| 18世紀中葉のフランスにおける出版統制がどのように行われていたか、以下、木崎喜代治氏の著作「マルゼルブーーフランス18世紀の一貴族の肖像」(岩波書店、1986年)のなかから、いくつかの項目にそってその記述を抜き出し、紹介してみたい。木崎氏の記述の引用に際しては、引用者の判断により前後関係を入れ替えたり、言葉を補足・削除した個所があり、正確な表現は、木崎氏の著作で直接確認していただきたい。またこうした理由から、引用ページは入れていないが、その非礼はお許しいただきたい。 【フランスにおける出版統制の歴史的概観】 フランスにおける出版と国政のかかわりは中世にさかのぼり、1275年にはじめて出版関係法が制定されている。これは学生の勉学の保護のために書店主にいくつかの条件を課したものだが、印刷技術の発達、宗教論争の激化とともに、出版統制の動きが出てくる。これを体系化したのはルイ14世で、一切の書物は大法官の印璽なくしては公刊しえないという原則を堅持しようとした。ルイ14世が確立した出版統制機構は、その後若干の変容を蒙りつつも、ほぼそのまま18世紀の中葉まで維持され、18世紀の後半において急速に空洞化する。 【出版統制局】 王立のリブレリー(Librairie)の機能の一部。通常、国璽尚書(国王の印璽を預かり、しばしば国王の代わりに署名する)の下に属し、国璽尚書の職務の一部を、かれの責任において委任されている一部局。正式な国家機関ではなく、出版統制局の活動を規定する特定の法律は存在しない。また出版統制局長(Directeur de la Librairie)は無報酬。この職は国璽尚書の親類縁者に委ねられるのが慣例。出版統制局の業務とは習慣的に行われていたものであり、どのような業務を行うかは、統制局長もしくは国璽尚書の個人的な資質や裁量に負う部分が大きい。 なおマルゼルブの時代は、出版統制局は大法官(通常は国璽尚書と同一人物)に委ねられ、マルゼルブの父ギヨーム・ド・ラモワニョンが大法官であったところから、マルゼルブが統制局長を務めた。 【検閲人】 検閲人は大法官によって任命される。彼らは官吏ではなく私人として無給で検閲を行う。ただし検閲人を20年間努めることで年金が与えられた。常任の検閲人の他に、検閲する著作の内容に応じて臨時の検閲人が選任された。 検閲人は注意深く原稿を検討し、その各ページに読んだことを示すサインをしなくてはならない。検閲人は原稿に削除、修正、さらに加筆さえ指示することができるが、その場合もその個所にサインをする。かれはまた、原稿提出者と協議して原稿の修正などをおこなうことができる。 原稿を読了した検閲人は、局長に原稿を返却するとともに、報告書を提出し、いかなる種類の認可が適切であるかを説明する。この報告書は2ページ程度のものが多いが、10ページを越えるものもあった。出版統制局長は、この検閲人の報告にもとづいて、最終決定をくだし、原稿提出者に通知する。 さいごに、検閲人は、公刊され納本された書物が、原稿に忠実に印刷されているか否かを再確認した。 【認可】 出版統制局長がある著作の出版を許可する場合、ふつうには認可(permission)を与える。 【特認】 原稿提出者は、特認(privilege)を求めることができる。初期においては、ふつう認可と特認は合わせて与えられ、それは印刷人の著作出版権をなしていた。著者に著作権は存在していなかった。しかし、のちになると独占的出版権としての特認が独立することになる。許可はたんに、その出版にたいして出版統制局が異議をとなえないことを約束するのに反して、特認は、一定期間その出版物の独占的な印刷と販売を許可するものである。したがって、同一原稿が二人以上の印刷人から提出された場合、双方にたいして認可を与えることがありうるが、特認はただ一人にしか与えられない。これは、辞典などのように大量の資金をあらかじめ投入することを要し、しかも不当な競争者が現れやすい企画にたいして特に与えられた。 【黙許】 法律の文面に従うかぎり、出版許可を与えうるものとしては、大法官の印璽を伴う認可しか存在しない。しかし、現実には、そのほかになお、黙許(permission tacite)と称せられる許可方法があった。正式の認可と黙許との差は、黙許には大法官の印璽が与えられず、また検閲人の承認書がその書物に印刷されない点にある。しかし黙許もまた一種の認可であり、黙許本とはけっして印刷人が無断で印刷した書物ではない。 木崎氏は、この制度はまずはじめに事前検閲が不可能な輸入本に適用され、それがのちに国内本にたいしても適用されたのであろうと推定している。 正式の認可と黙許のどちらを選ぶかはもちろん印刷申請人の自由であったが、他方、検閲人もまた、正式の認可が困難であると判断した場合は、黙許を勧告することができた。さらにまた、検閲人は自分の個人的立場から黙許を勧めることがあった。というのも、検閲人もまた、その友人や敵にとりかこまれているわけであり、ある著作の承認または拒否によってひきおこされるかも知れない非難をできるだけ回避しようとするからである。 いずれにしても、黙許とは、国内外のさまざまな書物の流通を前提に、認可制度を現実に適合させようとすることからくる制度化されない制度であった。 【黙認】 黙許よりもさらに大きい違法行為が、もう一つの出版許可形式でおこなわれていた。それは、マルゼルブが地下許可(permission clandestine)または単なる見のがし(simple tolerance)と呼んでいるものであり、文字通りの黙認である。したがって、文書による証拠はまったく残らず、ただ口頭で、「秘かに出版販売されるかぎり、警察がみずから摘発することはない」と約束されるだけである。その場合に、著作の扉に外国の出版地を表記するようにとの示唆さえおこなわれた。 黙認においては、ひそかに出版販売されるという条件が大切であり、公然と売られれば、パルルマン(高等法院)や大司教が抗議し、こうして警察も動き出さざるをえなくなる。その場合、奇怪なことに、警察は摘発にさいして事前通告をする約束をおこなっている。印刷人は、したがって、摘発のまえに在庫品を隠すことができる。 【権力の介入】 出版を規制するものとしては、国王権力のもとにある出版統制局のほかに、パルルマン(高等法院)、パリ大司教、ソルボンヌなどの権力があり、さらに王妃や王太子さえ一定の介入をなしうるほどであった。それに、出版統制局長さえ、しばしば、その直属の上司たる国王あるいは大法官の意志とは独立に行動することがあった。これらの諸権力の対立のなかで最大のものは、王権とパルルマンと大司教との三者間にあり、これら三者の見解はしばしば互いに正面から対立さえしていた。したがって、これらのうちの一者が保護している著作を他の一者が発禁処分にすることもあり、さらに、各派がそれぞれに秘密の地下出版所を維持し、互いに相手側の刊行した文書を不法あるいは異端なるものとして非難攻撃し合っていた。 バルルマンの判決はしばしば厳しかった。したがって、出版統制局長や警視総監が、有害文書の著者や印刷人を寛大に取扱いたいと考える場合には、パルルマンよりも先に手をうち、この著者や印刷人を逮捕投獄しておき、数か月後、パルルマンの熱のさめたのちに釈放するのがつねであった。 【焚書】 非合法文書の焚書も依然としておこなわれていたが、それはただ一冊の書物を裁判所の正面で焼くだけの象徴的行為にとどまっていた。 |