院政期社会の言語構造を探る

〜第二部 和歌の装置〜
Le dispositif de Waka
   

【レトリック】

 歌合、定数歌、題詠等が歌の社会的枠組であるのにたいし、以下にみていく賦字、折句等は、より純粋な修辞上のレトリックといえる。ただし、純粋なレトリックといっても、これらは表現の必要上適宜使用されたものではなく、歌合、題詠等と同様、歌人の発想をあらかじめ規定する装置としてはたらいている事実を否定はできない。
 結論の先取りになってしまうようだが、この時代の文芸とは、表現意図があってそれに修辞があとからついてくるという近代的な主観表現の道具ではなく、はじめに修辞ありきなのだ。
 以下、そうした状況を前提に、狭い意味での院政期の和歌のレトリックをみていく。その際、小論が採用する基本的な視点は、院政期和歌のレトリック過剰とも思える表現は、意味の伝達を目的とした日常的な言語の使用もしくは散文の世界への無意識的な(のちにはなかば意識的な)抵抗ではなかったかということだ。それらを明らかにするために、小論は、現代の言語思想の構造モデルをとりいれた4つの視点から院政期のレトリックを考察する。4つとは、@ランガージュの浸潤、A連合関係の露出、Bパロールの反乱、C間テクスト性ーーだ。

@ランガージュの浸潤

 最初に「ランガージュの浸潤」をとりあげよう。
 ランガージュとは、ソシュール言語学の術語であるが、言語をランガージュ、ラング、パロールと3つの側面にわけたときに現れる言語現象の一面であり、具体的なかたちをなす「言語(ラング)」ではなく、言語を言語として機能させる心的作用をさす。こうした作用の側から、形象化され、社会に認知された言語を突き崩し、言語に流動性を与える試みが、以下にみる賦字等のレトリックではないか。
 ただし、すでに何度か言及しているように、小論の関心は歌人の生活史と結びついた「リテラチュール」にはないので、むしろ密教の視点からみたとき、賦字等個々のレトリックはどのように機能すると考えられるかに焦点をおいてみていくことにしたい。

<賦字>
つしかとかすめる空の気色かなたゞ夜の程の春のあけぼの
の上のあきののぞみは月のほど春は千里の日ぐらしのそら
来ても谷のこほりはまだ解けずさは思ひわく鳥の音もがな
ひ来ぬまたこの宿のうめの花人あくがらすはるのあけくれ
のぼのとかすめる山の嶺つゞき同じきゞすのこゑぞ恨むる
てみれば瀧の白糸いはこえて花ちりまじるはるのやまざと
きはなるみどりの松の一入はにほはぬ花のにほひなりけり
  (中略)
にかける鳥ともさらにみなれじな羽をならぶる契なければ
しくもなりにけるかな仮初と契りしまゝの世のはかなさは
共にしぼる涙のいろなれてたれかおくるゝそでもくたさむ
めて思ふ今ひとたびのあふ事は渡らむ河やちぎりなるべき
てやらずなほ立ち帰るこゝろまで思へばつらき世々の契を
 うえに掲げた連作歌は、定家が建久二年(1191年)、30歳のときに良経の命により詠んだ「伊呂波四十七首」の一部だ。 使者を待たせながら一気にイロハ47文字を頭に賦した歌47首を詠んだという。しかもこの47首は、春10首(い〜ぬ)、夏10首(る〜ね)、秋10首(な〜ま)、冬10首(け〜め)、恋7首(み〜す)が整然と配列されている。これをみた家隆が同じように連作歌を詠むと、定家は即座にもう一組の「伊呂波四十七首」を詠んだ。請われれば、まだなんどでも詠んだのではないか。また、素性法師の「今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」の歌を頭に冠した33首の連作、「南無妙法蓮華経(なむめうほうれむくゑきやう)」の題目を冠した13首の連作(註1)など、定家には同じ趣向の連作が多数ある(『拾遺愚草』員外)。

