院政期社会の言語構造を探る

絵巻物の時空表現
L'expression de l'espace et du temps dans les peintures en rouleau

4) 信貴山縁起絵巻
Shigisan-engi-emaki
 

 毘沙門天を信奉する聖・命蓮をめぐる奇跡のかずかずを描いた「信貴山縁起絵巻」は、「源氏物語絵巻」「伴大納言絵巻」以上に成立史に不明の点が多い(註18)。そうしたなかで、小松茂美氏によれば、これもやはり後白河院が中心になって制作された可能性が高いという。
最愛の皇子二条天皇の臨終に、石屋聖人(未詳)を病床に召して灸治を加えたのも、じつは後白河上皇の切なる願望であったのではないか。上皇の脳裏には、「宇治大納言物語」(註19)の主人公命蓮の故事が駆けめぐった。加持も、また薬石の甲斐もなく、若くして登遐した二条天皇追慕のよすがに、「信濃国の聖」の物語を絵巻に作る企ては、後白河上皇にして瞬時に発想のプランではなかったか。その絵巻をこそ、完成の暁には、みずからが携帯して信貴山の毘沙門天に奉賽しようというのは、まことに自然の数ではなかったか(小松茂美氏「信貴山縁起」解説、中央公論社「日本の絵巻」4、1987年)
 ここで小松氏が前提としている二条天皇とその父後白河上皇の親愛は、現在の政治史ではほぼ否定されているのだが(註20)、それとは別に、五味文彦氏による、
絵巻や説話の命蓮は都には赴いていない。だからむしろ近衛・二条の例は踏まえられていないと見るべきであろう(五味文彦氏「絵巻で読む中世」、筑摩書房「ちくま新書」、1994年)
との指摘もあり、この絵巻と後白河院の直接のかかわりを証明することは難しい。ただ状況として、この絵巻が後白河院政期、それも治承四年(1180年)に東大寺が焼きうちされる以前のものであると推定することは許されるように思われる。

 この絵巻では、空間とその内部でのものや人の移動(あるいは逆に不動性)が大きな主題となっている。すなわち「飛倉の巻(山崎長者の巻)」(=第一巻)で、命蓮は、居ながらにして托鉢の鉢、米倉、米俵を動かす(空中を飛行させる)ことのできる法力をもった聖として描かれる。ついで「延喜加持の巻」(=第二巻)では、命蓮は自坊に居ながら京の天皇の病気を癒す。そして最後の「尼公の巻」(=第三巻)では、命蓮を尋ねて姉の尼公が信濃から河内と大和の国境の信貴山まで旅する。

 この絵巻を描いた絵師独自の時空感覚は、次の中村英樹氏の指摘をはじめとして、随所にうかがえる。
(「飛倉の巻」のはじめの部分で)大勢の人物を地上に描くことは、その密度によってスピード感を増すのに役立っているが、その上、倉に近い人物が近景扱いであるのに対して右後寄りの人物たちは小さく描かれており、人物の相互関係がいわゆる主題性遠近法のような構造を持っている。右後寄りの人物は倉の直下の人物とはわずかに異なる過ぎ去った時間を生きているのだともいえる(中村英樹氏「日本美術の基軸ーー現代の批評的視点から」、杉山書店、1984年)
 「延喜加持の巻」では毘沙門天の使者である剣の護法童子が登場し、信貴山にこもり続ける命蓮に代わって京に行き天皇の病気を癒すが、この護法童子は絵巻物の通常の表現法に反して左方から右へと登場する。このため右から左へ絵巻物を繰る鑑賞者にとって、護法童子の出現はなんの前ぶれもない突然のできごととなり、驚きは大きい。また鑑賞者は、護法童子の姿を確認してから、時間の流れを逆にたどって 、虚空をさくその出現のあとを追うことになる。これによって護法童子は鑑賞者に強く印象づけられる(註21)。
 また「尼公の巻」では、尼となった命蓮の姉が奈良に来て東大寺大仏殿のまえで転々としながら一夜をあかす場面に、異時同図法の典型的表現がみられる(トレース図準備中)。

 個々の絵巻物にみられる表現の分析を終えるにあたって、最後に、「信貴山縁起絵巻」から重要なふたつの点を指摘しておきたい。
 この絵巻の建築物の描写は、ほとんどすべて奥行方向の平行線が交わることがない右上方からの斜投象によるものであり、西洋絵画的に考えれば、理論上無限遠に視点を設定している。ところが大仏殿の描写だけは、右方からの斜投象と左方からの斜投象が中心軸に集まる西洋絵画でいう「魚の骨的構成(fishbone=軸遠近法)」をとり、この空間の特殊性を表現している(註22)。「魚の骨的構成」は、美術史では「日本の仏画、平安時代から鎌倉時代によく描かれた、浄土曼荼羅図によりはっきりしたかたちで見られ」(小山清男氏「遠近法の成立」「遠近法の精神史ーー人間の眼は空間をどうとらえてきたか」所収、平凡社、1992年)る構図だというが、とすればこの「信貴山縁起絵巻」の大仏殿の場面はその最初期の一例ということになろう。
 もっともわれわれの当面の課題にとり重要なのは、この絵巻が魚の骨的構成を用いた最初の例かどうかということの検証ではない。注目すべきなのは、この技法の採用によって、「信貴山縁起絵巻」では、大仏殿の空間が他と違った奥行きをもった空間として表現されている点だ。
 そしてこうした視点で大仏殿の場面をみると、ここにはもうひとつのしかけがしてあるのに気づく。
 すなわち、大仏殿の場面での異時同図法採用にあたって、絵師が東大寺大仏(毘廬遮那仏)を不動の存在として描き、それを前にした命蓮の姉をいろいろ動き回る存在として同じ空間のなかに描いたのを、単なる写実あるいは主観的表現と理解すべきではない。千野香織氏が「異時同図法のこうした本来の意味(物語の進展、変化の様子を示す)を心得ながら、それが巧みに逆用されている」(千野香織氏「信貴山縁起絵巻」、小学館「新編名宝日本の美術」11、1991年)と指摘するように、「伴大納言絵巻」の子供の喧嘩の場面とは異なり、静的なこの場面では尼公の姿を大仏と重ねて幾つも描き出す直接的な理由は存在しないと考えた方が自然である。この場面では、むしろ、毘廬遮那仏の世界の超時間性と尼公周辺の世俗的世界の時間性が意図的に対比され、また同時顕現するものとして表現されているのではないか。
 「信貴山縁起絵巻」の大仏殿の場面を軸にして考えれば、あれかこれかという二分法的なとらえ方を時間意識に適用しようとすることは、21世紀に生きるわれわれの時間意識の制約でしかないようにも思えてくる。この絵巻物を描いた絵師にとって、超時間的な世界と時間的な世界は、二律背反的に退けあって存在するのではなく、融合して同時に存在するものだったのである。

(以下、「似絵の時代へ」に続く)

 平成15年2月25日

  

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