ラビラントロジーについて――混迷の彼方に
De la labyrinthologie

「世のテセウス諸君! 
アリアドネなしでゴールに到達することができるか?」
――足立和浩


                  (初出:「現代思想」(青土社)1980年8月号)

 

 この『ラビラントロジーについて――混迷の彼方に』は、フランスの哲学者ジャック・デリダ(1930年生)の主著『グラマトロジーについてDe la grammatologie』(邦訳タイトル『根源の彼方に――グラマトロジーについて』現代思潮社)の訳者・足立和浩氏に管理人・如月が捧げた作品です。オリジナルは、足立氏の紹介文『迷路への散策』つきで、雑誌「現代思想」(青土社)1980年8月号に掲載されました。つねにすでに厳密かつ適当に構成された小サイト『世善知特網旧殿』のコンスタティブにしてパフォーマティブな構造を象徴するものとして、ここに掲げます。「この複雑怪奇な迷路の中をしばし「散策」、「彷徨」されんことを」(足立和浩氏)

【内耳性めまいまたはデリダと迷路】
  「ひとは言うまでもなく、電話のほかにもさまざまな情報機械につねに接続されている。それら情報機械を媒介(メディア)として、それぞれのセリーに宿るリズムが声―意識(フォネー)のなかへと不可避的に侵入する。私たちがここで参照したいと思うテクストは、例えば前掲の「鼓膜」である。そこでデリダは「近接性、絶対的固有性の効果」を生産する器官としての耳、つまりフッサール的な声(フォネー)の装置について語り、つぎにその奥に広がる「内耳」に触れていた。「「内耳の現象」としての音声幻聴、「声と現象」は銘文から偽の終わり近くにいたるまで、その現象においてこそエクリチュールの問題を導入していたのだ。無論ひとはつねに「内耳性めまい」を、ありふれた何でもない病気の名前として、つまりある特殊な器官の局所的問題として考え、自分を安心させることもできるだろうが」。ここで「内耳」と訳されたフランス語labyrintheはまた「迷宮」、つまり郵便空間をも意味する。声−意識(フォネー)の中心装置(耳)が起動する以前に、それよりも内部に、つねにすでに郵便空間(内耳)は侵入している。複数のセリーとリズムはそこで衝突する。そしてその結果「内耳性=迷宮的なめまいvertige labyrintique」が生じる。「声と現象」でエクリチュールとして導入されたものは実は「迷宮の現象」だった、とこのテクストは明記している。」(東浩紀氏『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』新潮社、1998年より)

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東浩紀氏によるデリダのエクリチュール論について