グロティウスの生涯と思想

La vie et la pensee de Grotius

 グロティウス Hugo Grotius [Huig de Groot] (1583年−1645年)。「国際法の父」と呼ばれるネーデルラント(オランダ)生まれの法学者。オランダ語名ヒューホー(ハイフ)・デ・フロート。グロティウスはフロートのラテン語読み。
 デルフト市長を4度、さらにはレイデン大学の理事をも努めた名士、ヤン・デ・フロートの第一子として、ハプスブルク家領ネーデルラントのデルフトに生まれる。グロティウスの幼年期1588年にネーデルラントがスペインから事実上独立、激動のなかで少年時代を過ごす。幼少から神童の誉れ高く、1594年、11歳でレイデン大学入学。古典文献学者スカリゲルらに学ぶ。98年フランス使節団員となり渡仏、アンリ4世に面会する。帰国後、99年に弁護士を開業。
 1601年、ホラント州議会からネーデルラント史の編纂を委託される。この歴史書は1604年までに最初の草稿が完成するが、グロティウスの生前には出版されず、没後の1657年に「ネーデルラント万機年代記」Annales et historiae de rebus Blegicisとして刊行された。
 1603年に起こったネーデルラント商船によるポルトガル船捕獲事件を受け、この事件を正当化する狙いから、1604〜6年の間に航行・交易の自由を主張した「捕獲法論」De iure praedae commentariusを執筆。この著作もグロティウスの生前に刊行されることはなかったが、1609年、そのなかの第三部第12章を修正を加えたうえで抜き出し、「自由海論」Mare liberumとして匿名で出版して国際的な大論争を引き起こした。
 1607年に検察官となり、官僚の道を歩み始める。1613年にはロッテルダムの法律顧問に任命される。
 当時のグロティウスは、カルヴィニズムのなかでも絶対的な予定説を否定するアルミニウス派に属していたが、より厳格なホマルス派との宗教論争が激化するなかで、1618年逮捕される。同年行われたドルドレヒト宗教会議でアルミニウス派が異端と断定されたため、終身禁固を宣告される。ただし拘束はさほど厳しいものではなく、拘禁中に「真の信仰の証明」をオランダ語で執筆した。この書は後に改訂を加えてラテン語に移され、「キリスト教の真理について」De veritate religionis Christianaeとして1627年にフランスで出版される。
 さて、1621に劇的な脱出を敢行し、フランスに亡命。 フランスでは、ルイ13世の庇護のもと主著「戦争と平和の法」De iure belli ac pacis(1625年)を著した。
 その後、1631年にネーデルラントに帰国するが、祖国では受け入れられず、ハンブルクに退去。スウェーデン、フランスなどを転々とし、海難事故で死亡した。
 グロティウスの法思想は初期の「捕獲法論」と「戦争と平和の法」の間で若干変化していることもあり、定式化が難しいが、小国ネーデルラントに生まれ、国際関係のあり方を問題とするなかで、一国法を越えた複数国家の共通法としての万民法(ius gentium)の思想にたどりつき、これを支える普遍的な原理として自然法をもあわせ考究したといえよう。神法ではなく自然法を万民法の原理と策定した功は大きいが、自然法をそれ自体としては研究対象とはしていないこともあり、グロティウスの自然法概念には、神法との関連からいっても、万民法との関連からいっても、曖昧さが多いのは事実である。
 また現代では、グロティウスの法思想のもつ新しさ、画期性についての疑問も提起されているが、国家概念が曖昧ななかでの国際法思想に、現代の国際法と同レベルの問題意識を求めるのは困難ともいえる。国家概念の成長とともに国際法概念も成長したのだとすれば、グロティウスは、やはり「国際法の父」であったと評価することができよう。

【参照】
「戦争と平和の法」英訳テクスト
【日本語テクスト】
「グロティウスの自由海論」(伊藤不二男訳、有斐閣、1973年)ーー「自由海論」の研究と原点の邦訳の二部構成
「戦争と平和の法」(一又正雄訳、厳松堂、1949−51年)ーー1996年に酒井書店から復刻版刊行
【参考文献】
「戦争と平和の法ーーフーゴー・グロティウスにおける戦争、平和、正義」(大沼保昭編、東信堂、1987年)
「グロティウス」(柳原正治著、清水書院<Century Booksーー人と思想>、2000年)
「グロティウスの国際政治思想ーー主権国家秩序の形成」(太田義器著、ミネルヴァ書房、2003年)

 

「17世紀人物誌」〜グロティウスの項

グロティウスの「自由海論」

「戦争と平和の法」内容目次

ホイジンガの描くグロティウス像

近代知確立への歩み(17〜18世紀簡易年表) Chronologie