2004年1月 パリ滞在記:その1  

1月15日(木)
 パリ市立アル・サン・ピエール美術館で開催される人形展に出展する四谷シモンに同行してパリに行くことになった。出発まで、美術館の担当者、カタログを制作するガリマール社の担当者らと四谷シモンの連絡は、私がすべてe-mailで行っていたので、現地でその連絡事項を確認し、展覧会をスムーズにオープンさせるコーディネート役のようなかっこうだ。
 早朝、家を出る。成田エクスプレスで新宿から成田へ。一行は、四谷シモン、シモン・アシスタントの荒木博志さんと私の3人。
 空港で四谷シモンは偶然古い友人に会う。さすがに顔が広い。
 エール・フランス機は予定を少し早め、12時30分に離陸。パリまで約11時間のフライト。私は機内で大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』を読了。この本は、今回の展覧会のカタログと同じガリマール社の「オータンファンス」叢書のなかにはいっているので、ガリマールの担当者との話題用に読んだもの。四谷シモンは寝たり起きたり、荒木さんは一生懸命映画をみている。
 現地時間の時間午後6時前、パリ、シャルル・ドゴール空港着(時差8時間)。入国審査はいたって簡単。入国カウンターで審査官にひとこと、ふたこと話しかけるとフランス語がうまいといわれ、気をよくする。ちなみに私のフランス語はNHKのフランス語講座で覚えたもので、経験が少ないため会話は苦手だが、発音にはけっこう自信がある。ただしこのため、ほんとうはかたことしか話せないのにフランス語会話ができると思われてフランス人からいろいろ話かけられ、困ることにも…。
 さて、パリに来る前に四谷シモンが一番恐れていたものの一つは寒さだが、いざ着いてみると、ことしのパリは東京より暖かくてまずは一安心。空港には四谷シモンの状況劇場時代以来の友人でパリ在住の画家・大月雄二郎さんが迎えに来てくれ、大月さんの車でパリ市内に向かう。
 シャルル・ドゴール空港はパリの北東郊外にあり、市内に入ってまず東駅の前をとおる。四谷シモンが車窓からみたこの駅がしゃれているというので、車をとめて、帰宅の人でにぎわう東駅構内をしばし見学。東駅は建物全体がむき出しの鉄骨とガラスで出来ているのだが、この種の建物は、石造りのどっしりした建物が中心のパリで19世紀後半にモダンとしてもてはやされたもの。ガラス張りではないがエッフェル塔もこの範疇に入る。そして今回の人形展の会場となるアル・サン・ピエール美術館もそうした建物の一つだ。東駅は、広いエントランス・ホールがちょっと上野駅を思わせる。
 東駅を出て、セーヌ川をわたり、7時ごろ滞在先のホテル・ラ・ルイジアーヌにチェック・イン。ここはサンジェルマン・デ・プレ地区にある二つ星ホテルで、安いので日本人宿泊客も多い。四谷シモンは以前もここに泊まったことがあるという。三角形に近い構造の古い建物で、2つのサイドが通りに面している。日本のエレベーターと違い、ホテルのエレベーターには扉が90度方向に2つつけられており、1階のロビーと宿泊階で開く方向が違うのにまず少しとまどう。建物の古い構造にエレベーターの構造を合わせてあるのだ。またホテルの向かいがシャンピオン(英語で言えばチャンピオン)というスーパーで、ここで買った飲み物や食べものを室内冷蔵庫にキープしておけるのは、経済的。
 部屋に入ってアル・サン・ピエール美術館に電話をいれると、担当ディレクター、マルティーヌ・リュザルディはさっきまでいたけどちょっと見当たらないという。無事ホテルに着いたので明日午後に美術館を訪問するという伝言を残して、まずは夕食。安くてうまいというので、歩いて大月さんの行きつけでソルボンヌ近くにある中華レストランに向かう。前(2001年)パリに来たときと同じコースだ。レストランも注文をとる中国系のボーイさんも少しも変わっていない。ボーイさんは少し中国語がかったアクセントだが、パリで生活しているので当然のことながらともかくフランス語がうまい。日本人と中国人がフランス語で会話するというギャップを楽しむ。
