「蓮と法華経――その精神と形成史を語る」註

註1)
 布施浩岳氏の「法華経」原典の内容分類とその成立に関する説の詳細は次のとおり。
 まず、「法華経」現行教典を内容面からみて、堤婆達多品および嘱累品以降を最も新しい付加部分(第3類)とする。次に、これらの諸品を除く序品から如来神力品までの20品を、以下のように二つに分類する。
 【第1類】 序品、方便品、譬喩品、信解品、薬草喩品、授記品、化城喩品、五百弟子受記品、授学無学人記品、随喜功徳品
 【第2類】 法師品、見宝塔品、勧持品、安楽行品、従地涌出品、如来寿命品、分別功徳品、法師功徳品、常不軽菩薩品、如来神力品
 そしてこのなかの第1類の偈頌がまず成立し(第一期)、続いてその散文部分が成立(第二期)、第2類が増補され(第三期)、最後に第3類が加わる(第四期)、とするもの。
 布施氏が以上の説を発表したのは昭和9年であり、その後新たな説も提示されているが、小稿では経典「法華経」の成立史には深く立ち入らないので、とりあえずこの布施氏の説を、基本としておさえておく。
 ちなみに、「蓮と法華経」のなかで松山俊太郎氏が提示する経典「法華経」の成立史は、大枠でこの布施説に従いながらも、細部でかなり大胆な新説を展開している。小稿では松山氏の説の紹介は省略させていただいたので、興味ある方は、直接「蓮と法華経」を参照していただきたい。
 なお、中国、日本での法華経受容史に関しては、インドでの原典成立史とは別に中国語への翻訳の経緯が重要となるが、それについては別項をご参照いただきたい。

註2)
 「見宝塔品」は、「法華経」のなかでも最もドラマチックな場面である同時に教学的にも重要なものといえる。以下、望月良晃氏の「法華経の成立史」(「講座・大乗仏教4ーー法華思想」所収)のなかから、同氏による「見宝塔品」の要約を掲げておく。
      *    *    *
 「見宝塔品」の冒頭には、説法している世尊の前に突然、大きな七宝の塔が大地から涌出るして空中に懸かったことが述べられる。この巨大な塔には、五千の欄楯や千万の龕室があり、無数の幢旛・瓔珞が垂れ、万億の宝鈴が懸かかり、塔の四面からは芳香がただよい、高く遙か四天王宮にまで達すると、三十三天及び諸天が、華・香・伎楽をもって供養する。
 そのとき、この宝塔の中から「善いかな、善いかな、釈迦牟尼世尊の所説は皆、是れ真実なり」という大音声が響きわたった。その声を聞いた四衆は心に喜悦をいだき、愉悦(priti)と歓喜(pramodya)と浄信(prasada)に満たされながら、合掌して佇んだ。想像を絶する不思議に納得のいかない人びとの意を知った大楽説菩薩が代表して世尊にその因縁を尋ねる。世尊は、この宝塔は、過去の如来である多宝如来の宝塔であって、かの如来の誓願によって、どこかで法華経が説かれることがあれば、自分を供養している塔のままで、その前に涌出して空中に止まって「その通りだ」という称讃のことばを発することになっていると説明する。そこで大楽説菩薩は、その如来の真実の姿を見たいので世尊の威神力によって示して下さるように懇願する。多宝如来の宝塔が開かれるときには十方世界で説法している分身の諸仏を集めねばならないと答え、白毫の光を放つと無数の如来たちが参集してきた、不思議なことに娑婆世界は通じて一仏土となった。
 無数の如来たちの眼前で、世尊は虚空に立ち、右手の指で宝塔を開かれると、宝塔の中には多宝如来が全身不散のまま禅定に入っているがごとくに坐っており、「すばらしいことだ、釈迦牟尼仏は快く、この法華経を説かれる。私はこの経を聴かんがためにここに来たのだ」という声さえ聞こえる。塔中の多宝如来が半座をあけて世尊を招く。世尊はその座に坐り、塔中に二仏が並座された。会座の四衆も、世尊の威神力によって空高く、中空に立たしめられる。
 世尊は、この空中に立った四衆に向って、
 比丘たちよ、お前たちのなかで、この娑婆世界において、この<正しい教えの白蓮>という法門を解き明かすことに努めるものはだれか。如来が面前にいるいまが、そのときである。今こそ、その機会なのだ。比丘たちよ、如来は、この<正しい教えの白蓮>という法門を付嘱して、完全な涅槃に入ることを欲しているのだ。
と告げられ、偈頌の中では、多宝如来ならびに十方分身仏の来至したのは、令法久住のためでありと言い、合せて、法華経を仏滅後悪世の中で説くことは、容易ならざる至難のことであるとして、いわゆる「六難九易」の譬えが説かれる。

