澁澤龍彦が見た18世紀思想界
Point de vue sur la pensee de 18e siecle par Tatsuhiko Shibusawa

 澁澤龍彦氏(1928年−87年)の代表的な仕事がサド侯爵(1740年−1814年)の著作の翻訳・紹介であることは、多くの人が肯定するところと考えるが、澁澤氏が、サドにとどまらず18世紀からフランス革命期にかけてのさまざまな思想家に共感を寄せ、それが彼の文学的出発点のひとつとなったことは、必ずしも十分に評価されていないように思われる。以下のページでは、文学者・澁澤龍彦氏が最終的になにを達成したかを問題にするのではなく、出発点においてなにをめざしていたかを探ってみたい。

                   *     *     *

 澁澤氏の18世紀思想論は、断片的にしか読むことができないのが残念だが、管見によればまず次のような文章がある。

 「フランス18世紀という時代はすてきに面白い時代で、なにしろ哲学世紀と呼ばれているくらいだから、猫もシャクシも、哲学者も坊主も法律家も、エロ作家も大衆扇動家も魔術師も泥棒も、ヨタ者もズベ公もチンピラも、みんなこぞって朝から晩までカンカンガクガク道徳論の花を咲かせていたらしい。道徳論が流行するのは乱世の兆だと言ったのはヴォルテエルであったか、ディドロであったか。あるいは誰もそんなことは言わなかったかもしれないが…とにかくヴォルテエルは大革命の十年前に死に、ディドロは五年前に死んでいる。しかしがらっぱちの床屋フィガロのせりふによれば、「みんなにちやほや言われる王も、死んだら大てい跡かたもない。けれどもヴォルテエルは永久に死なぬ」のだそうだ。当時、メリエという一寒村の坊さんは、まだアンシアン・レジームの大黒柱がぐらぐらしながらも威容を保っていた時代に、土地の共有制度を大胆に主張して、さすがのヴォルテエルをも慄えあがらせたという不作法者の先駆者だ。またモレリイという正体不明の人物は「バジリアッド」と呼ばれる途方もない浮島の夢物語を散文詩に歌いあげて、私有制度のまったくない、恋愛のまったく自由な島国の風習を讃美したが、もちろん、これは荒唐無稽のお話で、インディアンのピイルパイという男が書いた翻訳だとばかり、いけしゃあしゃあと嘘をつく不作法者であった。またシルヴァン・マレシャルという狷介な無神論者は、「無神論者辞典」という本を書いたはいいが、歴史上の人物に手当り次第無神論者のレッテルをべたべた貼りつけてしまったばかりか、キリスト教の聖者までも一緒くたに扱おうという、我田引水の権化のような人物で、ついには牢屋にぶちこまれる羽目になったほどの不作法者だが、後には例のバブーフやブォナロッティとともにジャコバン党の理想を受け継ぐ最後の人物になった」(「悪徳革命論」ーー「現代不作法読本」および「不道徳教育講座」をめぐって、1959年;同エッセーの引用は、「澁澤龍彦全集1」河出書房新社、1993年による)

 また澁澤龍彦氏によるサド侯爵の著作の翻訳・出版の最初のものである「恋の駈引」(河出書房<河出文庫>、1955年;以下の同書解説の引用は、「澁澤龍彦全集1」河出書房新社、1993年による)の解説からも、澁澤氏のみる18世紀思想がどのようなものであったかをうかがうことができる。
 この解説のなかで澁澤氏は、サド研究者ジルベール・レリーの図式に従って、サドの著作上のテーマとして次の3点をあげている。@性病理学的現象に関する先駆的な記述の客観的系統的な性格、A無神論の不屈な形式、B言葉の彼方に執拗な一種のリズムのように躍動するところの、人間の自由を強調するその精神。
 この3点は、澁澤氏のサド解釈の出発点として重要な意味をもつものではないかと考えるが、そのなかの第二の点からは、サドを18世紀の思想家の系列のなかに位置づけようという意図が読みとれる。事実澁澤氏は、「メリエ神父、ラ・メトリドルバック等の後継者として同時代人シルヴァン・マレシャルと共に、正真正銘の戦闘的無神論者サドの名が記憶されてしかるべきだと訳者は愚考する」と明確に規定しているのである。
 またこれに続く次の記述も看過できない。

