エルヴェシウス『精神論』の発禁事件
L'interdit de vente de l'Esprit d'Helvetius

 18世紀中葉のフランス思想史のなかでも重要なできごとの一つにエルヴェシウス『精神論』の公刊とその発売禁止、焚書事件がある。『精神論』公刊の前年にルイ15世暗殺未遂事件が起こり、これを機に王権側は反王権的思想への統制の動きを強めていたが、唯物論的内容をもつ『精神論』は、反宗教的という側面から一斉に攻撃され、発禁・焚書へと追い込まれるのである。すなわち、「エルヴェシウスは1758年、正規の検閲を受け、合法的に最初の著作『精神論』を出版した。しかし、この作品の露骨な反宗教的性格は弾圧を招かずにはいなかった。公的な文書だけでも、王権による出版許可の取り消し、パリ大司教クリストフ・ドゥ・ボーモンの教書、ローマ教皇クレメンス13世による非難、ソルボンヌによる検閲が次々と現れ、1759年には、高等法院により焚書の決定が下される。その間にも、フレロンの『文芸年鑑』、ジェズイットの『トレヴー』、ジャンセニストの『ヌーベル・エクレジアスティック』といった雑誌、ショメやゴシャといった神学者による非難が相次いだ。さらに、フィロゾーフ側のスポークスマンといってもよいグリムの『文芸通信』までエルヴェシウスを庇うどころか、批判する記事を掲載した。こうした一連の弾圧事件は、それが1759年の『百科全書』の二度目の危機のきっかけとなったことで、かねてから知られていたが、近年の研究の進展は、この『精神論』事件をとりまく問題の深さを徐々に明らかにしつつある」(森村敏己氏『名誉と快楽ーーエルヴェシウスの功利主義』、法政大学出版局、1993年、5ページ)という。
 森村氏は、続けてこの事件についての研究史を簡単に紹介しているが、以下では、当時出版統制局長をつとめていたマルゼルブについての木崎喜代治氏の評伝から、この事件の概要を抜き出してみる。

事件の概要
  「この年の最大の衝撃は、エルヴェシウスの『精神論』から生じた。『精神論』は、検閲人テルシエの承認をえて、特認つきで、1758年7月16日に公刊された。すでに発売前から、この著作は危険な思想をふくむという噂が流れていたので、テルシエは信用ある人物ではあったが、マルゼルブは調査にのりだし、公刊直前にもう一人の検閲人に再度検閲させようとしていた。エルヴェシウス自身は、積極的な抵抗を好まない温厚な大富豪であり、当初から、検閲人を全面的に信頼し、いかなる削除修正にも応じる旨をマルゼルブに伝えていた。しかし、再度の検閲がどの程度の改変を加えたかは明らかではないし、また、校了直前の校正刷に大幅な改変を加えることは技術的に困難でもあったろう。いずれにせよ、『精神論』は、現れるやいなや、たちまち非難の砲火をあびた。マルゼルブは、直ちに、この無神論的著作の特認取消の枢密院令の文案を作成したが、これは8月10日に布告された。この枢密院令には、本書の著者名も検閲人名も記載されておらず、これは、特認付出版物の特認取消の場合としては異例のことであった。そこには、おそらく、マルゼルブの配慮が働いているのであろう。
 (中略)
 エルヴェシウスもまた、自己批判書を公表して処罰をまぬかれた。しかも、一度はそれを書き直しさせられている。この自己批判書の内容もその書き直しも、あまりにも卑屈だと評されている。しかし、エルヴェシウスは、富者として、争いを好まなかった。おそらくかれは、信心深いと自認している当代の者たちに気に入るようにさせておくことによって、さしあたりかれらの関心の的になることを逃れ、未来の人間たちの判断に賭けたかったのである。なぜなら、エルヴェシウスは、あの自己批判書にもかかわらず、『精神論』と同じ原理に立ち、さらに論議を広く展開した『人間論』を書き残すからである。
 この事件の法律上の責任はだれにあるのであろうか。エルヴェシウスは、当初から、検閲人の一切の指示に従うと明言している以上、かれにすべての責任を負わせるわけにはいかない。おそらく、検閲人を指名したもの、すなわち形式的には大法官、実質的には出版統制局長が、その責任のかなりの部分を負わなければならないのであろうと思われる。しかし、実際に処罰の対象となったのは、大法官でも出版統制局長でもなく、検閲人と著者および出版者である。責任の所在の曖昧さは恐るべきものであり、結局、政府側ではなく、市民の側が罰せられるのである。一体、なんのために出版統制局が存在しているのかという疑問が生じたとしても当然である。そして、マルゼルブこそ、この疑問をもっとも痛切に抱き、現在の無責任の体系を改革しようとしたのであった。かれの『出版論』はこの目的のために書かれた。さしあたり、マルゼルブは、『精神論』を発禁処分にしたのち、全力をあげて、エルヴェシウスとテルシエに及ぼす被害を最小限度にとどめようと努めた。同時に、エルヴェシウスやその夫人宛ての私信をもって二人を慰め励ました。
 しかし、この『精神論』の余波は大きかった。しかも、『精神論』の出版人は、『百科全書』の共同出版人の一人であるデュランであった。こうして、『精神論』の事件を契機として『百科全書』への攻撃もいっそうその激しさを加えることになる。」(木崎喜代治氏『マルゼルブーーフランス18世紀の一貴族の肖像』、岩波書店、1986年、87〜90ページ)

 木崎氏の詳細な叙述を読むとわかるが、エルヴェシウス『精神論』の発禁事件は、王権による統制強化では説明できない要素をもっている。
 エルヴェシウスは王権(王妃)と近い人物で、王妃の比護を得て『精神論』を公刊している。これには統制局の特認がついている。『精神論』を反宗教的として批判したのは、教会と高等法院だが、この批判は王権に近い人物が危険思想を抱いていること、また王権がその公刊を認めているという反王権キャンペーンの意味が強かったのではないか。
 これに対して、王権としては教会および高等法院と徹底抗戦してエルヴェシウスをかばうという方向もありえたはずであるが、逆にルイ15世は、教会に妥協して著者エルヴェシウスを断罪する。これは結果的に統制業務に対する王権からの圧力と理解される。
 ともかく、王権および教会、高等法院が一元的にエルヴェシウスを断罪したのではない。

 なお、当問題については、J. Rogisterの研究 "Le gouvernement, le Parlement de Paris et l'attaque contre De l'esprit et l'Encyclopedie en 1759" Dix-huitieme sciecle, XI, 1979, pp. 321-354があるという(管理人未見)。森村敏己氏によれば、この研究は、「エルヴェシウスとテルシエを迫害から守ろうとしたマルゼルブの行動に、出版統制権をめぐる王権対高等法院という対立図式を見ていた従来の研究に意義を唱え、出版統制権をもつ大法官ラモワニョンと、その息子であり、出版統制を実際に担当していたマルゼルブとは、この事件に関しては王権の中でも孤立していた」という解釈を打ち出している(森村氏、上掲書5ページ)。
 



18世紀フランスの出版統制

エルヴェシウスの生涯と思想

『精神論』(目次と試訳)

『百科全書』