045908
網上戯論
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植物の引き取り手募集 投稿者:如月 投稿日:2005/10/11(Tue) 12:56 No.957  
須永朝彦さんが、マンションのヴェランダ工事にともない栽培している鉢植えを処分しなくてはならず、困っておられるようです。珍しいものもありますので、引き取ってもよいと思われる方は、下記のサイトを御覧下さい(私も6鉢、頂戴しました)。

http://www.d2.dion.ne.jp/~octa/sun/sunaga19.html   


はてな? 後鳥羽院 - 2005/10/14(Fri) 20:38 No.962  

今日の新聞に、新種の生物の紹介がありました。
筑波大の研究チームが発見したそうですが、ハテナ、と命名した由。
単細胞の海洋微生物で、特定の藍藻を食べ、藍藻の葉緑体を使って光合成をし、分裂で増殖するときは、一方が葉緑体を相続し、他方には口ができてまた藍藻を食べ葉緑体を取り込むのだそうです。
従来の分類概念から外れるので、ハテナ、ということらしいですが、ボルヘスが聞いたら喜びそうな生命体ですね。


jeux genealogiques 後鳥羽院 - 2005/10/14(Fri) 21:58 No.963  

ハテナも、いずれ、リンネ風に分類されるのでしょうが、これって、要するに「系図ごっこ」と同じじゃないか、という気がしてきました。


キノコ 如月 - 2005/10/15(Sat) 13:40 No.965  

キノコ(菌類)というのは、私が小さい頃は植物だと教わっていたように思いますが、あれは今は植物じゃないんだそうですね。


日本史研究会レポート 投稿者:如月 投稿日:2005/10/11(Tue) 08:58 No.954  
すぐ下のスレッドにも書いたように、8日、9日と、京都女子大で開催された日本史研究会大会を聴講した。今回の大会の共通テーマは「歴史的環境と自己意識」。このテーマにそって、初日は全体会シンポジウム「中世仏教の国際環境」が、二日目は個別報告が行われた。
個人的に刺激的だったのは、初日の「中世仏教の国際環境」というシンポジウム。日本の政治や仏教界は、平安時代の末期に大きな転換期を迎えるが、この時期は、唐の滅亡など東アジアのさまざまな地域で王朝(国家)の交替が起こった時期でもあり、東アジア全体をとらえた大きな視点から日本仏教に生じた変化を見なおそうということで、上川通夫さんの「日本中世仏教の成立」、横内裕人さんの「自己認識としての顕密体制と<東アジア>」、古松崇志さんの「考古資料・石刻史料よりみた契丹(遼)の仏教」の三つの報告が行われた。
三報告のポイントとなるのは、白河院創建の法勝寺に建てられたという八角九重塔と同じような仏塔が契丹にみられることに着目して、院政期に展開する新たな仏教の流れを契丹仏教との関連のなかで考えようというもの。これは同時に、日本の仏教が古代から中世にかけて内在的な原因にもとづいて変化・発展してきたとする定説(例:井上光貞氏の浄土仏教に関する説、黒田俊雄氏の顕密体制論)への強力なアンチテーゼとなる。
契丹仏教が仏教史のなかでどのように位置づけられるのかは従来あまり研究されて来なかったが、宋が受け継がなかった唐仏教の正統的な流れ(主として密教)を契丹が受け継いでいるということが報告の前提にある。
報告後の質疑応答のなかでは平雅行さんの発言がおもしろく、「黒田俊雄氏の顕密体制論を考える場合に、顕密仏教が仏教界を統合したという側面にこだわる必要はないのではないか」とし、さらには、「(宋が儒教の原理を中心に国家を編成していった例からもわかるように、)中世日本を導く国家原理は、ほんらいさまざまな可能性(仏教、儒教、神道)が考えられたのではないか。そのなかで実際には仏教を中心に中世日本が再編されていったという事実をさらに考えていく必要がある」と述べた。
これに関連し、私も「そうすると、中国(唐)で、限界があることが判明した原理を日本が改めて採用したということには、なんらかの理由を考えなくてはならないのではないか」と発言させていただいた。
これに対する平さんの見解は、「仏教には、天竺という核をもち出すことで中国中心主義を相対化するという側面があり、それゆえ、唐滅亡後の中国(宋)が儒教を中心に国家を編成していくのに対し、日本を含む同時期の周辺国家は、逆に仏教中心に国家を編成していったといえるのではないか」というものだった。
今回の三報告は、中世仏教史研究に外的要因というあらたな視覚を提示したという点で意義あるものと考えるが、一方で、同時期の政治史研究とのすりあわせ等が必ずしも充分とはいえないような印象をうけた。それらをどのように具体的に検証し結び付けていくかが今後の課題という気がする。
シンポジウム終了後は七条の居酒屋に場所をかえて懇親会。この大会をめざして全国から集まった研究者同志が、改めて面識を深めた。日本史研究会にかぎらず、研究会というのは、報告もさることながらこの懇親会が実におもしろい。この日の懇親会には、報告者三人も顔を出し、シンポジウムの正式の席とはちょっと違ったくだけた感じで、ざっくばらんにさまざまな意見を交換し合った。私はというと、佐伯智広さんが懇親会の幹事をつとめていたので、彼に挨拶し、先日東京で発表した彼の研究レジュメを送ってもらうことにした。
二日目は、水谷千秋さんの「古代天皇と天命思想―七世紀を中心として― 」と宇佐見隆之さんの「中世末期地域流通と商業の変容」を聴講した。こちらは、私が関心をもって取り組んでいる分野ではないので、正直なところ、内容を理解するのがかなり難しい。
宇佐見さんの報告後、昼食をはさんで質疑応答やコメントが予定されていたが、私はここで大会を辞去し、残された時間で少し京都市内を回ることとし、三十三間堂、東福寺、平等院を訪問した。この日回った三寺院は、平安後期から鎌倉中期までいちおうそれぞれの時代を代表する人物(藤原頼通、後白河院、九条道家)がたてた寺院であり、宗旨も、浄土信仰、密教、禅と異なっている。日本史研究会のシンポジウムを思いやりながら、時代の変換をこうして具体的に凝縮してみることができたことに満足した。


Re: 日本史研究会レポート  - 2005/10/11(Tue) 11:13 No.955  

 如月さん、会場ではごあいさつもせず、失礼いたしました。
いろいろばたばたしていて、1日目のシンポのみ参加で、
懇親会も失礼しました。

 おっしゃるように、シンポジウム、たいへん刺激的でした。
しかし、刺激的ゆえに、ほんとうかな、という疑問がうずまいています。貴族の日記を読んでいる限り、契丹仏教への傾倒など、
まったくわかりませんから。そういう目で読んでいないせいもありますが。といろいろ考えるところへ、運悪く私への司会者からの指名。
 まったく、発言を控えるべきところだったのですが、しどろもどろに「違和感」を指摘するにとどまりました。ただ、会場からの積極的な発言が、平さんと如月さん以外少なかった要因が、私と同様な感じからするものであったことを代表するぐらいにはなったかな、と思っているのですが、平さんの堂々たるご発言に対し「あのアホが」と思われてしまったのでは、とだいぶ落ち込みました。
 でも最後の平発言は、いくらなんでも、そこまで言えるのかと思いました。院政期の京都で神仏習合状態のなかでも仏教を選択するか、仏教を離れるかなんてことは考えられない。あるいは神仏分離?。儒教を中心になんてことも考えようがない。少なくとも当時の院や貴族には思ってもみないことでしょう。そんな国家構想があったともとうてい思えないし。少なくとも国際的契機ではなかろう。あえていえば当時の京都の環境というきわめて井の中の蛙的環境で。仏教勢力内部ではそういう議論、つまりあえて仏教が国家の主軸になるべきだ、という議論はあったかもしれませんが、儒教勢力(なんてものがあるのか)ではないし、朝廷でもないだろう。ということは、仏教史の平さんはそういう議論をしても、朝廷のことをやっている私はそんなことは考えもしない。あの討論のとき、元木さんがいなかったのが残念です。きっと私の認識に近いんではないでしょうか。
 
 ということで、あの平発言で討論終了はないだろう、というのが私の感想です。


違和感、納得できます。 如月 - 2005/10/11(Tue) 12:01 No.956  

美川さん、こちらこそ、失礼致しました。

上川さんの報告でいうと、たとえば、1125年(天治二年)の殺生禁断令を前年の遼(契丹)の滅亡と関連づけてとらえるというふうにとれましたが、この殺生禁断令は、私が『金葉集』研究のなかで輔仁親王のたたりと結び付けて考えられるのではないかと指摘している点であり、上川さんの指摘は恣意的ではないかという旨、質問用紙を出しました。
また上川さんの報告をより詳細に肉付けしたともとらえられる横内さんの報告では、院政期の摂関家の位置づけ、「平氏政権」の位置づけなどが政治史での位置づけとズレているのではないかという印象を受けました。また入宋記録の調査から、1083年から1167年まで僧侶の入宋がなかったとする横内さんの指摘に関しては、それは単に記録が存在しないだけであり、記録の欠如のみから入宋がなかったとは断定できないのではないかという見方もあるようです。
ですから、美川さんの違和感、私は充分納得できます。
平発言、特に最後のものに関しては、あの場ではそうかなあという気がしたものの、中国と周辺の違いという図式だけで議論を済ませてしまっていいのかなと考えていたところでした。

いずれにしても、今回の大会、日本仏教史(政治史)に東アジア仏教史(政治史)の流れをからめてみるという新しい論点を加えたことに意義があるとすべきで、その詳細や当否については、今後多角的に検討する必要があるということではないでしょうか。


多角的 indetermination 後鳥羽院 - 2005/10/14(Fri) 10:31 No.960  

また、あまり関係のない話ですが。
過日、塩田北条氏の故地ともいうべき塩田平の国宝八角三重塔をみたとき、非日本的なものを感じました。これを垂直方向に三倍にすると、法勝寺の八角九重塔になるのかな。
「八角」という奇妙な構造は、白河院お抱えの大工集団の独創とはちょっと思えないのですが、じつのところ、どこから影響を受けているのでしょうね。
仏像ですと、定朝様式とか、院派とか円派とか、いかにも日本的なのですが、「八角」という角のある様式はなにか変で、別の意味で、違和感があるんですね。


学際的  - 2005/10/14(Fri) 17:41 No.961   <Home>

「いずれにしても、今回の大会、日本仏教史(政治史)に東アジア仏教史(政治史)の流れをからめてみるという新しい論点を加えたことに意義があるとすべきで、その詳細や当否については、今後多角的に検討する必要があるということではないでしょうか。」(如月さん投稿から)

これから、ますます、学際的な研究や協力が必要になるということなんでしょうね。


史料論の整合性の重要さ 如月 - 2005/10/15(Sat) 13:38 No.964  

仏教史なり思想史の方法論については、日本史研究会へ行く途中も自分なりにいろいろ考えていたわけです。で、結局、固有の名と共通の名の問題がこれにひっかかってきて、ある宗教者のテクストがもつ意味内容(シニフィエ)を分析して、それと時代背景をからめるというような、いわば古典的な手法はもうだめなんじゃないかと。つまりテクストをいかに詳細に分析しても、あるいはテクストを詳細に分析すればするほど、その分析は「分析者」のものになってしまい、書き手には到達しない。だからといってテクストから入るということをやめてひたすら共通の名において語った場合、果たしてそれは「思想」についての研究といえるのか…。
ですから私自身は、テクストに記された直接的な意味内容の分析には興味をもっていません。私の関心は、院政期なら院政期の思想的テクストがどのようなフォルムをもっているかということなんですね。で、そうしたフォルムの分析を他の分野のテクストのフォルムの分析とつなげていきたい。少なくともこの方法であれば、固有の名を共通の名として語るという難点を避けることができるのではないかと思っています。
さて、今回の日本史研究会の報告、これは批判ということではないのですが、テクストに対するアプローチというか、テクストのとらえ方が、政治史の方でやっているものとだいぶ違うんですね。ですから、でてきた結論に対してどうこうコメントするというより、正直なところ、前段階の史料処理の問題をどう解釈したらいいかでとまどってしまって、意見の述べようがない感じなんです。
ですから、政治史の側からだせる質問というのは、個々の事実確認みたいな感じになってしまうのですが、これは、報告者からすれば報告全体をとらえずに揚げ足とりをしているとうけとられかねない。そんなこともあって、質問ペーパーにはいろいろ細々としたこと書きましたけど、私はそのことあまりつっこみませんでした。
宗教史研究にしても、政治史研究にしても、これからますます「学際」的なものが増えていくのだと思いますが、史料に対する共通のアプローチをつくらずに、各分野の専門家だけ集めても、結局、互いにコメントできないという不毛なものに終わってしまうような気がします。

さて翻ってフーコーの『言葉と物』について考えてみると、あの著作は、言語学、生物学、経済学を横断したまさに学際的なものなわけですけど、『言葉と物』のほんとうにすごいところは、単にそういう複数ジャンルの研究が集められているというだけでなく、論究されるすべての分野のテクスト論が同じレベルにきちんと整理されているということだと思います。これはものすごいプロの仕事ですね。この著作を読むと、普通はそこで紹介されているテクストの多様さに圧倒されて、あとは何もみえかくなってしまいがちなんですけど、フーコーが最も時間をかけたのは、多様なテクストを集めるということではなく、そうしたテクストを同レベルのものとして扱えるよう整理するということだったのではないでしょうか。


史料解釈の方向性への疑問 如月 - 2005/10/19(Wed) 13:33 No.969  

さて、史料解釈の方向性の違いの問題ですが、たとえば、「自己意識としての顕密体制と<東アジア>」という報告のなかで、横内裕人さんは「平氏政権と日宋国交関係」という項目をたて、『師守記』貞治六年(1367)五月九日条、『玉葉』承安二年(1172)九月十七日条等に記してある清盛が宋に返牒を送った事実を重視しているわけです。この記事の解釈そのものは別に難しいものではなく、横内さんの指摘は事実としては正しいと思いますが、現在の政治史では、「平氏政権」というのを非常に限定的に考える傾向にあり、治承三年(1179)の政変以前を「平氏政権」とする人は少数派なのではないでしょうか。ですから、承安二年の清盛の行動を「平氏政権」の政策としていいものかどうか、その点が、私などからするとまず疑問なのですね。
またこれとからんで、横内さんは仁安元年から三年(1166-8)にかけて、頼盛が大宰大弐に任じられていたことを平氏の対外「政策」と関連づけて理解しようとするわけですが、私は、それをいうなら、この前後に摂関家が大宰府を知行していたことも重視しなくてはならないのではないかと思うわけです。摂関家の大宰府知行に関しては、たとえば、五味文彦さんの「院政期知行国の変遷の分布」(『院政期社会の研究』所収)のなかで、鳥羽院政期に忠実が大宰府を知行していたこと、また頼盛の大宰府支配の後、反平氏的傾向をもつ基房が一時期大宰府を知行していたことが指摘されているわけで、院政期には、摂関家も大宰府をとおして宋とかかわりをもとうとしていたといえるのではないでしょうか。ですから、こうした摂関家の動き平氏の動きの相違についての分析がないまま、頼盛が一時的に大宰府を支配していたという事実から、日宋関係への積極的な対応を平氏のみの「政策」としていいものか、私にはやや疑問があるのです。


日本史研究会大会 投稿者:如月 投稿日:2005/10/07(Fri) 09:45 No.941  
ぎりぎりまでスケジュール調整に苦しみましたが、明日、明後日と京都女子大で開催される日本史研究会大会↓に行ってきます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jhs/general_meeting.html
この間、私は、当サイトへアクセスできなくなると思いますが、ご了解ください。
大会報告はいずれも刺激的なものばかりですが、なかでも上川通夫さんの「日本中世仏教の成立」には大いに興味を惹かれます。

京都方面の方から小サイトにアクセスされている方、どうぞよろしく♪


京都にて 如月 - 2005/10/08(Sat) 21:57 No.947  

今、四条河原町のネットカフェにいます。今日の大会、いろいろ刺激的でした。詳細はまた。


Re: 日本史研究会大会 岩錆 - 2005/10/09(Sun) 01:31 No.950   <Home>

面白そうですね。
研究会の話楽しみにしてます。


狂気の世界 如月 in 四条河原町 - 2005/10/09(Sun) 09:33 No.951  

これからまた出陣です。京都にいるのに岩錆さんとはすれ違いですね。ごめんなさい。
会場の京都女子大は東山七条にあり、京都駅からいくと三十三間堂の前をとおります。
実は、昨日も大会に行く前に三十三間堂に立ち寄りましたが(すごい土砂降りの瞬間でした)、今日もできたらもう一度三十三間堂に行き、しばし後白河の狂気の世界にひたりたいです。


古典主義時代の知のパターン 投稿者:如月 投稿日:2005/09/30(Fri) 14:59 No.915  
言語の起源のこと、所有権の起源のこと、いろいろ問題点はありますが、これはたとえば、現代の知見からいって、ロックやコンディヤックの起源説が正しいのか、ルソーの起源説が正しいのかという問題ではないように思います。
17世紀〜18世紀にかけて、市民社会の成立という新たな社会状況に対応して、所有権の正当性や認識の根拠を問う論争が生じ、そのなかで、そうした正当性の問題に対する解決策として、起源をめぐる論争がさかんに行われるようになってきたということではないでしょうか。
で、17〜18世紀に、その解決策(解答法)は、経時的なものと構造的なものと二つでてきたわけですが、これは結局、この時代、そういう二つのパターンがあったとしかいえない性質のものだと思います。「現代に直接つながる19世紀の学問がみいだした解答は、こうした古典主義時代に見いだされた思考パターンとは全くことなる。古典主義時代の知と19世紀以降の知には断絶がある」ーーこれがフーコーの『言葉と物』がまず第一に言おうとしていることじゃないですか。
マブリについての論文をまとめながら(昨日、無事郵送しました)、最終的にはそんなこと考えてました。


「知の断絶」再説 如月 - 2005/10/01(Sat) 14:17 No.918  

この辺の所有権や言語の起源についての二つの思考パターン、『言葉と物』では十分に分析されておらず、その辺が『言葉と物』に対する不満の一つなのですが、その辺はもしかするとないものねだりなのかもしれません。

