| 市民の権利・義務について (ガブリエル・ボノ・ド・マブリ) Des Droits et des Devoirs du citoyen (Gabriel Bonnot de Mably) |
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如月 訳 |
| 第三の手紙 その1 |
| ムッシュー、あなたはスタノップ卿との第二の対談の続きをお待ちのことと拝察致します。それは次のようなものでした。「私はいささか恥ずかしく思います。」私の哲学者に言いました。「あなたの議論の力によって説き伏せられたと申し上げることができないことを。しかし古い偏見は一日で頭から追い払われるものではありません。とりわけそれが体系を装っている場合には。習慣によって、私は自分の偏見を抱いています。それらを破棄することにいささかの懸念があるのです。私は切望します。卿よ、あなたと交渉し和解を提案することを。長いこと叡智と慎重さを試した精通者にしか秘密の学説を洩らさなかった古代の哲学者にならって、私たちの原理を大衆に隠しておきましょう。そして知者にしか政府を改革する権利を許可しないようにしましょう。」 「その前提にはご同意できません、」卿は冷静にこたえました。「なぜなら真理はあまりにも知られ、あまりにも広がり、またあまりにもわかりきったものであることしかできないからです。」「おっしゃるとおりです、」私はこたえました。「誤用することができないいくつかの真理についてならば。しかし卿よ、恐れてください、権利について理性を啓蒙しながら、情念にそれがより憂慮すべきで、激しく、扱いにくいものになる新たな糧を与えるのではないかと。人間の愚かさや悪心について昨日あなたが確立された原理にあなたを連れ戻すことをお許し下さい。人間の理性は弱く、より強い情念がほとんどつねに理性を征服し暴政をしきます。私たちは善を冷静に見つめます。しかし私たちが善を愛するようにしむけるためには手くだが必要です。もしそれがまったく逆であったならば、あるいは少なくとも、もし善に向かうよりもさらに強い傾向によってしか人間が悪に引きずられなかったのならば、あなたの学説に結び付けられる不都合はすこしも存在しなかったでしょう。人はあなたが要求する変更と慎重さをもってあなたの掟に従ったことでしょう。しかしもしこれらの有益な掟が大衆のなかに広がるとき、大半の精神は、その掟をすべての延長において理解することをほとんどしないということ、また、あなたの政治学は叛乱を引き起こす口実として使われるであろうということをお考えください。最小の不平家でも、その情念が理性と義務の言葉を装うと、よりいっそう危険になるでしょう。軽はずみ、不正、もしくは無知な大臣はあまりにも容易に見つかります。有益なことをなんら確立することなく、人は、私たちがもっているものを嫌うでしょう。そして私たちがもっているものは、つまるところ、無政府状態よりも価値があるのです。このことはすでに申し上げました。しかしながらもう一度言わせてください。人民は半端な知識を得ることでぶ厚い無知から抜け出しても、傲慢で扱いにくくなるでしょう。もし私たちの大貴族が下僕であることを嫌うならば、暴君に戻ろうとするでしょう。いずれにしても、人は公共善にとって致命的な激動しかみないでしょう。私にはこうした反論を思い浮かべるのが恐ろしいのです。まじめに申し上げますが、卿よ、あなたが主張される改革の権利を哲学者のみに制限するのがいかほどつらいというのでしょうか。」 「私にとってつらいのは、」卿はこたえました。「十分に考慮すべき誤りの方です。あなたのお考えでは、哲学者でないことによって、人はより少なく市民であるというのでしょうか。そして彼は偏見のただなかでぼんやり暮らさなくてはならないというのでしょうか。自分自身で真理を見つけることから遠ければ遠いほど、彼に真理を提供することを急がなくてはなりません。