芭蕉 「笈の小文」の旅
Voyage d'<Oi no Kobumi> de Basho
| 1687年(貞亨四年)10月、芭蕉は、 旅人と我名よばれん初しぐれ の句を残し江戸を発つ。故郷伊賀への旅だ。以下、紀行文「笈の小文」によれば、11月には名古屋に着き、ここで足を戻し、三河国に、若い門人・杜国を訪ねた。三河に一週間ほど滞在して詠んだ句が、 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき 杜国への思い入れの深さがわかる。 そもそも芭蕉と杜国が初めて会ったのは1683年(貞亨元年)。「野ざらし紀行」の旅の途中に名古屋に立ち寄り連句を詠んだとき、米穀商の若旦那・杜国も名を連ねていた。その後杜国は名古屋を追放され、渥美半島の先端・保美に閉居していたのだ。 さて1688年(貞亨五年)2月、杜国は伊勢に芭蕉を訪ね、ともに旅寝をしたいと吉野の花見への同行を申し入れる。しかも、旅のあいだ自分は万菊丸と童児名を名乗るという。男同士二人の旅に風雅を添えたいという杜国の趣向に、「まことにわらべらしき名のさま、いと興あり」と芭蕉も喜んだ。 かくて門出に、 よし野にて桜見せふぞ檜の木立 芭蕉 よし野にて我も見せふぞ檜の木立 万菊丸 また高野山では、 ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 芭蕉 ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊丸 などの句を残す。この旅がよほど楽しかったのであろう。芭蕉は旅ののちも杜国を万菊丸と呼んでいる。 1690年(元禄三年)正月には、「なぜ便りもよこさないのだ。病気でもしているのではないか」と安否を尋ね、自分の近作を紹介しているが、その春、杜国は他界した。享年30歳前後と推定される。 翌年4月、芭蕉は「嵯峨日記」のなかに、「夢に杜国を思いだし、涙で目が覚めた。自分の夢に比べれば、荘子の胡蝶の夢の話も妙をつくさない」と記している。 |
| 1994年2月(初出「別冊宝島EX」) |