そのかわり、第五章「分類すること」は、この二つのパターンがわかりやすく紹介されており、フーコーの筆がさえている感じがしますね。
曰く、「(生物分類の可能性の問題については)リンネのように、自然がすべてひとつの分類法におさまると主張する者と、ビュフォンのように、そうした堅い枠組みにおさまるには自然はあまりにも多様で豊かだと主張する者とがいた。」(翻訳書149頁)
18世紀には、基本的に解剖学的を適用した生物分類が存在しませんから、分類は、ひたすら生物の外形の類似や相違に着目して行われるわけです。
たとえば、植物の場合であれば、さまざまな機能をもった機関がその外側にあらわれますから「分類」しやすいのですが、動物の場合、外形だけからの分類というのは非常に困難です(たとえば鯨と魚類をどのように位置づけるか。鳥類と四足獣のあいだでムササビをどのように位置づけるか。もう少し時間が経ってカントの時代になればカモノハシをどう位置づけるか)。ビュフォン風の分類というのは、極端な話、象の鼻と人間の手に着目して生物を分類するという感じですね。
これは生物の例ではありませんが、フーコーは、たとえば、化石を過去の生物の残骸とするのではなく、岩石と生物のあいだのミッシング・リングをつなぐ中間的存在物とする説をおもしろげに紹介しています。
現代の生物分類法はリンネの方法を引き継いでいるわけですが、ではリンネの分類法がビュフォンに比較して正しかったのかというと、フーコーは、それは偶然だとするわけです。つまり、解剖学も遺伝学もない時点では、「種」の定義は本質的には不可能であり、18世紀人が考えていた「種」とわれわれが考える「種」とは異なる概念であり、「科」とか「属」とか、その用語だけが共通しているのだと。
ダーウィン以降、「種」という概念は、それ以前の「種」概念から決定的に差異化されます。つまり、18世紀においては、「種」を区別することもしくは「分類」は、絵画のような静止的な一覧表のなかに存在するさまざまな生物にみられる類似と相違の言表(構造分類)であったものが、ダーウィン以降、「種」とは、とある共通した祖先からをもつ生物グループと位置づけられる(経時的分類=「種」は起源をもつ)ようになるわけです。
(われわれは、ダーウィン流の「分類」をあまりにも当然と受けとめている結果、リンネを読むときに、ダーウィンの「種」概念を遡及的にリンネに適用してしまう。)

ですから、繰り返しますが、『言葉と物』の直接的で最も大きな主題は、古典主義時代(17-18世紀)と近代(19世紀以降)の「知」の断絶の明示ですね。で、フーコーがなんのためにこうした作業を行っているかというと、19世紀以降の西欧的知の世界を支配してきた史的唯物論や歴史的必然性で事象を説明する学説が相対的なものでしかないということを主張すると同時に、それを実証的かつ具体的に破砕するためなわけです。
だからサルトルは、『言葉と物』刊行直後、直感的に、「ブルジョワジーがマルクスにたいしてつくりあげた最後の障害物」とこの本を批判したのですね。『言葉と物』は、サルトルに代表されるガチガチのマルクス主義者が読んだら、とても読むにたえられないように書かれている。でもそれは、マルクスの学説を表層的に批判するとかということとは、まったく別なものとして仕上がっているわけです。


『言葉と物』の屈折 如月 - 2005/10/01(Sat) 14:29 No.919  

え〜、念のため付け加えておきますと、フーコーは『言葉と物』のなかで、「マルクス主義はもうダメですよ」と「言う」ことは全然重視してないんですね(*^_^*)。
そうじゃなくて、『言葉と物』がめざしてるのは、教条的なマルクス主義の論理や方法論を、根底から具体的に裏返すことなわけです。
この辺、『言葉と物』におけるハイデガーに対する言説戦略、すなわち、ハイデガーという固有名に言及せずにハイデガーを問題とするという戦略と合わせ検討する必要があると思います。

(↑やになるほど、屈折した「戦略」やねえ<笑>)


「分類」についてのいささかの補足 如月 - 2005/10/01(Sat) 15:05 No.920  

それから、生物の分類に関して、リンネの説は間違っていて(もしくは不十分で)ダーウィンが正しい、それだけのことじゃないか、これは二つのパターンの並立の問題じゃないんだとお考えになる方もおられるかもしれませんから、こちらの方もちょっと補足しておきます。

現代の最も厳密な生物分類がDNAの一致や相違によるものだということは、大半の方が賛成してくださると思います。ところが、DNAを問題にしだすと、それが何パーセント一致すると同じ種で何パーセント違ったら違う種とするか、基準(単位)が何もないのですね。
ですから、たとえば、ある人は1%違えば違う種だと主張できるし、別の人は10%違っても同じ種だと主張できる。要するに、これはどのように主張しようと結論がでないわけです。
ですから、DNA分析を用いて可能な言表は、この生物(群)はこういうDNA構成をしており、別のこの生物(群)はこういうDNA構成をしているということだけじゃないですか。
DNA分析は、一見、精密な生物分類を可能にするようにみえて、実際には分類という行為そのものを完全に破砕するものだと私は考えます。
(よって、「分類」ということに関しては、リンネが正しいともダーウィンが正しいともいえないんじゃないかというのが私の考えです。また、この論理からすれば、むしろビュフォンにも一理あるといえ、その考え方を無下に否定することはできないと思います。)


ユリ科植物の「分類」 如月 - 2005/10/01(Sat) 15:08 No.921  

お暇な方、植物分類につきましては、↓ページもご参照いただければ幸いです。
http://www.furugosho.com/vertige/flora/yurika.htm


固有の名と共通の名 如月 - 2005/10/03(Mon) 00:47 No.922  

今日は、『言葉と物』の第五章「分類すること」を読み返していました。読み返しながらはっと思う点、多々あったのですが、これまでの私の書き込みとの関連でいうと、以下の段落に特に注目せざるをえませんでした。
例によってまず引用。

「博物学はこうしてよくできた言語となるのだが、このよくできた言語の核心にはまだひとつの問題が残されている。というのは、構造を特徴に変換することは結局のところ不可能なことかもしれず、固有の名(=固有名詞)はけっして共通の名(=普通名詞)とはなりえないかもしれないからだ。新たな個体や種に出会うたびにあまりにも多様な要素が記述されれば、共通の名を作ろうとするあらゆる試みははじめから破綻をきたすだろうが、そうならないという保証が誰にできるだろうか?それぞれの構造が他のすべての構造から厳格に孤立させられてはいないということ、それがたんなる個体の標識として機能するものではないということを、だれが断言できるだろうか?いかに単純なものであれ特徴があらわれるためには、最初に考察した構造の要素のすくなくともひとつが他の構造のうちにも反復されなければならない。なぜなら、さまざまな種の配列を可能にする相違性の一般的秩序は、相似というもののある種の働きを前提としているからだ。これは、まえに言語に関して出会ったのと同型の問題である。言語において普通名詞(共通の名)が可能となるためには、物相互のあいだに直接的類似がなければならず、その直接的類似のおかげで、能記となる要素は、物の表象に沿って走り、その表面で変位し、その相似点にまといつき、かくしてついには多数の物に適用しうる指示名称を形成することができた。しかし、名がしだいに一般的価値をおびていくこの修辞的空間を描きだすには、この直接的類似が何であるか、それが真実にもとづくか否か、決定する必要はなく、ただこの類似が想像力に充分な力を貸しあたえるというだけでこと足りたのだ。だが、よくできた言語である博物学にとっては、想像力にもとづくこうした類比は保証となりえない。(中略)自然には連続性があると考えなければならないのである。」(168〜9頁)

まず、単純なところから。
冒頭の「博物学はこうしてよくできた言語となる」というフレーズは、コンディヤックの「思考の技術はよく作られた言語に還元される」というフレーズを書き換え、例によってコンディヤックの固有名をあげずにコンディヤックに言及したものですね。
それと、「いかに単純なものであれ特徴があらわれるためには、最初に考察した構造の要素のすくなくともひとつが他の構造のうちにも反復されなければならない」というフレーズでは、ハイデガー的な「als」もしくは「つねにすでに」の問題を考えているのではないでしょうか(ただし、この箇所ではハイデガーのことは意識していないと思いますが)。

さて、引用文全体。
これはフーコーがいわゆるマルクス主義を批判し、またハイデガー的問題について考察するときにマルクスもしくはハイデガーという固有名をもちいないことのみごとな説明になっているのではないでしょうか。つまり、引用文全体で行われているのは、固有の名が共通の名となりうるのか、にもかかわらず共通の名が存在するとき、その共通の名はどのような資格で存在するのかという疑問の提示ですね(この問題はどうしても「als」もしくは「つねにすでに」に抵触する)。
思うに、マルクス主義なりハイデガー哲学というのは、ほんらいマルクスなりハイデガーという固有の名をもった個人において完結しているわけですが、一般的には、そうした個人をはなれて、ある普遍性をもった思想や哲学として理解されます。「マルクス主義」「ハイデガー哲学」という言葉は、通常、そうした共通の名(思想)を指すのではないでしょうか。するとここで、たとえばハイデガー個人の思想といわゆるハイデガー哲学(他者によるハイデガー解釈)の違いが問題となってきます。ただ、この厳格な意味での「ハイデガー個人の思想」(固有の名)に関しては、厳密にはハイデガー自身しか言及できないわけで、他者がアプローチする場合には、必然的に「ハイデガー哲学」(共通の名)となってしまうわけですね。すると、共通の名(ハイデガー哲学)から出発して固有の名(ハイデガー個人の思想)にアプローチしようとするならば、共通の名に含まれている固有の名は捨てざるをえないことになる。つまり、フーコーはつねにすでにハイデガーにおいては語り得ず、フーコーが語るハイデガーの思想はあくまでも「ハイデガー哲学」(共通の名、フーコーによるハイデガー解釈)なわけですから、自己の解釈が介在することを避けながらハイデガーが提起した問題にアプローチしようとするならば、(ハイデガーの)テクストをじかにとりあげて、それをフーコーの名において語ることしかできないわけです。


大東亜戦争 後鳥羽院 - 2005/10/04(Tue) 20:11 No.924  

全然関係ない話で恐縮ですが・・・。
小太郎さんのところに書きましたが、「大東亜戦争」という名称は、昭和17年2月、帝国憲法下で正式に発効した法律名だったのですね。
デノミナシオンといいますか、ノミナリスムといいますか、戦前においても、恐ろしく「合法的」だったんだな、と空恐ろしく(?)なりました。
フーコーが言ってるかどうか、不案内ですが、言葉はやはり「権力」のpossession であり、かつ、propriete なのでしょうかね。
言葉なんか覚えるんじゃなかった、と言った詩人は田村隆一でしたか。

いま、「ジャンヌ・ダルク」(岩波新書:高山一彦著)を読んでいますが、ジャンヌ裁判を見ますと、いやになるほど「言葉」があります。ジャンヌが異端であることを「証明」するとか、ジャンヌが聞いた「声」は正統神学を汚すものである、とか・・・。
なに言ってやがんだ、という気もしますが、これが人間の宿命でしょうか。
後鳥羽院が、隠岐に流されても、よせばいいのに、あれほど「歌」に執着したのは何だったのだろう、と最近しきりに思います。


日本版「固有の名と共通の名」 如月 - 2005/10/06(Thu) 10:02 No.933  

というか、この固有の名と共通の名の問題は、本歌取りとは何かを解くキーポイントではないかとも思っています。


博物学(知)と言語 如月 - 2005/10/06(Thu) 12:18 No.935  

フーコーの次のような記述、すぐれて後鳥羽的だと思われませんか?

「もし経験がその中断されることのない運動によって、個体、変種、種、属、綱の連続体を正確に一歩一歩踏破していくことができるなら、とくにそのために学問を成立せしめる必要はなく、記述的な指示が正当な権利をもって一般化され、物の言語がおのずから学問的言説となるであろう。自然のもつ種々の同一性は何ひとつ略されることなく想像力に呈示され、修辞的空間における語の自然発生的変位は、諸存在相互の同一性を、しだいに一般化されていくかたちに実線をもって写しとるだろう。博物学は、無用のものとなる、というよりはむしろ、人々の日常の言語によってすでにつくられていることになろう。一般文法が同時に諸存在の普遍的<分類学>となるわけだ。」(『言葉と物』翻訳書170-1頁)

私は、新古今を編纂しようという発想の出発点は、後鳥羽の、こうした「言語によって博物学を再構築したい」という心理のなかにあるような気がしています。
すると、次のような記述もおもしろく読めるんですね。

「古典主義時代に展開されたような博物学を、たとえ晦冥でまだたどたどしいものにせよ、何らかの生命の哲学に結びつけてはならない。それは実際には語の理論と交錯しているのだ。博物学は、言語のまえと同時にあとにある。博物学は日常言語を解体するが、それは、この言語をつくりなおし、想像力の盲目的類似をとおして日常の言語を可能ならしめていたものを発見するためにほかならない。博物学は日常の言語を批判するが、それはその基礎をあきらかにするためである。博物学が日常の言語をとりあげてこれを完璧に仕あげようと望むのは、同時にこの言語の起源に回帰することでもある。博物学は、その直接的地盤として役だつこの日常的語彙の存在理由を構成しえたものを求めるわけだが、逆にその博物学は、それが本質的に名の意図的な用法であり、物にまことの名称をあたえることを究極の目的とする以上、完全に言語の空間に宿ってもいるのである。このように、自然の理論と言語とのあいだには、批判的タイプの関係が実在する。しじつ、自然を認識するとは、言語から出発してまことの言語を構築することであり、このまことの言語とは、一般に言語というものがいかなる条件で可能となるか、それがいかなる範囲で有効性の領域をもちうるかを、あきらかにするものにほかならない。」(同上、184-5頁)

博物学(知)と言語の関係の理論から、権力と言語の関係の理論が生み出されていくのは、フーコーにとっても後鳥羽にとってもあと一歩です。


基礎理論 後鳥羽院 - 2005/10/06(Thu) 21:21 No.939  

「一般文法が諸存在の普遍的<分類学>となる」
「博物学は・・・完全に言語の空間に宿っている」
「言語というものがいかなる条件で可能となるか」
これらフーコーの言説は、非常にヴィトゲンシュタイン的で、私などにはとてもよくわかります。初期の「論考」は、博物学(知)の基礎理論、とも読めますものね。
後鳥羽にフーコーとヴィトゲンシュタインを読ませたかったなあ。おい、亀菊、こんなに面白い本があるぞ、世界は広いようで狭いもんだな・・・(笑)。
道元の正法眼蔵も、博物学(知)の再構築と言えますね。正法眼蔵は、新古今と同じように本歌取りで、何も目新しいものはない、とも言えますね。中国の高僧がすべて言い尽くしたことの再構築だと。


『正法眼蔵』vs.『田園交響曲』 如月 - 2005/10/07(Fri) 11:20 No.942  

院よ、直前の私の引用は、ちょっと意地悪な引用になってますから、誤解なきよう少し補足しておきます。

まず、最初の引用文ですが、これは「もし…できるなら」という条件文になっており、フーコーは、少なくともこの条件文のような思考パターンは18世紀のものとは違う(それ以前のものである)ということを言いたがっているように思われます。
ただわれわれの文脈では、このフレーズが18世紀思想に適合的であるかどうかを問題にしていないわけですから、私のような引用も、院のような対比もともに可能であると考えます。
ちなみに、上掲の引用文は次のような文章に接続されます。
「けれども、語の分析とは完全に区別されるものとして博物学が要求されるのは、経験が自然の連続体をそのままあたえないからである。経験はそれを寸断されたかたちであたえる。なぜなら、可変要素が実際にとる一連の値にはおおくの空隙があるからだ。」(同上)

次に第二の引用文ですが、こちらはフーコーのいうlangage vrai(まことの言語)を、ぜひとも「真言」と自動転換してお読み下さい(*^_^*)。

それと、院は、このフーコーの言葉から、ご自身の同時代人である道元禅師のことを思い浮かべておられるようですが、私は、たとえば古典主義時代の終わりにベートーヴェンの『田園交響曲』のような音楽が生まれた背景には、ヨーロッパのこうした博物学を他の言語で置き換えることが可能だとする知的風土があるのではないかと思っています。
いずれにしても、フーコーが記しているような思考パターンが『正法眼蔵』(もしくは『新古今』)となって結実するか、『田園交響曲』となって結実するかは、それこそ時代や地域の相違じゃないですか。


classer 如月 - 2005/10/07(Fri) 11:59 No.943  

あ、それから、些細なことのようですが、「分類すること」の原語はclasserです。ですからこれは、単純にあるものを区別すること、もしくはものの絶対的な相違を明らかにすることではありません。むしろ、とあるものをある既存のカテゴリー(classe)のなかに入れることというニュアンスが強いでしょうね(classeがclasseされるものに先行しているわけです)。つまりこれはハイデガーいうところの「als(…として)」の構造です。
今、「絶対的な相違を明らかにする」と書きましたが、普通に考えれば、その相違は言語によって表示されるのであり、言語はそれによって表示されるものに先行するカテゴリーという資格で言語であることができます。ということは、通常の言語によっては「絶対的な相違を明らかにする(絶対分類)」ことはできず、われわれの行為はたかだかclasserだというわけです。

それとの関連でいうと、フーコーのいう「分類すること」というのは、むしろ「古典主義的 (classique=典拠にもとづく)」の縁語ですね。
つまり、フーコーがどこまで意識しているかわかりませんけど、『言葉と物』は、classiqueの時代の博物学の特徴はclasserにあると言っていることになります。


道元  - 2005/10/08(Sat) 10:55 No.946   <Home>

私見では、中国の禅は「不立文字」止まりではないかと思っています。

しかし道元は、『正法眼蔵』で、その先に進み得たように思います。


書き込みの方向性についてのお願い 如月 in Kyoto - 2005/10/08(Sat) 22:02 No.948  

佐々木さん、書き込みありがとうございます。
ただ、できれば、スレッドの流れ(このスレッドでいえば「固有の名」と「共通の名」もしくは「一般言語学」)にそって書き込みいただけると、ありがたいです。


下地中分と欲動 投稿者:後鳥羽院 投稿日:2005/09/27(Tue) 19:39 No.901  
例の nue-propriete(虚有権)は、ナポレオンの民法典以降の法概念のような気がしますが、マブリの思考からすると、「nue-possession」は、語義矛盾としてありえない、ちょうどボルヘスの分類概念のように、ということになりましょうか。
法概念を離れて考えますと、nue-possession は、もしありうるとすれば、フロイトの無意識に相当するのではないか、とふと妄想しました。
鎌倉時代の用語に引き直すと、propriete は当知行、possession は不知行、となりましょうか。あるいは、propriete は下地中分のように分割できるけれども、possession は折半できず、したがって、地頭の容喙する余地はなく、頑として領家に帰属する、とも言えましょうか(笑)。
法律家は、ときどき、権原という言葉を使います。原語はドイツ語だと思うのですが、そもそも権原なるものが存在するのであろうか、と私は思います。ただの擬制概念にすぎぬ、と。


お恥ずかしいことですが… 如月 - 2005/09/28(Wed) 01:27 No.903  

荘園問題も難しいですが、ヨーロッパの所有権思想の問題も、とても難しいですね。今になって、proprieteとpossessionの問題の広がりは、へたをすると私の論考をdeconstruireしてしまうのではないかという不安にかられています。
自分の理解不足をさらすことになり、非常にはずかしいのですが、この問題についての現在の私の理解を示すため、とりあえず、以下に口頭発表原稿と改訂稿&註掲げておきます。

【口頭発表原稿】
 第三の手紙では、まず社会改革の主体は限定された哲学者ではなく市民であるとされ、この観点から言論弾圧が批判される。この議論は、『精神論』弾圧事件に対するマブリの間接的な解答とも考えられる。一方、言論の自由から内戦が生じることも懸念されるが、スタノップ卿は、「内戦はしばしば大いなる善である」と応じる。また人間には、生命、自由、安らぎ、財産の保持など他者に譲り渡すことのできない権利があると指摘される。この先、議論は市民法に移り、「私」によって、市民財産を保障する「時効prescription」は賢明であるとされる一方、国王による権力の横領に対しては時効は適用されないと述べられる。すなわち、本来的には「規定・命令prescription」でしかない「時効」は、自然的根拠をもたない、いわばノミナルな性質のものであり、そうである限り、新たに規定し直すことが可能である。国王が国民の暗黙の同意によって享受している合法的な権利についても、自由がおびやかされる危険な状態では、国民は国王から取り返すことができる。政治権力の根拠が究極的には規定(=時効)でしかないという議論は、第二の手紙で述べられた抵抗権の論理的フォローともなっている。
 なお、この時効についての議論のなかでは、マブリが「所有propriete」と「占有possession」を異なる概念として扱っていることにも注目しておく必要がある。所有とは文字どおり個人に特有(propre)な権利であり、他者に譲渡することもできないし、時効にもかからない。所有を自然権であるとするマブリの考えは、ロックの考えをそのまま追認したものである。これに対し占有は本源的なものではなく、とある時点で「規定」されたことに起源を有する。したがってこうした占有を合法的に守るものは「時効」ということになる。

