2004年1月 パリ滞在記:その6(ラスト)  

1月23日(金)
 この日はまずホテルのすぐそばにあるドラクロワ美術館に行く。灯台もと暗し。近いからいつでもいけると思って、この美術館はまだ覗いたことがなかったのだ。ここはドラクロワが住んでいた部屋とアトリエをそのまま美術館にしたもの。小さくても国立の美術館である。ドラクロワはこの部屋から、歩いて5分ほどの聖シュルピス教会の壁画を描きに通っていたという。アトリエの下には小さな中庭があり、心地よい。
 ここから方向を転じて、ソルボンヌ(パリ大学ソルボンヌ校舎)のそばにあるフランス大学出版局(PUF)の直営書店に本を探しに行く。時間がなくて新刊書を探すのであれば、ここが一番効率がよい。1階が文学、2階が哲学、3階が歴史・地理と分類されており、人文関係の基本的な書籍がまんべんなく揃っている。
 PUFで購入した本は次のようなもの。
 【スピノザ関係】
 ・仏訳スピノザ著作集全4巻 (Garnier Flammarion) 全23ユーロ
 ・Spinoza et Leibniz, L'Idee d'animisme universel[スピノザとライプニッツーー普遍的霊魂論の観念] (R. Bouveresse, Vrin, 1992)  35ユーロ
 ・Spinoza, L'experience et l'eternite[スピノザーー経験と永遠]  (P. F. Moreau, PUF, 1994) 30ユーロ
 ・Qualite et quantite dans la philosophie de Spinoza[スピノザ哲学における質と量] (C. Ramond, PUF, 1995) 14.5ユーロ
 ・Spinoza, puissance et impuissance de la raison「スピノザーー理性の能力と不能力] (C. Lazzeri, PUF, 1999) 9ユーロ
 ・Le Spinoza de la rue du Marche[市場通りのスピノザ](I. B. Singer, Denoel<folio>, 1998) 6ユーローーアメリカ市民権をもち1978年にノーベル文学賞を受賞したユダヤ系ポーランド作家アイザック・シンガーの短編集の仏訳。表題作は第一次世界大戦開始前後のワルシャワのユダヤ系スピノザ哲学者を主人公にしたもの。彼がいかにしてスピノザ哲学を捨てたかが、皮肉たっぷりに描かれる。
 【コンディヤック関係】
 ・Essai sur l'origine des connaissances humaines[人間認識起源論] (Condillac, Vrin, 2002) 22ユーローー岩波文庫に古茂田宏氏の翻訳あり
 ・Les Monades[モナド論] (Condillac, Editions Jerome Millon, 1994) 22.87ユーロ
 【18世紀史関係】
 ・La vie quotidienne au temps de Louis XVI[ルイ16世時代の日常生活] (F. Bluche, Hachette, 1980) 14.94ユーロ
 ・Les Magistrats du parlement de Paris au 18e siecle[18世紀パリ高等法院の司法官] (F. Bluche, Economica, 1986) 27ユーロ
 ・La noblesse francaise au 18e siecle[18世紀のフランス貴族] (F. Bluche, Hachette, 1995) 14.94ユーロ
 とりたてて、下調べしたわけでもなくふらっと行ってこれだけの本がすぐに見つかったのは大収穫というべきだろう。しかもご覧のように、専門書の価格がきわめて安い。また歴史関係の3冊は、タイトルだけで適当に選んだのだが、気づくとすべてフランソワ・ブリュシュの著作だった。私の関心とこの人の関心がピッタリ合っているということなのだろう。偶然の一致だが、こうなるとこの人の他の仕事が気になる。
