| 市民の権利・義務について (ガブリエル・ボノ・ド・マブリ) Des Droits et des Devoirs du citoyen (Gabriel Bonnot de Mably) |
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如月 訳 |
| 第一の手紙 その1 |
| パリで何をしておいででしょうか、ムッシュー、当地では皆あなたを希求しております。毎日公用でしょうか。あなたにとり、この鎖はなんと重いのでしょう。あなたがそれを断ち切るのは不可能ですから、スタノップ卿と行った対談の報告で、せめてあなたをお慰めしたいと思います。私たちは二日前から、自由と哲学が集うこの魅惑的な非難所に彼をお迎えしております。マルリ庭園(訳者註:この庭園は、パリの南西郊外に現存する。ただし城館はナポレオン時代に取り壊され、庭園を飾っていた彫刻の多くはルーヴル美術館に移されている。マルリ庭園の彫刻を飾るルーヴルの一画は、「マルリの中庭」と呼ばれている。残された城館の基盤から見ると、マルリの城館は小規模なもので、この城館の滞在者はみな互いに親密になることができたと想像される)の知人のあいだでの私の評判はご存じのとおりです。かくて私は、卿の歓待を命じられました。このことを最初はいやな仕事とみなしておりましたが、現在では幸運の格別の恩顧と考えております。私はスタノップ卿がフランス式の優雅に対してほとんど嫉妬していないことに気づいているつもりでした。ですから、私たちをすこしも模倣しようとしないということで彼を不快に思ってはいませんでした。彼の上品さは高貴かつ真正のものです。私がそれを英国式の高慢と受けとることを忘れなかったとしてもなにほどのことでしょう。私はそれゆえ、くやしまぎれに国民の代表を自認していたのです。私たちの報復のため、私はフランスのすべてを卿に称讃させてやろうと欲しました。そして彼の心を大きく占めていると考えていた聖ジェームズ公園とウィンザー庭園の魅力を損じるため、マルリ小公園のすべての美を詳細に気づかせるという、悪意ある快楽を心に抱いたのです。 「お認めください、卿よ、」木立ちのあいだをゆっくり歩きまわった後、水飼い場のテラスの上で彼に言いました。「この庭園が示しているよりも眺めの良い装飾は、世界にまたとないことを。偉大な芸術家は、妖精物語の作者の幻想的な観念を実現することをしばしば知っています。眼が官能とともに休らう広い円戯場を四方から形成するこれらの丘を切り崩すため、どれだけの技術を必要としたことでしょう。この泉水と滝の水は私たちの足元から60トワーズ(1トワーズ=1.949メートル)下を流れるセーヌ川から汲み上げられています。なんと惜しみなく、それでいてその豊富さによって疲れないために充分な優雅さをもって使われた富でしょうか。私には、世界の他の場所に、この簡素な王の別荘に匹敵する王の住居があろうとは思えません。」「ごもっともです、」卿は笑いながら答えました。「私の方は英国の責任を負いましょう。多少粗野な私たちの父祖はそれをうまく処理しました。しかし私はおそれています、」よりまじめな雰囲気で続けました。「私たちの堕落が、しまいには、宮殿についての原則をあなた方同様に快いもの、またより壮麗なものに高めはしないかと。」 これらの言葉に、自分の小さな虚栄心が恥ずかしくなり、ムッシュー、私は自分が非常に間違っていたのではないかと疑いはじめました。そしてすぐに、それを完全に確信したのです。「貴国の田舎を横切りながら、」卿は言いました。「ここで見出すであろうすべてを見抜いていました。本来的には肥沃で、行動的で勤勉な人々が住んでいる地域に、耕されていない土地、青ざめ悲しげでほとんど裸の農民、かろうじて藁で覆われているだけの小屋を見ました。そこから、他の場所でスキャンダラスな奢侈、公正な国王や人民の父の宮殿にはありえない富んだ別荘を見るであろうという以外の、どんな結論が引き出せたでしょう。