註3)
 長尾雅人氏も「法華経」(中央公論社、1975年)の解説で「法華経」と「難知」の問題についてふれている。
 長尾氏が問題とするのは、次のような点である。
 仏陀はしばしば弟子たちに向かって、真実を知ることはきわめて困難であること、すなわち「難知」ということを説く。そのさい、「深い意味を秘めて語られたことば」という一句にわれわれは出会う。それはこの迹門の、あるいは大きくいってこの経全体の、基本構想を示しているということができる。この句の意味は、最も深く最も根底的な究極の真理、すなわち「秘要」なるものの意味を見つめ、それをうちに秘めつつ、あえてことばとして方便の説法を語るということである。それは、「秘要」なるものをめざし、そこへ人々を導こうとする方便にほかならない。この一句を、玄奘ならば「密意語言」とでも訳したであろう。仏陀が密意をもって語るのである。しかし、これが羅什訳では、「随宜所説」などと訳される。すなわち、機に応じ機に適合した説法ということである。しかし、それだけでは、便宜的な方便の説法という面のみが表現されて、深い意味がめざされ、それをうちに秘めているという点が、十分には伝えられない。
 究極的な立場からいって、仏陀の説法はそのすべてが方便の説法にほかならない。ただそれは常に、最も秘要なるものをその底にたたえている。三乗の説法も、方便の説法にはちがいないが、そのままが「深い意味を秘めて語られたことば」なのである。しかし、一乗を説くこともまた、同様である。ただ前者においては、「語られたことば」に重点があって方便の三乗となり、後者においては、「深い意味が秘められて」いることに重点が見られる。すなわち、「深い意味を秘めて、語られたことば」とは、その前半と後半とによって真実と方便、一乗と三乗、永遠と現在、本門と迹門というような対立を結びつけた句なのである。したがって、これが「開三顕一」ということへの原理となるのである。
 この「深い意味を秘めて語られたことば」が、「難知」であると、しばしば述べられている。その「難知」には、二つの意味が考えられよう。一つは、以上にすでに述べたように、三乗の説法が実は一乗・仏乗をめざし、それがうちに秘められているということが人々にとって難知である。また二つには、秘められた深い意味とは、世界の実相のことで、これが難知である。古来の諸師は、この第二章が「実相」を説くものであると規定するが、それは「実相印」という語や、とくに羅什訳に特有の「十如是」の句に由来するのであろう。しかし、その世界の実相について、この経はとくに哲学的な解明を試みようとはしない。むしろ、それが凡夫の知を超えたものであり、「如来こそが如来に対して説く」(唯仏与仏)ような世界、仏陀のみがそれを直証しうるもの、とのみいう。それは、凡夫にとって、まことにうかがい知れぬ難知の世界である。その仏陀の世界におけるできごと、すなわち、すべてが実は一乗であり、すべての衆生が仏陀となるということは、難知であるばかりでなく、また難信でもある。
 なんとなれば、おのれの知を頼りとし、おのれの知を誇りとするかぎりにおいて、それは信じがたいことだからである。「開三顕一」ということは、この難知を明らかにし、仏陀の秘奥の世界に対する衆生の信を育もうとするものといってよいであろう。そしてこれが、仏陀がこの世に出現したことの、最大の目的であり、仕事であった。すなわち、羅什訳に「一大事因縁」と表現されているものである。

 参考までに、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経方便品第二」から、当面の問題の箇所を抜きだしておく。
 「諸仏智慧、甚深無量。其智慧門、難解難入。一切声聞・辟支仏、所不能知。所以者何。仏曾親近百千万億無数諸仏。尽行諸仏無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深未曾有法。随宜所説。意趣難解。」
 「諸仏の智慧は、甚だ深くして無量なり。その智慧の門は解り難く入り難くして、一切の声聞・辟支仏の知る能わざる所なり。所以は何ん。仏、曾て百千万億の無数の諸仏に親近し、尽く、諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞こえ、甚深なる未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたまえる所なれば、意趣、解ること難ければなり。」(坂本幸男氏訳、岩波文庫「法華経」上)
註4)
 新田雅章氏の「中国における法華経研究」(「講座・大乗仏教4ーー法華思想」所収、春秋社、1983年)によれば、中国における「法華経」教学大成者、天台智(538年−597年)の教学体系は次のように概括されるという。
 「それは、仏法にかなった生活の維持につとめつつ(戒)、さらに踏み込んで二十五万方便を遵守し、その上に立って十乗観法や一念三千の法門を修して(定)、諸法の実相の体得に努力する、という教理の構成を有するものであるが、この体系は法華経にいう「実相」の内容を論究しつつ、かつみずからもその実相を体得する方途を探る学道的姿勢に裏打ちされて形成されるものであった、といってよい。経の体を「実相」と読みとり、それの内容を理論的に明確化することは、理論的関心の高まりだけで行ないうるけれども、それをみずからのものとして体得しようとするとなると、自己を探る、という方向がどうしても必要となろう。自己を探る実践的態度はまさに「観心」にほかならない。観心という態度に照らして経ーー法華経ーーを解釈してゆこうとする姿勢があったればこそ、智の場合、経意の客観的解明を超えて、それを主体的にみずからのものとする方向が、現実のものとなりえたわけであり、かれの教学体系が重厚な性格をもちえたのも、そこに理由がある」(新田雅章氏、上掲論文)

