| 市民の権利・義務について (ガブリエル・ボノ・ド・マブリ) Des Droits et des Devoirs du citoyen (Gabriel Bonnot de Mably) |
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如月 訳 |
| 第三の手紙 その3 |
| おわかりでしょう、ムッシュー、スタノップ卿は不毛な土地に種を播いてはおりません。彼は私の進歩に充分満足し、私のため、その弟子の間に名誉ある席を設けてくださるであろうと思います。「卿よ、」内戦についての学説の説明が終わってから、私は言いました。「ついに私は、あなた好みのすべてを信じるに至りました。」「それはあなたが理性的に考えておられるからであり、」卿はからかいながら言いました。「わたしが道理にかなったことを申し上げているからです。」「あなたは誘惑しようとなさいますが、」私はこたえました。「私は警戒します。しかしあなたは免除されてはおりません。私の先入見はあなたにもう一仕事せがむでしょう。率直に申し上げて、私は新しい考え方にいまだくつろいではおりません。あなたのおっしゃる改革の権利という主題に関して、いくつかの疑念があり、ご説明をお願いしたいのです。 私はよく理解しております。」私は続けました。「自由を守り、取り戻し、固めるために自由な人民に可能であり、また行わなければならないことすべてを。私はドイツ連邦(神聖ローマ帝国)のことを少しも心配しておりません。皇帝が、協定(訳註:皇帝選挙のさいに候補者と選挙人のあいだでかわされた契約。capitulation)が規定している限界を越えてその特権を拡大しようとすれば、合法的に皇帝を廃位したり、力によってたおすことができるからです。スウェーデンには国王も一般市民同様に従う基本法があります。実際のところ、スウェーデン人が君主のための法をもったり、君主が罰されることなく法を蹂躙できるというのは、不条理であるか、すくなくとも無益でしょう。あなたの英国には、マグナ・カルタとそれ以上に貴重な最近の革命で議会が行った議決(「権利の請願」)があります。ですからけして困難はありません。恣意的権力にいかに好意的であったにせよ、グロティウスとプーフェンドルフは、ある種の条件下のすべての人民は、武器を手にして、君主に対してそれに注意するよう強制する主人であると認めています。留保なく身をゆだねることができる形式をふまえた約定(pacte formel)を結んでいないすべての人民は、彼を圧制する野蛮な慣習を有益な法で置き換えるためのすべての努力を行う権利を有すると、私には非常によくわかるのです。 しかしデンマーク人は、みずからの幸福を国王の恣意に依存させることを強く望みました。自分が享受している権利を譲渡するのは、疑いなく自由です。それならばなぜ、本質的に立法権力が帰属している国民は、執行権力とともに君主にそれを捧げることができないのでしょうか。自由をもっとも完全に放棄してしまってから自由を取り戻すことに見出す利益は、その企図を正当化するに充分な動機ではけしてないように、私には思われます。もしもっとも自由で、もっとも形式にかない、もっとも真正な協約(convention)が人民を打ち勝ちがたく結びつけないならば、人間にはけして規則も正義もありません。そうなれば社会はどうなるでしょう。しかしそれに従うことを宗教によって強制されているというならば、あわれなデンマーク人はどうなるのでしょうか。以上のように、私はすべての倫理的な法と政治的な法が互いに対立しているのをみます。この闘争が私を当惑させるのです。」 「見てみましょう。」卿はこたえました。「おそらく、人が放棄することの主人ではないようななんらかの権利が存在します。たとえば、人間や社会から真に分離することが不可能なほど人間や社会に帰属している諸権利です。もっとも無知な立法者でさえも、こうした権利があることを認めました。罪人に法の維持への配慮を忘れさせたり、自分自身で判事に自分の刑罰を尋ねに行くことを命じたりするほど、法が不適切だったことはけしてありませんでした。