もしもそれ自身ではもっとも単純なものごとが、」卿は続けました、「つねに事情をほとんど知らない外国人にとってしばしば謎でないとしたならば、財政と人民についての遺憾な情況から昨晩引き出された嘆きと、無用でおそらくは有害でもある政府の支出に対して今朝濫費しておられる礼賛とのあいだに、私はある種の矛盾をかいま見るような気がすることでしょう。」「卿よ、」自分の当惑に感謝しながら私は答えました。「疑いなく、あなたはあまりにも正当です。あなたが今おっしゃったことは、瞬間にしてすべての先入見を一掃する光線です。礼賛の代わりに、私はあなたにお見せする驚異への弁解を行うべきでした。貴国の人民が生きている豊かさからあなたが引きだした栄光は、必要物への経費で支払っている余計な壮麗さのなかで、虚栄心が私たちを満足させているのが滑稽であるのと同じだけ合理的です。しっかり覚えておきます。私はこれ以降もっと慎重になるでしょう。私の哲学は、臣民に自分の財産と労働を享受させるために君主の権威を和らげる法は、美しい庭園よりも好ましい、ということを知るところまで進むでしょう。私たちのためになされたのではないけれども私たちが羨むことなく称讃している幸福を享受してください。あなた方が自由を保持するために心を悩ましているのとは逆に、情況を変えることができないときには情況を考えないようにするというある種の叡智も存在するのではないでしょうか。私たちフランス人は、今日あなた方が英国において自由であるのと同様に自由でした。私たちはいかなる財貨もけして生んだことのない国家をもっていました。しかし今日のスカートのたが骨とハイ・カラーの流行というごとく、流行は変化します。私たちの父祖は自由を売った、与えた、もしくは破壊にまかせたのです。多くの後悔なしに、私たちはそれを呼び戻すことができないでしょう。世界はうち続く革命によって自らを導きます。私たちは、あなた方も順番に至るであろう忍従の時点に立ち至ったのです。人間に関するものごとを支配する運命を、うまくやり過ごしましょう。軛に対して不満をつぶやいたり反抗することがなんになるのでしょう。その重さをさらに感じるだけです。私たちの主人をおびえさせ、その支配をより耐えがたいものにするだけです。おそらく、良い哲学は情況の不都合について論じることよりも、それに馴れることで成り立っています。考えないようにすること、すべては良いとみなすよう努めること、しまいにはすべてを耐えられるものにし、人生のすべての状態をほとんど平坦なものにする忍耐の訓練をすることが必要です。」 私は驚嘆すべきことを述べたように思っていました、ムッシュー、しかしけしてそうではなかったのです。スタノップ卿は、私の自称哲学に非常に不満でした。それを半分隠していた洗練のみかけにもかかわらず、私が彼に礼賛し、愚か者が愚かさによって、ペテン師がペテンによって、そして小心者が小心さによって採用した叡智は、なんらかの扇情的な精神が体系に変えた緩慢で怠惰な臆病さにすぎないことに、私は苦もなく気づきました。「お許しください、」卿は言いました。「私の言い方の性急さを。自由と隷属という言葉に、すこしもじっとしていることができないのです。私がすべての国の人民を結びつける関係についての観念をまったくもっていないならば、また彼らに対してすべての人への善を望むべきだと知らなければ、祖国への愛から、彼らが幸福であることを欲するでしょう。なぜなら、彼らの幸福は疑いなく私の同胞に有益な競争心をかき立てるからです。私たちが外国の悪徳を採り入れているからには、そこからなんらかの美徳も疑いなく採り入れるでしょう。今日すべての人民をつなぎ結びつけている一連の通商によって、ある国民の悪徳は隣人に伝染するはずです。それゆえ私は、社会の原則、目的そして目標を全ヨーロッパにほとんど忘れさせる専制の伸展を、なんの感情もいだかずに眺めることができるでしょうか。市民としての権利と義務をもつことに無知なとき、人間は、自分は奴隷でなくてはならず、自分の鉄枷を愛さなくてはならないことを納得する理由を探すまで堕落します。私はこの伝染性の例がわが国に隷属を準備することをおそれるのです。