院政期社会の言語構造を探る

〜はじめに〜

なぜレトリックなのか
   

【時間意識と表現】

 世界をどうみるか、あるいは世界とどうかかわるかには、ひと、時代、地域によっていくつかの型がある。そしてその型を整理する観点も、これまで無数に提示されてきたといっていい。たとえば「唯物論」と「観念論」、「無神論」と「有神論」、「西洋思想」と「東洋思想」…といったように。
 それらにまた新たな二分法をくわえようというわけではないが、これから院政期の言語の世界にわけいっていくまえに、ここではまず作業仮説として、時間感覚を手がかりに、ひとが世界に向かう態度(世界認識)を二つの型に分けることからはじめよう。

 @世界のあり方を時間継起にともなう変化、もしくは因果律で説明
    (素朴実在論、主にヨーロッパの近代思想)

 A世界のあり方を存在の相の重なりとその相互の関係で説明
    (新プラトン主義、イスラーム思想の存在一性論<wahdat al-wujud>、仏教の華厳思想、真言密教、深層心理学、シュールレアリスム芸術の思想、etc.ーー総じていえば非ヨーロッパ・反近代の思想潮流)

 @の時間継起や因果律を重視した世界認識は、いちおう「ヨーロッパの近代思想」を代表例としてあげておく。しかしこれは、ヨーロッパだけでなく、われわれの社会をはじめとして、地域や時代に限定されることなく一般に広くみられる認識形態であるともいえる。以下にとりあげる院政期の日本ならば、いわゆる「末法思想」や『平家物語』『方丈記』の底に流れる思想などを、仮にこうした認識にもとづくものと分類しておいてもいい。
 このタイプの認識パターンの背景にある存在論を簡単に要約すれば、過去から未来へという時間の流れが世界をしっかりと支配し(歴史主義)、その流れにそって、一つひとつのものやことは、われわれに認識されるまえから世界のなかに客観的に存在しているということになる(素朴実在論)。そのなかでの認識の位置づけとは、こうした世界をあるがままにとらえることであり、その把握の粗密に応じて、ときとして認識の側に正誤が生じる。しかし、われわれは試行錯誤を繰り返しながら認識の精度を無限に高め、最終的にはものそのものへ迫ることができるとされる。したがって、こうしたタイプの考え方では、はじめから、認識する側ではなく、ものの側に世界の主導権があるのは当然のことだ。
 こうした世界観にもとづく思想では、たいていの場合、言語は思考(認識)の道具として事象の世界に従属し、世界をなぞっているだけとされる。また事象はもちろんのこと、それを反映した言語表現も、それぞれ単一の相からなると考えられているので、事象を言語で説明(描写)することそのものの困難が表明されることはほとんどない。個々の言葉は、指示記号として、世界のなかで事象あるいは事物と一対一で対応し、それゆえ、それぞれの言葉は他の言葉とは異なった意味もしくははたらきをもつ。ここでは、言葉と言葉がそのアイデンティティーを支える意味の境界を超えて交わることはなく、ものとものが重なり、互いに相手のなかに溶け込み、境界を消してしまうこともない。ときとして言語表現(言語化)は、刻々と変化する世界のなかで、ものともの、主体と客体を区分し、境界を与える役割さえ負わせられる。
 このタイプの思想における世界およびその変化の説明(言語による描写)は、世界と言語に対する以上のような前提のうえになりたっているといえよう。そして近代社会のなかで日常生活を行っていくうえで、こうした認識パターンを欠くことはほとんど不可能に近いので、われわれは文化の名のもとにこうした認識パターンを身につけ(身につけさせられ)、世界に対し違う接し方がありうることなど、ふだんめったに顧みない。

