院政期社会の言語構造を探る

全体の概要(構想)

Abrege total d'etude en plan

   

 小論「院政期社会の言語構造を探る」全体は、第一部「権力と言語」、第二部「和歌の装置」と大きく二部にわかれ、最後に補論のなかで、第二部でみた和歌の「装置」が『正法眼蔵』の言語的装置と比較されます。

 第一部「権力と言語」では、院政期の権力と文化(主に和歌)との関わり合いが歴史的に叙述され、これをとおして「院政」とはどのような性質をもつ権力であったかが探られます。
 具体的には、白河院が勅撰を命じた『後拾遺和歌集』が、和歌表現の歴史のうえでもターニング・ポイントをなしているところから、なぜこの院政開始の時期に和歌にターニング・ポイントがおとずれたかが考察されます。
 鳥羽院政期は、白河院政期とのつながりのなかで叙述されます。
 後白河院政期に関しては、絵巻、今様、浄土仏教(法然の思想)を中心に、その特質が探られます(『千載集』の勅撰は、これらとは違う流れの事業であったと分析されます)。絵巻、今様、浄土仏教は、いずれも院政期文化の華ともいえる存在ですが、これらはそれまで朝廷文化にはなかったジャンル創出的な意味をもつものと位置づけられます。そして、院政を背景としてこれらの文化が出てきた意味が考察され、院の文化・政治ヴェクトルは、既存秩序の破壊・読み替えに向かうものであることが論じられます。
 次に、現在その大半をアップしてある九条家文化論が続きます。
 院の政治・文化ヴェクトルが既存秩序の破壊・読み替えという「専制的」な方向に向かうものであったのに対し、九条家(摂関家)の政治・文化ヴェクトルは、これとは逆に秩序の構築という方向に向かいます。これは摂関家がめざすところが専制政治ではなく、いわば太政官制度や官僚機構といったシステムを活用した政治であるところに起因すると考えられます。文化においても、九条家は、新たなジャンルを創出するのではなく、既存のジャンルの改革・復興に向かいます。その九条家的な特徴がもっとも明確に出たものが和歌であると考えられます。
 こうした摂関家のもつ政治・文化ヴェクトルと院の政治・文化ヴェクトルの相異が論じられず、これらが院政期の朝廷文化として一くくりに論じられてきたところに、従来の院政期文化論の不毛の原因があると私は考えていますが(新たなジャンルの創出論だけでいくと和歌の革新はうまく説明できない)、院の文化と九条家の文化の相異というのは、ちょうど20世紀音楽におけるストラヴィンスキーとシェーンベルクの違いに相当するのではないでしょうか?
 こうした九条家文化がもろくも崩壊するのは、建久七年(1196年)の朝廷クーデターという外在的な原因によります。
 続いて後鳥羽院政期となります。後鳥羽院は九条家文化を政治的に吸収しますが、私見では、その本質を理解し、それを内在的に発展させることはできませんでした。歌人の層もひろがり、表面的に、後鳥羽院政期は九条家の時代以上の和歌の黄金時代となりますが、その基盤を構築し、黄金時代を準備したのは九条家といえるでしょう。この節では、『新古今集』のなかの最良の和歌は九条家歌壇の影響のもとに生まれたものであり、後鳥羽院は、その成果を巧みに取り入れ、天皇家のもとでの国家秩序の再興という至上目標のなかにそれを組み込んだのであると論じられます。こうした後鳥羽院政期を、後白河院が準備した院の文化と摂関家の文化が統合された新たな時代であると積極的に評価することも可能でしょうが、この脆弱な統合は、承久の乱によって崩壊してしまいます。
 全体として、「中世」という時代を、私はさまざまな分野における価値観の流動化・相対化の時代と考えています。政治的にも文化的にも価値観が流動化してくるなかで、根源的な価値付与的存在である天皇がクローズ・アップされ、そのなかから院政という政治形態が生まれてきます。院政の誕生は他の勢力とりわけ摂関家を刺激し、摂関家にもアイデンティーの確立と時代に合わせた変革を迫ったといえるでしょう。それらは双方が相まって独自の院政期文化を形成していきます。平氏政権の誕生、鎌倉幕府の創設は、こうした大きな社会変革の流れのなかで考察していくべきだというのが私の考えです。
 最後に、通常この時代を叙述するにあたって最も重要な政治的ポイントと考えられている朝幕関係について私の立場から一言付言すれば、秩序を志向する鎌倉幕府(頼朝政権)のヴェクトルは、本質的に九条家のヴェクトルと符号したものであり、九条家を単に朝廷内の親幕派と位置づけてしまうのではなく、国家内の秩序志向と専制志向の連合・対立という観点からもその関係を考察していくべきではないかと考えています。こうした視点を導入することによって、武士対貴族、幕府対朝廷といった硬直した歴史の見方が、より柔軟なものになっていくのではないでしょうか。

 「院政期社会の言語構造を探る」第二部は、こうして時間軸にそって歴史的に構築した院政期文化論を一端解体し、言語論、表現論としてみたとき、こうした院政期和歌をどのように位置づけることが可能かが、歌合、百首歌などの外在的な「装置」と和歌に内在するレトリックなどから考察されます。この試みによって院政期和歌のもつ「新しさ」の内容を再確認したいと考えています。


 平成16年9月26日

  

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