闇屋になりそこねた哲学者

木田 元著
晶文社、2003年


 この著作は、ハイデガー、メルロ=ポンティなどの現象学研究者、翻訳者としてしられる木田元氏の自伝だ。
 木田氏が山形県出身で、私の故郷・鶴岡市(厳密には、私は鶴岡市に隣接する小さな町の出身である)にゆかりの人だとは、なんとなく知っていたのだが、その具体的な詳細はこの自伝ではじめて知った。父の郷里が新庄(註1)、母の郷里が鶴岡で、厳密には新潟で生まれ、父の転職とともに満州にわたり、昭和20年に海軍兵学校に入学して江田島(広島市近郊)で終戦を迎え、戦後の混乱期を鶴岡で過ごしたということだった。このため前半の叙述は、鶴岡市近郊(山形県庄内地方)の戦後史と重なり、個人的に非常に興味深かった。
 ついでながら、木田氏描くところの鶴岡をちょっと紹介しておきたい。
 「鶴岡は徳川譜代の酒井家の城下町で、あたりを山と森でかこまれ、町のなかを川が流れ、その川にそのころは木の橋が幾筋もかかり、下駄ばきで渡るとカンカンと柔らかい音が響く、穏やかないい町でした。町の人もおっとりしているし、その人たちの話す庄内弁も柔かでのんびりしています。山形県のなかでもいちばんきれいな方言だと思います。藤沢周平の小説に出てくる海坂藩のモデルになったのが鶴岡のこの酒井藩です。」(本書、66ページ)
 とりあえずという感じで鶴岡に新設された県立農林専門学校に入学してぶらぶらしながらドストエフスキーを読みはじめ、ドストエフスキーの周辺に関心を抱くなかで、「ハイデガーというドイツの哲学者が、ドストエフスキーとキルケゴールの影響を強く受けながら、絶望できる人間の存在構造を時間という視点から分析してみせているらしい」(同書、73ページ)と知る。そこで今度は、東北大学の哲学科を目指す。
 暗中模索で行われたその受験勉強の話もおもしろいが、一日8時間ぐらい勉強したという東北大学時代の語学学習のエピソードやその勉強法の紹介がさらにおもしろい。
 「接続詞や小さな副詞まできちんと読めなければ、意味を正確につかむことはできません。小辞のひとつぐらいどうでもいいというわけにはいきません。日本語には訳せない小さな言葉も一つ一つ読み分けていかないと、文章の流れがきちんとつかめません。「そして」でつながるか、「にもかかわらず」でつながるかで意味ががらりと変わってきます。名詞と動詞だけわかればいいというわけにはいかないのです。東北大学で教えられた本の正確な読み方は貴重な財産になりました。」(同書、94〜5ページ)
 木田氏によれば、ハイデガーの思想のなかでは、「存在と時間」が刊行された1927年以降の講義録がむしろ「存在と時間」以上に重要なのであり、それはようやく1975年からドイツで刊行されだしたのだが、この貴重な講義録が、留学生ルートを通じて昭和初期の段階で日本に入ってきていたことも本書で明らかにされる。「それを読んでみると、実におもしろいんです。ハイデガーの直接のお弟子さんでも、その講義を聴けなかった連中は1975年まで読めなかったものを、ぼくみたいな若造が1953年頃には読んでいたのです。」(同書、105ページ)という。
 その木田氏にして、ハイデガーはなかなかわからなかった。
 「「世界内存在」というのは変な言葉です。それなのに「現存在の存在構造は世界内存在である」といきなり言い出します。なぜ、そんな言葉をつかわなければならないのか、まったく説明していません(註2)。「世界内存在」という概念をハイデガーがどう定義しているのか、そんなことは10年もやっていればわかってきます。でも、それだけではわかったことになりません。そんな奇妙な概念をなぜハイデガーはつくりだしたのか、その心理的な動機までわからなければ、わかったことになりません。」(同書、131ページ)
 しかしである。
 「ところが、それがわかったのです。わかるときは、ある瞬間、ぱっと霧が晴れるようにわかるものです。わかったのは、メルロ=ポンティの「行動の構造」を読んでいたときです。翻訳していたときではなくて、何度目かの読みかえしをしているときでした。メルロ=ポンティはケーラーのやった「類人猿の知恵試験」を検討しながら、「チンパンジーの世界内存在」という言い方をしています。それを読んだとき、ひらめくものがあったのです。ハイデガーは「現象学の根本問題」で「世界内存在」と「存在了解」と「超越」はすべて「時間性」を基礎として成り立つ同じ事態なのだということを言っています。そのことが頭にあったので、「世界内存在」がわかると、「存在了解」もわかったし、「時間性」もわかりました。「自分を時間化する」といった表現で何を言おうとしているかもわかってきました。そのような中心的な概念がわかるようになると、あれほどわからなかった「存在と時間」がじつによくわかるようになったのです。」(同書、131〜2ページ)
 以下、メルロ=ポンティのハイデガー了解がいかに正当なものであるかの論証が続くが、この部分は、哲学者が哲学的了解とは何かを自己に即して語った、本書の白眉にして核心部であろう。
 さて、「メルロ=ポンティをはじめて読むと、神経生理学や心理学の話ばかりでてきて、どこが現象学の本なのだととまどいますが、でも、それは生理学や心理学に伴走しながら、方法面的改革をうながし、その哲学的意味をとりだそうとしているわけですから、現象学の展開としてはもっとも正統的なものです。」(同書、153ページ)
 メルロ=ポンティ好きの私としては、この辺、うんうんとうなづくことしきり。
 この後、木田氏の叙述は、氏が書いた本(註3)、翻訳について、自分のこと、健康のこと、友人たちと続き(これらの部分も、編集者の寸評などがおもしろい)、「いろいろの生き方があると思いますが、70数年生きてきてはっきり分かったことは、やりたいことをして生きるのがいちばんよさそうだということです。ぼくも、やりたいことだけやってきたとまでは思いませんが、少なくともやりたくないことはやらないで生きてきたとは言えるかもしれません。まァ、自分ではいい生き方をしてきたと思っています。まだ終わったわけじゃないけど。」(同書、207)と結ばれる。
 自伝というスタイルをとってはいるが、それがそのまま哲学論、哲学的人生論にもなった、非常におもしろく読める本である。
2004・7・23

 

徘徊録 La Nomadologie