 しかし歴史や社会のなかで視野を拡大してみていけば、世界と人間のかかわり方は、こうした時間・もの・意味に縛りつけられたタイプばかりではないことが明らかになる。Aとしてあげたいくつかの思想や深層心理学が主張する認識パターンは、@のタイプとは逆に、日常生活のなかで一見単一で、不変・堅固な構造をもつとみられるものものとを重ね合わせ、互いに溶け込ませ、境界をとりはらってしまうことに特徴がある。
 しかしながらこれらの思想を、性急に、唯心論や観念論と断定すべきではない。これらの思想は、世界を単なる仮の現象あるいは心の反映とだけみているのではなく、意識の全体が受け止める世界の存在リアリティーをいったん肯定したうえで、われわれは意識のフィルターを通すことなく世界を認識することは不可能であること、したがって、現象的世界の多様性はある程度まで意識のフィルターの反映であることを強調し、素朴実在論によるもの中心の世界認識に異をとなえるのである。
 これらの思想では、通常の世界認識がめざす、ものともの、事象と事象の差異化やアイデンティティーの確立は、最初から、探究の対象とはなりえない。また言語作用が意識と緊密に結びついているかぎりにおいて、事象と言語の差異すらもとりはらわれ、事象が言語化し、言語が事象化する。このため、ものや事象の差異化をアイデンティティーとする言語(日常言語)は、もはや十全に機能することができない。
 これらの思想による事象的世界の多様性や変化の説明の典型的なものとして、ヨーロッパであれば新プラトン主義の一者からの流出があげられるが、新プラトン主義的な流出や、他の文化圏にみられる毘廬遮那仏=大日如来やアッラー等の絶対者の自己展開(同時顕現)のなかでは、時間は世界の支配原則とはなりえない。時間的変化には、せいぜい空間内の二次的なはたらきの一つという役割が与えられるだけだ。

 異文化に視野を拡大するといっても、突然アッラーが登場して驚いた人がいるかもしれない。小論が想定する一般的読者にとって、イスラーム思想、ましてやイプヌ・ル・アラビー(Ibn al-Arabi、1165−1240年)によって提唱された「存在一性論」はまったく馴染みがないと思う。しかし、言語に多大な関心をよせた東洋哲学者・井筒俊彦氏(1914−93年)によれば、イブヌ・ル・アラビーの存在一性論とは、
我々が現に生きている経験的世界は種々様々なるものが雑然として存在し、それらのものは互いに他から判然と区別され互いに独立しているように思われるが、これはただ人が全体を全体として認識できないところから来る仮現であって、一たび神秘者としての超感性的認識体験によって時空を絶した幽玄な実在界に滲透し得るならば、今まで雑然たる「多」の世界であったものはたちまちにして寂然たる「一」の世界に還帰する。この清浄純粋な「一」こそ唯一の真実在であり、神なのである。故に「絶対者を通して絶対者を視る」ことのできる神智の人にとっては、多の世界と見えるものは実は一の示顕にほかならず、多は即ち一、一は即ち多なのである」(井筒俊彦氏「イスラーム思想史ー神学・神秘主義・哲学ー」、『井筒俊彦著作集第五巻「イスラーム哲学」』所収、中央公論社、1992年)

という思想である。したがって、これをイスラームという歴史的・文化的文脈からいったん切り離して自由に眺めれば、その新プラトン主義的側面や華厳的側面が自然に浮き上がってくる。
 ところで、上に引用した井筒氏の関心は、30カ国語にわたるという驚異的な言語能力を駆使して、イベリア半島、アッティカ半島から日本までの「東洋思想」全体の共時的構造化による知の見取り図をつくり、それを次の時代の指針として役立てようという、誰もなしとげたことのない壮大なものであった。小論の発想の原点は井筒氏の著作にあり、氏の東洋思想の共時的構造化の成果および意識論、存在論に多くを負う。井筒氏的な視点からすれば、実は、ギリシアに発して古典期、中世を通じて保持されてきた「西洋思想」なるものの自立的存在すら危うくなるのだが、ましてや、そうした危うい基盤にたった「西洋思想」対「東洋思想」といった単純な対立構図は、知の閉塞状態を突き破ることを問題とするときにはまったく役に立たないことになる。
 また文化的価値観の相対化が必要とされ、既存の対立構図がストレートに適用できなくなっているのは、氏のように東洋全体を問題とするときだけでなく、視点を日本思想に限定したときも同じであろう。したがって小論は、井筒氏的な発想で、日本思想をいったん歴史的文脈から解き放って考察するということを、出発点の一つとしている。
 