 メニューは餃子やワンタンがラヴィオリと書いてあるなど、何が何だかよくわからないが、大月さんがスムーズに注文してくれる。ちなみにワインはシャトー・ヌフ・ド・パップ1本が21ユーロと安い(1ユーロ=130〜140円)。
 レストランから今度はホテルと同じセーヌ通りにある大月さん行きつけのカフェ・パレットへ。ここも前に何度か来たが、前会ったのと同じ客がにぎやかに話している。
 私は疲れたので、大月さん、四谷シモン、荒木さんを残して先にホテルに戻る。
1月16日(金)
 昨晩は早めに寝たのだが、午前2〜3時ごろいったん目が覚める。日本時間でいうとちょうど午前10〜11時。体が起きる時間を覚えているのだ。それから少しうとうと。6時ちょうどにホテルの前のスーパー、シャンピオンへの搬入がはじまり、その音でもう眠れない。
 四谷シモンと荒木さんも同じだったようで、朝シモンの部屋に集合し、眠たい目をこすりながらみんなで早い朝食に行く。ホテルのビュッフェは1人6ユーロ。ジュース、コーヒー、紅茶、ココアとパンが自由にとれる。ただホット・ミルクがどこにあるのかすぐにはわからず、カフェ・オ・レとクロワッサンという風にスムーズにはいかない。ボーイさんに訊いたら、チョコレートのサーバーがミルクのサーバーを兼ねていた。
 9時になってスーパーで買い出し。水を大量に飲む四谷シモンは、ともかくミネラル・ウォーターを買わないとお話にならない。そのほか、ジュース、フルーツ、ティッシュ・ペーパーなどを購入。ジュースはオレンジと苺のミックスという不思議なものがおいてあり、試してみたらこれがうまい。ちなみにこのスーパーは日本人客も多い。
 とはいえ時間が大量にあるので、予定を早めて午前中にアル・サン・ピエール美術館を訪問することにする。サンジェルマン大通りを少しぶらぶら歩いて、メトロ(地下鉄)のリュ・デュ・バックの駅からモンマルトルのアベス駅に向かう。メトロの料金はパリ市内であれば1ユーロ30均一で、切符の自動販売機は少なく、大半は窓口で枚数と行き先を言って駅員から購入する。
 アル・サン・ピエール美術館へ行くのは、アベス駅を降りてからが難しい。美術館のマルティーヌ・リュザルディには、あらかじめモンマルトルと美術館の周辺の地図が欲しいと言ってあったのだがなしのつぶてなので、ロンサール通り2番地という住所をたよりに探すしかない。地下鉄の出口でおろおろしていると、通りすがりのおばさんがこっちから行きなさいと細い道を教えてくれる。モンマルトルは下町なので、移民も多いが庶民的で気さくな人も多い。私がガイド・ブックをにらみながら歩いているとき、一番先に美術館を見つけたのは四谷シモン。自分の作品を展示する会場のことは、やはり直感的にわかるのだろう。
 美術館はアベス駅からサクレ・クール寺院に向かう路地を抜け、寺院にのぼるケーブル・カー乗り場とその横の小さな遊園地の右横にある。美術館の前はやはり細い路地で、鉄骨にガラス張りという建物が温室か植物園のように見える。
 美術館に入り、東京から来た四谷シモン一行だというと、すぐにマルティーヌ・リュザルディを呼んでくれた。マルティーヌはちょっと女優のファニー・アルダンを思わせる小柄な美人で、全体をてきぱきと指示している。ただし展示準備の進行は想像していたよりだいぶ遅れており、ほんとうに19日にオープンできるのかおぼつかない。ともかく1階、2階にわかれた展示室を案内してもらう。
