪』も、作品としてはとてもバランスが悪い。でも作品のすごさは、そのバランスとか全体の完成度とは別のところにあるんですね。
このあたりが、私が三島が好きになれなかった大きな理由だと思います。
で、あらためて『禁色』を読み返してみると、精神世界を代表する老作家・檜俊輔と完璧な美青年・南悠一という主役のとりあわせは、マンの『ヴェニスに死す』とまったく同じで、三島は、結末を最初に思いついてから、それにいたるプロセスをどうするかということで『ヴェニスに死す』の設定を借り、『ヴェニスに死す』に対する一種のパロディとして、楽しみながら『禁色』を書いたという気もします(だから、檜と『春の雪』の蓼科の役割はかなり違うと思います。それに観念世界に生きる小説家・檜というのは、三島自身のパロディでもあるのではないでしょうか)。
こうした視点からみると、一見したところこの小説の直接の主題であるかのようにみえる同性愛の風俗描写も、完璧な結末に意図的につけられたシミという感じがしますね。
で、作品の部分は、冒頭からこのシミの描写がだらだら続いて作品の大半を占めているので、いかにもバランスが悪い。


最後の一句 後鳥羽院 - 2005/11/08(Tue) 21:46 No.1064  

三島の作品は、もう読むことはあるまい、と思っていたのですが、『春の雪』を読み返してしまいました(笑)。『禁色』も再読しないといけなくなりましたね。
三島の作品は、全部、最後の一行が最初に決定しているんですよ、これはもう宗教的で・・・三島の絶対神は最後の一句なんですね。

最後の一句で思い出したのですが、『春の雪』で、聡子の堕胎をする医師として森博士というのがでてきますが、これは鴎外への皮肉かもしれませんね。先達へ最後の別れの挨拶をしてるんだな、と思われました。若い頃は見えなかった所です。


きのこは分類では、何に 投稿者:sea1900 投稿日:2005/10/17(Mon) 17:26 No.967  
成るのでしょうか?
私が調べたのは、マルシェなので、書いてなかったのですが、
flowfreeさんに、答えたいのです。


キノコの分類 如月 - 2005/10/18(Tue) 12:19 No.968  

sea1900さん、こちらでははじめまして。
さて、菌類ですが、ウィキペディアの「菌類」の項↓に、キノコの分類についていろいろ書いてありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8C%E9%A1%9E
この記事を読んで、菌類が植物より動物に近いというのは「へえ〜」っと思いました。「分類」というのは、ほんとうに難しい…。


『メゾン・ド・ヒミコ』三見 投稿者:如月 投稿日:2005/10/15(Sat) 13:50 No.966  
三たび『メゾン・ド・ヒミコ』をみた。
それにしてもなんと美しい映画なのだろう。8月に初めてこの映画をみて以来、毎日のようにこの映画のことを反芻しているのに、三度目の『メゾン・ド・ヒミコ』はやはり新鮮だった。そしてなにより、とても美しかった。映画をみおわったあと、すなおに「美しい」といえることが心地よかった。
ある作品に接して、「美しい」といえれば充分という作品、いったいどれだけあるのだろう。『メゾン・ド・ヒミコ』はそんな希有な作品だ。そしてその美しさは、なにか激しい出来事があれば浮き飛ばされてしまうようなそんなひ弱な美しさではなく、逆にすべての事態を呑みこんでしまうような力強い美しさなのだ。
実は今、私は『メゾン・ド・ヒミコ』のそんな力強い美を発見したということで満足しているのだが、それでもあえて、なにかもう少し書いてみることにしよう。

