スタロバンスキー『自由の創出』より

〜〜18世紀後半のヨーロッパ芸術の特徴〜〜


Extrait de "L'invention de la Liberte, 1700-1789" de Jean Starobinski

スイス生まれの文学研究者ジャン・スタロバンスキー(1920年〜、日本では一般的に彼の名を「スタロバンスキー」と読んでいるが、本書は「スタロビンスキー」としている)は、『自由の創出』(1964年<邦訳小西嘉幸、白水社、1982年、ただし引用は1999年刊の再版による>)のなかで、18世紀後半のヨーロッパ芸術に目立つ傾向を次のように析出している。

「セナック・ド・メヤンの表現を借りれば「世紀たそがれの六十路の心境」が蔓延したころ、芸術愛好家はつぎつぎと異常ないし倒錯的な体験を追いもとめることによって快楽をかき立てようとする。倦怠が快楽に紙一重でつきまとうからだ。それはこの時期のお気に入りのテーマのひとつだった。同じ感覚はくり返しすぎると、もはや新鮮な驚きをもたらさない。地理上のエキゾチスムの魅力は急速に失せた。残るはあらたな資源を開拓することーー悪のエキゾチスムがそれである。恐怖<テロル>と禁じられた快楽の暗黒大陸に分け入ることである。「苦痛を快楽に変えること」ーーサド侯爵の口から出たと考えてもおかしくはない。これはジャン=ジャック・ルソーの言葉である[『孤独な散歩者の夢想』「第八の散歩」冒頭部]。それに、高揚した美徳のもたらすある種の陶酔は、やはり魅惑する力をもつ。それはあたらしいエキゾチスムであり、善行によって涙ながらに別世界にひたること<デペイズマン>である。情熱が悪の過剰におもむこうと善の極限をめざそうとたいしたことではない、そこに偉大さがありさえすれば、あっぱれ見事に膨張するエネルギーがありさえすれば、とディドロは託宣をくだす。ドン・ジュアンは石像に手をゆだねる。フィデーリオはフロレスタンを救うため、死と対峙するだろう。世紀の末に、革命の危機を迎えるころ、快楽はもはや安易でたわいもないアヴァンチュールのなかにではなく、運命や神の権威に挑む反逆意志の登場のうちに見いだされることになる。」(同書80頁)

同時期の陰惨な見世物への嗜好も、この観点から説明される。バーク(1729年-97年)はこうした見世物を「崇高」とすら呼ぶが、ここでいう「崇高」は、同じ時代のカントらドイツの思想家たちがいう「崇高」とは懸け離れたものとみなさざるをえない。それは、実在を審美的な仮象の地位に高めることであり、また現実は実用的利害から離れて眺めた場合に審美的に見ることができるという、一種のダンディズムの考え方にもとづくものであった。

「陰惨な見世物が、もっぱらそこから生じる戦慄のために、興味をもたれる。イギリスでは第一級の紳士の幾たりか(ジョージ・セルウィンやトマス・ウォートン)が死刑執行の見物にうつつを抜かしたとされている。エドマンド・バークが[『崇高と美の観念の起源に関する哲学的研究』のなかで]、快楽とは異なる感情、よりいっそう強烈な感動ーー彼は歓喜<ディライト>とよぶーーをかき立てる、と評した見世物。バークはいうーー劇場で演じられるもっとも血なまぐさい悲劇を想像してみよう。そこで見せられるのはなんといっても虚構の死にすぎない。隣の広場で身分の高い罪人の処刑があると知らされれば、劇場はまたたくまに空っぽになるだろう。本物にはかなわない。「自己保存に属する諸感情は、苦と危険に依存する。…われわれが現実にそのような境遇にいないで苦と危険を心に浮かべるとき、それらは歓喜となる。この歓喜を私は快とはよばなかった。というのは、それが苦に依存するから。そして、絶対的快のいかなる観念とも十分異なっているから。この歓喜をそそるいかなるものをも、私は崇高とよぶ」。血なまぐさい出来事のこの崇高さは、その出来事が純粋に見世物とみなされる事実からくるものである。自分とその近縁者の生命が脅かされないかぎり、われわれはたとえロンドンが廃虚と化しても崇高なる戦慄をいだくだろう。「ここでは現実がひとつの表現<リプリゼンテーション>(お芝居)、つまり実際の結果と利害を捨象したものとみなされているようである。というのは、バークが強調するように、常人なら誰しも、惨事が現実に起こることを願望したりはしないにもかかわらず、事件の発生現場へ見物に駆けつけるのだから。その結果、プラトンの理論におけるとは逆方向の動きによって、つまり芸術というものを有用な実在のレベルに引き下げてしまうのではなく、実在を審美的な仮象の地位に高めることによって、つぎのような考え方の端緒をひらいたと見られる。すなわち、現実というものは実用的利害から離れて眺めた場合に審美的に見ることができ、したがって審美的傾向とはすくなくとも一面においてはこうした利害関係が存在しない点にこそあるという考え方である」(ボザンクェット)。ここで述べられた傾向はたんに理論的な重要性をもつだけではない。現実を美的仮象の地位に高めるというのは、すでにそのままダンディズムの綱領であり、この態度がそれに照応する理論とともに、18世紀イギリスの貴族社会に誕生をみたことは驚くにあたらない。」(同書81-2頁)