 言葉の問題も観光もすべて大月さんまかせで私はパリで大した役にも立たなかったが、本の代金は四谷シモンがすべて支払ってくれた。大量の本を抱えていったんホテルに戻る。
 ところで本といえば、四谷シモンは早起きしたときや時間があいた時、ホテルの部屋で永井荷風の「ふらんす物語」を読んでいるらしい。サンジェルマン大通りをはじめ、通りや建物は荷風の作品そのままなのに、馬車のかわりに自動車が走り回り、色とりどりのファッションを着たさまざまな人種の人々が歩いていることに、部屋から出るたびに不思議な違和感を感じるという。
 さて現実に戻ると、冬の寒さが苦手な四谷シモンは、今回パリに大量のホッカイロをもってきたのだが、一度も使わずに部屋に山積みになっている。午後は、このホッカイロをアル・サン・ピエール美術館のスタッフに差し入れに行くことにする。その前に昼食だが、カツ丼が食べたいというので、ともかく日本人街の國虎屋に向かう。國虎屋はいつのまにかアル・サン・ピエール美術館の人形展のポスターを貼ってくれている。
 マイ・ペースのアル・サン・ピエール美術館だが、行ってみると、ようやく客を入れている。ただ照明に関してはまだスポット・ライトのあたっていない作品もあり、これからさらに手直しするのだろう。ともかくホッカイロの使い方を説明し、四谷シモンからのプレゼントだといってスタッフにわたす。昨日買った帽子(さっそくかぶっている)がよく似合うとマルティーヌにほめられて、四谷シモンはとても嬉しそうだ。またこの日はちょうど、事前に日本から送った四谷シモンの巡回展のカタログが届いており、配布先はまかせるので資料として関係者や批評家等にわたして欲しいというと、それでは交換だといって今回の人形展のカタログをわたされる。
 用がすんで今度はモンマルトルの観光。アル・サン・ピエール美術館横のケーブル・カー、フニクレールでサクレ・クール寺院のある高台にのぼる。フニクレールの料金は地下鉄と同じ1.3ユーロ。地下鉄はパリ市内のどこまで乗っても均一料金なので安いと思うが、このフニクレールも同じ料金というのはちと高い。ともかく一瞬のうちにサクレ・クール寺院に。パリに来て毎日のようにこの白亜の寺院を眺めていたが、すぐそばまでのぼってきたのはこれがはじめてだ。サクレ・クールは19世紀に建てられたパリとしては新しい寺院だが、独特の外観は近くから見ても美しい。また寺院前の広場に見晴台があり、ここからパリ市内を一望できるのがすばらしい。尖塔のある教会がすぐにみつかるほか、異様な色と形をしたポンピドー・センターも、こうして見ると意外にめだつ。さて見晴台から画家が集まることで有名なテルトル広場にまわり、ここから今度は坂道を降りる。四谷シモンが最初にパリに来たときこの辺に宿をとったというが、急のこととてどの辺だったかはわからない。そういえば、澁澤龍彦さんの宿もパリが見わたせるモンマルトルの丘の上というから、この辺だったのだろう。テルトル広場は賑やかだがそれ以外の路地は意外に静かで、この辺にこじんまりしたホテルが多いというのもなんとなくうなずける。サクレ・クール寺院からアル・サン・ピエール美術館までは、軽い散歩という感じだ。
 ホッカイロを置いてくれば荷物が減るはずが、カタログをもらって逆に荷物が増えてしまったので、いったんホテルに戻り、午前中にPUFで買った本と合わせヤマト運輸から別送便で発送。午後の残りの時間はこの発送作業ですっかりつぶれてしまった。
