リシュタンベルジェ「18世紀社会主義」〜「マブリ」

2. 改革プラン(後半)

 貿易も警戒の的になる。貿易がもたらす不都合はすでに見た。貿易は立派な統治の精神と相いれない。商人には祖国などないから、古人が彼らを軽蔑したのは当然だ。貿易は奢侈と征服への好みを増す。だから、必要最低限度まで貿易を縮小すべきである。「貿易が欲求を増すのを防ぐ措置をとり、奢侈の伸張を阻み、堕落があらゆる国家にしのびこむ通路となった婦女子に対して慎重な警戒心をはたらかせ、すべてが自分のものだと本来思いがちな金持どもの野心に足枷をはめたら」(「アメリカ合衆国の統治と法の考察」)、将来の不幸を防止する手だてはほぼ尽くしたことになる。
 こうした措置はとりわけ、財産の不平等から来る不都合を防ぐためだが、ほかに、その不平等自体をへらすための措置がある。相続法は非常に重要だ。或る家の財産が別の家へ流れないようにすべきである。財産の売却と譲渡を禁止すべきである。遺言の自由も廃止される。「死ぬ者の財産は法律によって処分されます。動産を好きなように分配する自由が残されるとしても、それはもっぱら使用人の熱心と愛情に謝意を表し、金持にとって有害な富をいくらかでも貧困階級へ還流させるためなのです。」(「立法論」)何親等まで相続権を持てるかは、法で規定し制限する。たとえば一人娘の場合には、父親の財産の三分の一しか相続できず、養子の兄弟があと二人立てられるようにする。「相続人がない時は、財産が国家のものになるのではなく ― 国家は無私の模範を示さねばなりませんから ― その居住地の貧しい家々に均等に分配されるようにします。」(「立法論」)
 しかし、土地制限法によらないかぎり、不平等の悪弊にうちかつことはけっしてできない。ローマ共和国が崩壊したのは土地制限法を制定したからではなくて、それを破ったからである。あれは有益なものだったし、憤激の的であればこそますます必要性も高かった。国内に均衡と公平を保てるのはそれしかない。土地制限法は農業をそこないはしない。小さな相続地ほど耕作はゆきとどくから。貧乏人をいつも優遇すべきだとマブリは力説する。でないと、貧乏人には祖国がなくなり、国家を憎むことしかできなくなる。階級制度が支配する国では、各身分の世襲財産の額をきめることもできよう。「多くの国では、僧族の貧欲を防ぐため一種の土地制限法が施行されています。それに味をしめて、他の階級の貧欲をも防ぐため同種の法律を作り、公共の福祉をはかるとよかったのですが。」(「立法論」)農民の境遇が悪化したのは、金持がさかんに土地を買ったからである。
 市民が国外で産をなし、それを自国へ持ち帰るのは阻止すべきである。「ああいう巨富が生まれるのを防ぐ手段をなんとかしてみつけたまえ」、と彼はポーランド人に言う。相続した土地が多くなければ、地主も自分で耕さざるをえない。「下層民と呼ばれるあの多数者の利益について、あまりにも関心が払われていません。」(「立法論」)貧しい者にも自己の尊厳を知らさねばなるまい。みんな貧乏人を辱しめ、お偉方の虚栄心にへつらっている。人を愚鈍化するあの窮乏から彼らを引き出すべきである。物乞いは統治の不名誉で、それを弱める要因となる。金持ちがする施しも悪の埋め合わせにはならない。「金持の悪徳が貧乏人の悪徳を利用するのがおいやなら、貧乏を追放することです。」(「立法論」)貧乏人の境遇はとりわけ農業の進歩によって改善される。「職人はもっぱら金持から貰う賃金で生活します。、、、働くことはどうしても、その心を卑しくせざるをえません」、とフォシオンは言う。しかし、「労働が各自にしかるべき生活の資を与え、働きものの父親が一家ともども餓死することがないような秩序は、容易にうちたてられ」るし、要求していいのである。
 万人の生活を保証することは政府の絶対の義務である。だからマブリは小麦の取引についての小冊子をものした。その自由化に反対するネッケルの論拠がそこでは強力にとりあげられている。地主を豊かにすると称して皆を破滅させるのは馬鹿げている、とマブリは言う。買い手が少なければ、地主にも得にはなるまい。農業を末ながく栄えさせようと思ったら、まず非生産階級に安楽な生活を保証すべきだろう。そうすれば、農業生産を刺激するほどその消費がふえるはずである。
 どんな必要も食うことほど差し迫っていないから、小麦は他の品物とは別格に扱わねばならない。小麦の取引が自由だと、買占め人が値段をできるだけ釣り上げようとして大量のストックをする。わずかな利潤で彼らは満足するだろうなどと重農学派は言うけれども、貧欲がそうはさせない。小麦の取引は本来、些少の利益に甘んじて買占めなどやれない耕作者や借地農だけがすべきである。現状はそうではない。各地方に公設穀物倉を設けるといい。値上がりした時は、民衆の不安を静めるためそこから小麦を放出する。局地的な飢饉の際は、穀物倉同士で貸し借りをする。穀物倉の管理は地方長官がするより、市町村の吏員がしたほうがいい。貧乏人から相続財産を剥ぎとった上その労働までも搾取する金持の利己的な苦情など聞いてはいけない。あの連中が穀物の価格を上げて得をするのは、賃金を新しい価格に応じて上げないという不正を犯しているからにすぎない。やがては人口がへり、彼らの利潤も消えてなくなる。彼らが今まで支配したように、今度は社会全部の窮乏が彼らを支配するからである。小麦を海外へ売って金を流入させてもなにもならない。国民一般の徳がそれで向上するわけではない。海外貿易がいいことだとしても、穀物の輸出は禁止すべきだ。安い労働力、つまりは食糧の低価格があってこそ、貿易も初めてさかんになる。地主がもっと多く、賃金だけで暮らす人がいない国では、穀物取引を今より自由にできるだろうが、この国ではそうはいかない。
