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【本書の内容】 本書は二部からなり、全44章のうちの最初の9章が第一部を構成し、残りの35章が第二部にまとめられている。 第一部は「秩序の理論」に充てられ、人間の本性と社交性、正義、自由、社会的秩序、自明性など、メルシエ・ド・ラ・リヴィエールの思想の理論的な基礎となっている抽象的哲学的な問題が論じられている。第二部は「実際に適用された秩序」と題され、国家の形態や統治、法制度、経済と財政など、より実践的な領域が扱われている。 この著作において中心的な位置づけを与えられている「秩序」という概念は第4章で次のように定義されている。「私が「本質的な秩序」と呼ぶものは一般的に言って、手段の連鎖であり、それなしでは定められた目的を果たすことができないものである。」そのような一般的な意味での秩序に続いて、社会にとっての秩序が説明される。「すべての個別的社会にとっての本質的秩序は相互的な義務と権利の秩序であり、人類に最大限の幸福の総和と最大限の人口増加がもたらされるように、産物を最大限に増加させるためにその秩序を確立することが本質的に必要なのである。」またこれに先立つ最初の3章では、人類が社会を形成して生活するように定められていること、人間の生存のためには所有が不可欠であることなどが論じられ、それを踏まえて、第4章の後半では所有権がすべての権利と義務の第一の源泉であると主張される。続く数章では社会における自由が取り上げられ、それも所有権の一分野であること、社会秩序は自然の秩序の一部であることが論じられている。そして第一部の最後の第8章と第9章では自然の秩序の普及には公教育が必要であること、そして迷妄や誤謬を打破するには自明の真理evidenceが唯一の手段であること、最良の社会秩序を知るには自明の真理をたどる以外に方法がないことが主張されている。 第二部は主として三つの領域にわたっている。まず一つ法と司法制度であり(第11−第13章)、第二は主権とその行使(第14−第26章)、そして第三の分野は「秩序についての自明な知識を普及させ持続させるための諸制度の目的」と題されているものの、財政、税制、商業など経済的な問題が内容の大部分を占めている(第27−第43章)。 第一の分野では、自然法と実定法の区別、法が社会にとって不可欠であること、司法制度の必要性、司法権と立法権の分離の必要性などが論じられている。ただ、ここでは実定法は単に「義務と権利の表明」と定義され、「国民の一般意思の表現」というのちに書かれた「幸福な国民」での定義はまだ見られない。 第二の分野は主として統治形態を扱っているが、その中心をなすのは本書を有名にした「合法的専制despotisme legal」という概念である。メルシエ・ド・ラ・リヴィエールによれば、立法権は一人の者によってしか行使されえず、国民全体が立法者となることもできない(第16章)。また、国家の守護的権力は不可分のものであり(第17章)、執行権も唯一人の者によってしか行使されえない(第18章)。そこで相続による君主制が提唱され、その君主は国土による収入について、国民と共同所有者であるとされる(第19章)。第22章から第26章にかけて、恣意的専制despotisme arbitraireとの対比において合法的専制の理論が展開される。メルシエ・ド・ラ・リヴィエールによれば、人間にとっては自明の真理によって啓蒙されるか無知や誤謬に支配されるかのいずれかしかなく、それらは二種類の専制に対応している。合法的専制は本質的秩序の法の自明性を基礎としているのに対して、恣意的専制は世論(=ドクサ)によって作られ、無知によって引き起こされるあらゆる混乱を招く。さらに、恣意的専制がその弊害によって国家の破滅を招き君主自身の利害に反するのに対して、合法的専制君主は法に則って統治することによって国家に繁栄をもたらすだけでなく自分自身の幸福も実現することになる。 第三の分野では重農学派の経済と財政に関する思想が展開され、所有地からの収入に基づく単一税の構想など、『幸福な国民』の最後の数章で述べられている思想がすでに見られる。ただ、『政治社会の自然的・本質的秩序』では君主と国民が国土の共同所有であるという思想を前提として議論が進められているのに対して、『幸福な国民』ではそのような理論は表明されていない。 (以上の内容紹介は、固有名詞の表記等を一部変更したほか、『幸福な国民』<ユートピア旅行記叢書15所収>につけられた増田真氏の解説の、ほぼそのままの引用である。) |