ルソー「人間不平等起源論」の抜き書き
Extraits de <Discours sur l'origine de l'inegalite parmi les hommes>
de Rousseau
| あまりにも有名な「人間不平等起源論」だが、以下にその抜き書きを掲げる(原好男氏訳:「ルソー全集」第4巻より、白水社、1978年)。ルソー同様「自然」を重視しながら、そこからまったく異なる結論を導き出すドルバックによる社会の起源との比較なども一興だろう。 【序文】 残酷なことは、人類のあらゆる進歩は、人類をたえずその原初の状態から遠ざけ、われわれが新たな知識を蓄積すればするほど、あらゆる知識のなかでもっとも重要な知識を得る手段が奪われることであり、ある意味では、あまりにも人間を研究するために、人間を知りえなくなったということである。 容易にわかることであるが、人間の構造の次々に起こるこうした変化のなかに、人々を区別する差異の最初の起源を求めなければならず、われわれが気づいている多様性がいくつかの種に、さまざまな肉体的原因によって導入されるまえには、それぞれの種の動物が平等であるのと同じように、人間が本来おたがいに平等であることは一般に認められている。じっさい、こうした最初の変化が、どんな方法で起こったにせよ、まったく同時に同じように種のすべての個体を変化させたとは考えられないが、あるものがよくなったり悪くなったりして、その本性に固有のものではなかったさまざまの善悪いずれかの性質を獲得し、ほかのものはもっと長くその根源の状態にとどまっていたのである。こうしたことが、人間のなかでは、不平等の最初の源であったので、このように一般的に証明するほうが、その本当の原因を正確に決めるよりも容易である。 【本文】 …人間は自由で独立していたのに(さまざまな技術の発明や私有の発生とともに[引用者補足])、いまや無数の新しい欲求によって、いわば自然全体に、とりわけ、同胞の支配者となりながらも、ある意味ではその奴隷となり、同胞たちに屈従し、金持であれば同胞の奉仕が必要であり、貧しければその援助が必要であり、ほどほどであっても同胞なしではすませないのである。それゆえ、人間は、たえず同胞たちから自分の運命に関心を持ってもらえるように、現実であれ見せかけであれ、その人の利益のために働くことに自分たちの利益が見出してもらえるように努めなければならず、そのために、ある人々に対してはずる賢くなり、ほかの人々に対しては横柄で冷酷になり、自分が必要とするすべての人々から恐れられなかったり、その人々に役に立つように奉仕しても自分の利益にならないときには、どうしても欺かざるをえなくなるのである。けっきょく、むさぼりつくす野心、真の欲求というよりも他人の上に立ちたいために、自分の相対的な財産をふやそうという熱意は、おたがいに危害を加えあうという陰険な傾向と、もっとも確実に成功を収めるためにしばしば好意の仮面をつけているだけに、ますます危険なひそかな嫉妬心をあらゆる人間に呼びさましたのである。要するに、一方では競争と対抗心、他方では利害の対立、そしてつねに他人を犠牲にして自分の利益を得ようという欲望、これらすべての悪は私有の最初の結果であり、生まれたばかりの不平等から切り離すことのできない付随物であった。 【結論】 不平等は自然状態ではほとんど無であり、その力と増大は、われわれの能力の発達および人間精神の進歩からひきだされるものであり、所有権と法律が確立することによってついには安定し合法的なものとなることである。さらに、実定法のみによって認められている倫理的不平等が、それが肉体的不平等と釣合っていないときには、いつも自然権に反しているということになる。この区別は、文明化したすべての人民のあいだを支配しているような種類の不平等について、どう考えなければならないかを十分に決めてくれるものである。というのも、自然法をどのように定義するとしても、子供が老人に命令したり、愚かな人が賢い人を指導したり、多くの飢えた人々が必要なものにこと欠くというのに、一握りの人々が余分なもので満ちあふれているということは、明らかに自然法に反しているからである。 |
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