サドとエルヴェシウス(『悪徳の栄え』より)
サド侯爵の『悪徳の栄え』(1797年)から、同時代の思想家で、無神論者・唯物論者として知られていたエルヴェシウスに言及している部分を以下に抜き出しておく。この文章
は、『悪徳の栄え』の主人公であるジュリエットがローマで出会った市内警察の頭目ギイジ<彼は残虐趣味を満足されることと私服を肥やすことを狙って、ローマ市内の施療院に放火し、収容されている貧民を焼き殺す>に仮託されているもので、ギイジの情欲論の一部である。短いフレーズではあるが、サドが先人からどのような影響を受けて思想形成していったかを伺わせる箇所であろう。
|
| 「ある人は情欲というものを激しく弾劾し、法律によってこれを縛ろうとする。しかし、この二つを比較してみるがいい。そして情欲と法律と、どちらがより多く人間を幸福にしたか、考えてみるがいい。疑うべくもなく、エルヴェシウスの言ったように、情欲の精神におけるは、なお運動の肉体におけるがごとくなのだ。発明や芸術上の傑作が生れるのも、一にこれ激しい情欲の賜物でしかない。情欲は精神の実り多き胚種、偉大な行為の力強い原動力と見做されねばならない、と同じ作家が言っている。激しい情欲に動かされない人間は、凡庸な存在でしかないだろう。偉大な人間を生むことが出来るのは、偉大な情欲のみであろう。人間は情熱的でなくなるや、情熱的であることを止めるや、たちまち鈍物になってしまう。」(『続・悪徳の栄え』〜「ロオマの大饗宴」、澁澤龍彦訳、現代思潮社、1959年、64-5頁) |

サド侯爵(「18世紀人物詩」)
エルヴェシウスの生涯と思想