註5)
 塩入良道氏の「天台智の法華経観」(「講座・大乗仏教4ーー法華思想」所収、春秋社、1983年)によれば、智による蓮の具体的特徴と法華経の教えの結びつきは、たとえば次のようなものとされる。
 「ハスの種子である子房(石蓮)は、黒いので染せられず硬いから破壊されない。角でも円でもなく不生不滅であるから、蓮子の相という。一切衆生の自性清浄心も同様で、衆生の本性は煩悩に関係されず六道に流転するが、心性は不住不動・不生不滅であって、これは仏果の如是相であり、「維摩経」の「一切衆生は即ち菩提(さとり)の相がある」(大正14、542中)と経証を出している。」(「法華玄義」より)
 以下同様に、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」に記されている十如是の範疇のすべてが蓮の具体的特徴と対比して詳述される。
 塩入氏によれば、智の「法華玄義」では、「蓮華は法華精神の神髄である法華三昧の当体の名称であって、譬喩ではない」と主張されているという(上掲論文)。

註6)
 聖徳太子の時代の仏教受容については、佐藤正英氏『聖徳太子の仏法』(講談社、2004年)のページ参照。

註7)
 慈覚大師。798年−864年。延暦寺第三世座主。天台宗山門派の祖。838年入唐。途中会昌の仏教弾圧などにあうなどの波乱の後、847年帰朝。雑密系の「蘇悉地経(蘇悉地羯羅経)」を重視し、これを「大日経」「金剛頂経」とならぶものとすることで、真言宗に対する天台宗の独自性を打ち出した。中国滞在記「入唐求法巡礼行記」は、当時の中国社会を知る第一級の史料とされる。

註8)
 智証大師。814年−91年。延暦寺第五世座主。天台宗寺門派の祖。851年入唐。858年帰朝。天台座主在職24年の長きにわたり、第九世座主長意を除き、第十三世座主尊意まですべて円珍の門流で、初期天台宗教団のなかで、人的に非常に大きな影響を及ぼしている。

註9)
 五大院あるいは阿覚大師と称される天台宗初期の学匠。生没年不詳。円仁の弟子として出家。その著「教時諍論」のなかで、「真言宗」を第一とする教判を述べているが、安然のいう「真言宗」とは、空海が開いた宗派ではなく、秘密教としての天台宗の謂いである。

註10)
 典型的な顕経経典である「般若心経」を密教経典として読み替える試みである「般若心経秘鍵」のなかで、顕密について、空海は次のように述べている。
 「顕密は人に在り。声字はすなはち非なり。然れども猶、顕が中の秘、秘が中の極秘なり。浅深重々まくのみ。」

註11)
 ちなみに、黒田俊雄氏は、天台宗および密教は10世紀以降次のように展開していくという。その実態に即した検証は、今後の課題としたい。
 「段階的にいえば、はじめ密教による統合が進行する9世紀段階では、顕密の勝劣が問題の主たる側面であったが、10世紀以後の浄土教の発達のなかでの天台宗の主導的活躍によって、11世紀には顕密の一致・円融あるいは相互依存的な併存を最も妥当なものとみなす体制が確認されることになったといえる。このような顕密の併存体制ーー体制といっても法的あるいは行政的な制度ではなくイデオロギー的秩序というほどのものであるがーーを、小論では「顕密体制」と呼び、とくにその体制に内在する論理やそのような傾向の思想の性格をいうときには「顕密主義」という語を用いることにしたいとおもう」(黒田俊雄氏「中世における顕密体制の展開」)

  



「蓮と法華経」読解・本文