院政期社会の言語構造を探る

「伴大納言絵巻」 別註1

 本項アップ後、黒田日出男氏が「謎解き伴大納言絵巻」(2002年、小学館)を上梓していることを知った。同書で示される、「伴大納言絵巻」が描かれた時のオリジナルの物理的状態に迫り、そこからあらためて現存する「伴大納言絵巻」を読みとる論証力の鋭さは特筆に値する。
 以下、黒田氏の論旨(同書の内容)を要約してみる。
 同書「はじめに」によれば、「この本は、第一に、「伴大納言絵巻」を支配してきたかに見える<謎の人物>論が、なぜ<謎>となったのかを明らかにする<謎解き>なのであり、「伴大納言絵巻」のアポリア(解消しがたい難問)の解決を目指すものである。第二に、それと表裏の関係をなしているのだが、「伴大納言絵巻」の文法や構成を明らかにする試みである」とされる。
 この趣旨に従って「伴大納言絵巻」の研究史がきわめて詳細にたどられ、絵巻上巻に描かれている三人の人物(後ろ姿の人物、広庇の人物、室内の直衣姿の人物)がそれぞれ誰に比定されてきたか、また、なぜこのように説がわかれるのかが明らかにされていく。
 結論からいう。
 昭和8年の福井利吉郎氏の論文「絵巻物概説」にはじまる謎の人物論は、「伴大納言絵巻」原本のモノとしての状態を検討することがなかった(容易にできなかった)ため、第13紙と第14紙が連続していると誤って理解されたところから生じた論議であり、実際には、問題となっている人物が描かれている第13紙と第14紙の間には、山根有三氏が指摘したように(同氏の指摘は、出光美術館蔵品目録月報<1986年>のなかで行われた。黒田氏の著作巻末に付録として当該論考「伴大納言絵巻覚書ーーその演出と謎の人物について」が再掲されている)、一紙分の脱落を認めるべきである(ただし、山根氏は脱落した一紙には詞書が書かれていたものと想定しているが、詞書の分量から黒田氏は詞書説は物理的に成立し難く、場面転換を象徴する絵、具体的には樹木ではないかと想定している)。このことは、現在の「伴大納言絵巻」連続傷痕の残り方からも、物理的に追認できる(補註参照)。この脱落と絵巻の画面左は神仏のような聖なる存在がやってくる方向であるという絵画コード論、後ろ姿の人物が襪(しとうず、いわば足袋)のままで浅沓を履いていない事実、応天門の場面と庭の場面の間に描かれたの霞の役割(=仕切り)などから総合的に判断して、謎の人物は、まず後ろ姿の人物が天皇への訴えを終えて清涼殿から引き返す大納言伴善男、広庇の人物が頭中将であるというもの(直衣姿の人物は、従来の主要学説どおり忠仁公・藤原良房とする)。
 本書を読む限り、小論のなかで引用している五味文彦氏の人物比定(後ろ姿の人物と広庇の人物をともに伴善男とする)は成立しがたい。なぜなら、一見同じように見える二人の謎の人物の服装の文様は、「庭に立つ貴人よりも、広廂に侍坐している貴人のほうが藻の密度が大きい」点から判断して別人であり、黒田氏によれば、広庇の人物は口髭も顎鬚もない若い人物を表現しているという。これに加えて、広庇の人物は「深夜に駆けつけてきた忠仁公良房を、すでに就寝していた天皇を起こしてまで会わせることのできた人物」であり、また「その場に控えていて、天皇の仰せを聞くことのできた人物」であるところから、黒田氏は、この人物は「宇治拾遺物語」に登場する頭中将であるという、五味氏とはまったく異なる結論を出している。
 後ろ姿の人物、広庇の人物の比定とも、黒田氏の説の方が無理のない自然な解釈だといえると思う。
 したがって、五味氏の解釈のように、広庇の場面を「異時同図法」を用いて描かれたとする必要はない。この点、小論を訂正する。
 ただし、広庇の人物の比定では見解を異にするものの、この一連の場面が、伴善男と藤原良房の訴えの違いを対照的に表現しているという結論では、黒田氏は五味氏と一致している。つまり、五味氏はこれを広庇の人物と良房の描き方の比較から結論づけたわけだが、黒田氏は、浅沓を履いていないなど後ろ姿の人物の異様さがそのまま良房との対比になっているとする。
 さて、謎の人物論以外にも同書から学ぶべき点は多いが、最後に一つだけあげるとすると、「この応天門炎上場面に描かれた人々の視線は、われわれと違っていたのである。応天門を焼き尽くしていく炎を見る人々の表情を、現代のわれわれの普通の火災体験や感情と同一視してはなるまい」という指摘が、私には興味深く思えた。黒田氏がこうした指摘を行うのは、古代・中世の絵画史料には消火のための道具は見あたらず、ひとびとにはそれを止める術がなかったという観察と結びついているのだが、絵画史料、文学史料にすぐに感情移入しがちなわれわれの鑑賞態度へのいましめとして、これは重要なことではないだろうか。
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 いずれにしても、黒田氏の研究史分析、「伴大納言絵巻」原本の分析は非常に詳細で読みごたえのあるもので、この本は、今後のすべての「伴大納言絵巻」研究の原点とされるべきであろう。
 「伴大納言絵巻」の研究史も、同書に網羅されているといっていいが、参考のため、その前段で紹介される絵巻物全般についてのまとまった知識が得られるとされる研究書を以下に主要なものを抜きだしておく。

 @奥平英雄「絵巻物」(「日本の美術」2)至文堂、1966年
 A秋山光和「絵巻物」(「ブック・オブ・ブックス日本の美術」10)小学館、1975年
 B奥平英雄「絵巻物再見」角川書店、1987年
 C武者小路穣「絵巻の歴史」吉川弘文館、1990年
 D高畑 勲「十二世紀のアニメーション」徳間書店、1999年

 なお、人物比定についての黒田氏が指摘するような疑問点があるにもかかわらず、五味氏の「絵巻で読む中世」は、絵巻と時代のかかわり方を描いた本として価値を失っていないと考えられることを書き添えておく。
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 「伴大納言絵巻」についての私の関心は直接の主題や人物比定にはないので、私の論旨そのものには変更はない。私としては、「伴大納言絵巻」のなかでは、ただ一点、「子供の喧嘩」の時間表現に大きく注目したいのである。



「伴大納言絵巻」 本文