院政期社会の言語構造を探る

定家の登場 註

註1)
 俊成は二見浦百首のなかから三首を『千載集』に撰び入れたが、その選択は、伝統的な規範を満たす歌に集中している。父として定家を世に送り出すにあたり、世人に大きく注目されるよりも、まずは非難を浴びることを少なくしたいという保身の心理がはたらいたのであろう。「あぢきなく…」の歌の勅撰集入集は『新古今集』を待たねばならなかった。

註2)
 西行の「心なき…」という歌も、「心なし」と言い切ること自体、禁じ手を使用したというべき歌だと思う。ただし、朝廷歌壇の外にいた西行の場合は、禁じ手による表現の拡大を表層的な心情の表出に直接結びつけようとするのだが(それゆえ彼の歌は、中世の始まりを告げる新しいタイプの歌とされることが多い)、定家の場合、歌(言語)が特定の心情を「表現」するということ自体、最初から否定されているのだ。したがって、西行の歌が新しい心情をもりこむために新しい表現に向かっていくのに対し、定家は直接的な表現の拡大とは違う道を選ぶことになる。



定家の登場 本文