 午後5時には四谷シモンの10代からの友人、田村さんと待ち合わせ。あわてて待ち合わせ場所のドゥ・マゴにすべりこむ。田村さんはパリでコシノジュンコさんの関係の仕事をしているのだが、四谷シモンが田村さんと会うのはほんとうに久しぶりという。ドゥ・マゴで田村さんから名詞を頂いたが、古い友達なのにこの名詞をもらうまで田村さんの名前をちゃんと知らなかったというのも、いかにも四谷シモンらしい。要は、名前も肩書きも関係なく、ともかく互いに気が合い話が合った友達同士ということなのだ。田村さん、ドゥ・マゴにはもう一人の友人ティティさんと同行しており、しばらく四人で会話。ティティさんはルーマニアの元王族で、やはりコシノジュンコさんと親しい。漢字は覚えられないというが日本語もよく勉強しており、田村さんと四谷シモンが話しているあいだ、私がティティさんの相手役にまわる。コシノジュンコさんのことをよく知っていればその話もできるのだが、数回お会いした程度なのでそれもかなわず、ティティさんとの話の糸口をつかむのはなかなか難しい。ルーマニアにはエリアーデという宗教学者がいましたね、などとお茶ならぬシャンパンをにごす。このあと四人で、田村さんお薦めのバルトロというイタリアン・レストランへ。この店はお客さんの目の前で焼き上げるピザがおしいく、昔話にさらに花が咲いたのは言うまでもない。 
1月24日(土)
 いよいよパリ滞在最後の日がきてしまった。パリに来るまでの期待と不安、パリに着いてからのさまざまなやりとりや出会いが、目をさますと同時にどっとおしよせてくる。ともかくドゥ・マゴへ。この店の朝のカフェ・オ・レも、とりあえずこれが飲みおさめだ。
 そしてドゥ・マゴのテラスからのサンジェルマン・デ・プレ教会もこれで見おさめ。滞在中一度だけだったが、背後からバラ色にそまる美しい姿をみせてくれたことに感謝しなくてはなるまい。ドゥ・マゴを出、ホテルに戻る前に、今日は思い切って教会のドアをあける。すると突然聞こえてきたのは重厚なパイプ・オルガンの響き。若いオルガニストが実際のオルガンで練習をしているのだろうか。パリで過ごす最後の朝、サンジェルマン・デ・プレ教会は、われわれに最高のプレゼントをしてくれた。ともかくこれは、教会の片隅でオルガンが鳴っているというような小さな規模のものではない。教会全体が楽器となってオルガンに共鳴し、われわれをその壮大な響きで包みこんでくるのだ。コンサートでは何度がパイプ・オルガンを聴いたことがあるが、教会でオルガンを聴くという体験が、こうした予期せぬ最高のかたちで実現したことに感謝し、しばらくじっとして音楽に聴き入る。
 ホテルの支払いを済ませ、フロントに荷物を預ける。「テレビでアル・サン・ピエール美術館の人形展を紹介していたよ」とか言って、フロント係はあいそうがいい。いったいどんな風に紹介されていたんだろう。情報不足でさっぱりわからない。ちなみに、ラ・ルイジアーヌの客室にはテレビがなく、われわれはパリに来て以来テレビを見ていない。テレビの話などをしながら、大月さんの到着を待つ。大月さん、日曜日ののみの市が寒くてさんざんだったので、出発する前にあらためてもう一度市にでかけようとわれわれを誘う。この日ののみの市は、先日と違い品物をじっくりながめたり売り手と話をしたりするゆとりもあるが、いかんせんそう急に欲しいものなど思いつかない。四谷シモンは鉛筆を、私はオイル・ライターを見つけ出し、どちらも使えるおみやげだと満足する。われわれがつましく商品を見ているあいだに発憤したのは大月さん。医学用の頭の模型を見つけ出し、オブジェとしても最高だと満悦である。
 買い物のあとは昼食。ともかくまた日本人街に出かけ、焼肉屋に入ることにした。みんなロースやカルビの定食をとったが、私がとったカルビの定食は、脂身が少なくて、とてもカルビの味がしない。まあしかし、フランスの牛肉はそんなもんなんだろう。彼らからすれば、きっと日本の牛肉の方が変にみえるに決まっている。