【改訂稿】
 第三の手紙では、まず社会改革の主体は限定された哲学者ではなく市民であるとされ、この観点から言論弾圧が批判される。この議論は、『精神論』弾圧事件に対するマブリの間接的な回答とも考えられる。一方、言論の自由から内戦が生じることも懸念されるが、スタノップ卿は、「内戦はしばしば大いなる善である」(15)と応じる。また人間には、生命、自由、安らぎ、財産の保持など他者に譲り渡すことのできない権利があると指摘される(16)。この先、議論は市民法に移り、「私」によって、市民財産を保障する「時効prescription」は賢明であるとされる一方、国王による権力の横領に対しては時効は適用されないと述べられる(17)。すなわち、本来的には「規定・命令prescription」でしかない「時効」は、自然的根拠をもたないいわばノミナルな性質の権利等を保護する社会的効果であり、そうである限り、時効によって守られているものの権利関係は新たに規定し直すことが可能である。国王が国民の暗黙の同意によって享受している合法的な権利についても、自由がおびやかされる危険な状態では、国民は国王から取り返すことができる(18)。政治権力の根拠が究極的には規定(=時効)でしかないという議論は、第二の手紙で述べられた抵抗権の論理的フォローともなっている。
 なお、この時効についての議論のなかでは、マブリが「所有propriete」と「占有possession」を異なる概念として扱っていることにも注目しておく必要がある。所有とは文字どおり個人に特有な(propre)権利であり、他者に譲渡することもできないし、時効にもかからない。所有権を自然権であるとするマブリの考えは、ロックの考えを追認したものといえよう。これに対し占有は本源的なものではなく、とある時点で「規定」されたことに起源を有する。したがってこうした占有を合法的に守るものは「時効」ということになる。
 ロックの『統治二論』は、所有権の正当性を論証することにポイントがあり、所有権が確立されたのちに生じる財産の不平等をどのように是正するかについて十分論じているとはいえないが、マブリは、ロックが論じつくせなかった財産や諸権利の不平等をprescriptionという言葉のもつ二重性から論じ、ロックの議論を一歩すすめて、不平等の是正を訴えているのではないだろうか(19)。

【註16(改訂稿用)】
ジョン・ロック『統治二論』第2篇第9章参照。ここでロックは、「所有権(property)は生命、自由、財産からなる」と述べている。
【註19(改訂稿用)】
proprieteとpossessionの違いは、ロックの『統治二論』にすでにみられる(property、possession)。しかし、ロックがこの問題を主題として語る箇所(第2篇第5章「所有権について」)は、原初的所有権(property)の正当性を明らかにすることに主眼があり、propertyとpossession(ロック哲学の用語としては、通常、「財産」と訳される)の違いは、主題的に述べられていない。ちなみに、『統治二論』の議論のなかで、possessionは自己の身体所有権をも含む広い概念であるpropertyのなかに包含されていると考えられる(三浦永光『ジョン・ロックの市民的世界ーー人権・知性・自然観』<未来社、1997年車>第1章、下川潔『ジョン・ロックの自由主義政治哲学』<名古屋大学出版会、2000年>第2章参照。また本稿註16参照)。これに対してマブリは、『市民の権利・義務について』のなかで、自己の労働によらない相続財産等を念頭においてpossessionという用語をもちいているように思われる(広義の財産にはbienという用語をあてる)。したがって、マブリのpossession概念はロックと同じではないが(ゆえにマブリのproprieteとロックのpropertyにもズレが生じる)、これはマブリがロックを誤読したというより、ロックの問題意識を相続財産等の場において発展的に継承したというべきではないだろうか。
 このように、所有権の問題を、発生の段階においてではなく、相続という社会状況の場においてとらえるというマブリの問題意識は、言語についてのコンディヤックの問題意識と共通するものといえよう。

【参照】
マブリ『市民の権利・義務について』〜第三の手紙(その4)
http://www.furugosho.com/vertige/kenri-gimu3d.htm


つねにすでにのproperty論 如月 - 2005/09/28(Wed) 09:15 No.906  

今、私が考えているのは、まずロックがpropertyを正当化する論理のことなのですが、ロックは、たとえばルソーなどが行うように、「原初的共有状態→私的な占有→社会契約→社会に公認された所有」という経時的な説明を行いません。ロックの論理は、「個人の身体が当人のpropertyであることから、当人が自分で労働してつくりだしたもの(goods、estate)は当人のpropertyである」という、いわば構造的なものなのです。ですからこの場合のpropertyに果たして「所有」という訳語をあてることができるか、すごく疑問があります。つまり最初の図式でいうと、占有と所有の違いのようなもの、ロックは考えていないのです。なにものかがある人に帰属している状態は、一律にpropertyなのですね。かつ、ロック自身がpropertyの構成要素として「生命・自由・財産(estate)」をあげているので、この点からも、現代日本語の「所有」という概念と少しなじまないところがある。
propertyと社会契約の関連でいうと、契約が私的占有を公的所有にかえるのではなく、ロックの場合、共有から一気にpropertyが生まれ(ですからpropertyは自然権です)、その自然状態におけるpropertyを社会契約が追認していくのです。
このロックのproperty発生に関する議論は、構造的に、コンディヤックの言語起源論によく似ていて、コンディヤックは社会以前に言語が生まれるというのですね(これにもルソーが猛烈に反発する。曰く、言語が生まれるということは、その時点で原初的な契約がかわされ社会が生まれるということである)。
要するに、ロックのproperty発生論やコンディヤックの言語起源論は、社会との関連でいえば、「つねにすでに」なのです。
この点はマブリも同じで、proprieteの起源の問題はすどおりして、そのうえで、社会に実際存在する不平等をどのようにみるか、それにどのように対応するかを問題にするわけです。prescriptionの二重性というのは、そこからでてきた発想ではないでしょうか。
するとこれは、所有権とか言語とかの個々のレベルの問題ではなくて、社会ないし社会契約をどうとらえるかの問題として浮上してくる。ただこの点に関していえば、ロック、コンディヤック、マブリは、「社会」の誕生というのを疑似問題ととらえていたのではないかと思うのです。


propertyとlaws 如月 - 2005/09/28(Wed) 09:35 No.908  

こうした観点からは、ロック『統治二論』(第2篇第5章第50節)のなかの「in governments, the laws regulate the right of property, and the possession of land is determined by positive constitutions」といった言葉も意味深ですね。
ちなみに、岩波文庫(鵜飼信成)は、これを次のように訳しています。
「国家においては、法が所有権を規律するのであり、そうして土地所有は実定制度によって定められている」


抵抗権 如月 - 2005/09/28(Wed) 12:30 No.909  

ロックにおいて(そしてマブリにおいても)、propertyは社会契約によって生じるのではなく、契約以前に生じる自然権ですから、社会状態においてproperty(生命、自由、財産)が侵犯されるとき、社会に対する抵抗もまた自然権として容認されます。
これに対して、propertyが発生した時点で社会が発生した、propertyは社会契約のなかに含まれるとすると、社会に対する抵抗というのは、なんとも不可解な事態になってしまうのではないでしょうか。


De vita propria ・・・ 後鳥羽院 - 2005/09/28(Wed) 19:42 No.910  

Immer-schon に、テキストに添わない書き込みになりますが(笑)。
appropriation を ap-propriation とハイフンで引き裂いて、つねにすでの言語ゲームをしていたのは、たしかデリダだったかな。どういう意味になるのか、覚えていないのですが。
私の敬愛する十六世紀のイタリアの人ジェローラモ・カルダーノの De vita propria liber は、我が人生の書、などと訳されてますが、図らずも生命と財産が近接していますね。
propre(仏)とproprio(伊)は、意味のズレは殆どないでしょうが、すると、ローマ法が所有と占有を使い分けていたかどうかが問題になり、ますますボルヘス的な迷宮世界にはまってしまいますね。迷宮好きの如月さんだから、大丈夫でしょうけれども(笑)。


propertyとEcriture 如月 - 2005/09/29(Thu) 01:14 No.911  

デリダはEcritureなる語を造語して、これとecritureを対比させるわけですが、それからするとロックのpropertyなんかは、ほんとはPropertyなのかもしれない(*^_^*)。
ところで、マブリ論口頭発表の際には、次のような文章、参考資料として添付しました。
ロックのProperty論とコンディヤックの言語起源論を比較するための材料としては、現在のところ、これが私が提出できるぎりぎりのところです。

   *    *    *

 コンディヤックが記す言語および社会の起源は、次のように非常に簡潔なものである。
 「彼ら(大洪水後に生まれた二人の子供)が一緒に生活するようになると、これら初歩的な魂の働きを訓練し発揮する機会が多くなった。というのは、彼らが相互に交渉しあうことによって、あれこれの情念の叫び声といくつかの知覚とが結びつくようになったからである。すなわちそれらの叫び声は、それぞれに対応する知覚の自然的な記号となっていったのである。(中略)この瞬間(自然的記号によって他人の苦しみを理解した瞬間)から、彼はその苦しんでいる人を助けてやりたいと思うようになり、自分に可能な範囲でこの衝動に従うようになった。このようにして彼らは、唯一の本能に従って互いに助けを求め合い、与え合ったのである。」(『人間認識起源論』、古茂田宏氏訳、下巻17頁、岩波文庫)
 これに対しルソーは次のように問う。
 「私はここで、すべて私の意見を完全に確認し、恐らく最初の観念を私に与えてくれた、コンディヤック師のこの問題についての研究をここに引用するか、くり返すかするだけにとどめておいてよいだろう。しかしこの哲学者が、記号設定の起源について自分に提示した問題点を解決するその仕方を見ると、彼は私が疑問にしていること、すなわち言語の発明者たちのあいだにすでに一種の社会が成立していたことを仮定していたことがわかるので、私は、彼の考察を参考にしながらも、同じ困難な問題を私の主題に適するような明るみにさらすために、私自身の考察をそれにつけ加えなければならないと思う。」(『人間不平等起源論』、本田喜代治氏、平岡昇氏訳、59頁、岩波文庫)
 ルソーが新たに提出する問題は次の二つである。@人間間にいかにして言語が必要となりえたか、Aいかにして言語が確立されたか。
 しかしこれに対し、コンディヤックの思想を詳細に研究した山口裕之氏は、まず幼児による一般的な言語習得プロセスを検討して「言語を習得するとは記号を契機として観念を探究することである。つまり幼児は、自ら形成した観念に記号をあてがうことを教えられるのではなく、記号を先に教えられ、それが示す観念を探すことで言語を習得する」(『コンディヤックの思想ーー哲学と科学のはざまで』242頁)とし、さらに、「コンディヤックの言う分析とは、既に成立し流布している記号ないし観念のうち、共通理解が成立していると思われるものを出発点として、共通理解が成立していないと思われるものについて理解を図ろうとする営みなのである」(前掲書、283頁)と、結論づける。つまり、山口氏にしたがえば、コンディヤックの考える人間は徹底して経験に生きる社会内存在なのであり(幼児はすでに言語を習得しているその親から言語を学ぶのであり、親も同様である。人間にとってこれ以外の言語習得プロセスは想定できない。これは循環論法ではなく、事実の問題である)、ルソーが指摘するような社会の外(社会形成以前)についての問題は、コンディヤックからすれば、解答不能もしくは問うことそのものが無意味といわざるをえないということになろう。
 コンディヤック思想のもつ、人間をなによりもまず具体的な社会内存在としてとらえるという方向性は、一ノ瀬正樹氏によれば、次のように、ロックにおいてすでに見出されるものであった。
 「確かに感覚や知覚はロック経験論の鍵をなす概念だが、それはあくまでも言語教育などを支える社会制度を背景にして具体的状況下で生じる、当人の人格に帰属する行為なのであり、実践としての感覚経験や知覚経験にほかならない。(中略)ロックの議論は、知識以外の通常の財物の所有権もまた、自然法認識という究極的な知識との対応においてこそ確立していく、とする考えを強力に指し示している。その点でやはり、人格と知識の概念は真に融合していくのである。」(『人格知識論の生成ーージョン・ロックの瞬間』、13〜4頁)
 一ノ瀬氏によるロック思想の分析は、コンディヤック(やマブリ)が、ロックから何を学び取ったかを考えるうえで示唆的である。


ロック 的「つねにすでに」 如月 - 2005/09/29(Thu) 01:21 No.912  

ちなみに、口頭発表後に読んだ『人間知性論』のなかで、ロックは次のように言っています。
「子どもたちは混合様相の観念をもつまえにその名まえを学ぶのが通常の方式ではないか。」(『人間知性論』第3巻第5章)


ひいこらひいこら 投稿者:如月 投稿日:2005/09/23(Fri) 20:45 No.885  
今まで毎日遊んでいたので、ひいこらひいこら言いながら、期限が間近(9月末日)に迫った日本18世紀学会への論文(50枚)を執筆しております。
私の場合、口頭発表用のレジュメ(約40枚)がほぼ完全原稿ですので、原稿の論旨変更や手直しは少なく(手直しのなかの重要なものは、口頭発表の際に一橋大学の森村敏己さんに指摘された点です)、ひたすらそれに註を付け加えるという作業を行っているのですが、論文の註にあたる参考資料がレジュメの倍の分量ありますので、それをどう短くして註に取り込むかに四苦八苦。
論文には査読があり、投稿が却下される場合もあるというので、しんどいです。


ポンパドール・ローズ 後鳥羽院 - 2005/09/23(Fri) 22:55 No.886  

さきほど、NHKの美術紀行を見ていたら、ポンパドール夫人の舟形容器(1760年)というセーブル磁器の放映をしてました。ロココらしく、エレガントな磁器でした。


prescription 如月 - 2005/09/24(Sat) 01:11 No.887  

本文はなんとかいくと思うのですが、欧文レジュメが必須なのでどうなることやら。
私の報告の場合、prescriptionが異なる二つの意味(規定・時効)をもつというのはやはりポイントなのですが、欧文に戻せば、結局どちらもprescriptionでしょう(^^;)。


とりあえず… 如月 - 2005/09/24(Sat) 15:40 No.888  

とりあえず本文&註は終わりました。
本文を見なおしてたら、口頭発表レジュメのなかのマブリのテクスト解釈に誤りを見つけてしまいました(^^;)。例のパンドラの箱に関係する部分です。お恥ずかしいかぎり。
提出期限まではまだ少し時間がありますから、全体をもう少し見なおし、あとは欧文レジュメをなんとかがんばりたいと思います。


改訂のポイント 如月 - 2005/09/25(Sun) 10:12 No.890  

改訂のポイントは、現段階では次のとおりです。それは、資料Iの第三段落の解釈にかかわるのですが、口頭発表では、これを「無人島に建設する国家の施策」と考えたのに対し、そうではなくて、これは「現実社会に適用すべき施策」ではないかと思いいたったため、この点を中心にして、テクスト分析を改めました。

【口頭発表原稿】
 つまるところ、社会悪の源泉とは何か。それは財産の所有である。すべての人が平等、富裕、貧困、自由、兄弟である国家を設立しようとするならば、無人島に国家を建設するしかない(→資料I)。このくだりはマブリによるユートピアの記述として『市民の権利・義務について』のなかでも最も有名な箇所であろう。しかしこの記述のみをもってマブリを共産主義的思想家と断定するのは、実は容易ではない。
 資料Iを読むと、第一段落では、財産所有権を人類を苦しめる不幸の主要源泉(パンドラの箱)としながらも、スタノップ卿は初期社会における所有権の確立を容認している。またこの不幸への対策も、一足飛びに財産共有を実現すること(パンドラの箱以前への回帰)ではなく、所有権とともにパンドラの箱から飛びだした希望の光線によるとされる。
 第二段落でスタノップ卿が無人島に打ち立てたいとする国家も、「固有のものをなにも占有しない(個人ではなにも占有しない)ne rien posseder en propre」ことを第一の法とするという点に注目する必要がある。「時効」の項でもみたように、マブリにおいて「占有」と「所有」は異なる概念である。微妙な表現ではあるが、「固有のものをなにも占有しない」というのは、根本所有権の否定を指すのではないのではないだろうか。
 つまり、そう解釈しないかぎり、第三段落を理解することは難しい。この段落で、マブリ無人島に建設する国家の施策を述べていると思われるのだが、その施策はとりもなおさず所有権(貪欲)対策である。つまり、パンドラの箱から飛びだした希望の光線が、「競争心を刺激するにふさわしい報償の授与」として、この段落で具体的に述べられていると考えられるのである。
 してみると、マブリは完全な財産の共有と固有のものをなにも占有しない状態を区別して考えているのであり、ここでのマブリの理想国家は、個人の根本所有権を容認したうえで、不当な占有を排除した国家ではないだろうか。

【改訂稿】
 つまるところ、社会悪の源泉とは何か。それは財産の所有である。すべての人が平等で、すべての人が富みかつ貧しく、自由、兄弟である国家を設立しようとするならば、無人島に国家を建設するしかない(22)。このくだりはマブリによるユートピアの記述として『市民の権利・義務について』のなかでも最も有名な箇所であろう。しかしこの記述のみをもってマブリを共産主義的思想家と断定するのは、実は容易ではない。
 所有権に関するマブリの議論を詳細に読むと、まずはじめに、財産所有権を人類を苦しめる不幸の主要源泉(パンドラの箱)としながらも、スタノップ卿は初期社会における所有権の確立を容認している。またこの不幸への対策も、一足飛びに財産共有を実現すること(パンドラの箱以前への回帰)ではなく、所有権とともにパンドラの箱から飛びだした希望の光線によるとされる(23)。
 これに続く箇所でスタノップ卿が無人島に打ち立てたいとする国家は、「固有のものをなにも占有しない(個人ではなにも占有しない)ne rien posseder en propre」(24)ことを第一の法とする。
 しかし無人島ならざる堕落した現実社会にこの法は適用できない。続く段落でマブリは、一転して現実社会における施策を述べていると思われるのだが、その施策はとりもなおさず所有権を補う対策である。つまり、パンドラの箱から飛びだした希望の光線が、「競争心を刺激するにふさわしい報償の授与」(25)として、この段落で具体的に述べられていると考えられるのである。
 してみると、マブリにとっての理想的な国家とは、個人の根本所有権を容認したうえで、不当な占有を排除した国家ではないだろうか。理想はあくまでも理想だからとして無人島の財産共有社会を賞賛しそれを一気に実現せよとするのではなく、マブリにとって、理想とはあくまでも具体的に実現可能なものでなくてはならなかった。所有権をめぐるこの一連の議論は、現実的なユートピスト、マブリの思想の特徴をよく表しているように思われる。

