院政期社会の言語構造を探る

達磨歌 註

註1)
 九条家の人々にとって「顕宗」「密宗」がそれぞれどのようなものであったかを示す一例として「吉水大懺法院条々起請事」(承元二年=1208年)の条文をあげておこう。「この起請は、慈円が中心となり、大懺法院をおこして、ある程度時代に適合した天台法門をこゝに再興しようとした試みのあらわれ」(井上光貞氏『新訂日本浄土教成立史の研究』、山川出版社、1975年)であるが、井上光貞氏によれば、その第四条「供僧器量事」は、「右、末代近古用僧徒有四種、一者顕宗、二者密宗、三者験者、四者説教師也。顕者已成業、密者已潅頂、験者属密、説法属顕」と、僧徒を四種に分類している。われわれの文脈からすると、修験者が密に属するとされているのみならず、(日常言語による)説法は顕に属すと明確に分類されているのが注目される。



達磨歌 本文