エルヴェシウス「人間論」の内容(目次)
| 以下、根岸国孝氏訳「人間論」(世界教育学選集第37巻、明治図書、1966年)から、エルヴェシウス「人間論」の内容(目次)を抜き出して掲げる。 なお、同訳書は、「人間論」第1巻、第2巻、第5巻、第10巻のみの抄訳である。そのうち第1巻、第5巻、第10巻はノートのみを省いてテクストを全訳し、第2巻はカトリック教会の攻撃にあてられている部分を省略したテクストの一部の訳となっている。また根岸氏は、「世界古典文庫」(日本評論社、1949年)にも「人間論」の第3巻までを翻訳している。 序 緒言 1.人間を考察しうる種々の観点について。人間に対して教育がなしうることについて。 2.この問題の重要性。この検討がいかに有用でありうるか。 3.誤れる学問または後天的無知について。これが教育の完成に与える障碍について。 第1巻 教育は、人間の異なるにつれ必然的に異なっているが、これがおそらく精神の不平等の原因なのである。後者は今日まで身体諸器官の不平等な完成に帰着されてきたが。 第2巻 通常の人体構造をもつすべての人間は、精神に対し等しい素質をもっている。 第3巻 精神の不等性の原因について。 第4巻 通常の身体組織を具えた人間はすべて同一程度の情念をもちうる。かれらの不等な力は常に偶然がわれわれを置く地位の相違の結果であること。各人の独自の性格は(パスカルがそれを指摘するように)かれのはじめの習慣の産物にすぎないこと。 第5巻 感覚器官の不等な完成に精神の優劣性を帰着せしめる人たちの誤謬と矛盾。この問題についてはルソー氏より以上に良く書いた人はいないので、わたしの主張に例としてかれを用いる。 第6巻 無知の生みだす害悪について。無知は無気力を破壊するものではないこと。それは臣民の忠誠を確保しない。それはもっとも重要な問題を吟味せずに判断する。例として引用した奢侈の問題。これらの判断が時には国民を陥入れる不幸について。無知の保護者たちによって人々がもつ軽侮と憎悪について。 第7巻 国民の徳行と幸福は、その宗教の神聖さの結果ではなく、その法の英知の結果である。 第8巻 個人の幸福を構成するものについて。必然的にすべての個別的幸福から構成される国民的幸福を建設すべき基礎について。 第9巻 良い立法案を示すことの可能性について。その公表に対し無知が課する障害について。すべての新思想と、道徳・政治の深遠な研究に対し無知が投げかける嘲罵について。それが前提とする人間精神における変わりやすさ、この変わりやすさは良い法の持続と両立しえない。(無知の言い分を信ずれば、)新思想、とくに法の真の原理の表明が国家にもたらすべき危険について。道徳的、政治的真理の検討に対するひとびとのあまりにも不幸な無関心について。同一意見に対し、人がそれをいずれかと信ずることにもつ一時的な利益にしたがって与えられる、真偽の名について。 第10巻 教育の力について。それを改善する手段について、この学問の進歩に反対する障害について。これらの障害が取り除かれた時、優秀な教育案をたてることの容易さについて。 一般的結論 1.わたしの意見とロックの意見との類似を試験すること。 2.肉体的感受性の全重要性と拡がりを感ぜしめること。 3.唯物論、不敬虔の攻撃に答えること。これらの攻撃の不条理について。 4.啓発されたすべての道徳学者にとって、教会の有罪宣告を免れることの不可能について。 |