「大胯びらき」のころ
Quand Shibusawa a traduit "Le Grand Ecart" de Jean Cocteau

 1978年、澁澤龍彦氏は白水社の雑誌『ふらんす』6月号に「一冊の本」というエッセーを寄せている。その内容は、澁澤氏の最初の公的翻訳であるジャン・コクトー『大胯びらき Le Grand Ecart』刊行(1954年)のいきさつを紹介し、あわせて、はじめてフランス語とフランス文学を学んだ旧制浦和高校時代を懐古したもの。
 澁澤氏自身による貴重な懐古ということで、以下に「一冊の本」の要点を引用してみよう。なお、同エッセーはその後、著作「城と牢獄」に収められ、1980年に青土社から刊行された。引用は、「城と牢獄」を収める『澁澤龍彦全集第17巻』(河出書房新社、1994年)による。
 大正の末ごろ、福岡の高等学校で、石川淳さんにフランス語を習ったという平岡昇さんに、私は初めてアーベーセーの手ほどきを受けた。こう考えると、私は石川さんの孫弟子ということになり、何だか晴れがましいような気持になってくる。今度、どこかで石川さんにお会いしたら、そのことをお伝えしようと思っているが、まだその機会がない。
 戦争中、浦和高校の文科丙類は廃止されていたので、私が同校に入学した昭和二十年には、まだ平岡さんは学校にもどってきていなかった。やがて戦争が終わり、私たちの一級下の年代から、文科丙類が復活し、それとともに平岡さんがふたたび教壇に立つことになった。私は文科甲類だったけれども、とくに平岡さんにお願いして、もぐりで授業に出席することを許していただいた。
 (中略)
 高校時代、私たち数人は野沢協をリーダーとして、現代フランス文学を読む会をつくった。現代フランス文学といっても、私たちはヴァレリーやジッドはてんで軽蔑していて、もっぱらアポリネール以後の両次大戦間の文学を集中的に読んだ。まだ海外書籍の輸入が自由化されていなかった時代で、私たちは配給の手巻きの煙草を吸いながら、マントの裾をひるがえしては、神田の古本屋街をしらみつぶしに歩きまわり、見つけた原書を無理して手に入れていた。昭和二十一、二年のことだったと思う。
 そのころ、野沢協の現代文学に対する熱中ぶりたるや物すごく、フィリップ・スーポーやブレーズ・サンドラールの原書を、彼はどこからともなく手に入れて、驚くべき量を読みこなしていた。出口裕弘や私は、この野沢の徹底的かつ網羅的な本の読み方に、むしろ畏怖の念に近いものをおぼえていた。
 考えてみれば、ずいぶん無茶な話である。ようやくアーベーセーを終えたか終えないうちに、私たちは一挙に最新の前衛文学、ダダイスムやシュルレアリスムに取り組み出したのだから。しかし分かっても分からなくても、とにかく私たちはむさぼるように読んだ。いやむしろ、すべて分かったつもりになっていた。おそらく、温厚な平岡さんも呆れておられたのではなかったろうか。
 (中略)
 高校を卒業し、二年浪人して大学の仏文科へ入るころには、すでにコクトーの『大胯びらき』の翻訳に手をつけていたように記憶している。
 (中略)
 私は二年間の浪人中に『大胯びらき』を翻訳し、さらに大学のあいだ、これに徹底的に手を加え、大学卒業の翌年、これを白水社から刊行することができた。
 鎌倉に住んでいた故岡田真吉さんが、そのころ白水社編集部の第一線にいた泉川彊さんに、私を紹介してくれたのだった。
 (中略)
 私が一冊の本を選ぶとすれば、どうしても『大胯びらき』にならざるを得ないのは、このように、この本が青春時代のもっとも多くの時間を占めているからにほかならない。本の内容については、わざわざ説明する必要もあるまい。要するに少年期から青年期への危険な年齢における、主人公の愛の悲劇を扱ったもので、コクトーの自伝的な小説と言われているものであり、私のもっとも愛するフランスの恋愛小説の一つなのだ。
 澁澤氏の文中にも登場する旧制浦和高校時代からの澁澤氏の同級生で、著作『澁澤龍彦の手紙』(朝日新聞社、1997年)のなかでこの文章を紹介している出口裕弘氏が野沢協氏に直接確認したところによれば、「現代フランス文学を読む会」の他のメンバーは西野昇治氏と白石一郎氏で、二人ともその後自殺しているという。この「現代フランス文学を読む会」が、澁澤氏が本格的にフランス文学に接する原点になったことは疑えないが、旧制浦和高校時代に野球部に属し、出口氏の所属する文芸部には背を向けていた澁澤氏の行動からすれば、この「文芸活動」は例外的な感じがしなくもない。澁澤氏のいう「両次大戦間の文学」とは、すなわち第一次大戦後の文学であり、当時の彼らは、新しさゆえにそれを指向したというより、第二次大戦後の時代をどういきるかという指針を求めて「両次大戦間の文学」を読んでいたのではないか。このため指針とはなりえないヴァレリーやジッドが軽蔑されていたのだと思う。
 澁澤氏のフランス語の師・平岡昇氏は、18世紀思想、とりわけルソーの研究者として知られる人で、平岡氏との出会いが、のちに澁澤氏がサド侯爵という対象を選択することに影響を及ぼしていることも考えられる。読書会の「リーダー」野沢協氏も、のちに17〜18世紀思想の研究(ピエール・ベール)に進んでいる。
 ちなみに、野沢氏は開成高校(当時は開成中学)の校長を務めた田邊新之助氏(その長男は哲学者・田邊元氏)の孫であり、澁澤氏の父・武氏が開成中学で学んでいるところから、二人には最初から親近感があったということも考えうる。野沢氏が共産党に入党してからもその交友は変わらず、野沢氏は鎌倉・小町における初期澁澤サロンの有力メンバーでもあった。
 また岡田真吉氏は映画評論家で、澁澤氏は学生時代からその翻訳の下請けをしていた。
 なお、『大胯びらき』の翻訳が刊行された頃については、『澁澤龍彦翻訳全集第1巻』(河出書房新社、1996年)の月報のなかで、出口裕弘氏と小笠原豊樹氏(=岩田宏氏)が次のように懐古している。
出口「あれ(『大胯びらき』)を白水社はよく出したね。瀟洒な、実にきれいな本で。その後、薔薇十字社あたりで出た『ポトマック』とか『ひとさらい』とか、あのへんのは、かなり初期の段階で訳していたということを、どこかで書いていたと思う。」
小笠原「『ポトマック』は実に懐かしい本なのよ。ぼくが澁澤君と知り合って、あの二階(鎌倉市小町の旧澁澤邸)で、ほとんど最初に見たフランスの本じゃないかな。彼はいっぱい持っていたから。あれを彼は嬉しそうに見せるわけね。あれは話の筋なんてどうでもいいようなものだよね。問題は絵ですよ。ウージェーヌという怪物が出てくるでしょう。あの絵が面白くて面白くて、しばらくぼくと澁澤君は夢中になって連日のように見ていたし、『新人評論』のほかの人たちも、文学にもフランスにも全然関係ないような人たちがやってきて、あの絵を見て面白がって。だから『ポトマック』というのは、一時『新人評論』の集まりの中で評判になった本なのよ。その頃、彼は翻訳はまだしていなかった…。」
出口「じゃ、あなたが知り合ってすぐね。」
小笠原「そう、すぐ。いちばん最初に見たのが『ポトマック』で…。あとフランスの本というと、その頃盛んに見たのはレーモン・クノー。彼は数冊持っていましたね。野沢さんもクノーを読んでいたね。ぼくは、野沢さんが案外クノーを読んでいるので、びっくりした憶えがある。」
出口「クノーに限らず、野沢君というのは17、8世紀の思想研究へいく前に、総なめに大戦間文学を読んじゃっている人だから。」
小笠原「両大戦間の鬼だね(笑)。」
出口「セリーヌなんぞを(旧制浦和高校の)寮の破れ畳に腹這いになって読んでたな。クノーは生田耕作もやってたし…。」
小笠原「それのもっと前ですよ。その時彼に最初に見せてもらったのが、『サングラングラン』。」
出口「それも野沢協が面白がってた。みんな好みが共通していたんだね。」
小笠原「『サングラングラン』を、ぼくは澁澤君に借りて家に帰って、四苦八苦しながら何とかかんとか読んで、「面白かった」と言って返して。一か月ぐらいたつと、また見たくなって、「貸してくれない?」と言うと、「ああ、いいよ」と持って来てくれる。そういうことを三回か四回繰り返したの。そうしたら彼が、「これは君が持っていたほうがいいんじゃない?」と言って、くれた。いまでも持ってますよ。」
出口「いい話だね。」
小笠原「その次は『オディール』とかね。これは野沢さんも読んでいて話が合ったけれども。それから『ピエロ・モナミ』とか、何よりも『シアンダン(浜麦)』。あれを夢中になって読んでた。それで、そういうところでは彼とまことに話が合ったね。」
(括弧の中は引用者・如月による補足)
 両氏の会話に登場する『ポトマック』はジャン・コクトー25歳の作品で、澁澤氏の訳は1969年に薔薇十字社から刊行されている。
 また『新人評論』は、1952年6月に鎌倉在住の文学青年が参集して刊行された同人誌で、澁澤氏は創刊メンバーではないが、同誌刊行後の一連の動きのなかで小笠原豊樹氏と知り合っている。『新人評論』第2号はなかなか刊行されず(その間、1953年に澁澤氏は東大卒業。卒業論文は「サドの現代性」)、54年1月に「復刊第1号」が発行され、澁澤氏は「澁川龍児」名で、これに「革命家の金言ーーサン・ジュスト箴言集」を寄せた。『大胯びらき』(白水社)は、その直後(54年8月)に刊行されている。
 
