騎士クラブ
劇団ポツドール
作・演出:三浦大輔
【出演】
ノムラ:山中隆次郎(スロウライダー)
ビトウ:小林康浩
カネコ:児玉貴志(THE SHAMPOO HAT)
トガシ:野平久志
タケウチ:米村亮太郎
トツカ:仁志園泰博
アズマ:白石正信
シバ:高多康一郎(RONNIE ROCKET)
ユキコ:齋藤舞(INSTANT wife)
【鑑賞日/会場】
2002年2月13日
2002年2月17日
於:王子小劇場

 劇団「ポツドール」の公演「騎士(ナイト)クラブ」を観た。 この劇団、前々回公演「身体検査」を観て以来、私の最も気になる劇団になってしまったのだが、今回はこのポツドールが飛躍する一つのきっかけとなった「騎士クラブ」の再演。

   *   *   *

  内容は、タワシやホウキを作っている工場の工員の部屋の窓から向かいの部屋に住んでいる女性の着替えが丸見えということに気づき、工員たちが自分たちを<騎士クラブ>と命名して覗きとビデオ撮りをはじめるうちに、女性への思いが募って・・・というもの。
 誤解なきように言っておくと、これは全然ラブストーリーではない。舞台は工員の部屋で雑然としており、飛び交う話題もエロ話が中心。そしてストーリー上はなんの必然性もない出演者の裸(フルヌード)がぼんぼん飛び出す。
 話は、工員たちの思いが募って、最後には隣りの女性を誘拐して部屋につれこみ、それまでつくっていた覗きビデオにレイプ・シーンを入れるということになるのだが、ここは舞台のうえで出演者の1人に小便をかけたり、フェラチオしたりということになる。
 ポツドールの芝居では、実は、ストーリーは舞台のうえでこうしたシーンを取り上げるための「装置」としてあるようなもので、裸も小便もフェラチオも、出演者、観客の双方に「演技」を超えた「行為」として要求され、提示される。東浩紀/デリダ的にいうならば、演技というコンスタティブで安全なものを再度パフォーマティブなものに転換し、「演技」から「演技性」を奪ってしまうというところにポツドールの真骨頂があるのだ!

 さて今回は、この舞台、どこまでが即興でどこまでが台本どおりか確認するため、2月17日の最終回公演を再見したが、はじめにみたときに即興やハプニングにみえたさまざまな所作が、台本どおりの緻密に計算しつくされたものであり、真剣な稽古の積み重ねであることにあらためて感心した。 とくにほとんど即興劇のようにみえる作品の後半部(レイプ・シーン)が、フェラチオや放尿のきっかけなどの細部にいたるまですべて初回と同じ(つまり台本どおり)であることは、感動的ですらあった。 しかも最終回とあって出演者のテンションは非常に高く、たとえば何度も出てくる出演者同志の平手打ちのシーンは、「演じられる痛み」ではなく「痛みそのもの」がこちらにも伝わってくる。しかしそうしたなかで、演技そのものが計算された冷静さをけして失わないところに、この作品の出演者のレベルの高さを感じる。

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 ただし、今回の「騎士クラブ」に関していえば、ストーリー性が強すぎて、演技を脱構築するというよりは、ストーリー(台本の巧みさ)をみせる感じになっていたのが難点。したがって、作者であり演出家である三浦大輔氏が、その後ストーリー性を排除する方向に向かい、「身体検査」「メイク・ラブ」の2作をつくったのはよく理解できる(それらの作品は「セミ・ドキュメント」と呼ばれ、観ていてどこまでが演技かどこまでが行為か判断できない。というより、たとえば出演者が舞台のうえで裸になっているとき、それは裸になることを演じているのではなく、実際に裸になっているわけだ)。

 今回原点を回顧したことで、次にどのようにステップ・アップしていくのか、興味深い。 (2002・7・27・up)

 

徘徊録 La Nomadologie