【資料I】
 「おわかりですか、」散歩を終えながら卿は私に言いました。「人類を苦しめるすべての不幸の主要な源泉が何であるか。それは財産所有権です。私は承知しております、」彼はつけ足しました。「初期の社会は正義のうちに所有権を確立することができました。また、自然状態において所有権が完全に確立されるということを、人は認めてもおります。なぜなら、人が建てた小屋、人が栽培した樹木の果実を、その時点において人が自分に固有の財産だと見なす権利をもっていたことを誰も否定できないからです。互いの力を提供し合うために社会に結合しながら、各家族が固有の所有権を保持していたこと、もしくは、食糧を供給するであろう原野を互いの間で分割することを何も禁じなかったのは疑いありません。自然状態において、風俗の野蛮さと、個々人が他のすべての人に行使することを主張する権利は無秩序を引き起こすという見解そのものから、また分割がもたらす数知れぬ不都合を予見する経験の欠如から、新しい市民の間に財産の所有権を確立することが有益だと見なされたに相違ありません。しかしこの致命的なパンドラの箱から出てきた限りない悪を目のあたりにしているわれわれも、もし希望のほんの僅かな光線が理性を刺激したならば、詩人たちによってあれほどまでに賞讃され、惜しまれ、リュクルゴスがラケダイモンに確立し、プラトンがその国家に再生させようと欲し、私たちの風俗の堕落のためにもはや幻想でしかありえないこの幸福な財産の共有にあこがれる必要はないでしょう。」
(中略)
 「旅行家たちの(記録の)なかに、空は澄み水は健康的で、そこに国家を建設しに行きたいと私に思わせないようなとある無人島の記述を読まないことは、まずありません。その国家ではすべてが平等、すべてが富み、すべてが貧しく、すべてが自由、すべてが兄弟であり、私たちの第一の法は、固有のものとしてはなにも占有しないということでしょう。私たちは公共倉庫に労働の果実を持ち寄るでしょう。公共倉庫は国家の宝、各市民の資産です。家長たちは、毎年、各個人の要求に応じて必要物を分配し、共同体が必要とする労働を個人に割り当て、国家の良俗を維持することを課せられた会計員を選ぶでしょう。
 私には、所有権が鼓舞する労働への嗜好と熱意のすべてがわかります。しかしもし、堕落なかで私たちを動かすことができる動機をこれしか知らないならば、いかなるものも所有権を補うことができないと信じるほどの思い違いはありません。人間はただ一つの情念しかもたないのでしょうか。もし私が栄光と熟慮への愛を刺激することができるなら、その愛は、いかなる不都合もなく貪欲と同じほど活発にならないでしょうか。私が競争心を刺激するにふさわしい報償を授けるのは、技芸の発明家に対してではけしてないでしょう。そうではなくて、その耕地が最も豊穣な農夫、その羊の群が最も健康で最も多産な羊飼い、疲労と天候不順を堪え忍ぶに最も巧みで最も経験に富む狩人、最も勤勉な織工、家庭内の義務に最も専心した女性、家族に人類としての義務を学ばせるのに最も注意深い父親、教えに最も従順で父親の美徳を模倣することに最も熱心な子供たちに対して報償を授けるでしょう。この立法のもとで人類が授爵され、貪欲、傲慢、気取った柔弱さが無益に約束する幸福を苦もなく見出すのがおわかりではありませんか。かくも賞讃される黄金時代の幻想を実現するのは、人間にほかなりません。私の島にいかなる情念があえて出現するでしょう。私たちは頭上に、すべての人民が今日苦しんでいる無益な法の重荷を決して持たないでしょう。ヨーロッパが見せてくれる疲労をさそい正気を逸したスペクタクルにうんざりして、甘い希望に心開き、自分の想像力がこうした理想的な夢想に専心するのを禁じることはできません。」
(『市民の権利・義務について』〜「第四の手紙」)


マブリ  - 2005/09/25(Sun) 11:00 No.891   <Home>

「…マブリを共産主義的思想家と断定するのは、実は容易ではない。」(如月さん投稿から)

ヨーロッパおよびアメリカでの、マブリの評価は、共産主義的思想家というものなのでしょうか? 

もし、そうだとすると、如月さんの主張は、これまでの評価に対する反論として、おおいに学術的価値のある言説だと思われますが…(これまでの通説や定説に対する批判として)。


マブリのpossessionとロックのpossession 如月 - 2005/09/25(Sun) 11:33 No.892  

佐々木さん、私はマブリの思想が実質的にどのようなものであるかには興味がありますが、それがどのようなものとして分類されるかにはあまり興味はありません。

ところで、↑のように内容を変更したのは、下方のスレッドに書いた下川潔さんの『ジョン・ロックの自由主義政治哲学』(名古屋大学出版会、2000年)を読み、マブリのテクストのなかでのproprieteとpossessionの位置づけを少し変更したためです。
マブリのproprieteとpossessionは、もともとロックのpropertyとpossessionの概念に由来すると考えられますが(ロック『統治二論』第二篇第五章「所有権について」参照)、下川さんによれば、ロックのproperty(所有権)という概念は、人身所有権と財産所有権の二つの要素からなり、ロックは、個人は自己の身体を所有しているという原則から出発して、個人がその直接の労働によって生み出した個人が消費するための財産(possession、good)は、その人に属するという論を展開しているというのですね。
『統治二論』のなかでロックは、ひたすら、そうした根本所有権の正当性を主張し、さらに金銀の導入によって生ずる個人の消費を上回る余剰の所有は容認されるかどうか、検討しているわけです。
ところでマブリが着目するのはロックが考えているような余剰ではなく相続財産で、「個人がその直接の労働によって生み出した個人が消費するための財産(bien)」はロックの論理をもちいてその個人のproprieteとみなしうるが、相続財産はその個人が生み出したものではないからproprieteではなく、単なるpossessionだというものだと思うんです(したがってpossessionはprescriptionにかかわる)。
ですからマブリの場合、proprieteに「所有」の訳語をあて、possessionに「占有」の訳語をあてるのは、まあ妥当ではないかと思うのですが、そんなことを考えながら原稿を見なおしているうちに、上掲のような誤りに気がついたというわけ。
ちなみに、ロックではpropertyとpossessionに対応する動詞として、appropriateとpossessが用いられていますが、フランス語にはappropriateに対応する動詞がないので、どちらもpossederになってしまうのですね。したがって「ne rien posseder en propre」といった場合のpossederが果たして「占有する」という意味だけをもっているかどうか、ここでは「所有する」と解釈した方がマブリの考えにそうのではないかと、自分でも若干の疑問をもっています。

【参考ページ】
http://www.constitution.org/jl/2ndtr05.htm


分類とは? 如月 - 2005/09/25(Sun) 11:45 No.894  

ちなみに、たとえどのように詳細に行われたとしても、「分類」という行為がいかに相対的なものであり、いかに空しいものであるかに関しては、私は以下に引用する文章と見解(笑い)をともにします。

「この書物の出生地はボルヘスのあるテクストのになかにある。それを読みすすみながら催した笑い、思考におなじみなあらゆる事柄を揺さぶらずにはおかぬ、あの笑いのなかにだ。いま思考といったが、それは、われわれの時代と風土の刻印をおされたわれわれ自身の思考のことであって、その笑いは、秩序づけられたすべての表層と、諸存在の繁茂をわれわれのために手加減してくれるすべての見取図とをぐらつかせ、<同一者>と<他者>についての千年来の慣行をつきくずし、しばしば困惑をもたらすものである。ところで、そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。「動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごく細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壺をこわしたもの、(n)とおくから蝿のように見えるもの。」この分類法に驚嘆しながら、ただちに思いおこされるのは、つまり、この寓話により、まったく異なった思考のエクゾチックな魅力としてわれわれに指ししめされるのは、われわれの思考の限界、<こうしたこと>を思考するにあたっての、まぎれもない不可能性にほかならない。」(フーコー『言葉と物』13頁、渡辺一民・佐々木明訳)


posseder en propre 如月 - 2005/09/25(Sun) 12:57 No.896  

あ、そうか!
フランス語には英語のappropiateにそのまま相当する言葉がないので、英語のappropiate(所有する)にあたる概念を示すために(つまりposseder<占有する>という概念との違いを示すために)、マブリは「posseder en propre」という、奇妙な言い方をしたんですね。
ですから、ここはやはり、「個人ではなにも所有しない」とストレートに訳さなくちゃいけない!

(恥ずかしながら、口頭発表原稿は、この部分、マブリの意図を完全に読み違えてる!)


分類  - 2005/09/25(Sun) 19:46 No.897   <Home>

より一般的に言えば、分けるということですが、分け方の違いにより、今まで気づかなかったものに気づく、ということも有るでしょう。

たとえば、ある図形に任意に線を引くことによって、今まで気づかなかったことが分かるという具合にです。

ですから、分けるということ、あるいは、分け方を変えて見るということは、色々なことを考慮する上で、重要なことだと考えています。


ご教示ありがとうございます。 如月 - 2005/09/26(Mon) 10:36 No.898  

佐々木さんに小論をご評価いただいていること、大変ありがたく思っております。また佐々木さんが分類を重視しておられることもわかりました。
佐々木さんがお書きになっているように、分類ということもときとしては重要でしょうし、そこから何かかが生み出されることもあるかもしれませんが、私としては、とある思想を検討する際、それを既存の枠組みのなかに投げ入れ、その枠組みに適合的か否かということを論ずることに終わらせたくはないのです。フーコーの『言葉と物』は、やはりそうした方法論に対する批判として読めるのではないでしょうか。
つまり、『言葉と物』のなかで、フーコーはマルクスやダーウィンの思想は、それ以前の思想の発展ではなく、断絶であるということを強調しており、『言葉と物』そのものが、19世紀以降の思想とそれ以前の思想の断絶の検証といえるのではないでしょうか。
そうした検証をとおしてフーコーが明らかにするのは、われわれ近代人の知を規定している19世紀に確立した規範が絶対的なものではなく、そうした規範をもって18世紀以前の思想をはかることはできないというもの(19世紀に誕生したヨーロッパの近代的知に対するヨーロッパ内部からの内在的批判)ではないかと思います。
たとえばマブリの思想が共産主義的かどうかということも、そうした問題設定とかかわるかと思いますが、すぐ上にも少し書きましたように、たとえば、「所有」「財産」といった基本的概念をとりあげても、ロックとマブリの間には相違があるわけです。ですから私はむしろ、さまざまな概念に対する個々の思想家の考え方を実体的に明らかにしていくことに興味をもっています。
いろいろと至らぬ点もあるかとは存じますが、こうした私の方法論をご理解下さり、小掲示板では、より具体的にテクストにそったかたちで書き込みしていただけるとさらにありがたく存じます。


分類すること  - 2005/09/26(Mon) 18:49 No.899   <Home>

フーコー、『言葉と物』、第五章、分類すること

…を読むと、それまでとは、分類の仕方が変わったと、私には読めます。ですから、分類が無意味だと、フーコーが言っているようには思えません。


『義経』〜安徳帝秘話への疑問 投稿者:如月 投稿日:2005/09/18(Sun) 21:39 No.864  
今日はじっくり大河ドラマ『義経』をみました(先週は、國學院大学で開かれた石塔シンポジウムのため、リアルタイムでは未見)。
前半はともかく、今回のエピソードの後半、壇ノ浦で安徳帝とその異母弟・守貞親王が入れ替えられ、安徳帝は壇ノ浦後も生き残ったという珍説が語られるのですが、今日の展開をみる限り、歴史を書き換えてまで安徳帝が生き残ったとする必然性があったかは疑問です。
(ドラマとしては、しんみりしてそれなりによかったのですが…。)
この辺、安徳帝にかわり帝位につかれた後鳥羽院さんのご感想もうかがってみたいところです(笑)。

ちなみに、歴史の専門家ではない方のためにちょっとご説明しておきますと、後に承久の乱で後鳥羽の一統が京都を追放された後、守貞親王は後鳥羽と異なる皇統として注目を浴びます。しかしその時すでに出家していた守貞親王は帝位につくことを辞退し、かわりに守貞親王の息男・茂仁王が帝位につきます(後堀河天皇)。これにより、守貞親王は帝位につくことはなかったものの天皇の実父であるところから「院」として処遇されるのですね(後高倉院)。
ただ皮肉なことに、後高倉院の皇統は、後堀河天皇の子・四条天皇の突然死によって絶え、ふただび後鳥羽の皇統が帝位につきます(後嵯峨天皇)。

ところでこれから、ドラマ『義経』は、義経と頼朝の不和をめぐってさまざまなドラマが展開することになりますが、それをめぐってのストーリーは、頼朝の「政権構想」とからむだけに、歴史学的にはさまざまな問題がでてきそうですね。
今日も、義経に、頼朝の許可なく官位を得た御家人への沙汰を申しつけるというエピソードをとりこみながら、それは彼ら(頼朝の許可なく官位を得た御家人)の義経への反感をつのるためという通説の紹介が省略され、このエピソードのもつ歴史的な意味が宙に浮いてましたね。


建築 後鳥羽院 - 2005/09/19(Mon) 17:57 No.867  

昨日は、信濃の塩田庄と真田庄をウロウロしていて、夜中に帰宅
したものですから、「義経」を見そびれてしまいました。再放送
を見てみますね。
塩田の建築群は大変美しいものです。石のロマネスク建築もいい
ですが、ああいう木造建築もまたいいものですね。

先週の「義経」を見たかぎりでは、なんで替え玉にするのか、私も
理解できませんでした。後鳥羽の帝位をより不完全なものにしよう
とする嫌がらせでしょうか。劔がないだけで充分なのに。
敗軍の将は語らず、ということで、えーい、勝手にしやがれ、と思
います(笑)。


歴史ドラマのルール違反 如月 - 2005/09/21(Wed) 01:36 No.870  

旅に生きる院の美学、健在ですね♪

ところで安徳帝替え玉説なんですが、これに関しては、いちおう「ドラマだから」という逃げはあるにしても、「ドラマ」のなかで、義経らが安徳に言及する際、「主上」という言葉を使っていたのは歴史ドラマのルールに反しますね。京には若き後鳥羽帝がいるわけですから、これは絶対に「先帝」でなくては。
細かいことのようですが、これは歴史ドラマとして絶対に許されないルール違反だと思いました。


Re: 『義経』〜安徳帝秘話への疑問 釈由美子が好き - 2005/09/21(Wed) 07:04 No.871  

大河『義経』は意味不明なことをやたらにやらかしてくれてますが、安徳・守貞交換は、その典型ですわ。ドラマの今後の展開にも、まったくつながりそうもありませんで、一体、何であんな無駄な史実の改変をやってるんですかね?


能子と守貞親王 如月 - 2005/09/21(Wed) 12:57 No.872  

大河ドラマ『義経』では、壇ノ浦合戦において、義経の異父妹・能子が白い布で守貞親王(実は安徳帝)を守ったということが、義経が守貞が替え玉ではないかと思うようになったきっかけ(根拠)として描かれているわけですが、逆に考えれば、あれが本当の守貞親王だった場合に、能子は親王をかばわなかったでしょうか?私は、それが本当の守貞親王だったとしても、能子は同じようにかばったと思うんですね。
この辺の一連の運びにドラマとしての必然性がなにも感じられない。
するとやはり、安徳・守貞交換説導入そのものがおかしいと思うんです。


Re: 『義経』〜安徳帝秘話への疑問 鈴木小太郎 - 2005/09/21(Wed) 17:29 No.874  

大河ドラマは見ていないのですが、安徳・守貞取替えは宮尾登美子の原作に書いてあるらしいですね。


想像力の欠如 後鳥羽院 - 2005/09/21(Wed) 20:32 No.875  

『平家物語』を確認してないのですが、そもそも守貞が平家と一緒に西国に都落ちすることがありうるのでしょうか。守貞と後鳥羽は同腹で、母は坊門殖子(ちなみに、私は我が母の名を「ふゆこ」と読んでますが)ですよね。
あの時代の「イエ」の構造として、いくら紅旗征戎の戦乱とはいえ、坊門家の勢力圏にある皇子を拉致するように西国に連れてゆくのは不可能ではないでしょうか。安徳が途中で亡くなった場合の代わりとしても、坊門家の血を引く皇子など、平家にとって何の利益もないわけです。平家の女性たちが、守貞にかしづく必然性はまったくなく、私には、守貞がなぜ平家の公達と一緒にいるのか、さっぱりわからないのです。フィクションとしてもそれはありえないだろう、と思うのです。
また、あの時点で、守貞は親王宣下を受けているのでしょうか。まだ、ただの王にすぎないような気がするのですが。とても微妙な時期ですよね。
守貞を身替わりにしたら、ご母堂の殖子さんはどんな気持ちがするでしょうね。原作者は殖子の母親としての心を考えたことがあるのでしょうか。我が母に対して、たいへん無礼だ。原作者が女性だから、ということじゃ済まされない問題なんだ、冗談じゃねえぜ、宮尾くん(笑)。
作家の貧困な想像力で(といったら失礼ですが)、勝手な物語を作られたら、迷惑なんだ(笑)。
大原御幸で、死んだと思っていた我が子(安徳帝)と再開して、建礼門院が涙にくれる、というオチにしたいのでしょうか?
・・・いずれにせよ、ひどすぎる。


守貞 釈由美子が好き - 2005/09/22(Thu) 08:59 No.877  

平知盛が乳母夫だった関係で、ホントに拉致られたんですわ。
親王宣下は文治5年す。


拉致候補 如月 - 2005/09/22(Thu) 15:44 No.878  

後鳥羽院さん、平家は本来、後白河をも西に連れて行こうとしていたわけですから、守貞親王を「拉致」るのは当然じゃないですか。
むしろ、尊成親王(後鳥羽)を「拉致」れなかったのは、失策と考えるべきでしょうね。
ただ仮に尊成親王を都落ちに同行させた場合にも、義仲が同行していた北陸宮とか、天皇候補はまだ大勢いるわけですから、完璧は期しがたいというところじゃないですかね。


安徳の次 如月 - 2005/09/22(Thu) 15:59 No.879  

以上のように、皇統をすべて西に同行することが完璧を期しがたいとすると、守貞親王を西に同行したのは、守貞親王が京に残って源氏方に利用されるのを予防するためというより、安徳に万一のことがあった場合に代わりの天皇として擁立するためということも考えられませんか。
それこそ珍説で、こうした意見、どなたからもきいたことがないように思いますが…。


頼朝の文 後鳥羽院 - 2005/09/22(Thu) 19:50 No.880  

えへへ・・・まことにお恥ずかしい限りです。
釈由美子が好きさんには、いつもながら、ご教示いただき、ありがとうございます。知盛が乳母夫だったのですか。納得できました。
如月さん。仰せの通りです。後鳥羽はどうせ大した奴にはなるまい、と見捨てられたのでしょうか。如月さんの仰る珍説、私は面白いと思います。

夕べは、お粗末なことを書いてしまい、深く反省し、本日の午後は数時間、ネットで「吾妻鏡」の元暦元年と二年を読んでいました。
元暦二年一月六日に、頼朝から蒲殿への文として、義仲が北陸宮を担ごうとして滅んだように、「平家又三条高倉宮うち奉りて加様に失せんとす」とあって、安徳のことは「大やけ」と呼んでいます。前年の七月に後鳥羽が即位してますから、安徳の役割はもう終わった、平家が次に担ぐのは三条高倉宮だろうが、義仲と同じように駄目だろう、という頼朝の読みになっています。これから推量しますと、如月さんの珍説、充分成り立つように思います。