社会の善は哲学者にもそうでない人びとにも共通ではないでしょうか。とすればなぜ、彼らの権利は平等ではないのでしょう。私たちの現代国家には、財産がなく、自己の労働によってしか生活できないので、ある意味ではいかなる社会にも属さない多数の人びとがいます。あなたのために私ができるすべてのこと、」卿は笑いながら続けました。「すなわち改革というこの恐ろしい権利は、その無知、教育状態、卑屈な仕事がいかなる意欲ももたないよう宣告しているこの種の公共奴隷にとっては義務ではないのです。これらの人々に、精神の弱さが慣習によってしか行動しないように強いている人々をつけ足してください。しかしもし私が愚か者や人民の滓と呼ばれる人には寛大であるとしても、考える人、考えなくてはならない人々には厳格です。以上が私の結論なのです。 あなたの反論を一歩ずつ検討してみましょう。」卿は続けました。「もし私があなたが提案された議論に同意していたならば、私の学説は、哲学者、すなわち通常充分ぼんやりしていて、非常に無精で、自分のことだけもしくは有益というより奇妙な思索に専心している人々の手にとっても無益でしょう。しかし彼らが重要な地位にあり、公共善への愛で充ちていると仮定しても、もし私たちが秘儀を明らかにし知識を広めることが禁じられているとしたならば、こうした哲人君主、哲人大臣は、改革の視点を補佐するよう準備された精神をけして見出さないであろうと認めて下さい。 熱意をもって変化を希求しないかぎり、ある国民がその悪徳を矯正することはけしてないでしょう。そして光明が、彼らが自分に欠けているものを知り、現在の状況をより有利な他の状況と比較するのに適当な距離に配しないかぎり、国民は変化を望むことができません。もし国民が社会にとってもっとも重要な諸真理、すなわちその対象、その目的、その手段、一言で言えば公共財産を保証し国家を栄えさせることがもっとも可能なものを知らなければ、彼らは行き当たりばったりに変革を行うでしょう。その変革は彼らを幸福にすることはなく、彼らの悪の本性を変化させるだけでしょう。彼らは悲惨のなかによどむことに慣れるでしょう。そしてなにも決心できないために、しまいには自分を矯正することが不可能になるでしょう。無知な人民はもっとも好適なできごとに遭遇してもむだです。彼らはなにも役立てることができません。革命を引き起こし善を生み出すために必要な運動のまっただなかで、運命を導くかわりに、運命に従います。そしてうんざりしたり退屈したり疲れたりするだけなのです。彼らには自分の視点、計画、善悪やより善いものの観念がなく、慣習の重しはかつていたのと同じ地点に彼らを引き戻すでしょう。 ある人々は人民が無知であることを望みます。しかしどうぞご注意下さい。自由を恐れる人がいる国でしか、人はこうした空想をいだきません。無知は高位の人々には好都合です。彼らは苦もなくだましたり圧迫したりします。人は傲慢な人民を呼び込みます。なぜなら大人(たいじん)が辛抱しないかぎり、辛抱に満足を見出さないからです。傲慢な人民を罰しようと欲するのは困難です。なぜなら彼は駄獣であることを拒むからです。あらかじめ申し上げておきますが、いかなる激動ならば、それを利用する精神をもたないときにしか危険ではないか、私は知りません。絶対に罰せられないことを期待する余地があるので、自分はすべて許されているのだと信じ込んでいる政府の不正に身をさらすのは賢明でしょうか。実際のところ、もし市民が非常に愚かで、非常に混迷し、非常に無知であれば、彼らは安らぎのうちに生きるであろうと私は思います。しかし私とあなた、私たちはこの安らぎをどれほど重んじなくてはならないのでしょう。それは中風患者を活動能力と結びつける麻痺した思考に似ています。あなたの市民、悪しき雇われ人は、あなたの従僕があなたにつかえるように国家につかえるでしょう。忍耐と悲惨の連続が愚かにするので、彼は従うでしょう。