スピノザとレンズ磨き伝説

La Legende de la polissure de la lentille chez Spinoza

哲学史のなかの<伝説>の一つに、衆人の無理解のなかで形而上学的思索を行っていたスピノザが、生活の資を得るためレンズ磨きをしていたというものがある。スピノザがレンズ磨きを行っていたのは事実と考えられるが、それが生活を支えるためというのは現代のスピノザ研究者によって明確に否定されている。以下、そうした否定論の一例として工藤喜作氏の文章を紹介し、また、より具体的なスピノザのレンズ磨きの状況を知るために、工藤氏が言及しているスピノザからフッデに宛てた書簡の一部を引用し紹介する。



「彼の生活は一時かなり苦しかったのではないかと察せられる。この貧しさからのがれるため、彼はレンズ磨きに精をだしたと伝記作者は伝える。だが彼がこの手仕事を始めた頃は、コレギアント派の友人イエレスからの年金もあり、決して経済的に不自由な生活をしていなかったのである。そのうえ、彼自身はきわめて質素な生活に甘んじ、また無欲でもあった。
 彼の無欲は、同じくコレギアント派の友人シモン・デ・フリースが、彼に豊かな生活をさせるために2,000ギルダーの年金の提供を申し出たが、スピノザはこれを鄭重に断ったことからも知られる。以上のことから、スピノザが単に生活のためにレンズ磨きをしたということは、哲学者の質素な生活を示すための一種の寓話であることがわかろう。
 伝記作者コレルスによれば、スピノザは学問あるユダヤ人の義務として、研究のかたわら、なんらかの技術を身につけなければならないということからレンズ磨きをしたとされる。しかしこのタルムードの教えは、彼がレンズ磨きを学んだときには、彼にとって無意味なものとなっていた。当時の著名な学者たちの多くは、その科学的研究との関連から、好んでレンズ磨きをした。デカルト、クリスチャン・ホイヘンス、スワンメルダム、フッデ、チルンハウスなど、みなそうであった。この点スピノザも例外でなかった。彼はイエレスのいうように光学の研究のために望遠鏡と顕微鏡のレンズを磨いたのである。
 このことは、彼がホイヘンスを通じてフッデと知り合い、フッデへの書簡(註1)においてレンズ磨きについての助言を乞うていることからみて、それがすぐれて学問的なものであり、単なる職人的なものでなかったものと思われる。つまりそれは、物理学や数学の知識を駆使しての作業であった。彼のこの仕事は、その手先の器用さとあいまって著しく上達し、その製品の評判はよく、人々は競ってそれを買い求めたという。」(工藤喜作氏、「人類の知的遺産35スピノザ」、講談社、1979年)

註1)
 フッデ宛の書簡中、レンズ磨きに関する部分は次の通り。
 「私はレンズを磨くための新しい磨き皿を作らせたいと思いますので、このことにつき貴下の御助言を得たいと思います。私は凸凹レンズを磨くことによってどんな利益が得られるのかわかりません。これに反して平凸レンズは、私の計算が正しいとしたらずっと有利であると思います。即ち今便宜上光線屈折の率を3対2と仮定し、またここに付した図に貴下の「小さな光線屈折学」の中で付されてある文字をつけるとしたら公式を適用して次のようになります。
 
 (公式および図を省略、引用者

 これからして、もしx=0とすればz=2となり、これはzの達し得る最大の長さです。またもしx=3/5とすればz=43/25或いはも少し多くなりましょう。但しこれは光線BIがレンズからIの方向へ向かう時に第二の屈折を受けないと仮定する場合です。しかし今この光線がレンズから出て平平面BFで屈折し、そしてIの方向へでなくRの方向へ向かうと仮定します。なおまたBIとBRの長さが光線屈折の率と同じ率を、即ち(ここに仮定したように)3対2の率を持つとし、そして我々が同じ公式を適用すると次のようになります。

 (数式を省略、引用者

 そこで再び前のようにx=0と置けばNR=1となり、これは半径に等しいものです。しかしx=3/5とすればNR=20/25+1/50となります。これでもってこうした場合の焦点距離は管の大きさが丁度半径だけ小さいにかかわらず他の場合より小さいことがわかります。そこで半径=1+1/2とするDIだけの長さの望遠鏡を製作するとし、鏡径BFは同じにして置けば、焦点距離はもっとずっと小さくなるでしょう。その上凸凹レンズが私にあまり感心できない理由は、労力と費用が2倍かかることを別としても、光線が皆同一点に向かわないため凹面に垂直に落ちないということです。しかし貴下はきっとこれらのことをすでにもう考察されてもっと正確に計算され、この問題自体を解決されておいででしょうから、この点に関し貴下の御意見と御助言をお願いする次第です云々」
(フォールブルフ、1666年6月半ば頃)

 上掲の文章は、「スピノザ往復書簡集」(畠中尚志氏訳、岩波書店<岩波文庫>、1958年)所収の書簡第36からの部分的な引用。数式については、横書きにする際に引用者が表記をあらためた箇所がある。「スピノザ往復書簡集」巻末の畠中氏の解説によれば、フッデ(1628年−1704年)は67年アムステルダムの執政団の一員となり、幾度もアムステルダム市長に選ばれている。確率論や光学だけでなく形而上学にも興味をもち、スピノザからのフッデ宛て書簡の最大の主題は神の唯一性に関するものである。

 

「スピノザの生涯・思想・文献目録」