 「<神の観念は人類に許すことのできない唯一の過誤である。>と書くとき、すでにサドはこの神の観念を、自己の欲望に基づく無限否定の論理の一環としての仮想的な憎悪の象徴にまで変形させている。彼は百科全書家たちの不肖な弟子だ。なぜなら彼は悪のモラル(ルソオと反対の)、破壊の原理によって平板な物心平行論的なイデオロギーからの超越をたくらみ、一気呵成に倫理的決断に直面することを好むのだから。自然の名によって神を否定し、人間の名によって自然を否定し、最後に超越的人間(人間神と言うべきか)の名によって人類を否定し去る、これがサドの論理の無限に循環する方式である。<もし神が存在するとすれば、神の作ったものをこのように破壊している我々は神の競争者ではなかろうか>とサドの一作中人物は豪語する。そして、この否定のエネルギーを最も効果的に発散させ得る一つの状態に、サドはストア哲学者から借りた古典的名称<アパテイア>を与える。すなわち彼の理想はニル・アドミラリだとも言えよう。自らを弱者であると信じている人間は、他者とか理想とか神とか呼ばれる偶像のために自らの力を割譲してこれを消費し、宿命的に衰亡する。しかるにリベルタンは自分が孤独であることを知っており、孤独であることを承認する。感覚を滅却し、快楽の量を無にする。サディズムとは畢竟するに、破壊的な激発に変形するまで極端に押進められた自己否定の一形式、目くるめくようなストイシズムの逆説でしかない。」

 <ニル・アドミラリ>とは「何事にも感嘆せず」と訳せるラテン語の成句であるが、サドがこうして「神の競争者」たらんとした背景としては、彼がおかれていた強制的な幽閉という状況をも合わせて考究すべきであろう。
 幽閉者がその状況、そしてそれを強制している<外部>の存在を自己の内部で否定しようとすれば、その幽閉を自己が選んだものとして積極的に肯定していくしかない。その時に、肯定を支える論理こそがニル・アドミラリであり、またアパテイアではなかったか。そうした特殊な状況から生まれた言説が社会のなかにどのように還元されていったか、どのように読み込まれていったかこそ、サドと18世紀思想を考えるときの大きなポイントであろう。「メリエ神父、ラ・メトリ、ドルバック等」の思想的系譜をシルヴァン・マレシャルにつなぐものは、単純な発展ではありえない。
 ちなみにニル・アドミラリは、ラテンの作家・プリニウスを重視し、世界を構成するさまざまな細部に<驚異>を見出していった後年の澁澤氏とは一見まったく逆の視点であるように思われるが、「幽閉」という状況をどう受け止めていくかが、澁澤氏の内部で、ニル・アドミラリから生まれる思想の肯定を世界への驚異の肯定に転換させていったのではないかと考える。
 いずれにしても、澁澤氏がサドを単に「性病理学的現象に関する先駆的な記述の客観的系統的な性格」のなかで読み込もうとしていたのではなく、むしろ、18世紀特有の無神論、さらには人間の自由の強調という方向で捉えようとしていたことは、上に引用した文章からも明らかであろう。その先についてこれ以上追求するのは難しいが、サドの思想を明るみに出すことによって、澁澤氏は、「理性の世紀」「光の世紀」という18世紀思想の位置づけの転換をも考えていたのではないかと思えるのである。

 


木戸口 Accueil

2つのサド観 Deux discours sur Sade

「大胯びらき」のころ Quand Shibusawa a traduit "Le Grand Ecart" de Jean Cocteau

1955年4月23日・新宿 Une rencontre a 23 avril, 1955

石井恭二氏「花には香り本には毒を」 Kyoji Ishii "Odeur aux fleurs, Poison aux livres"

"Tatsuhiko Shibusawa" en francais dans le Site de Yotsuya Simon