歴史学の逆説ーーマブリ論のための新視点
Un paradoxe de l'histoire -- Nouveau point de vue pour discuter Mably
| 18世紀の思想家のなかでも、マブリほど当時の評価と現代の忘却のあいだの隔たりが大きい例は少ないのではないか。 小サイトに記した彼の著作リストからもわかるように、マブリは古代ローマ社会とフランス社会の比較論(「統治からみたローマ人とフランス人の平行関係」)から出発し、ギリシア史、ローマ史、フランス史の著述を数多く残している。未来のフランス国王を予定されていたパルマ大公のために「歴史研究」(1775年)を書くなど、彼の歴史学の知見は、18世紀当時第一級のものとみなされていた。実際、18世紀において、古代の歴史家の著述に関するマブリの知識はほとんど比肩する者がないほどであった。 彼の、法律論も政治論も、基本的にはこうした歴史的考察から生まれてくる。 歴史学をとおしたマブリの結論は、18世紀フランスは進歩するどころか逆に誤った方向に進んでいるというものであり、歴史学者としての立場から、古代を範にとって18世紀社会に警鐘を発し続けた。 当時のフランス社会にマブリの警告を受け入れる余地があったかどうかは別にして、分割直前のポーランド貴族やイギリスからの独立戦争さなかのアメリカ人、さらにはフランス革命期の平等派がマブリに有効な統治プランを期待したのは、マブリの思想がもっていた学問的実証性の高さによるものであったといっていい。 この点で、リシュタンベルジェによってユートピア的社会主義者に分類されたルソー、モレリとは、強烈な社会批判という結論は似ていても、かなり異なる発想をした思想家であったと思う。 しかしながら、マブリの歴史記述が古代の歴史家の著作を博捜して得たものであったというところに、18世紀の思想家としてのマブリの特徴とその後彼の著作が急激に忘れられていった大きな要因がある。 すなわち、19世紀になって実証史学が起こり、また歴史学のなかに階級制の概念が導入されてくると、マブリが社会批判の基礎とした歴史的説明は支配者階級に属する人間によって記された一面的なものとして根底から基盤を覆され、社会批判の有効性そのものが失われていくのである。歴史的事実のもつ一回性の主張も、歴史的事実の再帰性とそれゆえの過去モデルの有効性を説くマブリの主張には大きな打撃となった。 この時点でルソー、モレリとマブリの評価は逆転してしまう。 しかし、こうした結果的な観点から遡及してマブリの学説を批判するのは不当であろう。 マブリの社会批判が限界をもつものであったということは事実にしても、マブリの著作をとおして、われわれはその限界とはなんであったのかを知ることができる。つまり、マブリは18世紀の文献史学の頂点に立つと同時に、そのことによって、歴史学のあり方そのものが同時代の社会によって限定されるものであることを示している典型的な思想家なのである。 さて、ミッシェル・フーコーの「言葉と物」によって、ヨーロッパの18世紀思想と19世紀思想の間に横たわるのは巨大な知の断絶であり、18世紀以前の学問も19世紀以降の学問も、それぞれの社会のなかで自己完結した体系であるということが明らかにされたが、とすれば、マブリの思想は、そうした枠組みのなかで「歴史学」がどのように位置付けられるべきかを明らかにしてくれる好例ではないかと考える。 またその意味で、マブリが1783年に「歴史の書き方」というメタ歴史学の著述を残しているのは興味深い。 過去の社会批判の有効性を問うという性急な束縛から自由になったとき、われわれは新たな視点からもう一度、18世紀の歴史学、政治学、法律学のもつ意味を問い直すことができる。 こうした点からすれば、マブリはすでに乗り越えられてしまった思想家などではなく、読まれるのを待っている巨大な思想家なのである。 |
| 2003・4・21 |