2つのサド観
Deux discours sur Sade

 澁澤龍彦氏のサド翻訳・紹介の18世紀思想史研究における位置づけを探る意味から、以下に平岡昇氏と橋本到氏のサドに関する発言を引いておこう。

 まずは旧制浦和高校以来の澁澤氏の師のひとりである平岡昇氏のサド論。
 「サドの思想は独自の「自然」を軸として展開する。それはとくに彼の哲学の要約である『閨房哲学』に強引な論理で表されている。「自然」は要するにそれ自体で自足し、自己目的しかもたない。そして世界内全存在の存在原理であり、それを動かす活動力の源泉である。したがって神は存在しないし、人間は自然の全系列の一部分にすぎず、一般の物質からも動物からも区別される特権的地位などをもたない。道徳的生活、つまり美徳とは、その自然のエネルギーを忠実に生かすことだ。自然の活動の特質は、一口でいえば想像と破壊だ。ただし、破壊である死は滅亡を意味しない。サドは、ディドロと同じように、人間の生命も永遠の物質の運動のなかで、不断の再生と転位のなかにあると考える。性の衝動は人間にとって自然のエネルギーの最大の燃焼である。その根本事実の前では、性に関して原罪はおろか、善と悪の本質的な区別もない。「『ジュスティーヌ』を書く前に、それに盛られた背徳行為を実行した<罪悪の教授>」と、テーヌが名づけたサドは、既存の罪悪の醍醐味を礼賛する。強盗、傷害、殺人から近親相姦、姦通、暴行その他極悪と見なされる行為まで、悪徳のすすめにおいて徹底をきわめる。これは一見、ディドロやドルバックたちの無神論や唯物論の「自然」に包蔵されていた危険な両義性の一方を拡大しているようだが、その根本的意図は既存の道徳、とくにカトリックの禁欲的な道徳の完膚なきまでの破壊にあるようだ。その点甥ラモーの無頼な毒舌も、遊蕩児ドマンセの悪魔的な論理の前では著しく色褪せてみえるし、『ブーガンヴィル航海記補遺』の大胆な性の解放さえ中途半端なものにみえる。そこにサドのなかに長いカトリックの伝統からでなくては出てこない異端者、カトリック倫理の裏返し、キリスト教倫理に取り憑かれた反逆者の面を見てとることができよう。しかも彼の虚無主義は、必然に徹底的な孤独とエゴイズムとのなかで、悪徳の栄えという独自の存在理由までも呑みこんでしまう危険をはらんでいる。彼はそれをどこまでも意識しながら、彼の悪の逆説を楽しんでいたのではないかと思う。彼の膨大な作品は、既成の価値の大転換期に長い牢獄生活をよぎなくされ、その出口のない孤独のなかで、神経症に陥った病的な想像力の高度の遊びではなかったか。もっともこれは単に私の勝手な空想にすぎない。革命直後、獄舎から解放されてからの、ピク地区の委員長としての急進的な発言と、ヴァレンヌ逃亡のときの国王への進言をくらべると、貴族の誇り高いにわかデモクラットのサドが、状況に対応して難局を乗り越えようとする柔軟な常識を欠いていなかったことがわかる。だから、彼がけっして単なる異常者、狂人でなかったことはたしかである。彼は政治的な正統王朝派ではない立憲君主主義者だったところからみて、啓蒙思想の洗礼をうけた貴族的自由思想家の殿(しんがり)だったのであろう」(平岡昇氏「サドとレチフ」、『平岡昇プロポU』所収、白水社、1982年、初出は『世界文学大系』第80巻月報、筑摩書房、1977年)

 次に、文脈は異なるが、サドの新たな翻訳を進めている橋本到氏の発言(これは松山俊太郎氏を相手にした、文字どおりの「発言」である)。
 「私はまえから言っているのですが、サドを理解するためには、『悪徳の栄え』とか『美徳の不幸』のような匿名の作品だけを取り上げては不十分であって、公刊され、公序にあまり反しないようにサドが書いている作品を見落としてはいけないと思います。澁澤さんの紹介について言えば、サドの紹介のやり方に偏りがありますね。匿名のほうの作品は、例えば『悪徳の栄え』の解説などを読んでも、言葉が躍っていて、非常に喜々として翻訳していることがうかがえますが、サドが公刊した作品については、翻訳も少数ですし、解説も非常にラフです。こうしたサドに対するバランスを欠いた接近は、シュールレアリストとその系譜に連なるサドの理解と同じです。シュールレアリストの時代には、サドは性の解放者と見なされました。確かに、サドの匿名作品だけを見れば、サドのテクストを残虐性や性的・エロティックな性格に目がいきがちです。しかし、テクストを離れ、実際のサドを見ればどうでしょうか。彼は子どもっぽく、跳ねっ返りなところがありますが、病的な人間ではありません。また哲学的な言説を展開する書き手としても、一見狂気と見えるファンタスムの向こうに、非常に醒めた、そして後世から見てもするどい洞察を見せている。どういうことかと言えば、啓蒙思想や当時の政治的言説を換骨奪胎する形で利用しながらも、冷静にそれとの距離を保ち、まやかしを信じることはなく、全部切ってしまう。たとえば、神政政治批判、物質に生命が依存するとする考え、第一原因[神]の否定などは、サドはおおむね先人の思想を援用しますが、それが『悪徳の栄え』における殺人大会に至り着くとは、その先人たちの誰も考えなかったというか、彼らが聞けば仰天する話だと思います。サドはこれらの思想を信じ、ここに安住していたのではなく、それをダシにしてもっと別の語りたいことがあったのであって、様々な言説を凝集させること自体、まったくの冷酷な手段に過ぎないわけです。そして、サドの時代までに展開されていた物活観的な自然観にせよ、現代の我々から見れば、もはや妄想に近く感じられるのに対して、サドが最終的にはそれを信じず、否定するのも、いわば正常な人間がやっているわけで、そう見れば、悪徳の伽藍の向こうには、非常に健全というか清々しさが見えてくるように思います。そして、この否定の精神に内在する清々しさは、公刊された作品を描くサドを見るとき、よりよく理解できるというか、そうでないと見失ってしまう危険があります」(橋本到氏、対談「サドvs澁澤」中の発言、『KAWADE夢ムック/総特集澁澤龍彦ユートピアふたたび』所収、河出書房新社、2002年)

 上に引用したのは、両氏の断片的な発言のさらに断片にすぎない。引用者の意図は、これをもって平岡、橋本両氏のサド観を比較しようというのではなく、はじめにもお断りしたように、サドに対する多面的な見方の一端を記して、澁澤龍彦氏のサド翻訳・紹介の特徴を知る一助としたいということにある。平岡、橋本両氏の発言の不整合はあえてそのままとし、引用者としての論評は特にくわえないが、ご了解いただきたい。

 


澁澤龍彦が見た18世紀思想界 Pensees de 18e siecle vue par Tatsuhiko Shibusawa