「吾妻鏡」の同年の記述には、壇ノ浦のあと、三月二十四日として「若宮は御存命」、四月十一日として「若宮並びに建礼門院無為にこれを取り奉る」、四月二十八日として「建礼門院吉田の辺に渡御す、また若宮、船津に御座の間、侍従信清参向せしめこれを迎え奉り、七條坊門家に入れ奉る」とありました。
ならばということで、平家が都落ちするとき、守貞を拉致する記述があるのか、と戻って読んでみたのですが、主上と三種の神器の話だけで、でてきません。
私は、ずっと、守貞は坊門家に保護されていて、都に残っていたものとばかり思っていました。あのときは、私(後鳥羽)もまだ若く、兄上の消息まで気が回りませんでした。うーん、一生の不覚です(笑)。

守貞が天皇になれなかったのは、すでに出家していたから、ではなくて、平家と一緒に都落ちして危うく命拾いした、という過去の傷が問題にされたのかもしれませんね。暗い過去を背負う者はいかん、ただ、院となってワンクッションおけばいいだろう、と。
予定(不)調和ではありませんが、この皇統はやはり呪われていたのですね。滅ぶべくして滅んだのだ、と。兄上には申し訳ないことですが。
・・・尊成、もうおやめなさい、ってママ(七條院殖子)が言うので、やめて寝ようっと。


守貞の立場 如月 - 2005/09/23(Fri) 01:37 No.881  

あれれ、私も釈由美子が好きさんの書き込みの守貞の親王宣下が文治五年(1189年)というのを読み落としてました。義経の死&奥州合戦の年ですね。

ところで、上の書き込みの後いろいろ考えてたんですが、守貞王が安徳に万一ことがあった場合の天皇候補という私の奇説がもしも成立するとすれば、それは平家都落ちの時点でにわかに生じた話ではなくて、高倉が死んだ時点(治承五年=1181年)に遡って考え得る話ではないでしょうか。
平家都落ち、壇ノ浦での平家滅亡と安徳入水があまりにも当然のことと考えられているために、平家が都落ちしなかったらとか、壇ノ浦以前に安徳が死んだり、源氏に「拉致」されたらどうするかというケースは、あまり想定されたことがないと思うんですが、高倉が死んだ後、若い安徳に万一のことがあれば、平家には玉がないわけです。ですから、高倉死去後のわりと早い時点で、守貞王は、(平家からも)安徳に万一のことがあった場合の天皇候補と考えられていたんじゃないでしょうか。
知盛が乳母夫となっていたというのは、単なる偶然ではなくて、そうした万一を考えてのことじゃないかと思うんです。

そう考えれば、都落ちする際に平家が守貞を同行するのは当然のこと。都にいた時以上に、安徳の身は危険にさらされるわけですから。

で、親王宣下の件ですが、治承・養和の段階で守貞に親王宣下するのは、安徳が健在な以上、対立候補をつくることになり極めて危険。守貞は、あくまでも安徳に万一のことがあった場合の控え要員として存在していればいいのであり、安徳が無事成人し子供ができれば、守貞は邪魔なだけですから、親王宣下は不要なわけです。


基通の立場との類似 如月 - 2005/09/23(Fri) 01:46 No.882  

(平家と直接の血縁関係がないにもかかわらず、平家から一族に準ずる存在と考えられていた人物に、摂政・藤原基通がいますね。守貞もそうした存在と考えればいいのでは。)


温石 後鳥羽院 - 2005/09/23(Fri) 16:08 No.884  

「平家物語」の巻第八「山門御幸」を読み直してみました。
「高倉院の皇子は、主上の外三所ましましき。二宮をば儲君にしたてまつらむとて、平家いざなひまゐらせて西国へ落給ぬ。三四は宮こにましましけり」
この後に、四宮が次の帝に撰ばれる話と、坊門家が白い鶏を千羽飼って娘が皇子を産む話が続き、そして、
「信隆卿、内々うれしう思はれけれども、平家にもはばかり、中宮にもおそれまゐらせて、もてなし奉る事もおはせざりしを、入道相国の北の方、八条の二位殿、くるしかるまじ、われそだてまゐらせて、まうけの君にしたてまつらむ、とて、御めのとどもあまたつけて、そだてまゐらせ給ひけり」
とあります。政治家時子の深慮遠謀がみえるようですね。
「中にも四の宮は、二位殿のせうと法勝寺執行能円法印のやしなひ君にてぞ在ましける。法印、平家に具せられて西国へ落し時、あまりにあわてさわいで、北方をも宮をも京都にすておきまゐらせて下られたりしが、西国より急ぎ人をのぼせて、女房、宮具しまゐらせて、とくとくくだり給べし、と申されたりければ、北方なのめならず悦び、宮いざなひまゐらせて、西七条なる所まで出られたりしを、女房のせうと紀伊守教光、是は物のついてくるひ給ふか、此宮の御運は只今ひらけさせ給はんずる物を、とて、とりとどめまゐらせたりける次の日ぞ、法皇より御むかへの車はまゐりたりける」
四宮(後鳥羽)もあやうく西国に落ちて藻屑と消えるところだったようですが、教光の機転・配慮もさることながら、範子が乳母としてがっちり固めていたので、平家一門も介入できなかったということでしょうか。
二宮と四宮の争奪戦は激しかったようですが、異腹の三宮(惟明)は拉致の候補にものぼらず、相手にされなかったみたいですね。

巻第十一「一門大路渡」に、
「さる程に、二の宮かへり入らせ給ふとて、法皇より御むかへに御車をまゐらせる。御心ならず平家にとられさせ給ひて、西海の浪の上にただよはせ給ひ三とせを過ごさせ給ひしかば、御母儀も、御めのと持明院の宰相も、御心ぐるしき事に思はれけるに、別の御事なくかへりのぼらせ給ひたりしかば、さしつどひてみなよろこびなきどもせられける」
同じ巻の先帝身投げの前後を読んでみても、二の宮が身投げしたという記述は、「吾妻鏡」同様、ないですね。二の宮は、たまたま助かったというより、平家の血を引いていないということで、早々に解放されていたような気がしますね。
それはそうと、あらためて建礼門院の身投げの描写をみますと、
「御やき石・御硯、左右の御ふところに入れて、海へ入らせ給ひたりけるを・・・」
とあるところの、温石と硯が、悲しいまでに冴えていますね。
灌頂巻において、大原の寂光院の一画にさりげなくこの温石が置いてある、という一文を書き加えたいところですね。


経験論 投稿者:如月 投稿日:2005/09/18(Sun) 12:08 No.863  
経験論、通常は「知識は経験からくる」というのでこの「経験論」という名称をもつとされるわけですけど、われわれは<つねにすでに>ものごとを経験してしまっているから経験論だというのはどうでしょう。私はそのほうがロックの思想にはぴったりくるように思います。
実際のところ、ロックはデカルト的な直観認識をすべて排除し、直観に対して経験の優位を主張しているわけではないわけですね。

ということで、現在、下川潔さんの『ジョン・ロックの自由主義政治哲学』(名古屋大学出版会、2000年)を読んでいます。


17世紀の無意識論 如月 - 2005/09/18(Sun) 23:12 No.865  

ところで、政治思想とからは少しはなれますが、ヨーロッパ哲学における「無意識」の思想の歴史的展開について、事実確認のため、ここに書き込んでおきます。

古代・中世のヨーロッパ思想における無意識の系譜、丹念にしらべたわけではありませんから私はあまり発言権がありませんが、小サイトでもすでに何度か取り上げているように、近世においてはライプニッツが「無意識」に注目しており、無意識的知覚を容認する立場から自己の認識論を構築しています。
この点につきましては、小サイトの以下のページをご参照ください↓。
http://www.furugosho.com/precurseurs/leibniz/perception.htm
ただ無意識的知覚に関しては、ライプニッツがその存在を認めているだけでなく、おもしろいことに、『人間知性新論』のなかでライプニッツが仮想の論敵としているロックも、その主著『人間知性論』のなかで、次のように無意識的知覚の存在を容認するような発言をしているのですね。

「それはある若い紳士のことで、その紳士はダンスを習い、しかも、たいへん完全に習ったが、その習った室に、たまたま、古いトランクがあった。この目だった家庭用品の観念がその紳士のダンス全体の回転や歩調の観念と混じり合ってしまい、そのため、紳士はその部屋では見事に踊れるが、それもトランクが部屋にある間だけだったし、他のどんな場所でも、そのトランクあるいはそんなような別のトランクが室内の然るべき位置にないと、うまく踊れないのだった」(『人間知性論』第2巻第33章、大槻春彦氏訳<岩波文庫>)
これはフロイトが読んだら大喜びしそうな事例ではないかと思います。

ですから、無意識(潜在的知覚)に関するライプニッツとロックの争点は、正確には、無意識なるものの存在を容認するか否かではなく、無意識的知覚の存在を認めたうえで、それに「知」という名称を与えるか否かということなんですね。
もちろん、ライプニッツはそれを知と呼ぶことをためらいませんし、ロックはそれを知と呼ぶことを拒みます(ロックにとって知とは、意識的な「同意」を経たものであり、無意識だけでなく、なんとなく知っているというようなことを知と呼ぶことをロックは拒みます)。
いわゆる概念の生得性についてのライプニッツとロックの争点も、実はこの認識論とからんだもので、潜在的知覚を知として容認するライプニッツは、われわれが明確に認識していない概念も実はわれわれに知られているのだとして生得説を擁護しますが、ロックにすれば、意識的な同意を経たものだけを知と呼ぶ以上、意識が生じる以前の概念の存在を容認することができません。
たとえば「三角形の内角の和は180度である」とった命題を例にとると、ロックによれば、この命題はわれわれが実際に目にする個々の三角形の例から推論を経て導き出されたものであり、この公理は生得的ではありませんが、ライプニッツにすれば、個々の三角形をみるとき、われわれは潜在的にその内角の和は180度であると知覚しているのであり、「三角形の内角の和は180度である」という命題は、後ほどその潜在的知識を言語化したものにすぎないということになります(ゆえにこの命題は生得的、あるいはより正確には、証明を必要としないおのずから真なる命題です)。

ヨーロッパ思想と無意識を問題にするとき、ショーペンハウアーから語りはじめるのではなく、この辺はおさえておくべき要点の一つかと思われます。


ライプニッツは…  - 2005/09/19(Mon) 13:30 No.866   <Home>

前にも紹介したように、中国の古典も読んでいる訳ですから、東洋的な無意識の影響の可能性ということも、念頭におくべきかと考えます。

ちなみに、ロックは、オランダに6年ぐらい亡命したことがあるそうですが、そのオランダでは、それ以前から長崎の出島に商館を設けていますね。

当時ヨーロッパ諸国は、鎖国などしていませんので、世界中の文物を手に入れられる状況です(もちろん日本の文物も…)。

それから、ロックとライプニッツの年齢差は、私と如月さんの年齢差より、4歳ほど大きいだけです。


Re: 経験論 みーぐる - 2005/09/20(Tue) 13:06 No.868  

大変ご無沙汰いたしております。やっと私の食いつけそうな話題が出てきましたので(笑)。

>「それはある若い紳士のことで、その紳士はダンスを習い、しかも、たいへん完全に習ったが、その習った室に、たまたま、古いトランクがあった。この目だった家庭用品の観念がその紳士のダンス全体の回転や歩調の観念と混じり合ってしまい、そのため、紳士はその部屋では見事に踊れるが、それもトランクが部屋にある間だけだったし、他のどんな場所でも、そのトランクあるいはそんなような別のトランクが室内の然るべき位置にないと、うまく踊れないのだった」(『人間知性論』第2巻第33章、大槻春彦氏訳<岩波文庫>)

フロイトの言う無意識とは、抑圧されて意識の表面上に現れてこない心的機構のことです。
なぜ抑圧されるかというと、それが過去の心的外傷体験に結びついていたり、本人自身も認めたくはない欲望であったりするからです。

この「古いトランク」は、似たような他のものと交換可能なのですよね。どうしてもこれでなければいけないというのなら、その奥には抑圧された心的外傷や欲望が見て取れるはずなのですが、少なくともこの記述を読む限りでは窺えないのです。
まあ例えば、トランクは母親もしくは他の女性を象徴していて、それが室内のしかるべきところにあれば安心できる、といった見方も可能ですが。

この事例は、強迫観念の一形式とも違うと思います。なぜなら、強迫観念は当人の生活すべてにとりついて、日常全般を侵害し困難にするものだからです。
私が思うに、この紳士とトランクとの間に結ばれた関係は、上述したような母子関係でなければ、なんらかの「お守り」的機能を果たしているのではないかということです。

視点を変えて、ダンスの習得も実際にダンスをすることも、当人にとっては苦痛なことで、実は忌避したいと思っていると仮定してみると、ここで初めて無意識の領域に踏み込むことになります。これこそが抑圧された欲望だからです。

思いついたことを取り留めなく書いてしまってごめんなさい。


三つの「無意識」 如月 - 2005/09/21(Wed) 01:29 No.869  

佐々木さん、みーぐるさん、ご教示ありがとうございます。
してみると、フロイト説の異議は、一般的にいわれるように「無意識」を発見したということにあるのではなく、「抑圧」を発見したということにあるということになるのでしょうか。
たしかに、ロックとライプニッツのいう「無意識」に抑圧はありませんね(ですからこれは、「無意識」というより、やはりライプニッツ自身の言葉をつかって「微小知覚」といった方が適切は適切でしょう)。
ところで佐々木さん、東洋もしくはショーペンハウアーの「無意識」といった場合、「抑圧」もからんでくるのでしょうか。
この東洋的「無意識」とロックやライプニッツの「無意識」ならびにフロイトの「無意識」との違いはどのような点にあるのでしょうか。さらに、ご教示いただければありがたく思います。


無意識〜ライプニッツ説とロック説の違い 如月 - 2005/09/21(Wed) 14:45 No.873  

みーぐるさんの書き込みに刺激されて、ヨーロッパの「無意識」説について、私なりにあれこれ考えてみました。

まずその説の起源ですが、佐々木さんが指摘しておられるような東洋思想の影響ということも重要でしょうが、より直接的には、プラトンもしくはピタゴラスの転生説・想記説が、ロックやライプニッツなどの近世哲学者の「無意識」説の原型になったと考えることができるのではないでしょうか。
ですから、東と西との影響を語るということであれば、むしろプラトンやピタゴラスに、東洋の思想がどのように影響したかということが問題になりますね。
ただご承知のように、プラトンは、アテナイにおけるソクラテスの死後、ギリシアを離れて長いことオリエントを旅し、そこで自己の思想を熟成していますから、その期間中に東洋起源のさまざまな思想を知ったということは、十分ありうることだと思います。
つまり、ヨーロッパ思想というのは、ピタゴラスやプラトンの時点において、すでに東洋が入り込んでいるのだということですね。

次に、ロックとライプニッツのいわば「無意識」説の相違ですが、ロックがもちだしたダンスと古いトランクの例、ライプニッツが大喜びしそうであるにもかかわらず、ライプニッツの著作『人間知性新論』のなかで「そういう指摘は重要ですし、全面的に私の意に適うものです」(同書第2巻第33章)と、そっけなく書かれていることが、みーぐるさんの書き込みを読むまで疑問だったのです。
ただ、みーぐるさんのご指摘をうけてよく考えてみると、ライプニッツ的な「無意識説」というのは、とある知覚が意識にのぼる前に、それは潜在的なかたちでその意識主体に把持されているのだという考えで、意識と無意識のあいだに、抑圧はもちろんのこと質的な相違はありません。たとえば、ライプニッツがあげる海辺の近くに住んでいると波の音が意識されなくなってくるなどはその好例ですね。ですから「無意識」ということでライプニッツが考えているのは、現代でいえば識閾の問題なんだと思います。そしてこれは微積分などの考えとも通底してくる。つまり、意識と無意識、あるいはライプニッツの用語でいえばperceptionとaperceptionは、いわば知覚を微分したり積分したりする問題なんですね。知覚作用があるからには、その根底に、表層的な知覚を微分した微小知覚(petite perception)がなくてはならないとライプニッツは考える。そしてそうした微小知覚がある閾値を超えたとき、それは「意識」の領域に飛び込んでくると。でこれは、抑圧はないけれども無意識であることは無意識なんじゃないでしょうか。
ところが、ロックがあげるダンスと古いトランクの場合は、こうした量的な違いではなくて、なにか質的なものが考えられている。だから、「無意識的」ということでライプニッツの考え方と似ているようでも、発想を異にするものだと思うんです。

佐々木さん、この辺のところ、ショーペンハウアーの「無意識説」というのは、ロック寄りなんでしょうか、ライプニッツ寄りなんでしょうか。それとも、それらとはまったく異なるものなのでしょうか。ショーペンハウアーのことはまったく勉強しておりませんから、お教え頂ければありがたく思います。


ショーペンハウアーについては…  - 2005/09/23(Fri) 11:36 No.883   <Home>

『意思と表象としての世界』を、二十数年ぐらい前に一度読んだきりで、その内容も、ほとんど忘れていますが、
前にも紹介した『西洋哲学の系譜』晃洋書房に、ショーペンハウアーについて、このような記述があります(ヨーロッパの研究者同士の対話)。以下に、少し引用します。

「マギー:ショーペンハウアーに影響を受けたということで、私が特にと選び出した3人の思想家の2番目はフロイトでした。そこで彼について一言述べなければならないでしょう。一般にはフロイトの功績とされている二つのもっとも重要な思想は、フロイトが生まれる前に、ショーペンハウアーによって十分詳細に述べられていました。一つは無意識という観念でしたが、単に概念そのものだけではなく、それについての詳しい論証が展開されており、それをフロイトが繰り返し述べたのです。その論証とは、われわれの動機のほとんどはわれわれには無意識のものであり、それが無意識である理由はそれが抑圧されているからであり、それが抑圧されているのはわれわれがそれに直面したくないからであり、われわれがそれに直面したくないのは、それがわれわれ自身についてのわれわれが維持したいと思っているイメージと相容れないからであり、それゆえに多くの動機づけられたエネルギーは、その無意識を抑圧したままにしておくか、あるいは、無意識が身奇麗にされ、われわれの意識的な精神の前に出しても恥ずかしくないように偽装された後になってやっとそれが表面に現れることを許すか、そのどちらかに振り向けられるといった論証です。この論証はフロイト学説の核心なのです。さらにこの論証はフロイトよりずっと前にショーペンハウアーによって提唱されただけではありません。フロイト自身がそうであることを認めたのです。…」
(前掲書、311pから)

他に、こういうのもあります。

「コプルストン:…一般的に言えば、仏教とショーペンハウアー哲学との間にいくつかの類似点を見いだすのはもちろんまったく正当なことです。…わたしがユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教に言及したのは、著作家の中には特にキリスト教とショーペンハウアーの思想との間にあるいくつかの類似点に注意を促す者もいたので、根本的な相違を指摘してバランスを取り戻すことが重要だと思ったからです、あなたがいみじくも主張するとおり、仏教の場合の方が、類似が目立っています。」
(前同書、308〜309pから)


『タッチ』 投稿者:如月 投稿日:2005/09/11(Sun) 00:53 No.850  
犬童一心の『タッチ』、泣けました。
カッちゃんが死ぬところで泣けたんじゃないんです。
ラスト、明青学園と須見工の試合のシーン、ここで明青が勝つんだなとわかって、九回にその勝利の決め球を投げるシーンで思わず涙が出てしまいました。


