現代のイスラム――宗教と権力

山内 昌之著
朝日新聞社(朝日選書)、1983年

 著者山内昌之氏自身によれば、本書は、「イスラム史の主軸であった宗教と権力の相互関係を現代社会の構造のなかで理解すること」を目ざしており(本書331ページ)、このため、「イデオロギー分析と歴史学分析の相関的接近」という方法を採用している(本書332ページ)。
  本書は1983年に刊行されており、刊行時の最新の話題としてソ連のアフガニスタン侵攻が取り上げられている。このため、動きの激しい昨今の中東情勢からすれば一見<過去の本>ととられかねない。しかし、イスラーム社会が西洋化の波にさらされたオスマン朝崩壊時にさかのぼってイスラーム社会のかかえる構造的問題点を摘出し、それを今度はイラン、エジプト、トルコ、ソ連のそれぞれの地域の歴史背景、支配体制とのかかわりでとらえていく分析は極めて明晰であり、わかりやすい。21世紀に大きく揺れ動いた中東情勢の前史を理解するための本として、その価値は未だに大きいと思う。
 本書の叙述にあたって山内氏が採用しているのは、@原理主義、Aモダニズム、B世俗主義という三つの「理念型」である。

「19世紀なかばいらい、多数の支配エリートを含むイスラム世界の知識人は、外来の世俗的なイデオロギー、すなわち自由主義、実証主義、ナショナリズム、マルクス主義、などにひきつけられるようになった。イスラム世界に導入されたこれらの西洋思想は、ひとまず相違性を無視して、世俗主義とよぶことができよう。というのは、これらの思想は、価値と意味に関わる論点を解決するために、現世の基準に依拠するからである。ヨーロッパがイスラム世界の生活環境をあらゆる手段で支配するにつれて、西洋型の思考方式は、現実の諸問題を処理するのに好都合な道具とみなされた。こうして、世俗主義の力強く多面的な魅力は、ムスリムのあいだに二つの異なる反応を招いた。原理主義とモダニズムである」(本書37ページ)

  この三つの型が、状況に応じてさまざまな展開をみせ、政治的な難問と結び付いていくことになる。 そうした個々の問題については、山内氏の巧みな叙述にゆずることにして、ここでは各社会(国家)に共通する難題として山内氏が指摘するイスラーム社会における支配の正統性の問題にふれておこう。
  山内氏によれば、イスラームの宗教・政治理論においては、以下のような点が基本的なものとして理解されている。

「真実の社会をつくって維持するには、宗教による道徳規範が成立しなければならない。その包括的法体系がシャリーアとよばれる。換言すれば、シャリーアへの服従、シャリーアにもとづく相互扶助的な権利と義務の受容――これらが人間の道徳的関係を規制する。こうして、社会的統合が神の名において実現される。政治的行動の目標は、神の意志の執行であらねばならない。つまるところ、政治権力とは神による統治の委任(ウィラーヤ)に他ならない。それは、神の意志に統御されながら、現世と来世でのムスリムの至福をはかる使命をもつ」(本書23ページ)

 イスラームの正統的な信仰に生きる限り、現世の統治は、それがいかに理想的なものであれ「神による統治の委任」であり、仮のものに過ぎない。そうした仮の統治の正統性、統治のための法の根拠を統治者はどのようにしても生み出すことができない。イスラーム社会がかかえる政治的困難のポイントはこの点にあると思う。

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 さて、山内氏が本書を執筆して約20年後に起こったアフガニスタンの情勢がどのような解決を見出すか、今もって明確ではない。
  しかし、アメリカの圧倒的な軍事力を背景とした表層的な安定はさておき、今後政権構想、憲法制定がより具体的になっていったとき、それを正統たらしめる根拠(なぜ、そうした政権や法に従わなくてはならないか)は、こうして山内氏に従って考えてみると、あいまいといわざるをえない。
  本書が今なお有効性を失っていないと考えるゆえんである。

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最後に、本書全体の内容を理解する参考として、以下に本書の目次を再掲しておこう。

第1章 イスラムの覚醒
第2章 イデオロギーとしてのイスラム
第3章 ムスリム同胞団の思想と行動
第4章 イラン・イスラム革命とホメイニーの政治思想
第5章 エジプト――ネオ・マハディー主義の抬頭
第6章 トルコ――アイデンティティの危機
第7章 ソ連――「忘れられたイスラム」
第8章 イスラムとエスニシティ――結びにかえて

(2002・9・18up)

 

徘徊録 La Nomadologie