動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会

東 浩紀著
講談社(講談社現代新書)、2001年

 この著作、ノベルゲームだ、ギャルゲーだといった私の全く知らないいわゆる「オ タク系文化現象」が次々に紹介され、大変興味をそそられる。しかしそれら表層面の 叙述とは別に、ゲームやアニメーションを中心とするオタク系文化をもって95年以 降の日本社会を分析しつくしてしまおうという、本書全体を貫く東浩紀氏の企図その ものには、果たしてすべてがそんなにスパっとうまく説明できるものかといういささ かの疑問がわく。
  つまり、東氏はすべての現象を歴史的現象化し、原因結果の因果関係でとらえられるとする傾向が強いように思うのだが、私には、「オタク系文化」とは、まさしくそうした捉え方に対する反発のなかから生じた現象ではないかという気がするのだ。
 この疑問、オタク系文化が何に反発しているかということと、その反発が生じた原因は異なるし、その分析は可能だといってしまえばそれまでなのだが、オタク系文化に即して考えれば、今必要なのは東氏流の分析や叙述ではなく、分析・叙述のためのなんらかのフォルムを生み出すことではないのか?
 これはおそらく、東氏と私のデリダ理解の違いともかかわってくる問題だと思うが、「存在論的、郵便的」(新潮社/1998年)で東氏が第2期に分類する難解なデリダとは、そうしたフォルムの創出を考えていたのではないかと私には思えるのだ。

 さて、かくいう私も、歴史的現象には大いに興味をもっているのだが、私と東氏の違いは、それが遠い過去か現在進行形の出来事かという対象の違いなのだろうか?この点は私自身の歴史との向き合い方の問題としてもう少しつめてみなくてはならないのだが、たとえば江戸時代と現代の比較という点でも、彼と私の立場は大きくへだたる。
 東氏は、本書の中で「80年代のナルシスティックな日本が、もし敗戦を忘れ、アメリカの影響を忘れようとするのならば、江戸時代のイメージにまで戻るのがもっともたやすい。大塚(英志)や岡田(斗司夫)のオタク論に限らず、江戸時代がじつはポストモダンを先取りしていたというような議論が頻出する背景には、そのような集団心理が存在する。したがってそこで見出された「江戸」もまた、現実の江戸ではなく、アメリカの影響から抜け出そうとして作り出された一種の虚構であることが多い」(同書36ページ)等と江戸時代と現代の直結をいましめ、歴史的現象の一回性を強調する。しかし、現代のオタク系文化とたとえば歌舞伎の発想には、私には、本書で東氏が指摘しているようなデータベース優位という共通項があるように思える。
 もっとも、だからといって私も江戸と現代の直接的な影響関係をうんぬんしようというのではない。むしろそうした時間的因果関係や連続は可能な限り排し、同じ平面状の独立した文化として横に並べて比較することができないかというのが私の主張なのだが、こうした非歴史的発想方は、東氏には耐えがたいものなのだろう。

 とここまで、どちらかといえば否定的な側面からこの本をとらえてきたが、はじめにもあげたように現代のサブカルチャーの叙述としては非常におもしろいし、その分析は明晰で、<歴史的>整合性をもつといえる。たとえば、本書を読みながら「YU−NO」というノベルゲームには非常に興味が湧いた。 また、本書のなかでオリジナル/コピーの対立の消失(無意味化)の議論をすすめるベースとして大塚英志氏の「物語消費論」(新曜社、1989年)のなかから「ビックリマン・チョコの773枚目のシール」(註)のくだりが引用・紹介されたが、これは私が今まであまり考えたことのない視点であり、興味深かった。

(註)
「著作権者であるメーカーに無許可で、誰かが<スーパーゼウス>に始まる772枚のビックリマンシールのうちの1枚をそっくり複写したシールを作れば、これは犯罪である。ところが同じ人間が、「ビックリマン」の<世界観>に従って、これと整合性を持ちしかも772枚のシールに描かれていない773人目のキャラクターを作り出し、これをシールとして売り出したとしたらどうなるのか。これは772枚のオリジナルのいずれを複写したものでもない。したがってその意味では<偽物>ではない。しかも、773枚目のシールとして772枚との整合性を持っているわけであるから、オリジナルの772枚とも同等の価値を持っている」(大塚英志氏「物語消費論」の一節――引用は「動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会」による)

  なお、江戸歌舞伎の「世界構造」については、拙サイト内の須永朝彦氏の解説をご参照いただきたい。江戸時代の歌舞伎とは、原則すべてが既存の素材(伝承、能、浄瑠璃、歌舞伎等)の書替えであり、たとえば「既存の歌舞伎の<世界観>に従って、これと整合性を持ちしかもそれまでの歌舞伎に描かれていない新たなキャラクターを作り出し、これを新作歌舞伎として売り出し」ていた。「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」はそのもっともみごとな例といえるだろう。 (2002・7・27・up)

 

徘徊録 La Nomadologie