白い映画 如月 - 2005/09/12(Mon) 15:14 No.852  

『金髪の草原』『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『タッチ』と犬童一心監督の作品を続けてみていると、それらは結局、「白い映画」だなと思えてきます。『タッチ』でいえば、野球映画なのに汗・涙・根性といったものがまったく感じられないのですね。
で、それは、映画づくりに失敗してそうなったのかというと、犬童監督は、『タッチ』をつくるときに、最初からそういうものをめざしてたんだと思うんです。
その辺のところ、下方のスレッドで紹介したインタビュー・コメントのなかで、犬童監督自身が語ってますね。曰く「(あだち充の話法は)見せない、外す、しかも踏み込まないってこと」「(『タッチ』が連載されていた)少年サンデーは色でいうと白の感じ」と。
ただ、それが『タッチ』という映画独自のものかというと、犬童監督自身が、いつも、そういう「見せない、外す、しかも踏み込まない」という作品をめざしてるんじゃないかという気がするんです。ですから、『タッチ』という作品は、(外部から依頼されてつくった映画ではあるけれど)結果的に犬童監督の体質にとてもあっているんじゃないでしょうか。
その辺のところ、たとえば『メゾン・ド・ヒミコ』にしても、ゲイについて語った映画と解説されることが多いですけど、私なんかがみると、たしかに作品の素材としてゲイはとりあげられているものの、直接的なゲイ・テイストといったものはすごく希薄なんですね。

ですから、私は『タッチ』の原作を読んでないんですけど、原作を読んだ人にはこの映画がどのように受けとめられるのか、感想を伺ってみたいと思っています。

ちなみに、次のような批評は、こうした犬童監督の本質をまったくとらえそこなっていると思います(とりわけ、下の『タッチ』の評は)。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/review/20050826et05.htm
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/review/20050909et06.htm


【 読後の感想 】 投稿者: 投稿日:2005/09/10(Sat) 17:41 No.849   <Home>
如月さんの奨めもあり、ハイデッガーの『存在と時間』(ちくま学芸文庫)と、フーコーの『言葉と物』(新潮社)を、ここ何ヶ月かの間に読みましたが、哲学の存在論としては、どちらも、存在とは何かという問いに、答えることが出来ていないというのが率直な感想です。

ハイデッガーの『存在と時間』では、冒頭部分で、「古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている(19p)」、と述べていますが、結局、『存在と時間』では、それが出来ていません。また、フーコーの『言葉と物』では、「われわれの反省の天空には、ひとつの−−おそらくは到達不能の−−言説が君臨している。それは、存在論であると同時に意味論でもあるような言説なのだ。構造主義は新たな方法ではない。それは、近代の知の目ざめた不安な意識にほかならない(229p)」、とも述べています(おそらく、ハイデッガーの『存在と時間』が念頭にあるのでしょう)。

端的に言えば、構造の最小要素の概念化こそ、存在の意味の概念化だと言い換えることも可能でしょう。

私という存在が、存在とは何かを問う時、問うこと自体、いつもすでに(あるいは、つねにすでに)存在と関わりがあることは解ります。そこでハイデッガーは、この問いは循環論になるのではないかと危惧するのですが、これは循環論ではなく、自己言及にならざるを得ない問いなのです。自己言及だと矛盾になる場合と、ならない場合があります。たとえば、「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」場合、そして、「この文章は9文字だ」という場合などです(後者では矛盾は無く字義通りです)。存在とは何かを概念的に明確にする場合、その概念も存在しているものですから、概念と存在が同じ意味にならなければなりません。

そこで、存在とは何かを概念的に言表すると、それは、「関係し、変化している事柄」であると明確に言えます。このことは、数年前から私自身のサイトに掲載している哲学の論文や自著の中でも明確に述べています。仏教的に言えば、縁起および無常が、存在の意味なのです。すなわち、色即是空。

このあたりのことが、十分に会得できれば、道元が、『正法眼蔵』(増谷文雄=訳注、角川書店)の「有時」の巻で、「山も時なり、海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壊すれば山海も壊す、時もし不壊なれば山海も不壊なり。この道理に明星出現す、如来出現す、眼睛出現す、拈華出現す。これ時なり、時にあらざれば不恁麼なり(第一巻、209p)」と、言ったことも理解できるはずです。

それから、最近、非西洋の≪知≫について述べている、ディック・テレシの『失われた発見』(大月書店)なども読んだのですが(はじめの部分で、コペルニクスがアラビアの学者から剽窃した疑いが記されています)、ルネサンス以降、西欧の文化を語る時、非西欧からの文化的影響というものも考慮しなければ、非常に視野の狭いものになってしまう危惧があります。実際、アラビア生まれの代数学やインドの記数法を用いたアラビア数字そしてインド生まれの零「0」を無視したら、近代の数学や科学は成り立たないでしょう。
また、17世紀生まれのロックと、ほぼ同時期を生きたライプニッツは、中国の古典を読み、二進法を考え出したとも言われています(『世界大百科事典』平凡社、「爻(こう)」の項、参照のこと)。

そして、フロイトが述べた無意識に関する事柄は、フロイトが生まれる前に、すでに、18世紀後期に生まれたショーペンハウアー(仏教の影響が大きいとヨーロッパでも認められている)が述べていることを、フロイト自身も認めているそうです(『西洋哲学の系譜』晃洋書房、311p参照のこと)。

最後に、『言葉と物』でフーコーが、ヨーロッパ的な≪知≫の変遷を語る時、ほとんど、ヨーロッパ内部の視点しかないことに、博識なフーコーではありますが、視野の狭さを感じざるを得ません。

「…さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが十八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば−−そのときこそ掛けてもいい、人間(引用者注・フーコー的な近代ヨーロッパ的≪知≫の人間)は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと(『言葉と物』の最後の文章から)」。

【自身のサイト及び自著】
http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/sh.thesis.hp-index.html http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/sh.review.hp-index.html
佐々木 寛 『日出づる国の民 …哲学論文評論集…』 新風舎 ISBN 4-7974-4955-1


言葉足らずですが…。 如月 - 2005/09/12(Mon) 12:18 No.851  

佐々木さん、『存在と時間』&『言葉と物』の読後感の書き込み、どうもありがとうございます。
このところ、中世史のシンポジウムや自分の原稿の手直しに追われ、「存在論」という難しい主題、どこまできちんとフォローできるかわかりませんが、なんとな私なりにRESしてみます。いたらない点はお許し下さい。

まず『存在と時間』ですが、この著作は未完成の著作であるということ、この著作からハイデガーの意図を読みとろうとする場合、重要ではないかと思います。つまり、ハイデガーの存在論という場合、未完の部分で何を語ろうとしたか、考えなくてはならないということですね(たとえば木田元さんの仕事のように)。
昨年『存在と時間』を読み返したとき、私自身は、この著作のなかに、木田さんが示唆する西洋哲学史の再構築という意図を強く感じました。存在論の部分は、主題的にどうこう述べることができるまで、この著作を読み込んでおりませんので、ちょっとコメントが難しいです。
ただ、20代と50代とすごく時間をおいて『存在と時間』を読んで、私が二回とも最も感銘をうけたのは、ハイデガーのいう了解の構造ですね。つまり了解は「…として」としてもたらされるということ。いいかえれば、なにかを了解するときに、われわれは新しい事実を見いだすのではなく、既知の概念に結び付けて、そのなにものかを了解する(=つねにすでに)。私はこの点にすごくひっかかりを覚えるのです。佐々木さんご指摘のように、これは循環論とは異なるわけですね。

『言葉と物』は、第一次的には、存在論を主題とするというより、やはり、ハイデガーが『存在と時間』において放棄した西洋哲学史の再構築という問題を、ハイデガー自身が西洋哲学上の大きな分岐点と指摘しているデカルトとカントのあいだに求めようとしたというべきではないでしょうか。
こうした『言葉と物』の戦略上、「ヨーロッパ的な≪知≫の変遷を語る時、ほとんど、ヨーロッパ内部の視点しかない」というのは、やむを得ない事態ではないかと私は考えます。つまり、フーコーに「ヨーロッパの外」という視点があるかどうかは、『言葉と物』ではなく、他の著作について検討しなくてはならないのではないでしょうか。
今回、『言葉と物』を読んで、私があらためてなるほどと思ったのは第10章「人文諸科学」の記述で、ここでは、自己言及的に、人文諸科学にアプローチするときの方法論が述べられていますね。つまり文化人類学と精神分析のうえに言語学を重ねあわせるということ(例:403頁)。私自身は、『言葉と物』のなかで直接とりあげている18世紀の思想をテクストに即して読み直すことでフーコーの提言を検証すると同時に、その方法論の有効性を日本中世史という対象で吟味してみたいと思っております。

急いで書きましたので、言葉足らずの点、おゆるしください。


ハイデッガーの「存在」論とは 慧遠(EON) - 2005/09/14(Wed) 04:49 No.854  

私が以前「哲学・思想を読む BBS」で2003年4月に投稿した文を引用します。
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私は、ハイデッガーの「存在」論とは、あくまでも解釈学と言う枠組みであることを忘れてはいけないと思います。従ってハイデッガーの「存在」とは現実的に直接的な「存在」、すなわち「存在的なもの」を対象としているのではなく、解釈学的反省に於いての「存在」としてあるところの反省意識的な「存在論的なもの」と考えています。すなわち、解釈学としてある反省的意識に於いての・の内の、その反省的な(存在)直観による(自己)意識的な(自己存在)解釈としての「存在の意味(地平)=存在一般」として、その「存在」の本質への(自己)意識的把握たる了解でもって、その「存在」への気遣いとするところの主観的な自我意識の自己(存在)把握(=所有)としての歴史的精神化への遂行こそ、ハイデッガーの言う生の事実態の解釈学であると思っています。まさにその意味でハイデッガーの存在論的解釈学とは、ハイデッガーの言うその「生ける精神」の"反省意識的"な「事実的な生の自己解釈」(の意識)と言っても良いと思われ、そうした自我意識の自己(存在)把握(=所有)を目指す意識的生として、反省意識的に「私の<我在り>の意味」を問うことが、それの意識的なそこでの世界-内-存在としての「現に在る」ことの関連性を(自己)反省することであるような、「私が自己としての私自身に出会う根本的経験」とされるところの「私が私を所有する」と言う「自己の特定の在りよう」としての実存の意味の"反省意識的"な経験についての、そうした解釈学的諸概念を意識として形作っていると思われます。従いまして、以上のような意味で私が理解するハイデッガーの「存在」論とは、KKさんが言われるような「『存在と時間』を「こころ」を論じているものとして考え」ることは、私には正当なものと思えます。
----------------------------------
ハイデッガーについての私の解釈が正しいかどうかは判りませんが、私の考えとしては次のようです。
最後に蛇足ながら。
ハイデッガーの現象学的に見ることによってアリストテレスを了解するところの、ハイデッガーの「アリストテレスの存在概念」についての理解は、アレーテイアの見顕わしと共にウーシアを了解するものであり、そのようなハイデッガーの理解の性格ゆえに、その存在概念への理解に於いてほとんどプラトン及びパルメニデスの存在概念と区別せずに同一的に理解している。したがって、アリストテレスによる「プラトン及びパルメニデスの存在概念」への論駁について、ハイデッガーは何も語ろうとしていない。むしろ、ハイデッガーによるギリシャ的な古典形而上学の存在概念は、ブラトン主義的に解釈されたアリストテレスのそれとして、(アリストテレスが批判した非感性的非経験的なイデアのロゴスとしての)プラトン及びパルメニデスの存在概念そのものに近いと言える。
---------------------------------
ハイデッガーはアリストテレスの「有るものとはなにか」と言う問いを「存在の意味とはなにか」と言う問いに変形することに於いて、ハイデッガーは「真性の存在とはなにか」を彼の「解釈学的現象学」に於いて問うているのであり、そこではかかる「存在の意味」と言う「地平」に於いて存在するものが存在するものとして現象するその「存在性」を課題とするものです。そして、この「存在の地平」としての「存在の意味」は、述語「ある(be動詞)」の一切の使用(の文脈と用法)から切断されたところの、(恒存的な)意義(注:=理念[イデア])の様態についての、対象を可能にする形式的規定性として存在するものの対象性一般である(参照:ペゲラー「ハイデッガーの根本問題」、茅野良男)、現象学的なアブリオリな純粋文法の枠内での理念の妥当性(参照:ペゲラー)に於いてあるものと言われるものです。そして、そこでの(現象学的な)認識問題に於ける主体にとっての対象及び対象性としての意味を持つところの範疇問題は、主体の判断問題としてその「現象学的な論理的意味」の連関についての、『「形而上学的−目的論的」解釈が、意味というものをもともと意識に固有のものとして、意識にあてがうものである。このようにして意識は「生ける精神」として把握され、精神は、自らの「形而上学的根源」へと関係づけられる。そして、その根源からのみ「有」は「真−有」たりうるのである。』(ペゲラー「ハイデッガーの根本問題」)と言われるところで、思惟されるものです。
そして、ハイデッガーの『存在の思惟は「経験的アプリオリズム」である。なぜなら存在の思惟に於いては本来的で唯一の「超越論的なアプリオリ」としての存在の経験が肝要だからである。』(マックス・ミュラー「実存哲学と新形而上学」)と言われるところでの、この存在は「既に直接性(非媒介性)を前提とし、この直接性のお陰で初めて、そもそも媒介されることが可能なのである。」(マックス・ミュラー)ところで「必然的に自己を媒介する」(マックス・ミュラー)もの(注:=自己現前的再現前化するもの)とされる『「超越論的」な思惟』(ペゲラー)です。このハイデッガーの『解釈学的現象学が現有の有の意味への問いから有の意味への問いに進もうと試みる以上、解釈学の「第一次的意味」は「実存の実存性の分析」である。フッサールが超越論的自我として捉えたものの有の意味が、ハイデッガーによって事実的実存として規定されるため、かつこの実存はそれ自身に於いて解釈学的であるため、フッサールの超越論的現象学は、ハイデッガーに於いては解釈学的現象学となる。解釈学的に理解された「超越論的認識」は、同時に現有の有の意味への問いであり、したがって「有論的」であり、「有の開示」である。』(ペゲラー「ハイデッガーの根本問題」)とされるところの、「超越論的自我の、つまり実存の実存性の分析論」(ペゲラー)と言えます。まさに「超越論的自我に代わって、ハイデッガーでは現有が登場する。」(ペゲラー)のです。
ハイデッガーに於いては「ト・オンとはなんであるか=存在者の存在とはなんであるか」は「ヘー・ウーシアとはなんであるか=存在者の"本質"とはなんであるか」と言う本質への問いとして立てられており、そこでの「本質」はウーシアと言う意義を保持するものであるが、ハイデッガーに於けるそのウーシアの必然態は自己自身へ回帰する運動の『前もって規定されている「終末」という意味での「テロス」であり、これと同時に、その運動の「始元」なのである。』(茅野良男「初期ハイデッガーの哲学形成」)ところの「存在者のテロスとしてのウーシア」と言われるものである。それゆえ、ハイデッガーはひところ「原存在(Seyn)」と「存在(Seim)」とを使い分け、「原存在(Seyn)」として「存在の真相」を「存在そのもの」として語った(参照:茅野良男)こともある。
そうしたウーシアとして理解された「存在の意味」=「本質」を問うハイデッガーの「事実態の解釈学」としての「存在論」は、『「ただ先験的還元の立場に立って一切の対象界を志向的意識に内在的なものとし、自他対立以前の我意識に世界も内在するという徹底的内在主義の立場」に於いて、現実存在の理解をなすのが現象学である」。そして「この[現実存在の]理解をなす意識も亦現実意識の外のものでありえないから、現象学は現実意識の自己理解、自己解釈に他ならない」。ハイデッガーは「斯かる意識の自己解釈としての現象学」を、フッサールの「構成的現象学」と区別して「解釈学的現象学」と解している。これは「具体的なる意識の自覚」に他ならないと田辺元は言う』(茅野良男「初期ハイデッガーの哲学形成」)ものに於いてあると言える。それ故、『意味を完遂する主観、現実意識、現実意識を担う「事実的な生」「現存在」そのものの「自己解釈」という』(茅野良男)ハイデッガーの歴史的精神の形而上学は『意味形成の主体を価値をはらむ精神ないし生に求めること、かかる生ける精神をもって主観の主観態と解すること、これが若きハイデッガーのまず到達した形而上学の中核であった。』(茅野良男)と言われるものであり、その生ける精神の歴史的形而上学とは「この生ける精神、精神的な生は、働きであり主観態であり、意味関連を含蓄する生なのである。」(茅野良男)ものとして、(ハイデッガーに於いては)「生こそ存在である。」(茅野良男)と言われるところに他ならないものである。
(以上のような説明が、ハイデッガーの解釈学的現象学に於けるその「存在論」の"論理=トリック"と、わたしが考えるものです。)
最後に蛇足ながら。
ハイデッガーの現象学的に見ることによってアリストテレスを了解するところの、ハイデッガーの「アリストテレスの存在概念」についての理解は、アレーテイアの見顕わしと共にウーシアを了解するものであり、そのようなハイデッガーの理解の性格ゆえに、その存在概念への理解に於いてほとんどプラトン及びパルメニデスの存在概念と区別せずに同一的に理解している。したがって、アリストテレスによる「プラトン及びパルメニデスの存在概念」への論駁について、ハイデッガーは何も語ろうとしていない。むしろ、ハイデッガーによるギリシャ的な古典形而上学の存在概念は、ブラトン主義的に解釈されたアリストテレスのそれとして、(アリストテレスが批判した非感性的非経験的なイデアのロゴスとしての)プラトン及びパルメニデスの存在概念そのものに近いと言える。
なを、『哲学の三人 アリストテレス・トマス・フレーゲ』G・E・M・アンスコム、P・T・ギーチ 勁草書房の中のアンスコムによるアリストテレス存在論によると『アリストテレスはウーシアという語を「存在」の意味で使用するけれども、アリストテレスがそうすることはまれである。「存在」に対してはアリストテレスは。彼はその動詞の不定詞"to be(einai)"を使用する。むろんこれは繋辞としても登場する。「存在とはなにか」は、「実体はなにか」であると彼が語るとき、私が「存在(being)」と訳す元のギリシャ語は、定冠詞が前置された、動詞"to be(einai)"の現在分詞("to on")である。すると、それを訳すには「存在するもの(the existent)」の方を選ぶかも知れない。』とのことである。



