スピノザにおける社会契約思想

Contrat social chez Spinoza

 17世紀は多くの社会思想家を生み出した世紀であるが、社会思想史あるいは法制史のなかでスピノザ思想について言及されることはほとんどない。これはスピノザ思想が純粋思弁(形而上学)に傾いていたとする哲学史上の位置づけによるものと考えられるが、幾何学の方法を用いた神の存在証明(「エチカ」)を著述する一方で、スピノザが「神学・政治論」「国家論(政治論)」といった具体的な社会・政治のあり方にかかわる著作を執筆し、そのなかで社会契約などについて言及している事実は等閑視できない。これら政治的著作の執筆意図、スピノザの政治思想の全貌はさておき、このページでは、スピノザの社会・政治思想を明らかにするための端緒として、スピノザの政治理論が明確に記されていると考えられる「神学・政治論」第16章の私的要約を試みたい。これを明らかにすることは、スピノザ思想の全体像の把握に資するものであると同時に、17世紀の社会思想・政治思想が、著名な社会思想家以外のところでどのようにとらえられていたかということを示す興味深い実例ともなりうると考える。ホップスやロックとの比較、ルソーへの影響の検討など、スピノザの社会・政治思想の研究がもたらす課題は大きいのではないか。
 なお、「神学・政治論」からの引用は畠中尚志氏の訳(岩波文庫、1944年)によるが、引用にあたって旧仮名づかいを新仮名づかいにあらためたほか、適宜、正字を当用漢字にあらためた。



