「闇屋になりそこねた哲学者」(木田 元)註

註1)
 木田氏の実父、木田清氏は山形県戸澤藩の家老の血筋で、戦後新庄市長、山形県教育委員長などを歴任している。木田元氏が生まれた当時は新潟師範学校(現・新潟大学)の教師をしていた。

註2)
 「存在と時間」のなかで、ハイデガーは次のように「世界内存在」In-der-Welt-seinという概念を導入している。

 現存在とは、みずから存在しつつこの存在にむかって了解的に態度をとっている存在者である。こうして、実存ということの形式的な概念が告示された。すなわち、現存在は実存する、のである。さらに、現存在とは、いつも私自身である存在者である。こうして、現存在には各自性がそなわっていて、これが本来性と非本来性の可能条件をなしている。現存在はいつもこれらふたつの様態のうちのどちらかにおいて実存しており、あるいは、両者の様態的無差別相において実存しているわけである。
 ところで、ここにあげた現存在の存在規定は、われわれが世界=内=存在(das In-der-Welt-sein)となづける存在構成をもとにしてアプリオリにみとどけられ、かつ了解されなくてはならない。現存在の分析論の正しい手がかりは、この存在構成を解釈することによってつかまれるのである。
 「世界=内=存在」という合成語は、その作りをみてもうかがえるように、ある統一的な現象を指している。この最初の所見を、全体をつうじて見守らなくてはならない。この存在構成は、つぎ合わせのきく成分へ解体することはできないが、しかしそれを構成する構造契機の多重性を排除するものではない。」(「存在と時間」第一部第一編第12節「世界内存在を、内存在そのものを手引きとして素描する」、細谷貞雄氏訳、ちくま学芸文庫、上巻130〜1ページ、原著53ページ、引用に際して傍点省略)

註3)
 木田氏の「存在と時間」の読解は、まず、この著作は未完成の著作であり、講義録や周辺の著作で未完の部分を補ってはじめて「存在と時間」ならびにハイデガーの思想について語れるというもの。実際、「存在と時間」のなかに、書こうとしている全体プログラムは明記してあり、またそのプログラムに関連した講義(例「現象学の根本諸問題」)があり、そこから書かれなかった「存在と時間」はある程度構築できるという。
 こうして木田氏が再構築する「存在と時間」の全体像は、ギリシアからドイツ観念論、現象学にいたるヨーロッパ哲学史の批判的再構築であり、刊行された「存在と時間」は、この再構築のための準備作業に過ぎない(したがって、準備作業のみからハイデガーの思想を語るのは誤解ということになる)。 
 また、木田氏の「ハイデガー「存在と時間」の構築」および「反哲学史」という著作は、それぞれ「存在と時間」の再構築作業およびハイデガーがめざしたであろうヨーロッパ哲学史の構築作業ということになる。
 ところで、こうしたハイデガー(木田氏)の哲学史の再構築は、まずソクラテス以前のギリシアからはじまり、ソクラテス、プラトンによって、ギリシア思想のみずみずしさがそこねられたとするものだが、その読解はさておき、ギリシア哲学が根源的にはらむ思想的な誤りのなかに、その後のヨーロッパ思想全体を規定し現代にまで至る誤りが存在するという認識に、これは「ヨーロッパ中心主義」ではないかという、いささかの抵抗を感じる。
 つまり、ギリシア哲学は、いわゆる中世にいったんアラビアに入り、アラビア(イベリア半島)経由でヨーロッパに移入されているわけで、そこには明らかに(古代と中世・ルネサンスの間の)思想の断絶がある。またギリシア哲学は、中世以降もイスラーム文化圏で独自の展開を続けていく。このイスラーム的ギリシア思想をどのように位置づけるのか、ハイデガー(木田氏)にそのこたえはない。
 ひるがえって、日本思想史のなかで、ハイデガー的発想を位置づけようとすれば、ある種の「万葉学」や「古事記学」がそれに似ているように思うが、たとえば「万葉集」をいくら逐語的に丹念に読んだとしても、「武士とは何か」「幕府とは何か」という問題に解答を出すのは不可能であろう。中世史を多少かじっている者としてあえて言えば、思想の起源に遡ることによってはじめて解答できる問題があるのは事実であるが、この方法論が万能ではないということは明記しておくべきだと思う。
 また、ヨーロッパ中世哲学はさておき、ハイデガー(木田氏)の哲学史は、ギリシアから一気にデカルトに飛び、そこからまたカントに飛ぶものだが、こうした近世哲学史の叙述は、小サイトで行っている「近代知確立の先駆者たち」の試みとはまったく逆のものであり、私としては、ハイデガー(木田氏)によってノン・ストップで通過されたデカルトとカントの間の「群小哲学者」にこそ、存在意義があると考えている。
 ギリシアからデカルトに飛び、その問題設定がカントおよびドイツ観念論に受け継がれたとするのは、結局、ドイツ中心主義につながり、これがハイデガーのナチス入党にも結びつくのではないかとも考えるが(木田氏によれば、ナチス入党時に、ハイデガーはギリシアからドイツ観念論に正統的に受け継がれと自らが判断する「ヨーロッパ文化」に対する一種の文化大革命、すなわち「反哲学」をめざしていたのではないかという)、この最後の問題を考えることは私の手にあまる。
 以上、木田氏のハイデガー読解は非常に説得力にとみ、また魅力的なのだが、そこにいささかの問題をも感じているので、あえて記しておく。
【参考ページ】
「イスラム哲学における後期新プラトン主義の足跡」 (小サイト/「徘徊録」内)

 

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