   *    *    *

まずオープニング。
主人公・沙織はなぜゲイの老人ホーム、メゾン・ド・ヒミコでアルバイトする気持ちになったのだろうか。
映画のなかで、それは高額のアルバイト代のためと、いちおう説明される。
でも私はそうではなく、メゾン・ド・ヒミコでアルバイトすると決心した瞬間、沙織は、ゲイであることを告白して自分と母親を捨てた父親・卑弥呼をすでに許していたのだと思った。そうではなく、卑弥呼がどうしても許せない、その存在がどうしても認められないというのであれば、いくらお金が欲しくてもこのアルバイトは引き受けなかったと思う(現に沙織は風俗のアルバイトをしていない)。でもその許しは沙織の心の中の自分でも気づかないような奥底で行われ、沙織自身も自分が卑弥呼を許しているとは気づいていない。だから、「このアルバイトをするのはお金のためなんだ」という、自分を納得させるための口実が必要だったのだと思う。
私がその思いを強くしたのは、卑弥呼の部屋で、沙織の口から母親の最後の様子が語られるシーン(実は今まで、このシーンの重要性に気づいていなかった)。
亡くなる直前、母親はぼけてまわりの人が認識できなくなり、看病する沙織を卑弥呼と思ってうれしそうにしていたという。この事実を語りながら、沙織は、卑弥呼に向かってなぜ自分たちを捨てたのかと問いつめるのだが、実際には、卑弥呼の思い出にひたりながらうれしそうにしている母親をみて、沙織は卑弥呼をなかば受け入れていた(受け入れなければならないと思った)のであろう。
だから、この映画は、世の中で語られていることとは逆に、ゲイである父親と娘の葛藤の映画ではまったくない。
考えてみると、卑弥呼がゲイバーのママになる決心をして家を捨てる前、卑弥呼と母親はどのように接していたのだろうか。私には、ゲイバーのママになると決めた瞬間から卑弥呼の性格が突然変わったようには思えない。そうではなくて、妻にカミングアウトする前から、卑弥呼は他の男とは違うなにかしらナイーブな面をもった男性であり、彼女はほかの男とは違う卑弥呼のそうした面を含めて、卑弥呼の全体が好きだったのではないだろうか。卑弥呼のカミングアウトは、そうした妻への卑弥呼なりの誠実さゆえであったと私は思う。卑弥呼にカミングアウトされた瞬間、妻はショックを受け裏切られたと思ったであろうが、時が経つとともに卑弥呼のカミングアウトを受け入れていったのではないだろうか。
だから、卑弥呼の恋人・春彦への沙織の感情は、そんな母親をみながら育った娘の自然な反応ともいえる。ゲイバーのママとなって母と自分を捨てた父親への反発から「強い男」を求めながらも、心の奥では「弱い男」に惹かれてしまうのだ。
こんな風に考えていくと、『メゾン・ド・ヒミコ』は、人間と人間の葛藤を描いた映画ではなく、悲惨な現実にがんじがらめになっている女性が、自分の心の底に潜んでいるほんとうの自分への扉を少しずつ開き、自分を解放していく過程を描いた映画だと気がつく。
だからこの映画はさわやかなのだ!

そんなことを考えていたら、この映画のなかで歌われるドヴォルザークの『母が教え給いし歌』は、他にかえようがない見事な選曲であることに気がついた。

「母が私にこの歌を
教えてくれた 昔の日
母は涙を浮かべていた

今は私がこの歌を
子供に教えるときとなり
教える私の目から涙があふれ落ちる」
(堀内敬三 訳)

何も波乱のない人生、何も波乱のない愛なんて、人生でもなければ愛でもない。
波乱があるからこそ人生も愛もすばらしい。
そしてこの思い、波乱のない人生を送り、人との波乱のない接触を愛だと思っている人には伝えようがない。
人は傷つき、もがいてはじめて、人生の、愛のすばらしさを自分で発見する。
その時歌う愛の歌は、同時に涙の歌でもあるのだ。

    *    *    *

沙織の「触りたいとこないんでしょ」のセリフのあと、普通に考えれば、現実の世界ではそれに対する春彦のリアクションがなくてはならないのだが、観客が固唾をのみながら春彦の次のセリフを待っている瞬間、さっと海の光景がカットインされる。
卑弥呼の葬儀が終わり、沙織がメゾン・ド・ヒミコを去る決定的な瞬間、春彦は無言で、別れの仕草はなにも行われない。
このなにも語られずなにの仕草もないということにわれわれは感動する。
なにもないから、そこにはなにかがかんじられるのだ。ほんもののなにかが!