 この種のレトリックを「賦字」というが(連作とは限らない)、これは、完成度の違いはあっても、当時の歌人として当然の技巧のひとつだった。良経には次のような秋歌の連作もある(『秋篠月清集』三、秋部所収)。
一むらの昔のすすき思ひ出でてしげき野分くる秋の夕ぐれ
二もとの杉の梢は初時雨ふる川のべに色もかはらず
三日月の有明の空に変るまで槇の戸ささぬ秋のよなよな
四の海風静かなる波の上に曇りなき世の月を見るかな
五月山照射に洩れしさを鹿の秋は思ひに身をしをるらむ
六月の空に厭ひし空蝉の今は秋なる音をや鳴くらむ
七夕の秋の七日に知られにき忍びかぬべき空のけしきは
八重しげる葎の門に夕霧のかさねてとづる秋の山里
九重や長き夜すがらもる水の音さへ寒きにはの初霜
十返りの花咲く松も朽ちにけり朝顔のみやはかなかるべき
 賦字というレトリックは、現代からみれば単なる言葉遊びに似ているが、当時の歌人にしてみれば、一つの文字(音)が背景にどれだけの具体的イメージの広がり(世界)をもつか、イメージ展開の可能性を探るという意味をもっていたのではないか。こうした院政期歌人の発想に並行するものとして、当時の仏教界には真言密教の「阿字本不生」を典型とする独自の言語思想=存在論があり、小論では、密教思想さらには現代の言語理論とからめながら、賦字がめざしたものを考察していく(註2)。