【出口裕弘氏プロフィール】
1928年東京生まれ。東大仏文科卒。一橋大学教授を経て、著述に専念。主著に『越境者の祭り』『夜の扉』『綺譚庭園ーー澁澤龍彦のいる風景』、主訳書にユイスマンス『大伽藍』など多数。

【小笠原豊樹氏プロフィール】
1932年北海道生まれ。詩人岩田宏。東京外大露語科中退。56年詩集『独裁』刊行以来、『いやな唄』『頭脳の戦争』『グアンタナモ』など。66年の『岩田宏詩集』で歴程賞受賞。小説に『躍ろうぜ』など。翻訳はソルジェニーツィン『ガン病棟』をはじめ多数。
『ジャンル』同人。彰考書院から『マヤコフスキー詩集』を刊行しており、その縁で澁澤龍彦氏のサドの翻訳を彰考書院に紹介している。

【参考】
レイモン・クノーの著作紹介(仙台市のロック・カフェ「ピーターパン」サイト内)

※『大胯びらき』は、現在『澁澤龍彦翻訳全集1』(河出書房新社)および河出文庫(河出書房新社)で読むことができます。

 


「大胯びらき」(徘徊録) Le Grand Ecart dans la Nomadologie

澁澤龍彦が見た18世紀思想界 Pensees de 18e siecle vue par Tatsuhiko Shibusawa