ディドロの生涯と思想

La vie et la pensee de Diderot

 ドゥニ・ディドロ Denis Diderot、1713年−84年。フランスの哲学者・作家・編集者。たびたびの出版弾圧、執筆者の離散を跳ね返しながら1772年に図版集を含む『百科全書』の完結という大事業を成し遂げた。思想的にみると、若い頃は理神論的な立場をとっていたが、次第に独自の無神論に進んだ。ロシアの女帝エカテリーナ2世との交流も有名で、『百科全書』完結後の1773年、ロシアを訪問した。
 シャンパーニュのラングルの生まれで、家は刃物師。ラングルのイエズス会の学校で学んだ後、1728年にパリに出た。パリでは、はじめ語学、数学などを学んだが、就職問題で父と対立し、なかば放浪状態のなかで、1742年にパリに出てきたばかりのルソーと知り合った。この頃のディドロは、スタニヤンの『ギリシア史』の翻訳、シャフツベリーを自由翻訳した『人間の真価と美徳に関する試論』の出版などを行っていた。
 転機が訪れたのは1745年で、この年、ル・ブルトン書店が英国で成功したチェインバースの百科事典の翻訳の話をディドロにもちかけ、ディドロは単にこれを翻訳するのではなく、それをさらに網羅的なものにして刊行することをル・ブルトンに逆提案し、受け入れられた。また自分より若いがすでに科学アカデミーの会員で社会的知名度の高いダランベールを共同編集者に引きずり込んだ(ダランベールは1759年に編集から撤退)。ディドロの報酬は総額7,200リーヴルと決められた。
 この間、女性性器(宝石)が過去の自分の情事の話をするという『お喋りな宝石』を匿名で出版し(1748年)、当局ににらまれる原因をつくった。
 またこれに続いて、1749年には、やはり匿名で『盲人に関する手紙(盲人書簡)』を出版したが、その内容が無神論的であるとしてヴァンセンヌに投獄された。神を讃美する牧師に対し、「もし私に神を信じさせたいとお思いでしたら、あなたは私に神にふれさせなくてはなりません」(平岡昇氏訳、「ディドロ著作集第1巻」所収、法政大学出版局)とする盲目の学者の言葉は、とりわけ有名である。獄中では、プラトンの『ソクラテスの弁明』の翻訳を行った。知のあり方をめぐって理解なき市民や国家に警鐘を発し続けたソクラテスは、晩年にいたるまでディドロの範の一人であった。入獄中にルソーが訪問し、ディジョンのアカデミーの懸賞論文(のちの『学問芸術論』)への応募について話し合ったことも有名。
 出獄後、ディドロは『百科全書』刊行のための仕事を精力的に再開し、1751年の刊行にこぎつけた。これ以降のディドロの執筆活動は、『百科全書』を核に展開する。
 しかし『百科全書』の出版事業には宗教界などからの反発が多く、エルヴェシウス『精神論』発禁事件の余波を受けて、1759年ついに発禁処分を受けた。これ以後ディドロは、その刊行再開を期してひそかに『百科全書』の記事の執筆・編集を続けることとなった。その後、『百科全書』は1762年にまず図版の刊行から事業が再開され、1765年に本文刊行も再開し、1772年に全巻が完結した。
 『百科全書』の編集が非合法化された1760年代からは、その記事の執筆のみならず、他の著作活動も活発に行うようになったが、その大半は出版せず、雑誌に寄稿したり知人に回覧させるだけだった。このため、生前は、こうしたさまざまの分野での活動はほとんど知られず、同時代人にはもっぱら『百科全書』編集者として遇された。
 代表的著作に『盲人に関する手紙(盲人書簡)』Lettre sur les aveugles(1749年刊)、『修道女』La Religieuse(1760年執筆)、『ラモーの甥』Neveu de Rameau(1761年執筆開始)、『ダランベールの夢』Le Reve de d'Alembert(1769年執筆)、『ブーガンヴィル航海記補遺』Supplement au Vayage de Bougainville(1772年執筆)、『運命論者ジャックとその主人』Jacques le fataliste et son maitre(ロシア滞在中に執筆)、『哲学者セネカの生涯とその著作』Essai sur la vie de Seneque le philosophe(1778年刊)など。その小説の多くは、明確なストーリーをもたずに復層的に展開する実験的なものである。
 またグリムの「文芸通信」に断続的に掲載されたサロン展の批評によって近代的美術批評の祖ともされる。その批評論は『絵画論』Essai sur la peinture(1766年刊)に結実した。
 遺言により、遺体は医学実験のために解剖された。
 ディドロの遺稿は、弟子のネジョン、ロシア宮廷、娘アンジェリクのもとに分散し、手許の遺稿をもとにまずネジョンが初の全集を刊行した(1798年、全15巻)。しかし、たとえばネジョンが原稿をもっていなかった『ラモーの甥』はこの全集に含まれておらず、たまたまそのコピーを入手したゲーテのドイツ語訳によって初めて刊行される(1805年)など、ディドロの思想の全貌は没後もなかなか明らかとならなかった。アンジェリクの子孫に伝わった遺稿をも含む全集が刊行され出したのは、20世紀に入ってからである。