M・フーコーと「近代の知」 慧遠(EON) - 2005/09/14(Wed) 08:00 No.855  

私がデリダリアン時代の1979年に書いた《フッサール論》の長文の「序文」のなかから、M・フーコーの「言葉と物」"第九章"の問題に関わる部分を抜き出して引用します。
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そして、この様な批判哲学では(経験的主観にとっての)形式的な場と(普遍的主観にとつての)先験的な場の問題が提起されるが、いずれの場合も普遍性についての哲学的思考は実際の知のレヴェルにはなく、基礎付けの可能性を含む純粋な反省としてせいりつするか、あるいはあらゆる形式主義の可能性の地盤を発見することが試みられ、後者に於いては経験的領域の全体が自己に対して精神として現れる一個の意識の内部に奪回されたときに成立するものでしかない。ここで真実の言説のあり方は、一方でこの真実の言説がその発生過程をそれが自らの自然と歴史の中に跡づけていく経験的真実のうちに自らの基礎とモデルを見出し、他方で真実の言説がその自然と歴史をそれが自らが規定するあの真実を先取りし予め素描しかつ助長するといったところの両義性に於いて、経験的なものを先験的なもののレヴェルで価値あらしめるところの全ての分析に内在する揺れとしてあることである。この経験的であると同時に批判的であろうとする言説は、分かち難く実証的あるとともに目的=終末論であることしか出来ない本質−形而上学的なロゴスの純粋(触発)さであり、そしてこの様な言説から出発した近代の思考は、人間が還元されると同時に約束された真実としてそこに立ち現れることと対称的に、還元の流域にも約束の領域にも属さないにも関わらず、その言説の場所を求めることを回避出来ないのである。かかる場合の言説とは、経験的なものと先験的なものとを分離したままで維持しようとする緊張によって、両者を同時に目指すことを可能にするものであり、人間を主体としてすなわち経験的でありながら認識を可能にするものの近くに連れ戻された諸認識の場所として、更にその諸内容に直接的に現前する諸形式として分析することを可能にしようとするものであり、諸々の経験が根付いているらしい「あの第三の中間項」の中で両者がおそらく分節化されることを可能にするような、そうした分析論の役割を演じるに違いないものである。
ヨーロッパ形而上学が、その根拠・確実性・解決であるアルケーが同時に哲学の課題・問いとしてあるそのアポリアをめぐって、発端の時間的優位と原理の存在論的優位一つの同じ問いかけに於いて合流させ、反省的行為の時間的第一歩と非歴史的原理の持つ絶対的明証性を同時に帯びていなければならなかった故に、時間的なものと論理的なものとを融和させるために一つの絶対的行為を始源とする反省によって必当然的な原理わ措定−開示するものであり続けたと同様に、……。
したがって、……にとっても近代形而上学の人間的円環を遁れることも、人間(構成主体)の名の下に有限性が基本的なものの衣裳をまとって再出現する仕組みを脱却することは出来なかったのであり、「《体験》の直接性のうちに《根源的》であるような具体物を求めること、《構成》に対して《純粋形式》の《経験》への直接的現前を我々に思考するように要求すること、それはあらゆる所与を再び二重化し、そこに--−それをその内奥に於いて分断する溝にしたがって----経験的なもの(事実的なものと自然的なもの)と先験的なものとの間に境界線を引くこと……、すなわち、それはお互いにずれていて像がモデルに《従う》様にも、葉か葉脈にも《従う》様にもお互いが従わない二つの認識レヴェルを、同一の被認識体の核(この場合はエイドス=先験的と呼ばれる)及び夾雑物(純粋でなく還元されていない)と混同することに他ならない」(F。ヴァール)のである。……に至る哲学的設問に於いて「表象が表象されたものを(そして結局のところ存在を)含まなくなり、表象するものが示されているものをそれ自体に姿を見せずに律する背後のなにものかに回付するようになるとき、これら新たな指示対象---生命・労働・言語・歴史---は、《対象-客体》であると同時に、それら秩序のうちに現れる全てのもの---全ての現象---の可能性の条件となる。すなわち、それらは《先験的》客体なるのである。それと対称的に、充足されぬ諸表象の総体が、それら条件の潜在的な場としての人間、先験的なものの卓越した場である意識へと向かって開くとき、我々は突如として同時に主体でもある一個の《客体》と関わりを持つ。《有限》な存在の《基礎》を求めるという近代哲学を支配する逆説……」(F。ヴァール)に陥ったものである。
M・フーコーが明らかにしたような19世紀全般に渡る、実証主義・批判哲学・客体の形而上学の三角形状の機能形態が生じたのに従って、更にはまた基礎付けのための努力と解明のための努力の間に往復運動が生じるのであるが、……はこの相反する企て(努力)の究極的総合を試みたものである。しかし、これらの企ては〈同一者〉をもって〈他者〉を作り出すという逆説(いかなるレヴェルをとるかによって、それに応じた起源を持つものとして理解される人間あるいは認識を、経験的なものと先験的なものの様に対立させる逆説)に際限なく陥らざるを得ないものであるが故に、この問いかけの全空間を占めるためには、有限性は二重の役割を演じなければならないのである。かかる「経験的=先験的二重体」の形象に従属した近代の哲学及び……に於いて現実に出現するものの条件は、それ自体偶発的であり、それ自体それら条件が合理性を措定している経験から切り離せないものであり、我々を根源的なものに開くはずであった意識のそれ自体に対する直接性のうちに、……純粋たる現前に全てがかかっている行為そのものの発生過程として〈超越論的自我〉の構成の問題を普遍的形式の下で提起するのであるが、それ自体受動的な発生でしかない。そこでの自我は、普遍的発生の形式的法則を見出すと同時に「おそらくはその中で自らを失い、少なくとも自我の純然たる現前が法則を不可避に合成している《非-現前》によって突然蝕まれる限りに於いて、そこで《亀裂が生じる》、つまり前と後ろに直接的なものがある……。」(F。ヴァール)という経験からの復讐を受けなければならなかったのである。


『存在と時間』の議論の枠組 如月 - 2005/09/14(Wed) 13:43 No.856  

慧遠さん、書き込みありがとうございます。
このスレッド、『存在と時間』および『言葉と物』の内容を問うものであるうえに、さらにその連関をも問題にしておりますので、RESが非常に難しいです。みなさんの議論にどこまでついていけますか…。
議論がややこしくなった場合は、問題ごとにスレッドをたてた方がいいかもしれませんね。

まず『存在と時間』もしくはハイデガー思想の問題ですが、「ハイデッガーの「存在」論とは、あくまでも解釈学と言う枠組みであることを忘れてはいけない」という慧遠さんのご意見は、私も肯首できます。

議論をより具体的な地平ですすめるため、以下に、かつてこの掲示板でみなさんとご一緒に『存在と時間』を読んだときの書き込みの一部(すでに消えてしまった)をコピーで再現してみます。

   *    *    *

まずは「存在と時間」のなかから、Zuhandensein(用具的存在)の定義に関するテクストを再掲。
「道具がその存在においてありのままに現れてくるのは、たとえば槌を揮って槌打つように、それぞれの道具に呼吸を合わせた交渉においてのみであるが、そのような交渉は、その存在者を出現する事物として主題的に把握するのではなく、ましてそのような使用が、道具そのものの構造をそれとして知っているわけではない。槌を揮うことは、槌にそなわる道具的性格についてのたんなる知識しかもたないだけではなく、それ以上適切にはできないほどこの道具をすつかり自分のものにしている。このような交渉において道具を使用しながら、配慮は、それぞれの道具を構成している<…するためにある>という指示に服している。槌がたんなる事物として眺められるのではなく、それが手っ取りばやく使用されればされるほど、槌に対する関わり合いはそれだけ根源的になり、槌はそれだけ赤裸々にありのままの姿で、すなわち道具として出会ってくる。槌を揮うことが、みずから槌に特有の便利さ(「手ごろさ」)を発見するのである。道具がこのようにそれ自身の側から現れてくるような道具の存在様相を、われわれは用具性(Zuhandenheit)となづける。道具にはこのような「自体=存在」がそなわっているのであって、道具はだしぬけに出現するものではない。」(細谷貞雄氏訳、ちくま学芸文庫上巻、163頁、原著69頁)
さて、この用具的存在(道具)ですが、人間(現存在)がとあるものを道具に仕立てるというよりは、道具が人間を人間たらしめるともいえるのではないでしょうか。
つまり、道具は人間に先行して存在しており(われわれは道具に取り囲まれて生まれ・育つ)、人間がそれらに価値や意味を与えていくというより、人間の意味はその道具によって規定されている面があるんじゃないですか。ハイデガーが用具的存在にこだわるのは、そうした戦略があるからじゃないかとも思え、かつまた道具に囲まれた社会的人間とはすなわち世界=内=存在(処世)ではないかとも思えるんですね。
いわば、人間を即自的に明らかにしていくのが論理的に困難であるので、道具という外堀から人間とはなにかという問題をうめていこうという戦略ですね。加えて「存在と時間」のなかで、ハイデガーはモノの本質概念を頑なにこばんでいるので、モノなり存在を明らかにしていこうとすると、こういう言説戦略しかとれないわけです。
それがまた、「およそ了解において開示されたもの、すなわち了解されたものごとは、いつでもそれについてそれの<…として>(als)が浮かびあがりうるようなありさまで与えられているのである。この<として>は、了解されている事柄の表明性の構造をなしている。そしてそれが、解意を構成するのである。」(上掲訳書上巻、322頁、原著149頁)という了解の構造、すなわち「存在と時間」そのものの基本的な主題・結論のひとつと関係してきますね。
言語の問題も、すくなくとも「存在と時間」第一部第一編では用具的存在の一種ととらえられているのではないかと思います。これをあえて言語起源論的にとらえれば、人類には道具を使うという行為が言語に先行するのであり、まずはモノが道具になる、つまりヒトが人間(現存在)になるという現象を明らかにしたいということですね。言語に対する記述は、意外なほどそっけない。(2004/7/29)


フーコーのまなざし 如月 - 2005/09/14(Wed) 14:50 No.857  

↑を再掲しただけでは、この一年間なにも考えてないように思われるかもしれませんが(そして実際にそうかもしれませんが<笑>)、今、読み返してみると、道具的存在者に対するハイデガーの捉え方、ジョン・ロックに一脈通ずるものがあるように思えるんですね。ロックの場合も、存在了解といったものは、抽象的概念が先行するのではなく、具体的な世界経験が先行し、抽象概念はそれから帰納される間接的な知であることを強調するわけです。
ここでロックをもちだすと、話題をあまり拡散させないようにしようといったそばから自分で話題を拡散させているようですが(^^;)、私からすれば、ロックの哲学が歴史的にはデカルトとカントのあいだにすっぽりおさまるものだということがここでは大きなポイントで、通常の哲学史で語られるように、デカルトに代表される合理論とロックに代表される経験論がカントの哲学に収斂していくというのじゃなくて、そこに収まりきれないような視覚をロックの哲学はもっているんじゃないかと思うんです。
で、フーコーの『言葉と物』という著作は、ロックには言及しませんけど(かわりに、フランスにおけるロック思想の後継者コンディヤックが大きくとりあげられる。ちなみにコンディヤックはマブリの実弟)、再三指摘しているように、このデカルトとカントのあいだということをひたすら問題にしているわけですね。そしてフーコーは、17・18世紀の学問や思想と19世紀の学問や思想のあいだの断絶を強調する。その断絶を強調することで、19世紀来の「近代思想」を相対化する視点を獲得し、そこから近代思想を批判していく。ともかく、17・18世紀の学問や思想と19世紀の学問や思想のあいだの断絶が具体的にどのようなものであったかを検証することが『言葉と物』の主たる狙いといえなくもない。
するとこの『言葉と物』という著作は、やはり『存在と時間』の視点と非常に重要な点で交差し、『存在と時間』の問題意識を継承しているといえるのではないかと思えるんです。


「道具」  - 2005/09/14(Wed) 20:27 No.858   <Home>

慧遠(EON)さん 如月さん

道具について関心の有る部分ですが、たとえば、道具がない時に、人が、道具を生み出すことについては、ハイデッガーは何も語っていなかったように思いますが、…何か言ってました?


道具以前 如月 - 2005/09/15(Thu) 01:59 No.859  

はっきりと確信しているわけではありませんが、『存在と時間』には「道具以前」すなわち「道具がない時に、人が、道具を生み出す」ということへの言及はないのではないでしょうか。私の考えでは、そうした状態についての考察は、『存在と時間』の問題意識に反すると思うのです。
つまり、『存在と時間』のなかでハイデガーは、つねにすでに道具を使う存在として人間を考察していきますが、道具の起源(道具を使う以前に人は人であったか)とか、人はなぜ道具を使うのかということは、『存在と時間』の立場からすれば、考察対象になりえないと思うのです。
*   *   *
これと関連して、「現存在」というハイデガーの用語。私はこれが何を指すかかなり悩んだんですが、現在の結論としては、「大人の人間」ということなのだろうと思っています。これを生物学的なhomo sapiensのことだなどと理解すると、とたんに『存在と時間』はわけがわからなくなってきますね。現存在がさまざまな問いを発するのは、大人として、すでにとあることを学んでしまっているからなのであり、homo sapiensに思考能力があるからということではないのだと思います。
(現存在が発する問いへのこたえは、既知のもの<として>与えられる。)


人格をもった大人 如月 - 2005/09/15(Thu) 09:50 No.860  

↑の「大人」ということ、「人格をもった大人」と言い換えた方が、私が考えているものに近いです。で、ハイデガーがなんで「現存在」というようなあざとい言葉をつかったかというと、やはり「人間」もしくは「人」といった言葉(概念)をきらったからでしょうね。
岡倉覚三を経た『荘子』の「処世(世界内存在)」という術語の採用にも、似たような経緯があるのではないでしょうか。
で、この「人格」は、道具や言葉をもちいる社会のあり方と深くかかわりをもっており、たとえばルソーがいうような意味における社会形成以前(=道具以前、言葉以前)の人間を想定したとしても、その人間には「人格」は認められないということなんだろうと思います。
   *    *    *
というような感じの理解で、ようやく、慧遠さんの書き込みの冒頭にある、「私が理解するハイデッガーの「存在」論とは、KKさんが言われるような「『存在と時間』を「こころ」を論じているものとして考え」ることは、私には正当なものと思えます」という記述につなげることができるかなあーーと、ぼんやり考えております。


「道具」  - 2005/09/15(Thu) 19:55 No.861   <Home>

現在の社会においても、今までに無かった新たな「道具」が、生み出されています(例・パソコン、インターネット等)。
ですから、個人的には、道具の使用も重要ですが、それを生み出す事の、問題の方が、より重要だとも考えています。

それから、たしか、現象学では、外界の実在について判断を停止している訳ですから、それを前提にすると「こころ」以外に論じられるものは無いと言っても過言ではないでしょう。

また、仏教では、華厳経その他で、唯心(あるいは唯識)が重要な地位を占めていますが、フッサール以前、前述の、ショーペンハウアーの『意思と表象としての世界』などは、仏教(唯識)の影響が大きいのではないかとも考えています。


安心しました。 投稿者: 投稿日:2005/09/04(Sun) 23:29 No.830   <Home>
如月さん、復活おめでとうございます。
サイトに繋がらず、メールを差し上げようか?サイトがダメだと、メールもダメか?
と考えてました。
今日からまた拝見します。
クレンペラーの話ですが、EMIから1300円のシリーズが出ています。
これなどお買い得ですね。小生はハイドンの交響曲2枚買いました。


クレンペラーのハイドン 如月 - 2005/09/05(Mon) 00:30 No.833  

酒井さん、ありがとうございます。

さて、クレンペラーのハイドンですが、たしか8曲(LP4枚分)正式に録音してますね。今回の再発はそのなかのチョイスだと思いますが、クレンペラーのハイドンは、いずれも、私のようなマニア的ファンじゃなくてもすなおによいと思えるすぐれた演奏じゃないでしょうか。
音色がとても柔らかくて、なんというかハイドンがモーツァルトのように美しくきこえるんですね。思わずききほれるという感じ。それでいて、全体の構築感は失われず、非常に安定しているところが、これまたいかにもクレンペラー。

(ちなみに、私のメールはソネットを利用しておりまして、サイト&掲示板とはサーバーが異なりますので、サイトが不通ときにも、メール機能は生きています。)


モーツァルトも  - 2005/09/05(Mon) 23:51 No.834   <Home>

如月さん、クレンペラー、ハイドン演奏してもモーツァルトのようですね、確かに。
小生はクレンペラーEMIでモーツァルトも持っています。
31番パリ、ベームと並んで好きです。
バッハ、管弦組曲もありますね。結構、小生もクレンペラーフリークですね、ある意味で。
要は古き良き時代、といわれる、19世紀的な演奏が良いと思うのです。
近年のシステマティックな演奏がなじまないですね。
ところで、今週は久しぶりに、日本の中世史、
五味文彦「絵巻で読む中世」ちくま学芸文庫、読んでいます。
御霊なんて出てき来ると、おお中世だ、と変に感心しています。


クレンペラーの演奏 如月 - 2005/09/06(Tue) 10:08 No.835  

クレンペラーに関して、日本に、古いタイプの木訥さをかたくなに遵守した演奏、あるいはそれをひっくり返した野暮ったい演奏といった評価があるのは知っていますが、私のクレンペラーに対する見方は、それらとは180度異なり、少なくともフルトヴェングラー、ワルターなどの同世代では最も先鋭で、なんというか現代的演奏というものです。
(その辺の事情は、前にちょっとご紹介した『ベルリン三大歌劇場』(菅原透、アルファベータ)に詳しく書かれていると思います。)
たとえば、クレンペラーが演奏するベートーヴェンに、私はストラヴィンスキーを通過したベートーヴェンということを強く感じます(クレンペラーは、ストラヴィンスキーのいくつかの曲を世界初演しています)。バッハの演奏にも、そういうところ少しありますね。
クレンペラーは、伝統的音楽を、それが伝統的だからという理由でいいとは思っていなかったと思います。ですからクレンペラーの演奏する古典は、フルトヴェングラーとは違う意味で、私にとってつねに新鮮です。
クレンペラーの師・マーラーは、「伝統とは自堕落だ」という有名な言葉を残していますが、その言葉にもっとも忠実だったのは、クレンペラーではなかったでしょうか。ですから、クレンペラーは、「私はのぼせあがったばかではありません」といって、マーラーの音楽も批判していますね。
そうした批判精神の高さにおいて、私にとり、クレンペラーはやはり別格です。
残念ながら、ベームの演奏には、私はそうした批判精神のようなものを感じません。
モーツァルトであれば、ベームより、むしろカザルスのきわめて個性的な演奏に自由奔放なものを感じます。変な比喩ですが、カザルスのモーツァルトは、楷書のクレンペラーとは対極的に、太い筆に墨をたっぷりつけて勢いでぐっと書いた禅者風の演奏という気がするのです。


祝・再開  - 2005/09/06(Tue) 21:08 No.838   <Home>

良かったですね。

最近、如月さん、お奨めの、フーコー=著『言葉と物』新潮社を読んでいる最中です。
それにしても高い本ですね(4500円+税)。買おうか、買うまいか、かなり迷いましたが、買ってしまいました。


