聖徳太子の仏法

佐藤 正英著
講談社<講談社現代新書>、2004年

 『日本書紀』は語る。「皇太子、亦法華経を岡本宮に講じたまふ。天皇、大きに喜びて、播磨国の水田百町を皇太子に施りたまふ。因りて斑鳩寺に納れたまふ。」(巻第22、推古天皇14年条)推古朝の仏教、とりわけ『法華経』受容がどんな感じだったのか気になり、佐藤正英氏の『聖徳太子の仏法』を読んでみた。
 聖徳太子が『法華経』を講じた理由を、佐藤氏は次のように分析する。
 「多岐にわたり、ときに矛盾しているように見えることもある仏法のさまざまな教説を、法華経は簡明なかたちで直截に説き明かそうとする。また見知らぬ天竺の、遠い過去の歴史的存在である釈迦仏だけが釈迦仏なのでなく、本体の釈迦仏は今もなお常住不断に現前している、と説く。
 法華経の簡明で直截な教説は、ひとびとの心を捉え、驚歎と讃仰をよび起こした。太子が勝鬘経に次いで法華経を講説の対象にえらんだ事由もその点にあったのであろう。」(本書、210〜1頁)
 ただし結論からいうと、根本史料が『日本書紀』しかないために、聖徳太子の『法華経』講説については、これ以上の確たることはほとんどいえないということらしい。
 ちなみに、聖徳太子が『法華経』に先んじて講じた『勝鬘経』に関しては、世俗の王妃である勝鬘妃が語りの主体であることから、聖徳太子は勝鬘妃を推古天皇に重ね合わせ、力を入れて講説したのであろうと、佐藤氏は分析している。
 「太子による勝鬘経の講説を聴聞したひとびとは、勝鬘妃を法会の施主である推古天皇と重ね合わせずにはいられなかったであろう。推古天皇こそ女人として世俗世界に身を置いて釈迦仏の教説を受持し、慈悲を修している菩薩であると捉えたであろう。
 さらには推古天皇が生身の菩薩であることを解きあかす太子もまた、生身の菩薩であることを問わず語りに明かしていると見做したであろう。ひとびとにとって太子は、分段生死の境涯を脱し、不思議変易生死の境涯にある上位の菩薩として、末法東方辺土のわが国に現出し、慈悲を修している菩薩であった。生れてすぐに言語を発し、十人の訴えを聞き分け、未来の出来事を知り、仏法を守護する<たま>神の呪的な力をよび起こし、為政を統括する呪的な力をもっているといった在りようは、慈悲を修する菩薩の在りようなのである。」(本書、206〜7頁)

 飛鳥時代に朝鮮半島から「仏法」が入ってきたとき、それは教説ではなく、まず「釈迦像」という異形の像として入ってきたこと、朝廷はそれを新たなる神として祀ろうとし、それゆえ、日本最初の仏教者(仏を祀る者)は女性であったことーー言われてみれば、すべてなるほどとうなずけることばかりで、仏法がどのようなかたちで日本に入ってきたかについての佐藤氏の主張は納得できる。
 しかしその後の推古天皇〜聖徳太子の時代の展開については、十七条憲法の分析を経典(『勝鬘経』)の分析につなげるなどの工夫はあるが、結局は史料の限界からか、必ずしも説得的な議論にはなっていないように、私には思える。
 また政治史的には、佐藤氏は推古朝の「官人」の存在を重視しているように思われるが(十七条憲法の分析と合わせ、この点が仏教の受容層の問題と若干からんでくる)、この時代の朝廷人をただちに「官人」と見做すことができるのか、いささかの疑問を感じる。

 ところで、『勝鬘経』の内容分析のなかで、佐藤氏は「如来蔵思想」についてふれている。佐藤氏の説明はあくまでも『勝鬘経』のテクスト分析に即したものだが、「如来蔵思想」について考えるための参考として、以下に引用しておく。
 「自己は、根源煩悩を十全に充足させ、不思議変易生死を脱し、幽在時間・幽在空間をも超え出て、はじめて絶対知を体得する。真にして実なる在りようとしての、常住不変で、本来清浄な法身の仏になる。真にして実なる在りようとしての本来の自己に到達する。
 幽在時間・幽在空間における自己の在りようを、勝鬘妃は如来蔵と名づける。如来蔵とは、如来が蔵されている存在である。いいかえれば、如来であると同時に煩悩に蔽われている存在である。真にして実なる在りようとしての法身の仏であると同時に根源煩悩の蔽われている存在である。
 真にして実なる在りようとしての法身の仏は、幽在時間・幽在空間において無作為のままに存立しているのではない。根源煩悩を充足させようとする作為において、いいかえれば根源煩悩にまみれることにおいて存立している。他方、根源煩悩としての自己は、幽在時間・幽在空間において真にして実なる在りようとしての法身の仏となることを希求して、根源煩悩を充足させようとする不断の作為において存立している。真にして実なる法身の仏と根源煩悩としての自己は、幽在時間・幽在空間において、互いに覆いあっているのである。」(本書、204〜5頁)
 佐藤氏の術語のなかで、「幽在時間・幽在空間」という独自の言い回しがちょっとわかりにくいが、これは、「分段生死は、眼に見え、肌で触れられ、心に直接感じられるかたちにおける出生死滅であるが、不思議変易生死は、そのままでは眼に見えず、肌で触れられず、間接的に心に感じとられる出生死滅である。分段生死は、前生・現生・後生を貫く時間・空間における出生死滅であるが、不思議変易生死は、時間・空間の根底に在る幽在時間・幽在空間における出生死滅である。幽在時間・幽在空間は、前生・現生・後生を貫いている時間・空間の根底に存立している時間・空間である。」(本書、202頁)とのことである。

 「(『日本書紀』の)太子をめぐる記述は、わが国の古代における仏法の在りようを伝える最古の文献です。にもかかわらず、仏法に対する無理解と偏見の累積が災いしてか、在来まともに読まれてきませんでした。いずれにせよ、わが国の古代における仏法の在りようを、生きた思想として明らかにすることは難事です。辛うじてその一歩が踏み出された段階であろうと考えています」(本書、240頁)というのが、本書の結論と言うべきであろう。

2004年10月19日

 

徘徊録 La Nomadologie

参照:松山俊太郎「蓮と法華経ーーその精神と形成史を語る」