『メゾン・ド・ヒミコ』トークショーを聴く 如月 - 2005/10/22(Sat) 20:46 No.973  

渋谷のシネマライズで行われた『メゾン・ド・ヒミコ』の監督・犬童一心と田中泯のトークショーを聴きに行った。上映終了後、今まで画面の中で動いていた同じ人が、ポンと飛びだしてきて生身で話し出すという感覚は、なんともいえず不思議でおもしろかった。
また、本質的に舞踏の人である田中泯は、トークショーがはじまっても寡黙で、多弁な犬童一心との対比がこれまたおもしろかった。
トークは、犬童監督が田中泯に出演を依頼するきっかけとなった日本アカデミー賞受賞式での出会いのエピソードの紹介からはじまり、田中泯が動いているところではなく、プレゼンターとしての自分の出番を待ってじっとすわっている姿をみて彼に決めたという話になっとく。田中泯は田中泯で、出演を承諾する前に送られてきた台本を読んで、自分にこの役を依頼するというのはいったいどんな男だろうと、犬童監督の訪問を待っていたと語った。だから、この映画に出演するということは、犬童監督の最初の二言、三言で即決したという。
演出に関しては、犬童監督は田中泯の演技になんの注文もつけず、すべてを彼にまかせていたという。監督曰く、「映画は大勢のスタッフでつくるものなので、この映画に関わったスタッフのなかにも田中泯の演技に違和感を感じてそれを修正しようとする人がいたが、自分はそういう人のなだめ役に回って田中泯が自由に動けるようにとだけ配慮した。監督というのは、そういうなだめ役にまわることもあるのだ」という。
したがって、田中泯の動き、そしてそれとからむ柴崎コウの動きも、監督の指示というより、自発的なものが多いのだが、田中泯とやりとりしながら柴崎コウがどんどん変化していくのがわかり、なにか自分はその変化を記録しているという気がしたという。いいエピソードだ。

さて映画の方はこれで四度目の鑑賞だが、正直言って今回が一番楽しめた。振り返って前回の見方を反省してみると、「否定派」の存在を意識して、彼らをどのようになっとくさせるかという視点から見すぎていたように思う。そうしたものがふっきれて、今回は、なにかすんなり作品に入り込め、笑うべきところで笑い、泣くべきところで泣きながら、とてもおもしろく作品を鑑賞した。
それで気づいたこともまたいろいろあるのだが、映画をみながら、ふと、私が自分の解釈を書くことが他の人が自分でこの作品を解釈することの邪魔になるのではないかと思えてきたので、基本的に、もう私の解釈は記さないことを決心した。
これと関連して、作品の解釈という点については、犬童監督自身が、「実際に撮影にはいって人が動き出すと、ああここのシーンは実はこういう意味をもっていたのかと気がつくところがあった」と語っていた。要するに、『メゾン・ド・ヒミコ』という作品に絶対の解釈などはなく、醜も美も、作品のなかですべてが同時に具現化されているというだけなのだ。


Re: 『メゾン・ド・ヒミコ』三見  - 2005/10/25(Tue) 23:52 No.974  

如月さん、お久しぶりです。
この映画、気になってたけど見に行き難いかなーって思ってました。見てみようかな。


不思議な不統一さ 如月 - 2005/10/26(Wed) 13:41 No.976  

幹くん、こんにちは。
『メゾン・ド・ヒミコ』、私の一押し映画です。その世界のなかにどっぷりつかってしまって、なかなか抜け出せません♪
この間は、その不思議な不統一さが、モーツァルトの『魔笛』の世界にも似ていると思いながら観てました。

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