 さて、密教の阿字本不生とは、サンスクリット語のady-anutpada(本初ー不生)の頭文字が「阿」字(a)であることから、@「阿」の一文字には「本不生」すなわち「(宇宙の万物は)もともと存在しているのであって新たに生じたのではない」ことを象徴するはたらきがあり、Aまた同時に阿字そのものがサンスクリット語のアルファベットの最初の文字であるところから、この本不生の概念こそ世界の根本的な原理であるとする、二重に象徴主義的な思想である。
 ここで問題となる「本不生」そのものは、密教成立以前から仏教内部にあった概念(たとえば『般若心経』のなかにもみられる)であり、それが阿字という特定の文字と結びつくのは、実際のところ、サンスクリット語の体系内でのみ生じる恣意的な現象に過ぎない。しかし、こうした恣意的現象を文字象徴主義の原点としてとらえたところに、密教の独自性がある。
 また密教では、阿字同様にすべての文字(字母)が象徴としての役割を担っており、こうした文字(字母)象徴主義は「賦字」の連作歌と完全に共通している。つまり、この思想を極限まで追うことで、「イロハ」等の一文字一文字のなかにすでに歌が隠されており、歌人はそれを取り出し、日常言語で表現するだけ、まさに「(歌は)新たに生じるものではない」ということがいえてくる。
 阿字本不生が特殊な思想ではなく、知識人に広く浸透していたことを示すものとして、『徒然草』第144段の明恵のエピソードがある。短いがおもしろい話なので次にあげておこう。
栂尾の上人(明恵)、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふをのこ、「あしあし」といひければ、上人立ちとまりて、「あなたふとや。宿執開発の人(前世で執り行った善根や功徳が現世で開き起こって善果として実を結んだ人)かな。阿字々々と唱ふるぞや。如何なる人の御馬ぞ、あまりにたふとく覚ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候」と答へけり。「こはめでたき事かな。阿字本不生にこそあなれ。嬉しき結縁をもしつるかな」とて、感涙を拭はれけるとぞ。
 また密教では、阿字等の字母は、本不生等の概念の象徴であるだけでなく、一つひとつの字母がもろもろの仏(如来)、天人、龍、鬼等の秘密の名称でもあり、法(世界構成の原理であると同時に存在する個々の事物)を身体とする仏(大日如来=絶対的真理)から流出し、互いに結合したり、増幅したりしながら転変していく過程を通して、ようやく人間世界に流布する言語となる。
阿字等はすなはち法身如来の一一の名字密号なり。ないし天龍鬼等もまたこの名を具せり。名の根本は法身を根源となす。彼より流出してやうやく転じて世流布の言となるまくのみ (空海『声字実相義』)
 ここまでくれば、密教的世界観のなかでは、言語、(言語が表現する)世界、仏の身体、真理はすべて表裏一体で、それぞれ角度あるいは審級を変えてみたもの(=なまり)にほかならず、一方が一方を解釈したり、説明するということは、本来的にありえないという論理がはたらいていることが少しずつみえてくる(註3)。
 また空海の言語観では、人間言語だけが言語なのではない。眼耳鼻舌身意の六感の対象すべてが固有の言語であり(六塵悉文字)、それぞれに翻訳可能である。たとえば視覚の対象では、個々の色(顕)、形、動き(表)が字母であり、それらを組み合わせることによって、ものとものとが差異化され世界のあり方の一端(実相)が指し示される(空海『声字実相義』)。これを「名の根本は法身」という世界観とあわせて考察すれば、真理は世界(現世)のなかに世界そのものとして開示されているのであり、ことさら、他所に求めるべきものではないということになる。また和歌は、その真理の言語を人間言語に翻訳し、顕在化していけばいい。
 つまり、人間に認識可能な世界の意味(実相)が派生してくるのは、真理のあり方が限定され、真理の階梯が低くなったときであり、密教的世界のなかで、絶対的真理とは本来、日常的な「意味」を超越している(それゆえそれは秘密である)。
 以下、こうした密教独自の思想が言語哲学としてどういう方向に展開する可能性をもつか、さらに追っていこう。その出発点として、まず、井筒俊彦氏の言葉をかりることとする。
真言密教の見所によれば、個人的人間意識のレベルに生起する意味現象は、宇宙的レベルにおける意味現象の、ほとんど取るにも足らぬミニアチュアにすぎないのだ(井筒俊彦氏「意味分節理論と空海ーー真言密教の言語哲学的可能性を探る」、『井筒俊彦著作集第9巻東洋哲学』所収、中央公論社、1992年)
 ミニアチュア的な人間存在(あるいはその表層意識)だけを認識主体に限定せず、密教では、認識を、世界そのものが世界を識るはたらきとしてとらえる。その時、「宇宙的レベル」の認識の一部をなすわれわれの日常的な認識とは、世界を差異化し、相対化して把握することにほかならない。そしてこの差異化の道具が日常言語ということになる。それゆえ日常的な認識のレベルに限っていえば、「意味」とは、認識対象のもつ意味であると同時に、言語の指示対象の意味でもある。いいかえれば、日常言語は、個々人の意識によって切り取られた世界の意味的立ち現われ(現象)をなぞっており、ここでは、認識対象・言語・意味が分かちがたく三位一体を構成している。
 これに対し絶対者(大日如来=摩訶毘廬遮那仏)の視点にたてば、認識とは、世界には本来差異がないことを覚知することである。こうした絶対者(仏)の覚知を問題としたとき、密教以外の仏教諸派(顕教)では、通常、それは言語の及ばぬ領域ではたらく、あるいは絶対的な覚知の領域は言語化不能とされるが、真言密教では、そうした絶対知の領域も言語化(表現)可能とされる(註4)。そのうえで、空海は、そうした絶対言語を「真言」と呼ぶ。
 ここまでくると、言語の役割も通常とは大幅に異なってくる。つまり、密教の枠組のなかでは、世界に差異がないことが言語(真言)によって示されるが、その差異がないことの標幟(cihna)としての言語は、おのずと意味の限定から解放されている。また世界の差異は、言語と同時に、絶対者の覚知から流出してくるものと位置づけられる(註5)。
 したがって日常的な認識の立場からすれば、真言とは言語のもつ多様な側面のうち、表記作用(シニフィアン=signifiant)だけに限定された不備な言語、極言すれば意味を取り去った音素の単純な連続にみえてくる。しかし逆に真言密教の立場に立てば、意味・意志・意図の伝達を前提とした日常言語こそ、言語作用の仮の一面を強調したものでしかなく、それに付随する意味作用も言語に必然的なものではない。日常的な分析的言語に統合的はたらきをもつ言語を対置させる密教の言語観のなかでの「意味」の位置づけは、「記号によって差異化されたもの」すなわち文字どおりのシニフィエ(signifie)という程度のものでしかありえないのだ。
 またこうした論理の帰結として、真言の一般的な意味における「理解」はありえない。そこには身体的な了解があるだけだ。そして密教的に真言を了解するとは、真言のなかに自己を投企(Entwulf)し、真言をなぞることなのである。

