ビュフォンの「博物誌」とモリヌークス問題

(モリヌークス問題の総合的展望)
 

 ビュフォンの著作「博物誌」(1749年刊行開始)は、単なる生物(主として脊椎動物)の特徴の羅列や自然科学的な事実の記述にとどまらない幅広い問題を含む画期的な著作であった。それが刊行当時の、さまざまな哲学者や一般読者の関心をよんでいたことを示す一例として、ジャック・ロジェの「大博物学者ビュフォンーー18世紀フランスの変貌する自然観と科学・文化誌」Buffon, un philosophe au jardin du Roi(ベカエール直美訳、工作舎、1992年)からモリヌークス問題と「博物誌」に係わる記述を引用し、紹介する。他のページと合わせ、17世紀〜18世紀にかけての生物学の関心がどのような領域にあったのかを確認して頂ければ幸いである。



 17世紀は幾何学に熱中した時代であったが、幾何学的感覚器官の典型ともいえる光学や視覚の問題に熱中した時代でもあった。デカルトも、「方法叙説」(1637)とともに提出した「屈折光学」において、目の働きを研究した。そして「身体ではなく、霊魂が見るのである」、霊魂は松果腺にある「共通感覚(器官)」を介して見るのであると主張し、視覚が事物の唯一の正立像と事物の距離や大きさの認識能力をわれわれに与えてくれる生理学的なメカニズムを説明した。これは重要なテキストで、18世紀には、誰もが知っていた。しかし、マルブランシュは、デカルト学徒であったにもかかわらず、「真理の探究」(1674)の数章を割いて、視覚だけでは、われわれに大きさや距離の認識能力を与えることができないことを示した。この認識能力は、感覚(サンサシオン)によってわれわれに与えられるのではなく、「われわれの内部で、われわれなしに、われわれの意に反してさえ」与えられる自然的判断によるものである。そして実際には、そのような判断は神が「われわれのうちにおいてなす」ものである。マルブランシュの分析も、18世紀には周知のことがらであった。ロックにおいても、モリヌークスの問題の議論は、彼がマルブランシュとイギリスでのマルブランシュ信奉者とに対しておこなった論争の一環をなしていた。
 とはいえロックは、無意識的に感覚を変化させる「判断」の概念をマルブランシュから採用した。「感覚から生じる観念は、そうと認められなくとも、成人の精神において判断によって変化させられることがしばしばある」。これはマルブランシュにおけるように神からくる判断ではないが、「習慣」つまり経験からくる判断である。したがってロックによれば、モリヌークスの盲人は、この経験を欠くために、立方体を識別することができないだろうと考えられた。
 それでもやはり、この「判断」をおこないうる力、したがって、感知しうる所与を相互に比較し、解釈し、修正さえすることができるような力が存在する必要があり、これが厄介な問題になった。ロックは、この力が存在すると考えたが、それが「認識能力」としての悟性であった。それゆえ、この「能力」の存在と性質が、議論の核心となっていった。
 バークリーは、1709年にロックと同じ見解を表明したが、その理由は異なっていた。ヴォルテールも、1738年に「ニュートン哲学原理」でこの見解をとったが、1728年にイギリスの眼科医チェセルダンによって実験がなされたことをフランス人の読者に特筆した。チェセルダンは先天性白内障による盲人に手術をおこなったのである。実験はロックの分析が正しいことを証明したということであった。しかし、コンディヤックは、1746年に「人間認識の起源に関する試論」で、手術を受けた盲人は、視力が少し鍛えられさえすれば、二つの形態を認めることができると、反対の主張をした。それは、コンディヤックが、知覚作用と意識的な霊魂の活動の仲介役を果たす「無意識的な判断」を拒否したからであった。
 1749年春、この理論論争は、パリで思いがけない結果をまねいた。プロイセンの眼科医ヒルマーが、盲目の娘シモノー嬢を手術することになり、手術はレオミュールの後援のもとにおこなわれた。パリの知識人たちの興奮振りが想像できようというものだ。ディドロはレオミュールに、「最初の包帯」を取り、盲目の乙女がはじめてものを見る瞬間に立ち会う許可を求めた。ディドロ自身によれば、レオミュールはそれを拒否したそうである。(中略)
 ディドロは「友人たちと哲学上の問題を考察しはじめ」、1749年6月初旬に「盲人書簡」を出版した。この友人たちの中には、ビュフォンもおそらく含まれていたのだろう。ちょうどその頃、ビュフォンは「人間の博物誌」の最後の仕上げをしており、この機会を利用して、註でディドロの「盲人書簡」のことをあげ、その「実に繊細かつ真実な形而上学」を称賛した。ところがこの形而上学のせいで、ディドロは王璽令状によって、7月23日にヴァンセンヌ刑務所に送られることになったというわけだ。(中略)公に賛辞を述べた書物の著者が投獄されるのを見て、ビュフォンがどう思ったかはわからないが、ともかく、ビュフォンは註を削除しなかった。
 したがって、9月に出版された「人間の博物誌」の各章は、哲学上・政治上の時事的関心の真っ只中にあらわれたことになる。そしてロックに同意しコンディヤックに反対したビュフォンは、その後長らく、気むずかしいコンディヤックから敵意をもたれることになった。しかし、結局は何が問題となっていたのだろうか。ロックやバークリーやヴォルテールとともに、視覚の生の所与は触覚の所与によって修正されうるし、修正されねばならないと主張することは、人間精神がある感覚をもう一つの感覚によって修正することができること、この修正はしまいには自動的におこなわれるようになること、われわれが生の感覚と見なしているものは、実際には精神活動を含んだ「判断」であることを主張するも同然であった。
(上掲書、192〜4ページ)

 

マールブランシュの視覚認識論

「モリヌークス問題(感覚と認識について)」

コンディヤックとモリヌークス問題

ディドロとモリヌークス問題

「18世紀人物誌」〜ビュフォン