しかしこうした麻痺、無気力な忍耐、死にも似た不幸な安らぎは、人間が結合したときにみずから提案したものなのでしょうか。これらは社会の幸福と力を生み出すでしょうか。あなたは冷たいミイラが良き市民になることをお望みですか。 あなた方フランス人は、」卿は続けました。「すべての日々が一様でないと、自分を見失ったように思いこみます。あなた方は、カレーからドーヴァーへの航海で嵐に出会ったと思うことなしにロンドンに到着することはけしてありません。しかしそれは、あなた方が揺れる船の上では自由に歩くことができないからなのです。同様に、内乱で殺し合うところだと想像することなしには、最小の動揺も最小のつぶやきもけして見ません。それはつまらない趣味に真剣にとらわれることです。あなた方は社会の真正な善が発する最初の言葉を知らないのです。聖職者と高等法院の最近の争論において、あなた方は自分たちはもっとも奇怪な無政府状態にあると思いこんでいると伺っています。なぜなら、惨めな書籍行商人は道で高等法院と顧問会議の対立した裁定書を同時に呼び売りしていたからです。(このことで)あなた方は自分を非常に不幸だと思いこんでいました。(それに対して)私は次のように言いました。神がこの繁栄のはじまりを祝福して下さいますように、と。フランス人の精神は啓発されだしています。彼らの魂を高めるためには小さな分裂が必要です。(一方)私たちは、英国において名誉心に駆られています。私たちの優位を保つため、私たちは政府を完全なものにするためのなんらかの努力を行うでしょう。私たちの最も偉大な政治家が、あなた方が行いだしたばかりの進歩をすでに憂慮し嫉妬しているのを、私は見ました。 人間の心を知ることに巧みな人は、市民を化石化し、必然的に法を破壊する安らぎのあとで何かを切望することを警戒するでしょう。こうした愚行は、自分が享受している恣意的権力を放棄する決心ができず、かといって自分がさらされている危険を偽ることもできないので、偉大さのただなかで弱さを感じ、自分を取りまくすべてを恐れる専制君主にまかせておきましょう。それが死体でないかぎり、政治的身体には運動が必要です。秩序と安らぎへの大いなる愛をもって、なぜあなた方は、王の前で法は無であるという原則を確立しないのでしょう。なぜあなた方は、高等法院に沈黙を宣告しないのでしょう。なぜあなた方は、高等法院の非常にみすぼらしい建言は叛乱を引き起こす小冊子であるとみなさないのでしょう。あなた方は、大貴族の繁栄国家を支配する至福の愚かさを享受していたのです。情念を恐れてください。しかしこの恐れが、あなた方に情念を窒息させることを望ませるには至りませんように。(そうなれば)あなた方は自然の望みに反することになるでしょう。情念を緩和し統制し導くことで満足してください。そのために、自然は私たちに理性を授けたのです。 かつて、ローマ共和国において、貴族派と平民派の永遠の論争からいかなる善も生み出されなかったでしょうか。もし人民がすべての人の安らぎを好んでいたならば、彼らはたちまち貴族の奴隷となり、私たちは今日、ローマ人という名前すら知らなかったでしょう。彼らの分裂は、逆に、もっとも完成度の高い政府をもたらしました。分裂が市民の競争心をそそったのです。法のみが支配し、魂は強くなりました。このことが国家の力を形成したのです。いかなる才能も失われることなく、功労が気づかれるとしかるべき場所に置かれました。良き市民と偉大な人間にみちた共和国は、内部においては幸福で、外部からは尊敬されました。この例の次に、あなた方が悪とみなしている動揺にその幸福を負っているわが英国を引用しましょうか。ヘンリー8世によって脅かされ、私たちを幸福にしながら隷属に慣らしてしまったエリザベス女王の才覚によって籠絡されたので、もし私たちの父祖に自由よりも安らぎを好む充分な感覚があったならば、私たちは今日もスチュアート家に、またその寵妃や大臣に服従してはいなかったでしょうか。」 |
| (その2に続く/2004・3・21) |