 それは所有権の侵害にはならない。道理にかなった法をうちたて貧欲に足枷をはめることが所有権の侵害とはおかしな話だ。「金持が財産を享受する条件をきめ、貧乏人をしいたげるのを防ぐ権利が健全な政治にないと言うほど道理を知らぬ人間がどこにいようか。」(「穀物取引について」)
  民衆にしてやれるのは、生活を保証し、豊かになる手段を提供することだけだ。生活条件からしてあらゆる情念のとりこになりやすく、本当の独立性など持たない者に政治的権利を与えるのは、軽率以外の何物でもない。マブリがアメリカの各共和国<州>にする忠告は、みな財産の不平等 ― アメリカにもそれが起こるのを心配している ― という問題から発している。立派な法でも平等がなければ有害な場合がある。たとえば選挙権。その点ではたいへんリベラルで、非常な平等を前提としているペンシルヴァニアの法律に、マブリは不安を感じる。習俗が完璧でない時は、民主制は危険なのだ。だから、ペンシルヴァニアほどリベラルでないマサチューセッツの立法のほうが彼には公正に見える。貿易は富をもたらして、悪い結果を生むだろう。非常な不平等がある自由な国家では、民衆が無力な嫉妬を燃やすことは避けがたい。金持が財産を悪用するのを防ぐため、調停的な法律を作らねばならない。 
  マブリの政治理論は全部、財貨の不平等という問題と関連している。バランス・オブ・パワーよりも、マブリは混合政体を好む。市民たちが財産の不平等にもかかわらず自然的な平等に接近でき、情念が互にチェックしあうため、社会を作った目的である安全を享受できるのは、混合政体を措いてないからだ。公教育は不可欠で、それなしには良俗と共同精神を子供に教えこむことはできない。
 こうした施策の全体によって、幸福が地上にふたたび花咲くのを期待できる。もちろん、それが苛酷で苦痛を与えることもあるだろう。所有は多くの悪を生み出したので、立法者は野蛮であるようにほとんど強制されている。それでも、こうした規則は少なくとも部分的には採用できるだろう。ローマ人もスパルタ人も、同種の立法を課せられた時は、私たちと同じ悪徳をもっていた。巧みで辛抱づよい人なら、この仕事をおそらくやってのけられよう。ただ、この立法は完璧ではないし、そこから生じる幸福も完全ではない。個人所有を許した以上、悪徳の芽は残されているからだ。
 これがマブリの社会理論である。たぶんこの人は、十八世紀社会主義が多くの場合呈した形をもっとも顕著に示した例であろう。それは幸福の哲学と功利主義的道徳に立脚し、古代に対する誤解の上に成り立った一つの道徳理論なのである。第四階級の苦しみと救済策を厳密にしらべることなどいさぎよしとせず、その苦しみも人間の退化を示す論拠としてもっぱら用い、救済策も人間を初源的な運命へ引き戻せるものとしてしかとりあげない。こういう逆行的な理論には近代精神など無きにひとしい。それにルソーの影響も明らかである。
 モレリルソー、マブリという三人の社会主義者を並べてみると、非常な類似性があることがわかる。この三人の道徳はみな同じで、所有権への攻撃も同一の理論から発している。ルソーは社会を悪しきもの、所有権と不可分なものとする。マブリとモレリは反対に、少なくとも過去においては共産主義社会が可能だったと判断し、とりわけ所有制度に攻撃を浴びせる。したがって、この二人のペシミズムはルソーのペシミズムほど十全でないし、否定的な見地からすれば彼らの批判はルソーの批判ほど激しくない。逆に肯定的な見地からすれば、この二人はルソーよりまさっている。ルソーは一切の社会、一切の文明を悪と見るから、なんにでもきく万能薬や単なる美辞麗句しか提供できない。マブリはその長大な立法体系によって、古代共和国と似た文明状態へ人間を引き戻すことが厳密には可能であると考えた。そしてモレリだけが、文明の恩恵を受け入れ、それをおそらく共産主義社会と両立しうるものと判断した。思い描く社会は今は無理だと考えたにせよ、とにかく大胆にその見取り図を書き、そういう社会ができることも将来は可能だと信じた。社会主義の発展史という角度から見て、モレリが他の二人よりはるかにまさっているのはそのためだ。もちろん、モレリの体系は不完全で実行不可能ではあるが、次の世紀の多くの改革者がたどるべき道をはっきり示していたのである。

 

  

「18世紀社会主義」扉

1 社会批判

     2 改革プラン(前半)

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