 1階は暗い感じのホールに世界各地の人形が集めてある。といっても百科辞典的に雑然といろいろな人形をならべたのではなく、生殖、豊穣、魔術などに関した人形を集中的に集めているのがすぐにみてとれる。この階の目玉は、ユダヤ人虐殺をテーマにした人形劇の特設ステージだろう。そこに登場する人形は腐植した布をぐるぐるまいたもの(ミッシェル・ネジャールの作品)で、文字どおり亡霊のような感じだ。一般に、今回の展覧会に集められたヨーロッパの人形は、完成度の高さを誇るというより、そこにこめられたイマージュの強さを誇示するという感じのものが多い。
 中空の螺旋階段とちょっとしたアプローチをわたってはいる2階のアーチスト作品のコーナーはガラス張りの屋根や壁の採光を生かしたもので、細かいコーナーを区切る内壁も白い。われわれはその一番奥、全体の中央に案内され、そこを自由に使っていいと説明される。
 ただし、当初の予定では16日に箱を開け人形を設置する予定だったのだが、壁だけでなく床にもいろいろな機材が散乱しているため、まずそれをかたづけてもらったうえで17日に人形を設置することに予定を変更する。16日に何もすることがなくなってどうしよう(Qu'est-ce que on va faire?)というと、マルティーヌは、みんな仲良く面識ができればいいじゃない(On va faire connaissance.)と切り返してくる。あせってもしかたがないので、ともかくフランス側のやり方にまかせる他はない。日本からのもう一人の参加者・大島和代さんは2階のアプローチ近くで展示準備をしていたが、彼女も具体的な展示場所が決まらないので動けないと、とりあえず展示ケースだけを準備している。
 日本の展覧会であれば、会場の設計図作成と同時に個々の作品を置く場所もほぼ決まり、見取り図に従って作品を並べていくのだが、ここではマルティーヌの頭の中にしか見取り図がないので、スタッフがみんなマルティーヌの指示を訊きにきて、マルティーヌがいないと混乱して何も進まない。ほんとうは当日フランスのテレビ局の取材が予定されており、そのためわれわれも予定を1日早めて15日に来たのだが、それどころではない感じだ。
 ちょうど昼時になったので、薦めにしたがってマルティーヌだけでなく、美術館のスタッフ全員といっしょに昼食をとることにする。
 美術館は、エントランスがオープンなカフェテリアになっているのだが、マルティーヌはそこからご自慢のキッシュをとってくれる。これが、日本のデパート等で売っているのと違い、できたてで暖かくふわふわしており、とてもうまい。またワインもいっしょにどうぞといって、赤でも白でもどんどんすすめてくれる。スタッフが集まると席がたりなくなり、即席でカフェテリアのテーブルをつなげて長いテーブルにしたて、みんなでわいわい食べたり飲んだりするが、フランクでこれがとても楽しい。ここで、東京から持参した「みずゑ」の澁澤龍彦追悼特集(1989年冬号)をひろげ、シモンの作品はこんなところにおかれてて、日本ではその状況がとても有名なんだと説明すると、四谷シモンのホームページをよくチェックしているマルティーヌが、澁澤はサドやバタイユを翻訳しているとフォローしてくれる。おみやげにもってきたシモンの人形の絵葉書も、当然のことながら大人気。
 食事をすまして手持ちぶさたでぶらぶらしているところへ大月さんが到着し、ともかくすべては明日ということを確認して、冬物バーゲンがはじまったばかりのパリの街へショッピングに出かける。
 四谷シモンの希望でまず最初に見たのは、オールド・イングランドというショップ。ここは、カシミヤ製品を中心に英国直輸入品を販売しているのだが、単なる輸入品の窓口ではなく、パリからみた上質の英国製品を独自に再構成して販売するが基本コンセプト。「オールド・イングランド」というのが、一つのフランスのブランドになっている。セーターもマフラーもカシミヤの質がいいだけでなく色がとてもいいのだが、われわれに合ったサイズのものはなかなか見つからない。このためとりあえずは何も買わずに店を出る。「パリに来ると、昔はいろいろなものを買うのが楽しみの一つだったけど、今はもう何も買うものがない」というぼやきが、四谷シモンの口癖。