また私は、外国人の富とともに彼らの柔和な情念が私たちの性格をおとしめにくることをもおそれます。ですから私は、真理を隠したりあるいは単に偽ることも罪だと見なすでしょう。」 「私は真理を熱望します、卿よ、」私は答えました。「考えていることであれ考えていないことであれ、自分が語っていることを充分理解せずに私たちに語らせるフランス式の無思慮をお許しください。それはそれとして、おそらく私は、あなたがその真理を開示してくださるに足ると存じます。しかしながら申し上げます。あなたは市民の権利と義務について私には疑わしい方法で話された、あるいは、あなたがこの言葉に結びつけた観念を私はよく理解できない、さらには、この言葉に同じ観念を結びつけるのから私はほど遠いのです、と。どうぞ、私の思想もしくは空想を判定してください。それは次のようなものです。 私は考えます。人間は完全に平等で自然の手から飛び出しました、それゆえある人間の他人に対する権利もなく、完全に自由で。自然はけして、王、為政者、臣民、奴隷を創造しませんでした。以上は明白です。そして自然は私たちに唯一の法しか課しませんでした。それは、幸せになるために働くということです。人間がこの状態にとどまっていたかぎり、彼らの権利は、彼らの義務が限定されていたのとちょうと同じ程度に広がっていました。すべては彼ら各人に属していました。すべての人間は普遍的な君主制風の権利をもったある種の君主でした。義務に関しては、誰もそれを負ってはいなかったと想像しています。なぜなら、個々の人間は未だ自分自身にしかなにも負っておらず、自然によって課された自分を幸せにするという法に従わないことは、不可能だったからです。 社会の誕生は奇異な革命を引き起こしました。人間は市民となり、もはやある種の規則にしたがってしか、またある種の変更とともにしか幸せを求めないことを同類と協定しました。双方とも多大な犠牲を払ったのです。自分が尊重させたいと望んだ権利を他者に尊重させることを強いながら、市民は、疑いなく、彼が人間としてもっていた無限定の権力に狭い限界を設けました。しかしこれらの協定(ces conventions)は、生まれたばかりの社会の基礎を固めるのに充分ではありませんでした。もし法が執行されなければ、新しい建物は崩壊しなくてはなりませんでした。それゆえ、市民がその手に自分の独立を放棄した為政者が創造されなくてはなりませんでした。この瞬間から、卿よ、私には、人間はもはや退位した王としか思われないのです。人間はその本性(自然)をいささか変化させました。そしてこの新しい情況における新しい権利と義務を判断するためには、同市民と取り交わした契約(pacte)を知ること、とりわけ政府の構成にかかわる法を試すことが必要だったでしょう。最後にあげた公共秩序についての市民の関係は格別の注意に値します。 こちらでは人民は彼自身がその本来的な立法者であり、かしこでは元老院や特権的家族が主権(souverainete)を所有しています。他の場所では、主権全体がたった一人の人間に委ねられています。諸国民の法典(code)は、人間精神の奇怪さと気紛れのもっとも忠実な一覧表を提供してくれます。個々の国(contree)はその道徳、政治、異なった法をもちます。この暗い混沌のまっただ中で、人間性に本質的に帰属する権利と義務をどのようにして見分けるのでしょうか。実際のところ、卿よ、英国人は英国において正しく、フランス人はフランスにおいて、ドイツ人はドイツにおいて正しいのです。私は、グロティウス、ホッブス、ヴォルフ、プーフェンドルフを読んで回りました。彼ら全員は、市民は自分が構成員である社会の法によって結ばれていると見なすと主張しており、私は苦もなくそれを信じます。これらの法が市民の権利と義務の限界ではないと主張することは、私たちのすべての欲求、すべての情念そして理性が一様に私たちはそのためにつくられたと教え、それなしには人間が希望すべき幸せがけして存在できない社会を破壊するでしょう。」 |
| (その2に続く/2003・8・6) |
| 【参照】 マルリーの給水施設 |