院政期社会の言語構造を探る 【参考史料】

 平信範『兵範記』 保元元年(1156年)六月条


【主要記事】
鳥羽法皇重病(5月21日他)、鳥羽法皇の死への備え(万歳沙汰)を行う(6月1日)、美福門院出家(6月12日)。



(五月廿一日) 辛酉 一院御灸治、月来御不食、近日不快、去比基康一両度奉灸御胸辺、今日重御腹両所御灸治云々、(以下省略)

(五月廿二日) 壬戌 一院御不予増御云々、

(五月廿七日) 丁卯 法皇御不予殊増御、一切御不食云々、

(五月廿八日) 戊辰 被行免物、法皇御不予事云々、(以下省略)

(五月卅日) 庚午 (中略)法皇御悩猶大事御、殊不被行御所、偏有御万歳沙汰云々、


六月

一日
 辛未 参鳥羽殿、御悩同様御坐、経日御不食陪増、御腹手足等令腫給云々、
息災御祈一切不始、左大将奉行、一向御万歳沙汰云々、
今日左府於法成寺阿弥陀堂、被行亡室正日事、但皇后宮御沙汰云々、
両界曼陀羅、法華経廿一部、<一部金泥、廿部素紙>、
導師権少僧都相源、<月来例時僧中>、讃衆廿口、威儀行事、是皇后宮御沙汰之故云々、
前大内記遠明草願文、左京大夫教長卿清書云々、

三日 癸酉 入夜新院御幸鳥羽殿、即還御、或人云、御幸成田中殿被申事由、不幸院御所、何況不及御対面云々、

四日 甲戌 参鳥羽殿、御悩同事云々、
三瀧聖人西念自一昨日参入、迄于今日御授戒三ヶ日云々、件聖人、近代無双行者、心性大根権者云々、此間隠居大悲山、敢不出洛、再三遣召被請出云々、
晩頭関白殿令参鳥羽殿給云々、

七日 丁丑 祇園御輿迎如例、

八日 戊寅 法皇御悩同前、猶危急御歟
伊予守親隆朝臣、彼御祈於中堂自今夕始行、
薬師供五十壇、一壇事、
三尺薬師仏一鋪、<新図絵>、壇一面掖机二脚、燈台二本、半帖一枚、阿加桶杓、仏布施、壇敷布一反、黄浄衣、名香一裹、
供米三石五斗、<七日料>、長櫃一合、
凡五十壇火廻料、大幕八帖云々、
今日参鳥羽殿、御薬師如来者、三瀧聖人猶祇候令勤申観念云々、

十二日 壬午 早旦参鳥羽殿、或人云、女院今夕可有御遁世、雖御素懐殊被秘蔵、又臨夜陰可有其儀云々、
仍晩頭退出了、
後聞、入夜権右少弁惟方奉法皇仰、御堂方儲其儀、<安楽寿院也、当時御在所>、御所簾中供御座、亥剋許、御坐件御所、西念聖人奉授戒、阿闍梨行祚<故長輔卿息、此間父卿重服也、依仰、俄着鈍色装束、参仕云々>、奉剃除御髪、無唄師云々、事了賜僧布施、
戒和尚被物一重、布施二裹、単重二襲、布装束一具、剃除阿闍梨被物一重、布施一裹、鈍色装束一具、
 已上大臣以下公卿被収之、
御名字、 真性室、<撰者顕尋法眼、兼日○申歟>、
太政大臣、内大臣、以下公卿皆参、殿上人済々、<皆布衣>、

十三日 癸未 入夜、関白殿令参鳥羽殿給、

十四日 甲申 祇園御霊会如例、内新院殿上人馬長如例年、一院女院侍臣依仰停止、人別調進心経、<五六巻、或十余巻、御定両三巻云々>、院別当遠江守盛章朝臣、判官代佐渡守為清等、主典代庁官引率参向宮寺、奉行供養事、導師相意已講、題名僧十口、本所僧請用之、御輿著御了、晩頭有此儀云々、
今夕皇嘉門院御幸法性寺殿、

十五日 乙酉 早旦参鳥羽殿、次参法性寺殿、御月忌一日経供養了例時、次入夜女院還御中御門殿了、今日一院祇園乗尻如例、於鳥羽兼弘宿所出立云々、

十六日 丙戌 高陽院御月忌、午剋許参白川殿、先是、左府、右大将令参給、御講如例、請僧五口参入、或故障、或病悩云々、申剋例時、了退出、

廿一日 辛卯 巳剋許詣四条、予州面謁、
今日少将若君有五十日事、寝殿南面母屋小児著座、乳母抱之、女房六人在南庇、次供物前、参川権守季時朝臣取織物打敷、為陪膳入中央間簾中、女房宰相殿取之展若君前、次式部大夫頼方以下、民部大夫等役送、朱台二本、中盤一枚、<市餅居之>、銚子等調備之、女房次第役之、女房相公調備了、少将被供之、東向羞之、此後無別儀、下官於簾中検知之、今日及六十余日有此事、依無日次延引云々、
午後参殿下、晩頭京中騒動、一院已危急由、自鳥羽殿上下往反云々、殿下御出、先令参内給、中納言殿御同車、先是、下官於烏丸殿奉仰、為御使直馳参鳥羽殿、于時秉燭、三瀧聖人以下念仏合殺、但令直給了、其後別事不御由、承女房御旨帰参、此間殿下令退出給云々、仍帰参烏丸殿、令申子細了、
今夜殿若君、<あや前、六歳>、初渡給法印御房、中納言殿令具申給、若君御装束白単重、<去正月母堂入滅、仍不着給色衣歟>、君達三四人、諸大夫七八年扈従、于時法印御坐鷹司東洞院房、被儲客亭、中納言殿入御、若君坐端座、法印出給、次供養、蔵人大輔雅頼為納言殿陪膳、法橋忠祐為若君陪膳、法印御前不供、事了有御贈物、弘法大師御筆、<納蒔絵筒>、法印御房取之、被献納言殿、智證大師鈴被奉若君、忠祐伝献之、次納言若君等還御、
今日若君有納言御猶子儀、依殿下仰、被参御曹司、納言被献贈物御本一巻、

廿二日 壬辰 申剋許、殿下令参鳥羽殿給、中納言殿御同車、入夜還御了、
(裏書)
伊予守勤行中堂五十壇供満二七日、今朝結願云々、

廿七日 丁酉 鳥羽殿参入、昨今殊大事御云々、

廿九日 己亥 六月祓、殿下於烏丸殿令修給、中納言并若君達同令候其座給、
陪膳為基朝臣、役送邦綱、陰陽師時晴、
故北政所○年中可有憚哉否被尋問、不可及憚由、議定云々、





『兵範記』保元元年七月条その1 (次の記事)

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