為政者が私をたすけにくることができない情況では、私を攻撃する悪漢を罰するためにできるかぎり武装することに、すべての道徳家は同意しています。飢えが私を責める極度の必要にかられれば、自分を養うために私は盗みます。法は私の前で沈黙し、私はけして盗人ではありません。これらすべては賢明であり正当です。なぜなら政治的法は自然の法にけして反しえないからです。人間は、暴力と必要に対して生活を確固たるものにするためににしか社会を形成しなかったので、同市民に期待する権利がある救済も、自分自身で見つけることができる救済も、同時に奪われたように思うのは不条理でしょう。それは社会の条件をそれに先行した状態より悪くすることに他ならないでしょう。 ある人民が君主に次のように言ったとしましょう。<あなたの命令と許可なしには、呼吸したり、飲んだり、食べたりしないよう誓約しましょう。>同様の契約の有効性をどのようにお考えになりますか。さらに仮定してみましょう。」私のこたえを待たずに、卿は続けました。「この人民は次のような言葉をも発したと。<偉大・荘厳・賢明なる君主よ、私たちはあなたのすべてのわがままに服従しましょう。それが私たちの望みですから、国民全体が有する全権力を自発的にあなたに授与しましょう。以後、すべての法はあなたに従うでしょう。あなたは、恣意、ある種の知識、そして全権力によって、法を解釈・廃止・追加・違反する主人です。あなたの空想の使用法を奪い、与え、取り上げ、再び与えてください。王国の勢力を思いのままに配してください。交戦し、和平してください。好きなだけ税を徴収してください。すべての権力はあなたのものです。あなたの外にはいかなる権力もありません。> 誤りでなければ、以上は充分広範な譲与です。しかし無知な専制君主が自分のなすべきことを知らないとき、もしくは情念の利害によって支配することをはじめて、その奴隷を熱狂や酩酊から引き戻すとき、彼らが飛び降りた深淵から抜け出すなんらかの手だてが残されているにもかかわらず、<その奴隷は幸せであろうと切望する権利をもはやもたないと撤回できないように宣告されているのだ>と、理性は語らなくてはならないとお考えですか。真理と正義を破壊し、自然のすべての権利を覆し、社会のすべての知識をかき乱すために二、三の悪しき章句で足りるというのは、いったいどのような裁判官の前なのでしょうか。いえ、いえ、理性ある存在を結合することができるのは、理性の所為であり、狂気の所為ではありません。君主の情念や愚行に対していかなる安全も確保できないであろうというのは狂気の所為です。社会を形成しながら、人間が、生命、自由、安らぎ、財産を保持するという社会のまさに本質的な目的に違反するであろうというのは狂気の所為です。すべての文明国において、民間の為政者は精神錯乱の発作のなかで過去の契約(contras)を破棄します。彼は二人の市民が彼らの間で取り交わした不正で破廉恥な約定(conventions)を打ちくだきます。人民と君主にとって最上の為政者である理性は、法の聖性を傷つけるおかしな契約(pactes)に従うことを防ぎます。 それが非理性的であることが明らかであるがゆえに、同様の所為は必然的に空想的です。それになんらかの有効性を与えるためには、なんらかの理性を与えなくてはなりません。それは暗黙で、推測的で、了解のもとにある条項を含んでいると仮定しなくてはなりません。その条項とは、疑いなく、君主はその臣民の幸福に勤仕するためにその権力を行使するであろうというものです。それこそが私の側の純粋な仮定、法学者の小細工なのだとはお考えにならないでください。それは永遠の真理です。なぜなら、いかなる機会、いかなる情況、いかなるとき、いかなる瞬間においても、臣民は幸福でありたいという欲求から切り離されていることができないからです。それゆえ契約(contrat)は、その条件が表明されていない場合にも条件的です。そして君主の側がそれに宗教的に結びつけられていないかぎり、臣民はその契約に従うことを強制されません。」 ムッシュー、卿はさらに先に進みます。「政府を構成する所為が可能な限り賢明なときにも、国民には、為政者に委ねた権威を取り戻し、新しい計画と新しい比率にもとづいてそれを分配する権利があります。