このようにして、18世紀後半を特徴づけるエネルギーへの荒々しい訴求は、いく人かの実生活を凄惨で無軌道な虚構の生に引きずり込んだり、さらにはまた想像世界に耽溺した生活を小説で空想的に表現するという「上塗りされた」フィクションに誘い込む。しかしそれをどのように評価するにせよ(私にはスタロビンスキーの評価はマイナスとおもえる)、こうした訴求は、啓蒙についてカントが指摘しているような「意識の解放」や「未成年期からの超脱」の方向とは異なる方向を目指すものであり、18世紀後半にこうした傾向が強かったことを無視して「啓蒙」を論ずることは、その議論を表層的なものにしかねないだろう。

「この世紀全体をつうじて(笞や催淫剤<カンタリス>のたすけをかりて)開発されたたぐいの「黒い快楽」は、独我論者の気まぐれな思いつきの過激な側面である。それは生を芸術のレベルに高めることで、善と悪、苦痛と快楽を美的創造の素材として扱う。そこでは不安が全能の錯覚を仮装して、気のむくままに世界を夢想したり罰したりする神の権力のパロディーを演ずる。現実の審美化されたヴィジョンは、対象をただの外観に置き換え、官能の快楽をもとめる人間が欲望の呪術的支配の姿勢に内閉することを可能にする。それと同時に、恐怖が、責め苦が、破壊が、心のなかの見世物に変じ、快楽(あるいはバークのいう歓喜<ディライト>)に捧げられるタブローと化す。この想像力による演劇化はやがて悪魔主義的傾向をおびるようになる。個人は切り離され、おのれの夢にとらわれて現実に接触できずに、神への挑戦という誇らしげなポーズをとることで勿体ぶってみせる。そしてみずからの存在証明のために、想像のなかで体験した、あるいは実生活において編みだした、あたうるかぎりの悪虐非道を重ねてみせることになる。世紀後半を特徴づける、エネルギーへの荒々しい訴求は、こうした方向にはけ口を見いだし、いく人かの実生活を凄惨で無軌道な虚構の生に引きずり込んだり、さらにはまた想像世界に耽溺した生活を小説で空想的に表現するという上塗りされたフィクションに誘い込んだのである。
 それは荒々しい自由の誇示なのだろうか。じつをいえば、この最初のロマン主義において鎖をとかれた想像力の爆発は、真の自由の発現というよりも、大人の責任を引きうけることをまえにした怯えのしるしのようにみえる。カントにとって啓蒙<アウフクレールング>の意味とは未成年期を脱することであり、意識の解放であった。それはようやく思いきって伝統的権威の軛をふりはらい、自律的に思考することである。黒い快楽の旗手たちが光(啓蒙)をまえにして怯え狂っていると表現しても、それはたんなる隠喩にとどまらない。すべてが内なる法に照らされるべき困難な自由を支持するよりも、むしろ彼らは父の伝統的形象を冒涜するほうを好むのだ。彼らが挑戦と罪の夢想に自閉するのは、結局のところ罰を期待するからであって、彼らはこの罰をとおして、なくてはすまされないひとつの存在者の証しを見いだすことになるだろう。」(同書82-3頁)

 

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