ヨーロッパ覇権以前――もうひとつの世界システム

ジャネット・L・アブー=ルゴド著
佐藤次高・斯波義信・高山博・三浦徹訳
岩波書店、2001年

Before European Hegemony:
The World System A.D. 1250−1350
Janet L. Abu―Lughod, 1989 Oxford University Press,Inc.

 本書はオックスフォード大学出版局から1989年に出版されたBefore European Hegemony, The World System A.D.1250−1350の翻訳である。モンゴルがユーラシア大陸に大帝国を築きあげ、東西の交流がさまざまな側面で活発化した1250年―1350年という百年間を叙述対象として選び出し、この時代の旧世界海陸の交易状況を世界的視野で叙述しながら、ヨーロッパ中心史観に意義をとなえている。著者のアブー=ルゴドは、カイロ、ラバトなど第三世界の都市学から出発し、アメリカ合衆国の都市問題とも取り組んでいる社会学者、歴史学者で、E・サイードの「オリエンタリズム」(1978年)は、彼女とイブラーヒーム・アブー=ルゴドに捧げられている。

 本書のなかでアブー=ルゴドは、この時代の旧世界の交易圏を、@西ヨーロッパ、A東地中海、B中央アジア内陸部、Cペルシア湾沿岸、Dエジプトと紅海沿岸、Eアラビア海沿岸、Fベンガル湾沿岸、G東アジア――の8ブロックとしてとらえ、それぞれのブロックの繁栄の状況、繁栄にいたるプロセスと衰退のプロセスを叙述し、この時代が続くヨーロッパの覇権時代の前史ではなかったことを明らかにしようとしている。
 膨大な地域を扱うため、個々の地域の叙述でものたりないものを感じないではないが、統一的観点から時代状況をトータルとして打ち出すことには、やはり大きな意義があると思う。
 ちなみに、本書の叙述に世界システムの周縁国・日本は登場しないが、1250年−1350年というと鎌倉時代後半〜南北朝時代にあたるわけで(日本へのモンゴル襲来=1274年、1281年)、この時代の社会・経済に関するわれわれの知見をアブー=ルゴドの著作に適合させるとどうなるか考えるのもおもしろい。また逆に、当時の産業・交易の構造が世界レベルで語られているので、日本で生じている特定の現象が、用語は違っても他の地域の現象と同じ性質のものではないかと考えさせられるような部分もある。

 東アジア関係では、次の時代に元にかわった明の消極外交、海洋交易からの撤退が、われわれには興味深いところだが、本書の叙述からは、結局、明が海洋交易から撤退した真因ははっきりしない。ただ、明(中国)にしても、インドにしても、国力・技術があり、地理的環境が整っていても(特にインド)、文化・経済が自足的で、もともと交易に求めるものが少なかったために、海外進出に積極的ではなかったと指摘されている。
 そして、明やインド諸国の消極策により15世紀のインド洋に権力の空白状態ができていたところに、ポルトガルという交戦的で略奪指向の国が登場し、またたく間に覇権を確立したというのがアブー=ルゴドの考える図式のようだ。

「このシステムの「乗っ取り」は、決して旧来のルールに従って行われたのではなかったことを知っておかなければならない。16世紀初め、ポルトガルの侵略を受けた旧世界システムは、ほとんど抵抗を示さなかった。なぜなのか?部分的には、すでに組織が衰えていたので(おそらく一時的ではあるが)抵抗することができなかった。しかし、たぶん旧システムは複数の交易パートナーとの共存に完全に慣れ親しんでいたので、長期の交易より短期の略奪に興味をもつ侵略者には無防備であったのだろう」(下巻178〜9ページ)

 したがって、ヨーロッパの覇権というのは技術力・経済力の問題ではなく、場合によってはヨーロッパ以外の国がこの地域に覇権を確立することもありえたということになるだろう。
 そうした意味で、本書は、ヨーロッパが世界の覇者となる理由を探るという意味での単純な「前史」ではない。実は、ヨーロッパなり別の国が世界の覇者となるというかたちの国際関係とは違う国際関係のあり方と問題点を探る雛型として1250年−1350年の旧世界に眼をむけているといってもいいと思う。

 ちなみに、注のなかで次のような文章を紹介しているところからも、アブー=ルゴドの意図の一部が読みとれよう。

「黒人作家ジャン・ケアウは、その論文”Origins of Racism in the Americas"を次のような書き出しで始めて、私たちにショックを与えた。「サンサルヴァドルのアラワク族ルカヨスが自分たちの浜辺でコロンブスとその配下の水夫たちを発見してから482年の間、新世界における人種差別の起源についてほとんど研究がなされてこなかったのは異常なことである」」(上巻原注14ページ)

参考までに、以下に全体の目次をあげておく。

【序論】
第1章 システム形成への問い
【第1部】  ヨーロッパ・サブシステム――古き帝国からの出現
第2章 シャンパーニュ大市の諸都市
第3章 ブリュージュとヘント――フランドルの商工業都市
第4章 ジェノヴァとヴェネツィアの海洋商人たち
【第2部】 中東心臓部――東洋への三つのルート
第5章 モンゴルと北方の道
第6章 シンドバードの道――バグダードとペルシア湾
(以上、上巻)
第7章 マムルーク朝政権下のカイロの独占
【第3部】  アジア インド洋システム――その三つの部分
第8章 インド亜大陸――すべての地に通じる道
第9章 海峡と瀬戸
第10章 絹の中国
【結論】
第11章 13世紀世界システムの再構成 (以上、下巻)

(2002・7・27・up)

 

徘徊録 La Nomadologie