 問題のあり方をより一般化して、意識を表層意識とそれを支える深層意識の二重構造としてみていった場合、通常、言語は表層意識の領域の現象に対応するもの(ロゴス)であり、深層意識の領域では言語は機能しないとされる。あるいは、言語(ロゴス)の機能しない領域こそ意識の深層領域といってもいい。しかし、密教的な意識の構造モデルでは、言語の有無によって意識の表層と深層を分けることはできない。井筒氏は、こうした表層と深層の全領域を覆う綜合的な言語作用を「コトバ」と表記して表層領域でのはたらきに限定された「言葉」と差別化しているが、その術語を借りてコトバ的にいえば、表層意識の言語は、恣意的な音素あるいは文字(シニフィアン)を結節点としてそれに意味(シニフィエ)を付与し、しだいに音素や文字を希薄化しながら意味の領域を肥大化させていくのにたいし、深層意識ではこれとまったく逆の傾向がみられる。つまり言語の音素や文字は表現のための素材として偶然存在するのではなく、音素や文字の存在こそ、絶対的存在そのものへの「通路」なのである(存在はコトバである)。
 このように「阿字本不生」の象徴作用をも超えて深化していく要素を内包した密教の言語観を、井筒氏は次のように位置づける。
極限的境位でのア音は、「阿の」が呼び出される以前の純粋無雑な「阿の」なのであって、この透明な自体性におけるア音は、既に「名」となったアとは、構造的に区別されなければならない。アという「声」がアという「名」になってはじめて、そこに意味、すなわちシニフィエを考えることができるのである。もっとも、密教的コンテクストにおけるア音は、それが「名」となってからでも、これがア音の意味であるという形で、一つの特定なシニフィエを指定することはできない。無限に解釈学的「読み」を許すような、不決定なシニフィエがそこにあるというだけのことだ(井筒俊彦氏、前掲論文;引用に際し、原文の傍点を太字にあらためた。)
 この考えを援用すれば、「イロハ…」等の文字を賦された和歌とは、その一つひとつの文字がもつ無限の「解釈学的読み」の一つに過ぎなくなる。そしてそれらはまた深層意識レベルの言語(字母)の無限の「翻訳作業」の試みの一つでもある。しかしながら、その垂直方向の作業のくり返しは、現象に固有の「意味」に到達することをめざすものではありえない。

 阿字本不生を典型とするこうした根源的・生成的な言語観(=世界観)が、院政期の社会に生きた歌人たちの意識を支えていたのではないか。賦字が通常数首の歌の存在を前提とし、連作をとおして(ランダムな音の集積ではなく)別の言葉を浮かび上がらせるというのも、当時の歌人の精神構造のなかに、意味が希薄化した言語が、さらに高い次元で一定の秩序をもつという、世界と言語のあり方に対する独自の思想が組み込まれていたことを示しているといえよう(註6)。

 賦字の項の最後に紹介したいのは、定家に触発されて詠んだ慈円の連作「賦百字百首」だが(ここでは冒頭の五首と末尾の五首だけあげておく)、「あさかすみ(朝霞)」「おもふこと(思ふこと)」を歌の頭に賦したうえで、歌のなかにもそれぞれ「霞」「思ふ」の言葉を詠み込んでいる。
みどり春のはあふ坂の関ぢよりこそたちはじめけれ
もこそは春になりぬとしりがほにかすみの衣きぬ山ぞなき
しくはるのの原のあけぼのにあはれは秋のゆふべのみかは
みだ河みやこのかたをながむれば鳥もいづらはかすみのみして
わたせばしほぢをこゆるかな浪と松とのおとばかりして
  (中略)
思ふこと何ぞと問はむ人もがないと爽やかにいひ顕はさむ
塩草いかで此の世にかきつめて遂の思ひに煙立つべき
郷をいづら伝ひて物思ふ浮世の中に落ち止るらむ
品都占めたる国とのみ願ふ心を思ふことにて
ことはに思ふことこそ尽きもせめ欣求浄土と厭離穢土とを
 ここでは、賦字としていったん秘されたものが歌のなかに顕在化し、言語と世界のかかわり方がより複雑化している(註7)。


 平成16年9月15日

  

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