コンディヤックによる記号の三区分とマブリの法思想 

 社会設立は人間相互の契約(協定)によるものであり、その契約によって善悪の観念、ひいては道徳の体系が生まれた(それゆえ善悪は恣意的なものである)という説に反対して、マブリ(スタノップ卿)は、「市民の権利・義務について」第一の手紙のなかで協定以前の原社会を想定し、そこですでに理性的判断が行われ、善悪の観念も生じていた、社会協定はこの原判断や原道徳に基づくものであると主張している。こうした原社会、原判断のありかたについては、コンディヤックの次のような記述をも勘案する必要があろう。
 「私は三種類の記号を区別する。一、偶然的な記号。すなわち、一定の状況によって何らかの観念と結合された対象。この対象によって、それらの観念が後で思い浮かべやすくなるのである。二、自然的な記号。すなわち、喜び・悲しみ・苦しみなどの感情を表出するために、自然が定めた叫び。三、制度的な記号。すなわち、我々が自分自身で選んだ記号。これは観念とは恣意的な関係しか待たない。」(コンディヤック「人間認識起源論」第一部第二章第四節、1746年。引用は古茂田宏氏の訳による;岩波書店<岩波文庫>、1994年)
 このうち第三グループに分類されている制度的な記号について、コンディヤックはさらに次のように指摘している。
 「制度的な記号を選んだり、それを様々な観念に結びつけたりするのに十分な程度の反省を働かせることが予め可能になっているのでなければ、その制度的記号を利用することもできないであろうと思われる。」(コンディヤック「人間認識起源論」第一部第二章第五節、1746年。引用は古茂田宏氏の訳による)
 言語(記号)の起源については、「人間認識起源論」の第二部第二章全体がそれにあてられているのだが、ここでは、古茂田宏氏の次の訳注に注目しておきたい。
 「「反省能力がなければ言語は作りえないが、言語がなければ反省することはできない」という相互前提性は、言語がいかにして成立しえたかという問題に関する循環の難問をなしており、コンディヤックがこれを十分意識していたことがうかがえる。このアポリアについての最も有名な定式化を行ったのはルソーの「人間不平等起源論」であろう。なお、その箇所でルソーは本書を念頭に置いて議論を進めているが、ルソーによるアポリアの定式化にはもう一つの論点がある。それは、「言語を制定するためには既に結合した社会がなければならないが、社会が設立されるためには既に言語が制定されていなければならない」という、もう一つの循環である。コンディヤックの場合、人間の社交性は暗黙裏に前提されているので、「言語がーーひいては社会がーーどういう理由で必要になったか」というルソーの問題は、問題になりえない。しかしその点を除けば、言語起源に関してルソーが問題にしている事柄の大筋は、既に本書でーーしかも部分的には非常に近似した仕方でーー考察されている。」(古茂田宏氏、「人間認識起源論」上巻訳注、岩波書店<岩波文庫>、1994年)
 ルソーと異なり、マブリ、コンディヤックの兄弟においては、「人間の社交性は暗黙裏に前提されている」(古茂田宏氏)のである。そのうえで、コンディヤックによる記号の区分を法におきかえると、マブリによる法の区分とその特徴や市民の対応の仕方の記述は理解しやすくなるのではないか。
 ちなみに、「人間認識起源論」は1746年刊、「人間不平等起源論」は1755年刊であり、「市民の権利・義務について」執筆時点(1758年以降;イタリア語版のマブリ政治著作集の編者・翻訳者Aldo Maffeyは、著作集に付したマブリの年譜において、「市民の権利・義務について」は1758年秋に書き始められ、1760年に書き終えられたとしている)において、マブリは先行する両著を十分意識していると思われる。
2003・8・14

 

コンディヤックの生涯と思想