 ここで少し視点を変えて、絵画を例にとってみよう。視覚表現である絵画でも、言語表現と似たような事態がみられる。
 時間の進行を一瞬停止させたという仮定のもとに世界を描写するルネサンス以降の西洋近代絵画の世界では、リンゴはあくまでもリンゴであり、パイプはパイプでしかない。画布のなかで、ものとものとの境界は峻厳と区別され、個々のものは、独自の本質を有し、それゆえ他とは置き換え不能なものとして空間のなかにある。くわえて、個々の事物の存在感を補強するために、線遠近法=透視図法(perspective)が動員される。
 これに対し院政期の日本でさかんになった絵巻物のなかには、構造的に経時的な変化を忠実に追っているようにみえて、実は時間的変化を一つの空間のなかで表現し(異時同図法)、近代絵画と好対照をみせる作品がある(例:『伴大納言絵巻』『信貴山縁起絵巻』)。
 例がたまたま西と東になってしまったが、それに深い意味はない。双方の絵画の違いとは、なによりもまず、時間と空間に対する態度、あるいは視座の違いなのだ。そしてその違いは、表現する対象によってではなく、表現の基底となる方法によって示される。

 絵巻物に代表される院政期の絵画が示しているのと同様な、空間が変容し、時間的因果関係さえもが希薄化した世界認識のなかで、図像や記号、あるいは言語表現が機能するのは、多くの場合、象徴、もしくは多義的な二次記号として、ものや事象を積極的に結合し、日常世界にはたらきかけていくときである。そのとき図像や記号は、C・G・ユングのいう夢のなかのイメージに限りなく近い。夢のなかでは、世界を構成するものそのものに固有の実体性があるわけではなく、個々のものも他の記号に翻訳されるべき二次記号でしかない。
 したがって、このタイプの思想(表現)では、言語と記号による世界の一元的な説明は困難となり、その困難さそのものがこれらの思想の特徴といってもいい。また言語の事象化に呼応して、多くは独自の二次言語をもつ。こうした二次言語の一種が、イスラーム文化圏では「酔言(shatahat=シャタハート)」と呼ばれ(註1)、仏教文化圏では「真言(mantra)」と呼ばれるというのはおもしろい。存在への酩酊の極限での真理の標幟としての言葉は、醒めた人間からみれば妄語に過ぎないことをイスラームの思想家は知っていた。
 さて、文化背景を異にするイスラームと真言密教の言語観を併置して論ずるのは唐突なようではあるが、ここで再度井筒氏を引用すれば、
真言密教は、要するに真言密教である。「真言」(まことのコトバ)という名称の字義どおりの意味が、それのコトバの哲学としての性格を端的に表明している。この意味ではコトバは決して真言密教の一側面ではない。コトバが全体の中心軸であり、根柢であり、根源であるような一つの特異な東洋的宗教哲学として考えることができる(井筒俊彦氏「意味分節理論と空海ーー真言密教の言語哲学的可能性を探る」、『井筒俊彦著作集第九巻「東洋哲学」』所収、中央公論社、1992年、ただし、引用にあたって原文の傍点を下線に改めた。)
のであって、「それを現代的思想のテクスチュアのなかに織り込んだ場合」(井筒俊彦氏、前掲論文)、その言語哲学としての特徴は、
表層風景としては、たしかにそれ自体で自立的にそこにあるかのように存在世界が現象している。しかしそれは、実は、全体としても、またそれを構成する個々の事物としても、すべて根源的にコトバ的性質のもの、コトバを源泉とし、コトバによって喚起され定立されたもの、つまり簡単に言えば「コトバである」のだ(井筒俊彦氏、前掲論文)
と要約される。存在世界はコトバによって分節され、はじめてわれわれがみるような世界としてたちあらわれてくる。したがってコトバ(の分節機能)をおいて世界はなく、「存在はコトバである」ということになる。この考え方は小論のなかでも鍵となるものだが、それをシニフィエ(所記)、シニフィアン(能記)という現代記号学の術語を用いて説明すれば、真言密教の言語の極限状態では、
シニフィエは希薄化してゼロ度に達し、それに反比例して、シニフィアン、つまり音形象、の方が宇宙的な巨大な力、となって現れてくる。つまり、この極限的位層では、大日如来のコトバはアというただ一点に収約され、ただ一つの絶対シニフィアンになってしまうのである(井筒俊彦氏、前掲論文)
という。ここまでくれば、「真言」と「酔言」は、意識の深化にともなって記号としてのコトバを支えるシニフィエとシニフィアンのバランスが崩れてしまった言語、あるいはそうした言語を成立させる意識そのものの作用であり、言語現象としてみた場合、大きな類似点をもつことが理解できる。そしてこうしてみていくとき、言語、とくにそのシニフィアン的機能は、真言密教においては、単に思想を支える背景や素材であるのみならず、思想の実質であるといいうると思う。
 以下、小論が「レトリック」として取りあげるのは、単なる文法上の修辞にとどまらず、それを修辞としてはたらかせるものをも含めた、言語作用、さらには社会的な言語運用の総体である。そのうえで小論は、レトリックを手がかりに、文化圏を越えて普遍的にみられるいわば「超時間的思想」が、院政期の日本でどのように展開していたかを、主として言語表現のうえから探ろうと試みる。そのとき、井筒氏が指摘しているような特質をもつ真言密教は、通奏低音として大きな比重をしめてくる(註2)。