ありがとうございます。 如月 - 2005/09/07(Wed) 13:05 No.840  

佐々木さん、ありがとうございます。また、サイト閉鎖中のメールもどうもありがとうございました。
『言葉と物』読まれたら、ぜひ感想おきかせください。


またまたクレンペラーについて。 如月 - 2005/09/08(Thu) 09:17 No.843  

ところで、クレンペラーについての私の書き方、あまりにも「文学的」で、理解しにくいところがあるかもしれませんね。
たとえば、フルトヴェングラーの演奏もある意味ではとても「文学的」なんですが、それでも「音楽」という枠のなかにきちんと収まっていて、その枠のなかで「文学性」を主張しているように私には思えます。
クレンペラーの場合、その「音楽」という枠そのものを広げて考えないと、どうしても収まりきらないものをもっているように思えるんです。
ただ、こういう書き方は、クレンペラー(の録音)を聞いたことがない人には、クレンペラーが非音楽的な要素にたよって演奏しているような、なにかしらの誤解を与える可能性があるのですが、おもしろいことに、クレンペラーの演奏は、フルトヴェングラーやベーム以上に純音楽的であるという一面ももっているんですね。
なんというか、音楽とはなにかをつきつめていったときに、そこで音楽を超えてしまうような…。まあ、こうした資質をもった演奏者ですから、そのベートーヴェンやバッハはとくにすばらしいといえるでしょう。けして、いわゆるベートーヴェン的、バッハ的ではありませんが。
そういう意味で、クレンペラーは、ベートーヴェン的、バッハ的にはこだわらないというか、そんなことは無意味だと考えていたと私は思います。そんなことよりも、ベートーヴェンやバッハの音楽がいかに「音楽的」であるか、クレンペラーのめざすところはそこにありますね。それを、うえの方では「ストラヴィンスキーを通過した」とちょっと書いてみたんですけど…。
こうした意味で、クレンペラーは、20世紀初頭に生じた即物主義的な芸術運動の影響を強く受け、音楽演奏においてはその先頭にたっていたといえると思いますが、おもしろいことに、そこにも収まりきらない。なんというか、即物主義を突き抜けていくようなところがある。
でも、それはもう一度主観主義に戻るというようなことではないのですね。


クレンペラーと上拍(アウフタクト) 如月 - 2005/09/08(Thu) 10:15 No.844  

音楽(演奏)のこととなると、話しが特に抽象的になりがちなのですが、以下、クレンペラーの演奏を特徴づけるものの一つである上拍(アウフタクト)について、ちょっと書いてみます。
まずは『クレンペラーとの対話』(白水社、1976年、佐藤章訳)からの引用。

「数年前わたしがベルリン・フィルハーモニーでベートーヴェンの四番を指揮したとき、支配人のシュトレゼーマンは、オーケストラはカラヤンの指揮でこの曲を演奏したばかりであるが、その演奏はあらゆる点でまったく違っていたとわたしに話しました。たぶん少しはわたしにもお話しできることがあります。非常に重要なのは上拍です。オーケストラを注意深くさせるのは強拍ではなくて上拍です。それから第一拍はつねにある重さをもっています。この点についてわたしはブレッヒャーから多くのことを学びました。もっとも重要なことのひとつは、指揮者の手は演奏者に対して、あたかも彼らはまったく自由であるかのように演奏する機会を与えるべきであるということだと思います。指揮者が拍子をとるときにあまり力みすぎると、演奏者はかえって邪魔されてしまう。たとえば、フォルティッシモで入るところで、指揮者はその入りをやたらに強調すべきではない。それはオーケストラがしなければならないことです。オーケストラが演奏しなければならないのであって、指揮者はただオーケストラがどのように演奏すべきであるかを指示することができるだけなのです。」(同書202〜3頁)
「(指揮の技術で)教えられること、学べることはほんのわずかしかないので、一分もあれば説明できるでしょう。たとえば、4/4、3/4、5/8などの拍子をどのようにとるかといったこと。これらは外面的なことです。上拍に特別の注意をはらうことも学ばなければなりません。それから第二拍はときに第一拍よりもこころもち短くなければならないこともあります。これは書きあらわすことのできないものです。しかしたいせつなのはオーケストラに呼吸をさせるということです。これは欠くべからざることです。」(同書199〜0頁)

ながいこと、私はこれが具体的になにを言っているのかわかりませんでした。ところが実は簡単なことで、指揮をするとき最初の拍のときに腕を振り下ろしますが(下拍)、次にはもう一度腕を振り上げる(上拍)。普通の指揮者は、拍のあたまをそろえようとして腕を振り下ろすこと(下拍)を重視しますが、そうじゃなくて、拍をそろえようとするならば、前の拍の最後、つまり腕を振り上げるところ(上拍)を重視しなくてはならないということなんですね。こうして前の拍の最後がきちんとそろえば、変に強調しなくても拍のあたまはきちんとそろう。だから上拍がしっかりしていれば、特別な強調は不要なんです。これに対し、下拍ばかり重視すると、かえって拍のあたまが不揃いになるだけでなく、リズムが乱れてくる。
(実際に腕を上下に動かして、私の書いていることためしてみてください。)
クレンペラーはこんな基本的なことが、音楽で一番大事なんだと言ってるんですね。実際、下拍ばかり重視して、リズムをみだす指揮者は非常に多い。クレンペラーの演奏は、つねに上拍(裏の拍)が非常に明確で、エイト・ビートのようにきこえる。でも、それだからリズムはみだれない。

オーケストラに呼吸させるというのも、このことと関連してきますね。ヴァイオリンのような楽器は別ですが、管楽器は、演奏者がどこかで息をしなければならない。ところが、指揮者が下拍ばかり強調すると、息をすることができないんです。これに対し、上拍がしっかりしていれば、上拍の最後で息継ぎをすることができる。

クレンペラーは別のところで、次のように言っていたようにも思います。
「腕を振り下ろすというのは、重力があるから簡単だ。なにもとくに力を入れる必要はない。問題はそれをどう上げるかだ。」


まだまだクレンペラー 如月 - 2005/09/08(Thu) 10:52 No.846  

と、ここまで好き勝手に書いてきたら、ようやく自分でも話しが少しみえてきました。
要は、クレンペラーが主張するのは、少なくとも音楽における主観主義と客観主義(即物主義)の対立というのは、表層的な次元であらそっているだけで、音楽において重要なのは、より基本的な要素であり、つきつめていけば、音楽にはそれしかないということなのですね。
ですから、クレンペラーの演奏はあえて分類すれば客観主義にはいるのでしょうけれど、それら客観主義的演奏が、おうおうにして音楽の基本を無視してなりたっていることを、自身の演奏によって批判する。クレンペラー的に考えれば、主観を排除することだけが自己目的化して音楽の基本を無視した演奏というのは無意味なのですね。
つまり、主観にしがみつきそれを表現をすることに拘泥する必要もなければ、主観を意図的に排除する必要もない。それではどちらも「主観性」の呪縛にしばられている。
(クレンペラーの演奏するマーラー『大地の歌』がいかにすばらしいことか!)
こんなことを書いていると、また「精神論」に逆戻りしてしまったみたいに思われるかもしれませんが、そんなときにもクレンペラーの演奏はただ「音楽」であるだけ。そしてそれがひたすら美しいということですね。


クレンペラーの指揮法 古高家の一族 - 2005/09/29(Thu) 23:16 No.913  

いつもHP拝見しておりました。ここでは初めましてですね。

昔楽器を吹いていたことがあったもので、クレンペラーとの対話の引用(844)を読んで、「そうそう、そうなんだよ」と一人で納得していました。たぶんこういう指揮が、演奏者にとってわかりやすく、演奏しやすい指揮なんだろうと思います。


ようこそ♪ 如月 - 2005/10/06(Thu) 01:29 No.932  

古高家の一族さん、こんにちは&ようこそ♪

私は、今日もクレンペラーが指揮するベートーヴェンの『皇帝コンチェルト』をきいて、やっぱりすごいなあと感心してました。
音楽の話は、どうも言葉で書きづらいので、今度また中前勉の例会あたりでじっくといきましょう。

それにしても、次はこんな控え目な場所じゃなく、上の方のスレッドに書き込みどうぞ。


諸行無常 投稿者:如月 投稿日:2005/09/04(Sun) 20:57 No.829  
平家滅亡。

テレビ・ドラマとはいえ感慨深いものがあります…。


犬童映画に夢中♪ 投稿者:如月 投稿日:2005/09/04(Sun) 15:55 No.828  
犬童(いぬどう)一心という映画監督にすっかりはまってしまいました。

きっかけは、先週、渋谷のシネマライズで封切られたばかりの『メゾン・ド・ヒミコ』をみたということなのですが、この映画の不思議な魅力がどこからくるのか疑問だった私は、終映後に読んだプログラムで犬童監督が大島弓子に強い関心をもっていると知って、「あっ」と得心。『メゾン・ド・ヒミコ』はまさに「大島弓子的」という形容詞を付すとぴったりという感じの、ファンタスティックでひたすら美しい映画なのですね。
それであわててTSUTAYAの会員になり、犬童監督の2000年作品『金髪の草原』を借りてきて、昨日、今日とみているところ。
『金髪の草原』はまさに大島弓子のコミックが原作なのですが(原作は未読)、これが実に切なく、実に残酷で、実にファンタスティックなすごい傑作。商業映画としては『メゾン・ド・ヒミコ』の方がうえでしょうけれど、『金髪の草原』には、「こんな映画があったのか」とただただ感心するばかり。そのシチュエーションは原作者である大島弓子のものだといっても、それが映画になると確信し作品化したのは犬童監督なわけですから、この映画作品のすごさは、やはり彼の力なのだと思います(それと、『金髪の草原』は、アニメ化したのではなく、生身の俳優を使って実写で映画化したからこそシュールですごいのですね。なんでもありのコミックの世界では、この映画を最初から最後までつらぬく違和感は当たり前のことで、その衝撃性は薄まってしまうと思います)。
ところで、「ファンタスティック」あるいは「ファンタジー」という言葉は、実に安易に使われますけど、『金髪の草原』と『メゾン・ド・ヒミコ』をみると、ファンタジーと夢物語は異なるということがよくわかると思います。犬童作品では、一方で実際にはありえない夢のような世界を描きながら、生々しい現実も同時に描いていくのですね。その夢と現実のギャップ、もどかしさがファンタジーを生み出していくのだと思います。まあ、こうした犬童一心の資質と大島弓子の資質はよく似ていますね。
ところで、『金髪の草原』と『メゾン・ド・ヒミコ』に共通するテーマは、いってみれば「不可能な恋愛」ということでしょうか。『メゾン・ド・ヒミコ』の場合、それが(父親の恋人である)ゲイの若者への恋という、ある意味で風俗的で複雑な様相をとりますが、『金髪の草原』では、その不可能性がよりストレートなかたち(80歳のボケ老人と若いヘルパーの恋+連れ子の姉弟の恋)をとるために分かりやすく、その分衝撃が強いのだと思います。

犬童監督が『金髪の草原』と『メゾン・ド・ヒミコ』のあいだにつくった『ジョゼと虎と魚たち』のビデオもTSUTAYAで同時に借りてきましたからとても楽しみです。じっくりみるつもり。
それと犬童監督の新作『タッチ』も公開間近なんですね。こちらももちろん大いに期待しています。


犬童監督へのインタビュー 如月 - 2005/09/05(Mon) 00:11 No.831  

犬童監督へのインタビューはこちら↓。
http://www.theaterpark.jp/feature/002/index.html
私にはとても興味深いですね。


『ヘルハウス』と『皆殺しの天使』 如月 - 2005/09/05(Mon) 00:21 No.832  

このインタビューのなかで犬童監督は自分の作品の構造は『ヘルハウス』に似てるって語ってますけど、私見によれば、『ヘルハウス』の構造はブニュエルの『皆殺しの天使』によく似ている。というか、『皆殺しの天使』という映画は、『ヘルハウス』的な怪奇映画のパロディとみれなくもない。
そして、犬童監督の手法自体が、ブニュエルとよく似てるんですね。

ところで、犬童監督の発言を参考に読み解けば、『皆殺しの天使』は予算がないので、セットを組まずに一箇所で撮れる映画という逆の発想から生まれた作品と考えられなくもない。
でもおうおうにして、そうした制作上の制限が、作家の発想を刺激してすごい作品を生み出すこともあるんですね。


『ジョゼと虎と魚たち』 如月 - 2005/09/06(Tue) 12:29 No.836  

ということで、犬童一心の『ジョゼと虎と魚たち』もみましたが、いい悪いは別にして、この映画はちょっと私にはあわなかったです。というか、予想していたものとかなり違うというべきですかね。
シュールレアリストは、一方でレエルというものにも強く惹かれますから、『ジョゼと虎と魚たち』は、犬童一心のそういうリアリストとしての一面が強く打ち出された作品というべきなのでしょうか。
『金髪の草原』でも、ヘルパーなりすの日常は、ドキュメンタリー的な手法で描写され、それが日暮里邸(ヘルハウス?)の描写と強いコントラストを描いて成功していたのですね。
ですから『ジョゼと虎と魚たち』では、そのドキュメンタリー的な手法をベタで拡大したということなのなかと思っています。一般的には、おそらくそれが、けして舞い上がらない新鮮な感覚の恋愛映画として高い評価をうけたのでしょうね。
ただ、私としてはやはり、この作品の評価はとても難しい…。


=『糧なき土地』? 如月 - 2005/09/06(Tue) 12:35 No.837  

まあ、ブニュエルとの比較でいうと、『ジョゼと虎と魚たち』というのは、『黄金時代』のあとの『糧なき土地』のようなものですかね…。私は、『糧なき土地』もとても好きなのです。


Re: 犬童映画に夢中♪ きる - 2005/09/30(Fri) 22:31 No.916  

はい。やっと見ました。
金髪は以前に見ました。どちらも。よかったです。


もう一度… 如月 - 2005/10/06(Thu) 01:24 No.931  

こんな下の方じゃ、書き込み気がつきませんよ〜。

『メゾン・ド・ヒミコ』『タッチ』とも、自分の感動の内容を確認するため、近日中にもう一度観たいと思っています。


種村季弘さんをしのぶ 投稿者:如月 投稿日:2005/09/01(Thu) 14:26 No.826  
8月29日は、ドイツ文学者、評論家・種村季弘さんの一周忌。アルカディア市ヶ谷で開かれた「種村季弘さんをしのぶ会」に出席した。
亡くなる際、種村さんは、自分の死後、少なくとも一年間は公開の葬式やお別れ会のようなものは不要と遺言されたそうで、その一年がすぎた時点で、なんらかのかたちで種村さんにお別れをつげたいという関係者の思いが結集して、開催のはこびとなったもの。
嵐山光三郎さん、松山俊太郎さんにはじまり、種村さんをよくしる人たちが次々に別れの言葉を述べ、また小林嵯峨さんの舞踏、唐十郎さんの唄などをまじえて種村さんを追討した。

なお、種村さんの遺著『断面からの世界--美術稿集成』および『雨の日はソファで散歩』が、しのぶ会と前後して平凡社と筑摩書房からそれぞれ刊行されている。『雨の日はソファで散歩』は、読んでいるうちに種村さんの肉声がきこえてくるような不思議な本だ。

また、種村さんの令息・品麻さんがオーナーの銀座スパンアートギャラリーhttp://www.span-art.co.jp/では、9月3日まで<種村季弘 断面からの世界>展が開催されている。同展覧会は、絵画あり、写真あり、立体あり、人形ありで、おもちゃ箱をひっくりかえしたように不統一なのがおもしろい。
展覧会への出展作家は次のとおり。
<国内出品作家> 赤瀬川原平 秋山祐徳太子 池田瀧雄 井上洋介 上原木呂 加福多恵 川原田徹 鬼海弘雄 桑原弘明 佐伯俊男 瀧口修造 土井典 中根明貴子 中村宏 美濃瓢吾 真島直子 丸尾末広 山本美智代 渡辺兼人
<国外出品作家> エルンスト・フックス カール・コーラップ ハンス・ベルメール フリードリッヒ・シュレーダー=ゾンネンシュターン フリードリヒ・メクセパー ホルスト・ヤンセン


また、どうぞよろしく♪ 投稿者:如月 投稿日:2005/09/01(Thu) 01:09 No.823  
八月中旬から、小サイトおよび当掲示板がサーバー・ダウンしておりましたが、その間、いろいろご心配いただきありがとうございました。
本日、サーバーも復旧、私も旧来どおりまたいろいろ書き込みしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。


コミケ・レポート 如月 - 2005/09/01(Thu) 14:10 No.825  

サーバー・ダウンしていた間、8月13日、東京ビッグサイトで開かれたコミケ(コミック・マーケット)に行ってきましたので、遅ればせながらそのレポートをアップしておきます。コミケそのものはパッと顔を出しただけで終わってしまいましたが、一日中ものすごい大移動だったので、ちょっと疲れたけどおもしろかったです。

   *    *    *

コミケに向けて部屋を出たのが午後1時30分頃。せっかくコミケに行くんだからコスプレがいいと浴衣を取りだしたものの、帯をしめるのに手こずり、悪戦苦闘で出発前の貴重な30分ほどを浪費してしまった。どうにかかっこうをつけて、地下鉄日比谷線の某駅からいざ出陣。銀座で銀座線に乗り換え、新橋で下車。新橋からゆりかもめで国際展示場前まで。新橋駅では折しも東京湾花火大会と重なって混雑のため切符購入に時間がかかるが、ゆりかもめの広い窓から見るベイブリッジ、東京湾がまぶしい。ひさしぶりに東京は港湾都市だったということを実感。ゆりかもめの展示場前駅からコミケ会場の東京ビッグサイトは目と鼻の先。ただしビッグサイトに入ってから実際のコミケ会場までは相当の距離。人混みをかき分け、ひたすら歴史関係のブースをめざす。ブースにつくとみんな歓迎してくれたが、帰りが込むのでもうブースをたたんででるところという。私も、今回は特にみたいブースがあったわけではないので、みんなと一緒に移動することにする(ああ、もう少し手早く帯が結べていれば!)。帰りの移動は参加者の提案で水上バス。帰りは出展者も来場者もみんな一斉に移動し出すので、ぼやぼやしているとビッグサイトからの脱出が困難になるのだという。ここはコミケをよく知っている人たちにまかすのが一番。水上バスを待つあいだ、鈴木小太郎さんから「今、会場についた」と連絡が入ったが、人混みのなかで、もう落ち合うことは不可能。東京駅付近を予定している打ち上げで落ち合うことにする。
水上バスは短いクルーだが、東京湾を風を切りながら進むのは楽しい。水上バスの桟橋から浜松町までは歩き。浜松町からJRで東京駅へ移動。
ここでコミケ関係の友人達とわかれ(彼らはこれから打ち上げ)、待ち合わせしていた別の友人と東京駅で落ち合う。彼は彼で、今回のコミケに参加するために鹿児島から東京に出てきたもので、12日、自分の作品を公開したという。東京駅からJRを乗り継いで、今度は高田馬場に向かう。中野区に住む友人がホームパーティを開くというので、それに参加するため。東京駅で手みやげを調達。5時をちょっと回っている。JRで移動中、日暮里付近でどしゃ降りになったが、車内なので高見の見物。高田馬場で西武線に乗り換え、N駅に向かう。高田馬場に着いた頃は、雨はすでにやんでいた。N駅からは、商店街を抜けて比較的まよわず友人宅へ。6時30分頃、とりあえず目的地到着。私を入れ6人で、おいしいワイン(Corton-Charlemagne!)を飲みながら歓談。コルトン・シャルルマーニュははじめて飲んだが、白なのに、栓を抜くとふくよかな香りがあたりに漂う。これは絶品。雑談しているうちにあっという間に時間が過ぎて10時30分に友人宅を辞去する。
友人宅からN駅までは晴れていたのに、N駅につくと、また雨が強く降り出した。帰宅する頃には晴れるだろうと、そのまま西武線に乗り込み、高田馬場からJRで恵比寿に移動。恵比寿に着くと雨は小降りになっている。ラッキー♪
恵比寿から日比谷線に乗り換え、12時直前に帰宅。ちょうど東京を一周したかっこうだ。われながら、ほんとうによく動いた。

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