 ここで小腹がすいたというと、近くに日本人街(サンタンヌ通り)があるからそこに讃岐うどんを食べに行こうと大月さん。ついたのは國虎屋という店(39, rue Sainte-Anne; tel=01-47-03-33-65)。ここでみんな大月さん推奨のきつねうどんを食べる。1人前11ユーロ也。國虎屋のうどんは、麺に適度なこしがあり、つゆもうまい。ただうどんの量はフランス人にあわせてあるのか日本の1人前より多く、みんな食べきれない。ちなみに、昔パリで生ものを食べて大病をわずらった四谷シモンは、食べ慣れないフランス料理や生ものを超警戒しており、パリでのわれわれの食生活も、それに合わせて和食と中華が中心ということになる。このため國虎屋にはこの後数回来ることになるが、パリだからといういいわけ抜きにしてこの店のうどんはおいしい。きつねうどん1人前11ユーロというのはけして安くはないが、場所がパリだということを考えればリーズナブルだろう。また大月さんいわく、本格的な日本の味が比較的安く味わえるというので、この店は日本人が集まって情報交換するサロンのような存在になっているという。
 さて國虎屋を出てもとくに行くあてのないわれわれは、大月さんのすすめでパリの南東部ドンレミー通りにある大月さんのアパルトマンを表敬訪問することにする。
 大月さんのアパルトマンに来るのがはじめての荒木さんは、リビング中にところ狭しと並べられた雑貨に感心して、いろいろさわって楽しんでいる。ここで一服したわれわれは、大月さんが最近入手したという大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」(1969年公開)のDVDから、四谷シモンが登場する場面を中心にみせてもらう。この映画は1968年の新宿をセミ・ドキュメンタリー風に写した作品で、横尾忠則さんが岡ノ上鳥男という名前で主人公として登場するほか、紀伊國屋書店の田辺茂一社長、「由井正雪」を上演中の状況劇場の人たちが本人として出演する。私がこの映画をみるのは、東京に出てきた頃名画座でみて以来だが、四谷シモンにとってもほんとうに久しぶりだという。
 DVDは、四谷シモン本人と大月さんの解説入りなので、ほらこれは誰それだ、ここはこうして撮ったんだなど裏話がぽんぽん飛び出して実におもしろい。いよいよ四谷シモンが出てくると、「ホラ」と言ってみんな大笑い。大月さんは「これはぜひ美術館のマルティーヌに見せなくては」などと喜んでいる。ちらちらさわりをみただけなので映画全体の印象などとても言えないが、ある時代の新宿を写しきったという点で、この映画はドラマ以上にすごいと思う。そしてラスト近く、岡ノ上鳥男の情事シーンで象徴的にマーラーの「一千人の交響曲」からファウスト救済の部分が流れることに個人的に感心した。世界的なマーラー・ブームが起こるのは70年代からなので、この映画はそれを先取りしているのだ。
 時間はまだ早かったのだが、ゆったりDVDをみているうちに昨日の移動の疲れが出てきてみんな少し眠くなってきたので、大月さんに送ってもらってホテルに戻った。

 

2004年1月 パリ滞在記:その2 (1月17日)

2004年1月 パリ滞在記:その3 (1月18日&19日)

2004年1月 パリ滞在記:その4 (1月20日)

2004年1月 パリ滞在記:その5 (1月21日&22日)

2004年1月 パリ滞在記:その6 (1月23日&24日)

アル・サン・ピエール美術館の人形展(「四谷シモンーー人形愛」サイト内)


徘徊録 La Nomadologie