エルヴェシウスの生涯と思想

La vie et la pensee d'Helvetius

 エルヴェシウス Claude-Adrien Helvetius (1715年−71年) 。
 フランスの哲学者。ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカの筆頭侍医の息子に生まれる。1738年、王妃の引き立てで徴税請負人となり、1751年まで同職をつとめた。徴税請負人時代から詩作にあこがれ、ヴォルテールなどの手ほどきを得た。その後関心は哲学に移り、快苦原理から人間の行動すべてを説明するという基本構想のもと、1758年に『精神論 De l'esprit』を公刊した。この『精神論』では、コンディヤックの感覚論を踏襲しながらも、魂は肉体の一部であるとして、肉体の死による霊魂の消滅を主張した。しかしこの唯物論的内容が、魂の不滅を前提とする道徳の破壊につながるとして宗教勢力から激しい非難をあび、『精神論』は高等法院によって焚書に指定された(『精神論』に端を発した唯物論的傾向をもった書籍への弾圧は、翌1759年の『百科全書』出版許可の取り消しにつながる)。ヴォルテール、ルソーらエルヴェシウスと交流があった哲学者たちは、エルヴェシウスの善良な人柄を愛し、その著作に対する弾圧を非難したが、著作そのものおよびそこに展開されるエルヴェシウスの思想に対しては批判的だった(ルソー『エーミール』のなかの「サヴォア助任司祭の信仰告白」はエルヴェシウスの無神論に対する批判と読むことができる)。またそれまでエルヴェシウスと親交があったマブリは、『精神論』刊行を境にエルヴェシウスと断交している。
 エルヴェシウスは、その後『精神論』への批判に対する反論を『人間論 De l'homme』にまとめたが、論難をおそれて、生前は刊行しなかった。
 1772年に出た『人間論』のなかで、エルヴェシウスは名誉心を重視し、これによって個人的欲望と公共福祉の調和させる道徳論を主張している。また『人間論』のなかでは、こうした名誉心重視の観点からの統治改革論も展開している。
 これに対しては、刊行直後の1773年〜4年にかけてディドロが『エルヴェシウス著「人間論」に対する逐条的反駁』を書いて、公式に批判した。
 一方、魂の不滅を否定したエルヴェシウスの道徳論は功利主義的色彩が強く、ベンサムにも影響を及ぼしている。

【参考文献】
『名誉と快楽ーーエルヴェシウスの功利主義』 (森村敏己/法政大学出版局、1993年)
『ディドロ』ーー<人類の知的遺産41> (中川久定/講談社、1985年)ーーこのなかでディドロの『エルヴェシウス著「人間論」に対する逐条的反駁』のテクストの一部が紹介されている。

【参照】
「精神論」電子テクスト (フランス語)
「人間論」電子テクスト (フランス語)

 

『精神論』〜略解

『精神論』(目次と試訳)

『人間論』(内容目次)

『精神論』発禁事件

サドとエルヴェシウス(『悪徳の栄え』より)

カッシーラーによるエルヴェシウス思想の紹介と批判

森村敏己氏によるコンディヤックとエルヴェシウスの比較

「ルソーとエルヴェシウス」〜山本周次氏『ルソーの政治思想』より

18世紀人物誌