ピエール・ベール
Pierre BAYLE (1647年−1706年)

著作紹介 Oeuvre

歴史批評辞典(1696年)
Dictionnaire historique et critique

 ベールの名を不朽ならしめた最大の代表作。在来の歴史記述や、モレリの「大歴史辞典」をはじめ各種の辞典に見られる誤謬や書き落としを摘発・訂正する「誤謬の辞典」、「他の本の試金石」としてはじめ構想されたが、製作の過程で計画はやや変更され、通常の歴史辞典と、当初考えた「批評辞典」を折衷したような形となった。各項目は二つに分けられ、一段に組んだ本文には人物の略伝など歴史辞典的な記述を収め、詳細な批評的論議は細かな活字で二段に組んだ脚註に回すという構成になったが、脚註の分量は通常、本文の数十倍、数百倍にのぼり、これが記述の主体をなしている。項目の総数は二千余で、大半は人名(16、17世紀の人物が最も多い)だが、地名や宗派名も若干ある。項目の選択は全く無計画で、たとえばアリストテレスやスピノザの項はあってもプラトンやデカルトの項はない、などである。
 ぼう大な脚註の中で最大の比重を持つのは、無数の引用文を対比しつつ歴史的記述の不正確さや一方的な性格を抉り出す史実をめぐる細かな論議で、とりわけ党派的(主に宗教的・宗派的)偏見による歴史の偽造・歪曲への批判は徹底しており、激しい宗教的抗争の渦中で歴史の真実を守り抜こうとする強固な意志を感じさせる。前世紀来、プロテスタントのローマ教会攻撃に絶好の材料を与えてきた「女法王」伝説を全面的に否定した「女法王」の項などはその典型であろう。しかし、こういう批評的・考証的な論議とは別に、この書が読者の関心を集めた主因の一つは、脚註の随所で展開された各種の哲学的・神学的論議で、特に、アナクサゴラスからスピノザ、ライプニッツに至る古今の哲学体系に対する犀利な批判は、この書を一種の「批判的哲学辞典」たらしめてもいた。予言者ダビデの背徳に仮借ない批判を浴びせた「ダビデ」の項、世界に漲る罪と悲惨につき神の摂理を理性で弁護しきることは不可能だとした「マニ教徒」、「パウリキウス派」などの項、懐疑論の宗教的効用を論じた「ピュロン」の項、「百科全書」にもそのまま盗用された「スピノザ」の項などが特に名高いが、この書が18世紀に神学・形而上学批判の宝庫として争って読まれたのも、教会筋から反宗教の書の筆頭にあげられたのも、それらの項を中心とする「辞典」のかような側面に由来していた。

(以上は、「フランス哲学・思想事典」<弘文堂、1999年>から野沢協氏が執筆したピエール・ベールの項のなかの「歴史批評辞典」の紹介をさらに抜粋して掲載しています。)

cf.→The Electronic Text Service of the University of Chicago


ピエール・ベールの生涯と著作 La Vie et des Oeuvres de Pierre Bayle