古典古代人物誌

〜近代知確立のモデルとして


Lexique des personnages d'antiquite
comme modeles pour etablir les pensees de 17e et 18e siecles

以下に掲げるギリシア、ローマの人名は、古典古代期の人物紹介として完全をめざしたものではなく、17〜8世紀の文献に引用される人物の事跡を簡単に記したものであり、いわば、近代ヨーロッパの知性がどのように人物をモデルとして彼らの「知」を組み立てようとしていたかを知るための手引きをめざしたものです。重要な人物の紹介が少なからず欠けておりますので、ご参照になる際、ご注意ください。

アリステイデス
Aristeides
 (紀元前520年頃−同468年頃)
 古代ギリシア、アテナイの政治家、軍人。 小アジアやエーゲ海の諸都市に対するアテナイの主導権を確立し、 <民主制>下のアテナイに繁栄をもたらした。マラトンの戦い、サラミスの海戦、 プラタイアイの戦いなどで活躍したが、政争の影響で、一時陶片追放にもあっている。 紀元前477年に成立したデロス同盟では、加盟都市の割当金を公平に配分して称賛された。 のちに「正義の人」と呼ばれるようになる。

キケロ
Marcus Tullius Cicero (紀元前106年−同43年)
 古代ローマ共和制末期の政治家、文人。アントニウスと対立し、アントニウス、オクタヴィアヌス、レピドゥスの三頭政治成立に際し、殺害された。
 思想家としては、新アカデメイア派やストア派の哲学を学び、それを自己なりに咀嚼してラテン世界に移植した。キケロの思想にはオリジナルはなく折衷的だという批判もあるが、政治の実務に携わる者としてそれらのギリシア的思弁をどう受け止め、表現していくかという問題に取り組んだともいえる。断片として伝わる「国家について」「法律について」では、プラトンの「国家論」「法律論」を強く意識したうえで、ローマ共和制の転換期という枠のなかで、それを現実にどう反映していくかという視点がみられる。
 雄弁家として、数々の法廷弁論等も残している。
【日本語テクスト】
キケロー選集(岩波書店)

ソロン
Solon (紀元前640年頃−同560年頃)
 古代ギリシアの政治家。紀元前594年または同593年にアルコン(執政官)となり、借財を帳消しにして経済的な理由から生じていたアテナイ市民間の不平等・隷属化を是正し、市政を改革した。ソロンの改革の要点は、以後市民が身体を抵当にして借財することを禁じて市民の隷属化を防ぎ、またその財産に応じて市民を4階級に分け、それぞれの政治的役割を定めたことなどであった。また小麦の輸出、贅沢なども禁止したとされる。彼の改革は、貴族と平民の対立を調停することに主眼をおいたもので、ギリシア史上、調停者と呼ばれる。ただし、土地改革の不徹底などから、実際には貴族派と平民派をともに満足させることはできなかった。

トラシュブロス
Trasybulos (紀元前5〜4世紀)
 古代ギリシア、アテナイの政治家、軍人。アテナイが敗北したペロポネソス戦争(紀元前431年〜同404年)後にアテナイに樹立された寡頭政治(30人僣主制)打倒に活躍。僣主の一人クリティアスを戦死させた。

フィリッポス2世
Philippos 2
 (紀元前382年−同336年)
 マケドニア王(在位=紀元前359年−同336年)、アレクサンドロス大王の父。 軍制や戦術を改革し、また隣接地帯の併合、金鉱獲得などの政策で、古代ギリシアでは北辺の後進地帯とみなされていたマケドニアを、 一気に有力国の地位に押し上げた。紀元前354年以降はギリシア本土の政治状況にも介入し、アテナイと対立した。 紀元前338年には、古代ポリス世界全体の自由と独立を賭けて同盟したアテナイ・テーバイの連合軍をカイロネイアで破り、 ギリシアへの覇権を確立した。その後、全ギリシアを結集しての対ペルシア戦争を決議したが、その実行を目前にして暗殺された。 マブリのフォシオンが言及する「フィリッポスが彼らの城門まで進軍したとき」とは、紀元前338年の事態をさす。

フォシオン(フォーキオーンまたはフォキオン)
Phokion/Phocion
 (紀元前402年頃−紀元前318年頃)
 フォーキオーン。古代アテナイ民主制最末期の軍人、弁論家。フォシオンはそのフランス読み。アカデメイアーにおけるプラトンの弟子で、クセノクラテスの友人だった。衆愚政治に反対し、貴族制派と目されていたが、その実直ぶりは異彩を放っていた。ソクラテス同様民衆に誤解され、最後は毒をあおいだ。マブリの『フォーキオンの対話篇』は、プラトン風の対話篇となっている。 『フォーキオン対話篇』や『情念の歩みについて』でのマブリの情念の分類や、国民階級の分類は、経済や社会背景に基づく近代的な分類の原型というよりは、プラトンの魂3部分説や国民3部分説の焼きなおしとみるのが妥当であろう。
 なお、古典主義の画家ニコラ・プッサンNicolas Poussin(1594年−1665年)が「フォシオンの葬送」「フォシオンの遺灰を集める寡婦」の2枚の作品を残しており、両作品は「Web Gallery of Art」で見ることができる。
【参照】フォーキオン(「凱水庵」サイト内)

ラクタンティウス
Lucius Caecilius Firmianus Lactantius (240年頃−320/330年頃)
 キリスト教の教父。キケロ、ルクレティウス、ウェルギリウスなどの作品からの断片を引用した雄弁で修辞的な著作を多く残した。主著「神聖な教理」Divinae institutiones(313年完)。他に「迫害者の死について」De mortibus persecutorum(318年頃)、「神の怒りについて」De ira Dei(314年)など。
 なお、キケロの「国家について」(De re publica)は、古典古代にテクストが失われ、マブリが「市民の権利・義務について」の緒言で引用しているテクストは、直接的にはラクタンティウス「神聖な教理」第6巻8−9から引かれている。

リュクルゴス
Lykourgos
 (紀元前8世紀頃)
 古代スパルタの伝説的立法者。リュクルゴスおよびスパルタの政体に対する称讃はすでにプラトンにみられ、プルタルコスがそれを引き継いだ。
 近代ではまずマキャヴェリが「ローマ史論」のなかでリュクルゴスを高く評価している。その後、リュクルゴスをもっとも高く評価したのが、マブリとルソーといえる。

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