ジョン・ロックの生涯と思想

La vie et la pensee de John Locke

 ジョン・ロック John Locke (1632年−1704年)。イギリスの哲学者。デカルトにはじまる合理論の直観主義と物体観に反対し、経験論を主張した。
 イングランド南部のリントンに弁護士ジョン・ロックの長男として生まれる。少年時代のことはほとんどわからない。1647年にウエストミンスター・スクールに入学、1652年にオックスフォード大学に進学した。オックスフォードの学生時代から、医学にも関心をもっていた。
 ロックの学生時代は、ピューリタン革命と重なっている。大学卒業後、1660年に二編の政治権力論を執筆、その直後にオックスフォードのギリシア語講師に就任した。続く時期に八編の自然法論を執筆した。八編の表題(内容)は次のとおりである。
 1.道徳律、あるいは自然法はわれわれに与えられているか。与えられている。
 2.自然法は自然の光によって知ることができるか。知ることができる。
 3.自然法は人々の心のなかに刻みつけられているか。刻みつけられていない。
 4.理性は感覚をとおして自然法の認識に到達することができるか。到達することができる。
 5.自然法は人々のあいだの一般的同意から知られるであろうか。知られることはできない。
 6.人間は自然法によって拘束されているか。拘束されている。
 7.自然法の拘束力は永遠で普遍的であるか。永遠で普遍的である。
 8.各個人の利益は自然法の基礎であるか。そうではない。
 この頃から、政治・宗教理論としては、政教分離策と社会契約説をとっている。
 1665年、ブランデンブルク選帝候への外交使節を志し、オックスフォードを離れた。翌年の帰国後、医学の知識がもとになりアシュリー卿(後の初代シャフツベリー伯)の知遇を得、1667年からアシュリー卿の邸宅に居住する。この頃から、政治問題だけでなく、経済、植民地問題にも関心を広げる。また新たな友人とのあいだの議論がもとになり、1671年、後の『人間知性論』の構想を得た。
 アシュリー卿は政治的には反国王派で、このためロックも1683年にオランダに亡命、名誉革命(88年)にともない、新女王に選ばれたメアリとともに帰国した。帰国後、それまで執筆していた著作を次々に公刊して名声を得る。
 主著に『統治二論』Two Treatises of Goverment(1689年)、『人間知性論』An Essay concerning human understanding(1689年)。
 ヴォルテール、コンディヤックをはじめ、18世紀フランス思想界には、その信奉者が多い。

【参考文献】
『増補 ジョン・ロック研究』(田中正司著、未来社、1975年)
『ロック』(浜林正夫、研究社出版<イギリス思想叢書4>、1996年)
『ジョン・ロックの市民的世界ーー人格・知性・自然観』(三浦永光著、未来社、1997年)
『人格知識論の生成ーージョン・ロックの瞬間』(一ノ瀬正樹著、東京大学出版会、1997年)
『ロック所有論の再生』(森村進著、有斐閣、1997年)

 

『自然法論』

『人間知性論』

モリヌークス問題(感覚と認識について)

「17世紀人物誌」〜ロックの項