 焼肉屋を出るとき、大月さんが、カード類を部屋に忘れてきたことに気づく。のみの市の戦果を抱えてともかく大月邸へ。あわせて大月さんの最新作であるカンヌ映画祭のポスターの原画を見せてもらう。われわれがパリに到着してから描き始めたというのに、大月さんのポスター画はもう描き上がっている。絵そのものは頭のなかでイメージがすでにできあがっているので、それをキャンバスに呼び起こすのはさほど難しいことではなく、むしろ絵のイメージにあった文字のデザインが大変で、いろいろ試行錯誤したという。「シモンの人形は僕の作品よりずっと手間がかかるんだから、大事に売らなくちゃ」とアドバイスしてくれる。
 大月邸を出て、次はアル・サン・ピエール美術館にお別れだ。また大月さんの車に乗り込む。美術館に行く以外にとりたてて目的のないわれわれに、大月さんはいろいろサービス。通り道である12区でたまたま見つけた人形店ヴィアデュック・デ・ザールに寄り道したり、冬のサーカスの前で車を止めたりしながらゆっくりモンマルトルをめざす。
 パリに来るまでは不安で、一時は展覧会への不参加まで考えた四谷シモンだが、パリでの反応や展示レベルの高さに気をよくして、暖かくなったらまた来るからとマルティーヌに約束する。一方私は、日本から持参した澁澤龍彦さんの著作「幻想の画廊から」(青土社)をマルティーヌにプレゼントする。この著作は澁澤さんが雑誌「新婦人」に連載した記事をまとめたもので、その記事が、四谷シモンがハンス・ベルメールと澁澤さんを知るきっかけになったのだ。「幻想の画廊から」そのものはグラヴィア写真や図版が多く、これを見れば、日本語が読めなくても澁澤さんがどんなアーチストを日本に紹介したのかすぐにわかる。今回のパリ訪問では、美術関係者に澁澤さんの仕事を知ってもらうこともポイントの一つにしていたが、多少の橋わたしはできたかと思う。
 しばらくはヨーロッパの人形を見れないので最後にもう一度会場を見てまわるが、個々の作品のもつイマージュの高さ、それをともかく外に表出し見る人に伝えようという力、作品の内部におぼれず自己の創作物を客観的に見つめようとする視点の鋭さなど、いずれも日本の人形作家にはほとんどないものでとても参考になる。要するにこれらの展示物は、人形である前に自立した「作品」であることを主張しているのだ。
 ホテルに戻って荷物を積み込む。パリとの別れは刻々と近づく。最後に郊外のアレックスさんの家に行こう、彼が招待してくれてるみたいだからとセーヌ沿いの道を急ぐ。着いてみると連絡の行き違いでアレックスさんは不在。まあしかたがない。われわれだけで心おきなく最後の晩餐だともう一度市内へ。サンジェルマン界隈のボワソヌリーというレストランへ飛び込む。ムール貝、グリーン・サラダ、自慢の魚料理などでパリ最後の食事。香辛料クミンがとても香ばしい。食事をしなからすっかり詩人に変身した大月さん、「シモン、パリは着いた時も美しいけど、別れるときはまたひときわ美しいんだ。」暗くなった街を空港に向かう。
 さよならパリ、さよならサン・ピエール、さよなら大月さん。あわただしい滞在だったけど、今回は展覧会という目的があったので、気が張ってとても充実していた。パリの人たちが四谷シモンの人形をどうみてくれるか、気にならなくはないけれど、精一杯できるだけのことはやった。マルティーヌへの約束どおり新緑のころもう一度戻ってくるから、それまで待っていて欲しい。そしてその時、われわれをまた暖かく迎えて欲しい。
 さよならパリ、さよならサン・ピエール、さよなら大月さん。そして新しい友人たち!みんな、ほんとにどうもありがとう。
 すべての人にまた会えるのを心から楽しみに、われわれは狭い機内にすべり込んだ。



2004年1月 パリ滞在記:その1 (1月15日&16日)

2004年1月 パリ滞在記:その2 (1月17日)

2004年1月 パリ滞在記:その3 (1月18日&19日)


2004年1月 パリ滞在記:その4 (1月20日)

2004年1月 パリ滞在記:その5 (1月21日&22日)

アル・サン・ピエール美術館の人形展(「四谷シモンーー人形愛」サイト内)

徘徊録 La Nomadologie