 「神学・政治論」は、宗派にとらわれない自由な立場からの聖書解釈を試みた著作であるが、メインとなる聖書解釈についての議論に政治論が続く。その冒頭、第16章「国家の諸基礎について、各人の自然権及び国民権について、また最高権力の権利について」では、まず議論の前提として、スピノザが自然の権利、法則をどのように理解しているかが、次のように記される。
 「自然の権利及び自然の法則をば余は各個物の本性[自然]の諸規則そのものと解する。我々の考えに依れば、この諸規則に依って各物は一定の方法に於て存在し・活動すべく自然から決定されるのである。例えば魚は泳ぐように、又大なるものが小なるものを食うように自然から決定されている。従って魚は最高の自然権に依って水を我物顔に泳ぎ廻り、又大なるものが小なるものを食うのである。」
 ここに記されている自然権や自然の法則とは、制度としての「法律」にかかわるものではなく、あえていえば「生存原理」とでもいうものであろう。ただし、ヨーロッパで「自然法」というばあい、その基底でこうした生存原理の肯定が了解されているようにも思う。
 この自然権が個々の存在の生存原理そのものであることは、次のように明確に記される。「各々の人間の自然権は、健全な理性に依ってでなく、反って欲望と力とに依って決定される。」かくて自然権が理性によるものでない以上、それは個々の存在が理性をもつが否かにかかわりなくすべての存在におよぶとされるのも当然である。「我々は、人間と自然に於ける他の個物との間に、また理性を賦与された人間とまことの理性を知らない人間との間に、更に又魯鈍者乃至精神錯乱者と精神健全者との間に何らの相違を認めない。」
 これを、スピノザは次のようにまとめる。
 「すべての人間がそのもとに生れ・又多くの場合そのもとに生活しているところの自然の権利及び自然の法則は、誰もが欲せず・誰もが為し得ないことのほかは何ごとをも禁じないということが帰結される。つまりそれは争いをも、憎しみをも、怒りをも、欺瞞をも、約言すれば凡そ衝動がそそるいかなることをも拒否しないのである。だがそれも不思議ではない。何故なら自然は、人間の真の利益と維持とをのみ意図する人間的理性の諸法則に依っては制約されずに、却って、全自然ーー人間はその一小部分に過ぎないーーの永遠なる秩序にかかわる他の無数の諸法則に依って制約されるからである。そしてすべての個物が一定の仕方に於て存在し・活動するように決定されるのはこの秩序の必然性にのみ依るのである。」
 こうして自然状態を確定したのち、社会状態への移行に話題は転換し、議論のトーンは一変する。
 「とはいえ、理性の諸法則・理性の一定命令に従って生活する方が人間にとって遙かに有益であることは何びとも疑い得ない。」
 そしてここで「契約」の概念が登場する。
 「我々が、人間は相互的援助なしには極めて惨めな、理性の涵養も出来ないような生活をせねばならぬことを考えるなら、我々は明らかに次のことを、即ち人間は安全に且つ立派に生活するためには必然的に一つに結合しなければならなかったのであり、そしてこれに依って彼らは各人が万物に対して自然から与えられた権利を共同的に所有するようにし、又その権利がもはや各人の能力と欲望に依ってではなく万人の力と意志とに依って決定されるようにしたのであることを認めるであろう。然しこうした試みは、若し彼らが欲望の囁きにのみ従うとしたらうまく行かなかったであろう(各人は欲望の諸法則に依って種々の方向へひきずられるから)。従って彼らは理性の命令(何びとも無分別であると思われたくないために正面から理性の命令に反対することを敢えてしない)のみから一切を導き、欲望は他人に何らかの損害を引き起す限りは之を抑制し、自分がされたくないことは他人にもせず、最後に他人の権利を自己の権利同様に守るということを固き取決めに依って契約せねばならなかった。」
 ただしこの契約は次のような特徴を有する。「如何なる契約も利益ということに関連してのみ拘束力を有し得るのであり、利益が失われれば契約も同時に崩れて無効になる。」
 さて、「各人がその有するすべての力を社会に委譲し」て社会が形成されたのちは、「社会のみが万事に対する最高の自然権を、換言すれば最高の統治権を保持し、各人は之に対して自由意志に依ってなり或は重罰への恐れに依ってなり従うべく拘束されることになるのである。こうした社会の権利関係を民主制と名づける」という。スピノザが見るところ、民主制は「最も自然的」であり、また「自然が各人に許容する自由に最も近接している」のであり、「何びとも自己の自然権を他者に委譲し切りにして以後自分は何らの相談にも与らないという風になるのではなく、むしろ彼は自分自身がその一部分であるところの全社会の多数者に之を委譲するのである。かくの如くにしてすべての人間は、先に自然状態に於てそうであったように、皆同等の立場に止まる。」
 ただしスピノザの民主制では、社会の主体は構成員である人間ではなく契約にあることも無視できない。「民主制とは為し得る一切事に対しての最高権利を団体として有する人間の総体的結合と定義される。之からして、最高権力は何らの法に拘束されないこと、却ってすべての者はすべての点に於て最高権力に従わねばならぬことが帰結される。何故なら、すべての人間は、自分を守るすべての力を換言すれば自分のすべての権利を最高権力へ委譲した時に、そうしたことを暗黙的になり明示的になり契約せねばならなかったからである。実際若し彼らが何らかの権利を自分に保留したかったのなら、彼らは同時にそれを確実に擁護し得るような手配を講ずべきであった。」したがって当然、最高権力による圧政が予想されるが、スピノザによれば、いったん確立された最高権力による圧政が予防されるのは、@個人が最高権力をもつ期間が限定されること、A「最高権力は、用心して統治権を保持せんとすれば、公共の福利の為に計り・万事を理性の命令に依って導くことが何より大事」という最高権力の特性、Bまた最高権力が集団に委ねられているために、「或る不条理なことに関して意見の一致を見るということは殆ど不可能」ーーというためである。スピノザの政治論では、民主制においても最高権力者への服従が強調されるが、こうした叙述は、外国勢力の威圧のもとでの国内世論の分裂という当時のオランダの政治情勢の影響を受け、それによって限定されているというべきかもしれない。
 さて、こうして自然権と国家原理について述べたのち、スピノザは、「国民権」「不法」「正義」「盟約者」「敵」「主権侵害罪」という個々の概念を確定する。
 これに続いてスピノザは、「理性を使用しない人間は自然状態に於ては最高の自然権を以て欲望の諸法則に従って生活する」という主張が、啓示された神の法に矛盾するのではないかという駁論を予想し、これに対し、あらかじめ次のようにこたえる。
 「自然状態は本性上並びに時間上宗教に先立つのである。事実何びとも、自分が神に服従すべく義務づけられていることを自然的には知らない。否、人はいかなる理性に依ってもかかる認識に到達しない。ただ徴證に依って確かめられた啓示に依ってのみかかる認識を得ることが出来るのである。故に啓示以前には何びとも神の法に拘束されない。彼はそれを全く知り得ないのであるから。だから我々は自然状態を宗教状態と決して混同してはならぬのであり、むしろ自然状態は宗教と律法を離れて、ーー従って又罪と不法を離れて考えられねばならぬ。これは我々が自らやったところであり、又パウロを引いて確證したところである。我々が自然状態を啓示された神の法に先立つもの・それと関係なしにあるものと考えるのは、人がそれを自然的には知り得ないという故にばかりではなく、すべての人間が依って以て生れる自由の故にでもある。実際若し人間が自然的に神の法に拘束されているとしたら、或は神の法が自然的に法であるとしたら、神が人間と契約を結び・人間を約束と誓いに依って義務づけるということは余計なことであった。これを以て見れば、神の法は人間が殊別の契約に依ってすべての点に於て神に服従すべく約束した時に始まったものと確認せねばならぬのであり、人間はこれに依っていわば自己の自然的自由を放棄し・自己の権利を神へ委譲したのである。恰も国家状態に於てそれが行われるように。」
 自然状態を宗教の啓示に先立つものとする点で、これは大胆な説であると同時に、こうした前提によってはじめて、神をいったん除外した人間の自然そのものという議論が成立してくるという点は看過できない。

 

「スピノザの生涯・思想・文献目録」

「神学・政治論」の構成



参考:ルソー「人間不平等起源論」の抜き書き