 そろそろ本題にはいろう。
 それ自体言語活動の集積である日本の古典文学に接する正統的な態度として、一つには、ひたすら日本思想・意識の原点(元型)を探るという一見超時間的にみえる態度、もう一つには、そうした元型的思想・意識の確認とそれの言語表現への定着過程を時間軸に従いながら追うという進化論的態度がある。
 こうした正統的態度を採用した探究は、いずれの場合も、韻文では『万葉集』、散文ならば『古事記』または『日本書紀』を起点として、垂直方向すなわち通時的に作業を行うことを基本としてきた。そのなかで、『古今和歌集』から『新古今和歌集』までの八代集の和歌に代表される、レトリック過剰で、詠み手のストレートな自己投影が後退しているかにみえる傾向は、現実から遊離した平安貴族の知的遊戯(註3)、あるいは文学の矮小化に過ぎないと位置づけられるのがつねである。
 しかし、カオスからコスモスへという一方向的な自我意識の発展史はさておき、文字によって記された書(エクリチュール)をとおして日本思想の元型を探るという作業においても、そこには個を超えた日本人の意識の連続という仮定、あるいは時間的に古いエクリチュールほど無意識的な元型をストレートに反映しており、時代とともにそれが変形され、ゆがめられてくるという価値判断が入っていないとはいえない。
 これに対し、時間的価値判断から自由であることをめざす小論は、一つの異文化に接する態度で、八代集の和歌のレトリックをめぐる水平的(共時的)構造を抜き出し、そのなかに、朝廷を中心に生活していた歌人たちが二次言語を必要とした思想的背景(それは本来、古代からの進歩でも頽廃でもないはずだ)を、可能な限り即自的に探る。
 そうしたなかで、小論が、真言密教の確立者・空海没後百年を経ずして成立した『古今集』ではなく、むしろ『新古今集』の世界を主要な考察の対象として選ぶのは、筆者の力不足にもよるが、後者の方が二次言語を極限まで追求していると考えるからだ。
 また通常の歴史叙述において、時間の流れに即して行動(信仰)のあり方を変えざるをえないとする「末法思想」の影響の一語で塗りつぶされてしまう院政期は、日本の歴史のなかでも、時間に対する意識が正負両面で最も先鋭化した時代といえよう。すなわち、これからみていくように、この時代には、末法思想だけでなく、社会(事象、事物)と個の関係を見なおし、末法思想を意識的に超克しようとした新たなタイプの超時間的思想・禅の展開がみられ、それがまた和歌(言語)の世界にも反映している。なぜなら、社会と個の関係の見なおしは、必然的にコミュニケーションのあり方の見なおしをも含んでしまうから。
 したがって小論は、密教が精神界の中心を占める社会が組み替えられ、そのなかに禅(達磨宗)が根をおろしていこうとする過程をも追うことになる。
 それゆえ以下の試みは、思想あるいは文化に似ているかもしれない。

【参考文献】
 小論全体の参考文献として、ここで井筒俊彦著作集(中央公論社)をあげておく。
 それは、@神秘哲学ーー、Aイスラーム文化、Bロシア的人間、C意味の構造、Dイスラーム哲学、E意識と本質、Fコーラン(翻訳)、Gコーランを読む、H東洋哲学、I存在認識の道(翻訳)、Jルーミー語録(翻訳)、別巻対談鼎談集・著作目録からなる。
 言語能力のみならず、それに裏打ちされた井筒氏の視野の広さは、文字通り驚異というしかない。


 平成16年7月8日

  

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