【参照】
Denis Diderot (フランス語のサイト;テクスト、文献リストあり)

【日本語テクスト】
ディドロ著作集 (法政大学出版局)
『ダランベールの夢』(新村猛訳、岩波書店<岩波文庫>、1958年)
『ブーガンヴィル航海記補遺』(浜田泰佑訳、岩波書店<岩波文庫>、1982年)
『ラモーの甥』(本田喜代治・平岡昇訳、岩波書店<岩波文庫>、1964年)
『絵画について』(佐々木健一訳、岩波書店<岩波文庫>、2005年)
『百科全書ーー序文および代表項目』(桑原武夫編、岩波書店<岩波文庫>、1958年)
『運命論者ジャックとその主人』(王寺賢太、田口卓臣訳、白水社、2006年)

【主要参考文献】
『人間好きーーディドロについての対話』(ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー著、野村修訳、晶文社、1987年)
『絵画を見るディドロ』(ジャン・スタロビンスキー著、小西嘉幸訳、法政大学出版局、1995年)

『ディドローーフランス啓蒙思想への一研究』(鳥井博郎、国土社、1948年)
『先駆者たちーーディドロと百科全書』(小場瀬卓三、日本評論社、1950年)ーー本書は『ディドローー百科全書にかけた生涯』と改題して新日本出版社から再版(1972年)
『ディドロ研究』上・中(小場瀬卓三、白水社、1961年、1972年)ーー下は未完
『ディドロの「セネカ論」ーー初版と第2版とに表現された著者の意識の構造にかんする考察』(中川久定、岩波書店、1980年)
『ディドロ』<人類の知的遺産41>(中川久定、講談社、1985年)
『ディドローー18世紀のヨーロッパと日本』(中川久定、岩波書店、1991年)
『啓蒙の世紀の光のもとでーーディドロと「百科全書」』(中川久定、岩波書店、1994年)
『ディドロと美の真実』(野口栄子、昭和堂、2003年)
『啓蒙思想の三態ーーヴォルテール、ディドロ、ルソー』(市川慎一、新評論、2007年)

「思想」1984年10月号、特集「ディドローー近代のディレンマ」(岩波書店、1984年)

 

『百科全書』 L'Encyclopedie

ディドロとモリヌークス問題(『盲人書簡』から)

ビュフォンの『博物誌』とモリヌークス問題

『ダランベールの夢』とディドロの生命観

ディドロのエルヴェシウス批判〜山本周次氏『ルソーの政治思想』より

「18世紀人物誌」〜ディドロ

近代知確立への歩み(17〜18世紀簡易年表) Chronologie