自分に良いと思われたように順番を入れ替えながら、おそらく国民は慎重さを欠くかもしれません。しかし国民が正義に背くことはないでしょう。その証明は単純明白です。主権の真の特性、その本質的属性は、すべての法学者が何度も証明したように、完全な不羈独立、もしくは機会の違いや国家の異なった要求にもとづいて法を変える能力です。主権者は特別法によって撤回できないように拘束されうるし、明日確立することが必要だと思われる法に今日あらかじめ違反しうると考えるのは、実際上、狂気の沙汰です。主権が本源的にその内に存し、政治的支配の唯一の創始者であり、委ねられた権力を全体としてもしくは様々の部分で為政者に分配する人民は、それゆえ、永遠に契約、いやむしろその贈与を解釈し、条項を変更し、それらを破棄し、ものごとの新たな秩序を確立する権利をもっています。」 「ああ、卿よ、あなたは私を心配させます。」私は言いました。「それを聞くと、私のすべての観念は混乱してしまいます。自然が私たちに与えたこの致命的な権利、しかしながらそれに同意せずにはおれないこの権利は、人間につねに新しい不幸を宣告するように思われます。契約に際してつねに自由である人民が、国家組織をつねに変えることができるのであれば、基本法はどうなるのでしょうか。」「どうなるかですって。」卿は冷然とこたえました。「新しい基本法が破棄された基本法を引き継ぐのです。」「それはわかります。」私はこたえました。「しかし私の懸念はそれでは除去されません。もし人間にとって、彼らの特性を形成し、国民精神を賦与するある種の慣例をその政府のうちにもつことが重要であるならば、またもしこの慣例が間抜けや暴徒を抑制し、その叡智そのものよりもおそらくさらに法を有益にする重厚さとある種の安定を法に与え、一言で言うならば政府全体に恒常的な形態と均一で確固とした歩みを与えるために必要ならば、この慣例は人民にとって熟慮に価する善とはならないでしょうか。仮に、人民はつねに政府を変えることができる主人なのだと認めたとしても、おこたえしますが、最小の気紛れ、最小の不満が革命を引き起こすのではないでしょうか。卿よ、あなたは基本法が引き継がれるのをご覧になることはないでしょう。そのかわりに、無政府状態がこの思慮がなく気が変わりやすい国民のつねの状態となるでしょう。」 「けっこう、けっこう、」卿はこたえました。「フランス式の議論です。あなたは無政府状態で私を怖がらせたと思っておられる。しかしおわかりになりませんか。もしあなたが私の学説の小さな欠点を恐れておられるとしたら、私はすべての失敗を取り返しがつかないものにするあなたの説のより大きな欠点を恐れるでしょう。神よ、革命がより頻繁に起こり、より容易でありますように。どうぞ、どうぞ、」私の手を握りながら、卿は続けました。「人民は私が開陳した真理に納得するでしょう。そして基本法を変えるつもりでそれを破壊することはけしてないでしょう。自然はそれをうまく整理しました。慣習が人間に権力を振るう完全な帝国を信頼してください。他方、私たち哲学者は、自分自身を検討しましょう。自分を誠実に調べましょう。すると、自分がほとんどつねに充分平凡な慣習家であることを見出して赤面するでしょう。国民はしばしばそのすべての機動力が反発し合う奇妙で不完全な政府に順応します。国民を幸福にする政府を変えることを、彼らはどう考えるでしょうか。多くの国家の崩壊や一時的な不幸は、習慣や法を変えようとする情念よりも、習慣や法のためにもっていた頑固な執着のせいでした。歴史を調べまわって、政府を変えようとして無政府状態に陥ったような人民を示してください。彼らが慣習家であるからこそ、逆に基本法を忘れ、しまいには失ってしまうのです。時間、その場の必要、為政者の不注意や情念によってもたらされた単純な習慣が、少しずつ権威を獲得します。法を沈黙させるには、習慣では充分でありません。衰弱したとはいえ、法は習慣と闘うためのいまだ充分な力をもっています。こうして、このようにしてのみ、国民は無政府状態に陥るのです。」 |
| (その4に続く/2004・4・2) |